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2024/04/10、改稿
内容を変更致しました。m(_ _)m
ジェムが悶々と考えていると、カウンターの向こう側に立つパットから、皿にこんもりと乗せられたスパゲティ・ボロネーゼが差し出された。隣のテーブルにも無言で差し出すパットの表情は、緊張気味だ。これが久しぶりの親子での食事になるのか、とジェムは苦笑した。
備え付けのカトラリー入れからフォークを取り出し、一口パスタを食したジェムは、その味がもたらす衝撃に、ほんの少し前に考えていたことなどすっかり忘れてしまった。
……大丈夫、食べれないほどじゃない。麺がちょっと伸びていて、想像していたものより少し甘いだけ。慣れれば、どうってことない。
ジェムはパスタの味については考えないようにと、とりあえず話題を振るために口を開いた。
「それで、通りそうなの?」
ちょうどフォークをパスタに差し入れたグレアムは、ジェムの問いかけに手を止めた。
「意見書か? 通るだろうな。幸いにも、役員の半数が"妖精の階段"の姿勢に疑問を抱いているみたいだし」
「幸いにも?」
ジェムが訝しげに目を細めて聞き返す。それにグレアムは笑みを浮かべて、フォークでくるくるとパスタを巻き取りながら、言った。
「分かってるよ、話が上手すぎるってんだろ? この国の4割が"妖精の階段"の信者だっていうのにな。俺だって、そう思ったさ。だけど、考えてみろよ。20年前のあの誘拐事件で煮え湯を飲まされた社長たちが、役員の顔ぶれになんの手入れもして来なかったと思うか?」
20年前、"蹄鉄会"に属するカフェの店員たちが誘拐された事件の首謀者は、"メイガス"の保安官だった。エルヴェシア共和国の一般市民と違わず、保安局を信用していた彼らにとって、それは衝撃的な事実であった。あまりにセンセーショナルな真実に、会員からの調査依頼を全て断ってしまうほど、会長たちは疑心暗鬼になっていた。加えて、4代目スワイリーの事件を模倣し、既に58年前の裏切り者を特定していた彼らが、その後なにも対処してこなかったとは考えにくい。
ところで、保安局にまで会員がいる"蹄鉄会"を束ねる会長が、会員制の探偵会社の社長だったという点は、些か奇妙だ。加えてこの探偵社は、国の法執行機関を差し置いて、会員たちの信頼をも勝ち取っている。
「……『エメリー・エボニー=スミス』って名前に、一体どれだけの権力があるんだ?」
「まったくだ。あの顔ぶれのなかでも問答無用で会長職を一任される称号に、どんな背景があるのやら」
食事を再開しながら、ジェムはまるで世間話でもするように会話を続けた。
「それじゃあ、これで会社の危機は免れたんだね?」
「まあ、そうだ。お手柄だな」
「ミスター・グリーンが会長になることもない?」
ああ、とグレアムはパスタを咀嚼しながら頷く。
「あの男は元からそんな器じゃないが」
グレアムの科白にジェムは、じろり、と睨みつけた。
「父さんが言ったんだぞ、うちの社長が解職されたら、次に会長になるのはミスター・グリーンだって」
「"アラン"が言ったんだ。俺じゃない。それに、もしオーガスタスが会長に任命されたとしても、それは、次の『エメリー・エボニー=スミス』が決まるまでの一時的なものだろう。彼奴がその称号を継承できるとはとても思えない」
また、そんな都合のいいことを。
「あのさ、"アラン"が言っただの、"アンヘル"が言っただの、って、そこまで区別するのやめてくれない? どっちも同じ人間だろ」
「"アラン"は嘘吐きだからな。俺が"アンヘル"のときにはなるべく誠実でいられるように、線引きが必要なんだよ」
「その理屈が理解できないんだよ」
「そうやって、俺は俺を保ってるのさ。理解しろとは言わないが、分かってくれ」
グレアムは少しも悪気のない様子だ。最近の彼の常套句にもなってきている台詞に、ジェムは、諦めの溜め息を吐いた。
グレアムは食事をしながら話を続けた。
