30(1/3).最後の敵対者 - The Final Adversary
2024/03/21、改稿
内容を変更致しました。m(_ _)m
――さて。
ジェムは胸の前で腕を組み、右手の親指で首を摩った。彼は考えていた。この拗れた稚拙な騒ぎをどう収めるべきだろう、と。
……いや、この場合、ぼくが決めるべきではないのかもしれない。ぼくがコリンを追い詰めたのは、父さんのためでも、会長のためでもない。彼女のためなのだから。
とはいえ、コリン・リグリーが探偵社を混乱に陥れていたことは、いち探偵社員として見逃せない事実である。とても容赦できる行いではないが、切り捨てて、逆恨みされても厄介だ。その上、この男は探偵社の深部まで知り尽くしている。
「――お前の主張や立場は分かった」
ジェムはなるたけ事務的に聞こえるように、淡々と言った。途端に、コリンは緊張した面持ちに変わった。
「その上で言わせてもらうが、お前のやってきたことは、どんな目的だったにせよ、許容できるもんじゃない。お前がスパイだったってことは、上に伝えなきゃならない。そこで、提案がある」
コリンの瞳が揺れた。恐怖と期待が織り交ぜられたような視線だ。ジェムは溜め息を吐いた。
「……アーヴィン・パウエルと話をしろ。ぼくがお前にしてやれることは、それだけだ」
「……いいの?」
「別にいいだろ。直属ではないにしろ、ぼくの上司に変わりないし、あの人自身、スパイの正体を知りたがってた。とはいえ、お前がそれで常務に愛想尽かされようが、軽蔑されようが、ぼくは一切関与しない。それでいいな?」
「勿論だよ! それでいい、アーヴィンに会えるなら!」
「それじゃあ、お前の処罰について、ぼくの依頼人の意見を聞こうか」
そう言ってジェムは、傍らに座るリリーに視線を向けた。それに誘導されるように、コリンも彼女を見遣った。
「……わたし?」
おどおどと聞き返したリリーに、ジェムは困ったように眉尻を下げた。
「きみが言ったんだぞ、ぼくたちを罠に嵌めた奴をとっちめてくれ、って」
「でも、わたしにできることなんて、なにも――」
「きみがなにかする必要はないよ。ただ、こいつをどうしたいか、どうしてほしいか、それだけ言ってくれればいい」
リリーは当惑した。じっ、とコリンを見つめ、彼が告白した様々な事実を思い返す。
……わたしがこの人のせいで怖い思いをしたのは、1回だけ。だけど、この人に振り回されてきた人は大勢いる。なかには、考える意思すら奪われている人もいるのに、この人は……。
リリーは意を決した。雰囲気の変わった彼女に、コリンはどきりとする。
「……謝ってください」
覚悟して、身を構えていたコリンは唖然とした。肩透かしを食らった気分だ。
「謝る? そんなのでいいの?」
「そんなの? 気付いてないんですか? あなたは、そんなこともできていないんですよ」
コリンは面食らって、心当たりがないとでも言うように、ぱちぱちと目を瞬かせた。指摘されたことを自分事として捉えられていないその様子を見て、むかっ腹を立てたリリーは、語気を強めた。
「あなたがどんな理由でスパイをやってきて、わたしたちを騙すようなことをしたのかはよく分かったけど、でも、それだけです。あなたがたくさんの人を蔑ろにしてきたことに、違いはないんです。あなたの話には、あなたしか出てこない。他の人のことは、少しだって考えてない。自分がしでかしたことの重大さに気付いてない。だから、人に言われないと謝れないんです」
「――そんなこと、」
「ない、って言うんですか? まだ分からないんですか、わたしにこんなことを言われている理由が。ミスター・パウエルのことだって、そうです。あなたは、あなたの気持ちばかり優先して、彼の気持ちは少しも考えてない。ミスター・パウエルに会って、なにを話すつもりだったんですか? わたしたちにしたみたいに、言い訳して逃げるんですか?」
「――それは、」
口を開いたは良いものの、コリンは、その後に続く言葉を紡げられない。アーヴィンのためと言いながら、自分がスパイであることを知られるのを恐れたのは、彼に責められることが怖かったからだ。この身体の持ち主に対する罪悪感を今の今まで忘れていたのも、アーヴィンに知られて嫌われたくなかったから。
……そんなんなのに、僕は、アーヴィンに本当のことを話せるのか? ごめん、って言えるのか?