「グリーン派が台頭したことは、確かに探偵社の危機だった。新人社員たちにストライキでも起こされたら、流石に"蹄鉄会"だって見過ごしてくれねえ――かつてスト破りをしていた探偵たちがストライキをするなんて、冗談みたいな話だけどな。そして、いよいよ派閥争いが熾烈になって、これが現実的な話になってくると、本部のお偉いさん方はオーガスタス・グリーンを次期会長にさせようと本気で考え始めた。グリーン派を抑え込むことができないのならいっその事、オーガスタス・グリーンを本当に組織のトップにして様子を見ようと、提案した奴もいたよ。多分、その提案をした奴は、あわよくばグリーン派を飼い慣らして、」
「――探偵社を、本部の言いなりにさせようと企んでた?」
グレアムの言葉をジェムが引き継ぐと、その通り、と頷き、彼は加えた。
「"メイガス"の存在が浮き彫りになった今、そんな発言をできるような雰囲気もなくなっちまったがな」
だが、もしそうなっていた場合、グレアムのようなスミス派の人間たちは、管理職から外されていただろう。オーガスタス・グリーンが率いるスミシー探偵社は"蹄鉄会"の助力者ではなく、本部の奴隷となっていたに違いない。
「でも、グリーン派の存在は、コリンによる幻想だったから、」
「――オーガスタス・グリーンの就任話は泡沫の如く消えた、というわけだ」
今度はジェムの言葉をグレアムが引き取った。
フォークで巻き取ったパスタを口に入れ、もくもくと咀嚼をし、嚥下してしばし間を置いたあと、今度はジェムが会話を繋げた。
「スミスはこのまま会長を続けるの?」
「今回の件がフランク・キプリングから継承した仕事であると分かったからな、しばらくは本部の連中も口を出さないだろうさ。どうして今のスミスがスミスになったのか、その理由が明らかになったんだ、文句言おうにも言えねえ、って空気だよ。とはいえ、社長が別の人間になるんだから、グリーン派の念願だった"独立"は実現したことになる」
「でも、ぼくたちを本部の傀儡にしようって計画は、綺麗さっぱりなくなったんだよね?」
「ああ、そうだ、あれはグリーン派の言動があまりにも目に余ったから議論されてた計画でもあったしな。あの馬鹿集団をどうにかできるっていうなら、やっぱり"蹄鉄会"は、『エメリー・エボニー=スミス』の名を継承した人間に牽引してほしいと考えてるみたいだぜ。それくらい、本部の役員には先代の会長さんたちに心酔している人間が多い。もともと、"蹄鉄会"ってのは、ニール・マイヤーを慕って集まったのがきっかけの社交クラブだ。保守派が多いうちは、二度と同じ騒動は起こらないだろう――というか、俺が起こさせねえ」
「わお。そこまでやる気なの?」
「クビにされたら嫌だもん。俺さあ、この仕事以外は務まる気がしねえんだよな」
「……そういうことか」
会話がひと段落し、スパゲティ・ボロネーゼ(らしきもの)を空にすると、それを見計らったように、ウィリーが中身の少なくなったふたりのカップにコーヒーを継ぎ足した。頭を軽く下げてふたりの許を離れようとするウィリーに、ジェムとグレアムは「ありがとう」と微笑んだ。
テーブルに備え付けの小さなシュガーポットから角砂糖をひと摘み、グレアムは自身のカップに落とし入れる。
「他に聞きたいことは?」
くるくるとティースプーンでカップの中を掻き混ぜながら、グレアムが訊いた。ジェムはちら、とグレアムの顔を窺いながら口を開いた。
「スワイリーについて、会長は本部になんて説明したの? 役員の大半が保守派でスミス派だったとしても、そこを曖昧にするわけにはいかないだろ。"メイガス"のことがあったにせよ、うちがしばらく刑事事件の調査に協力しなかったことに、不満を持っていた会員がいるのは確かだし。それに、公的な法執行機関の保安局より妖精泥棒のスワイリーを、スミスの説得があったからってすぐに信用するとは思えない」
ふむ、と唸ってから、一口、コーヒーを啜ると、グレアムは答えた。