問いかけたものの、コリンからはっきりとした回答を求めていたわけではなかったリリーは、言葉を続けた。
「ジェムがどうしてあなたをミスター・パウエルに会わせようとしてくれているのか、きちんと考えてみてください。そして、反省してください。親切心で言ってるんじゃありません。わたしはただ、二度と同じ間違いをあなたにしてほしくないんです。あんな思いをするのはもう、懲り懲りですから」
リリーの言葉に、コリンは目を伏せた。気不味そうに手を動かして、小さな声で言った。
「……そんなに怖かった?」
「怖いです。なにをされるか、分からないから」
そうだよね、とコリンは頷いた。
「――ごめんね、僕の勝手で、こんな危険なことに巻き込んじゃって。キミにも、ジェムにも、とても悪いことをしたと思う。ホントに、ごめんなさい」
目頭を熱くさせながら、コリンは精一杯に自分の気持ちを告げた。
アーヴィン・パウエルの傍で、"メイガス"の犠牲となった人々を見たことがあったからこそ、リリーの訴えに思うところがあったのだろう。コリンの瞳に浮かぶ自責の色を見て、幾らか溜飲が下がったリリーは、彼の謝罪を素直に受け止めた。
「……次にやったときは、こんなものでは済ませませんから」
わざと怒気を含ませながらそんなふうに応えて、リリーはコリンを許した。それを、人が良すぎる、とジェムは思う。
……こんなやつにまで、義理を通すこともないのに。
とはいえ、彼女の言う通り、コリンが逆恨みでもしてジェムたちに攻撃してこないようにするには、彼自身が自分の行いを省みるよう指導するのが、方法としては良いのかもしれない。ジェムとしては、それぐらい自分の力で考えろ、と言いたくなる気持ちもあるが。
……人間、自分のことになると、途端に分からなくなったりするものだしな。
一方でコリンはしばしの間、リリーの顔を呆然と見つめていた。そのオリーブ色の肌と緑の目が、"彼"を思い起こさせるからだろうか。コリンは、彼女の存在をずっと無視できなかった。気にしないように努めても、彼女を意識しないことの方が難しくて、苛つくこともあった。
……だって、スミスの悪口を言って、アーヴィンに諭されたときのことを思い出すんだもの。「彼のことをそんなふうに悪く言わないでやってくれ」って、悲しそうに笑ったアーヴィンのことを。
だけど、こうして彼女と向き合うと、コリンは頭の中の霧が晴れたように目の前が開けて、自分がずっと蓋をしていた感覚に目を向けることができた。敵ながらあっぱれ、とコリンは心の内でリリーを表彰する。
「……ところで、ずっと気になってたんですけど、」
と、ここぞとばかりにリリーは話を切り替えた。
「奥の部屋には、なにがあるんですか?」
コリンの背後を見据えながら、リリーは訊ねた。彼女の視線を辿ったジェムは、「ぼくもずっと気になってた」と同調した。
仮設病院のような部屋の奥には、仕切り壁の裏側に続く道があった。コリンに勧められて座ったベッドの場所からその存在を認めることができたものの、暗がりで中を窺うことはできなかったので、ふたりは時々、そちらを注視してたのだ。
ふたりに言われて、背後を振り返ったコリンは、ああ、と応える。
「キッチンだよ。"メイガス"から逃げてきた人たちは、しばらくここに滞在するからね、食糧が必要でしょ? だから、ある程度保存期間が長いものをあそこに蓄えてるんだ。冷蔵庫もあるよ」
リリーの目が微かに輝いた。
「まだ、食べられるでしょうか?」
「……食べるの?」と、驚きを隠せず、コリンは聞き返す。
「実は、朝からあんまり食べられてないんです。だから、もしなにかあるのなら、」