「意見書の中で、カフェ店員誘拐事件の首謀者の疑いがある人物として、エジキエル・オーウェル保安官の名が挙げられていたそうだ」
ジェムは思わずグレアムの横顔を凝視した。スワイリーの話に、なぜ彼の名が? と、混乱を隠せない様子で、目をぱちぱちと瞬かせている。
「保安局の発表では、彼は殉職したとなっているが、彼の目撃情報は絶えない。英雄扱いされているが、被害者からはそうではなかったって証言もある。そんな状況で、保安局を信用できるか?」
「……まさか」
ジェムがぽつり、と呟いたものにグレアムは肯定する。
「その、まさかだ。スワイリーのことは、限られた人間にしか知らされてない。だが、先の件を通して、会長が本部や他"蹄鉄会"の会員たちに説いたのは、盲目的に信じることの危険性だ。誰かを悪と断罪する前に、考えろ、目に見えるものが全て真実じゃない、疑う目を養え、ってな。俺たちへの調査依頼は、あくまでそのためにあるんだと」
それなら、とジェムは考える。それではまるで、オーウェル保安官が犯罪者みたいだ。
「……オーウェル保安官の立場はどうなるんだ? あの人だって、今まで妖精たちのために力を尽くしてくれてたんじゃ、」
「ジェム、お前はオーウェル保安官に会ったことがあるのか?」
グレアムの矢を射るような目付きに、ジェムは怯んだ。
「……いや、ないけど」
ジェムの返答に、グレアムはぽんぽん、とジェムの肩を叩いた。
「それでいい。たとえ相手が育ての親でも、全てを打ち明ける必要はない」
その口振りからして、グレアムはオーウェル保安官のことを知っているようだった。いや、ジーク・オーウェル保安官の正体を、と言うべきか。
慎重に思い返してみれば、ジェムが会った『オーウェル保安官』は、"入れ替わった"あとの『ジーク・オーウェル保安官』だった。『エジキエル・オーウェル保安官』があの誘拐事件に関わった犯罪者であることは事実だ。つまり、『オーウェル保安官』について真実を明かしていないのは、保安局も会長たちも同じなのだ。
一体、エメリー・エボニー=スミスとジーク・オーウェルの間で、どんな誓約がなされたのだろう、とジェムは思う。それとも、ディガーの言っていたように、彼は自分の後始末をしただけなのだろうか。
オーウェル保安官のことをこれ以上口にしてはいけないのだ、とグレアムの表情や科白から悟ったジェムは、えへん、と咳払いして、強引に話題を変えた。
「コリンはどうなった?」
それは、近頃ジェムが逃避行動をしていた理由のひとつだ。彼のしたことを許すつもりなどさらさらないが、一時期は少なからず心を許していた相手なのだ、彼のその後はどうしたって気になっていた。だが、それを認めるのもなんだか癪で、ジェムはずっと考えまいと努めていたのだ。それでも他に知りたいこともないので、義父との会話を続けるためには聞くしかないのだが。
グレアムは控えめにジェムの表情を窺いながら、答えた。
「"谷間の百合"に引き渡された。彼奴が妖精に対してどういう考えをしてるのかは分かっているが、彼奴のしたことや境遇を考えると、それ以外に方法がなかった――警察が預かってくれるわけもないしな」
「……前途多難だな」
「それがそうでもない。実は、奴の監視をするために、アーヴィン・パウエルが同行することになったんだ。そのために、会社を辞めることにはなっちまったが、コリン・リグリーの動向がまったく分からなくなるよりかはマシだろ。リグリーにしたって、パウエルがいた方が精神が安定するだろうしな」
コリン・リグリーが引き起こした騒動について、アーヴィン・パウエルは責任を感じていた。コリンの身体の本来の持ち主に対しても、罪の意識を感じていた。彼の傍にいて見守ることは、パウエルなりの贖罪でもあるのだ。
探偵社の常務取締役であるパウエルが"谷間の百合"に行くのなら、その役職は誰が引き継ぐのだろう、とジェムは考える。ミス・バジョットかな、と予想して、自分の想像に身震いした。
……本当に、探偵社は生まれ変わるのかもしれない。新しい部署が設置されるだけでなく、上層部が変わるのだから。