「え、食べるの?」とジェムが再確認する。
どうしても空腹を我慢できないわけではなかったが、まだ見ぬ奥の部屋への興味に推されて、リリーは食事を熱望した。懇願するように、熱い視線をジェムに注ぐ。ジェムとリリーは、しばらくの間、無言の押し問答を繰り広げたが、やがてジェムの方が折れた。
「……どうせなら美味いものが食べたい」
「ジェムも食べるの?」
「ぼくも空腹なんだよ、きみと同じで、まともな食事にありつけてないから」
「じゃあ、一緒に見に行きます?」
一瞬、ジェムは答えるのを躊躇った。
「……いや、ひとりはこいつを見張ってないと」
「別に、もう逃げたりしないよ」と宣言するコリンを、どうだか、とジェムはあしらった。
軽やかな足取りで部屋の奥へ向かうリリーの背を男ふたりで見送りながら、コリンはジェムに話しかけた。
「それで――キミたちは、これからどうするの?」
そうだな、とジェムは応える。
「お前を常務のところにつれていく。お前の処遇は彼に任せるよ」
「そのあとは?」
「それは、ぼくの裁量で決められることじゃない」
「いや、僕の話じゃなくてさ、」
含みのあるコリンの言い方に、ジェムは怪訝そうに眉を顰めた。コリンは無邪気な顔で続ける。
「キミたちふたりは、どうするの?」
「……なんでそんなことを聞くんだ?」
「気になるんだもん。お似合いだよ、キミたち」
「そんなことより、お前は常務となにを話すか考えた方がいいんじゃないか」
「またそうやってはぐらかして。僕はちゃんと考えてるよ、アーヴィンとの、これからのこと」
……自己満足かもしれないけど、たとえアーヴィンから赦しをもらえなくても、彼のためにこの身を捧げようと思ってる。自分に唯一、愛を与えてくれた人だから。
コリンはそう、心の内で締め括った。
「そういえば、」と、ジェムは早急に話題を変えた。
「お前の本当の身体はどうなったんだ? その身体は他人のを乗っ取ったものなんだから、お前のもどこかにあるはずだろ?」
「……さあ。棄てられちゃったんじゃないかな。人間の身体なんて、ヤツらには使い道ないだろうし。もしかしたら、臓器でもなんでも、売り捌かれちゃったかもね」
「……胸糞悪いな」
ね、とジェムに共感を示しながら、コリンは前頭部を抑えた。些か具合が悪そうに見えるが、それとも、今頃になって自分の身体のことを憂いているのだろうか。
「ところで、お前とミスター・パウエルの出会いの話で、ひとつ、気になることがあるんだ」
「気になること?」
「常務からは、お前はストリートキッドだったと聞いてた。そして、"メイガス"の諜報活動のためにお前を引き取り、仕事を手伝わせたと。だけどお前は、常務が施設から抜け出そうとしていたところに、偶然出会したのが最初だと言ってた。つまり、お前は常務に出会う前から"メイガス"にいたことになる。それも、信徒としてだ。この違いは、一体なんなんだ?」
「……え」
コリンの表情が消えた。顔面が蒼白になり、まるで生気がない。その様子に、ジェムはまさか、と考える。まさか、その子どもは、と。
――その頃、奥の部屋では、リリーがその場に似つかわしくない巨大な落書きを目にしていた。黒々と塗り潰されたキッチンの戸棚に白抜きで描かれた、枝分かれした大きな角を持つ髑髏の額には、継ぎ目のような線が引かれている。この絵をどこか不恰好だと感じるのは、髑髏が人の頭に似ているからだろうか。
魔除にしては仰々しいと思い、その奇妙さ故か、リリーが落書きから視線を逸らせずにいると、髑髏の額に結び目のような文様が赤く光って浮かび上がった。その光に、胸元のペンダントが反応した。




