29(1/3).ガリヴの古巣 - The Adventure of Gallibh Old Place
2024/03/13、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
「ここです」
日が暮れるまで歩き続け、リリーに案内された先は、ブランポリス市最南端のガリヴ区にある住宅地にぽつんと取り残されたように建つ空き家だった。
ガリヴ区は、冬になると刺青のような雪化粧を施すことからピクト山と名付けられた山の、麓に位置している。同じ郊外でもマガリッジと比べると田舎臭く、かつては賑わっていたというこの地区を、ブランポリス市内と看做さない都市住民もいるほどに寂れてしまった場所である。
なかでもその家は長らく人の手が入ってないらしく、塗装は剥がれ、外壁は崩れ、その半壊の様相は、地元住民も寄り付かなさそうな薄気味悪さを纏っていた。
「この家の2階から、コリンの気配がします」
リリーは、空き家の2階部分を指差して、言った。
「……向こうも、ぼくたちが来たのに気付いているだろうな」
「……ええ」
ジェムの推測に賛同するように、リリーは頷いた。
門扉を開け、10歩ほど歩いた先の玄関ポーチに上がったとき、段差に足を引っ掛けてしまったリリーは、小さな悲鳴を上げた。目の前にあった腕をしがみつくように掴むと、同時にジェムに肩を支えられ、どうにか事なきを得た。
「大丈夫?」
「……ええ、大丈夫。ありがとう」
……沢山歩いたからかしら、足を上手く動かせない。
リリーは自分の体力のなさを痛感した。
ドアノブを軽く捻ると、かちゃ、と手応えなくドアが開いた。このドアは、戸としての役割を辛うじて担っていたようだった。次に嵐でも来たら、あっという間にその役目を終えてしまうだろう。
空き家に1歩足を踏み入れたジェムは、廊下から壁から天井に至るまで、視界に入る隅々のものにさっと目を配った。埃まみれの床に、朽ち果てた木造の家具、虫や害獣の棲み家となった壁。そして、しっかりと根を張ったように立つ、家屋を支える中央部の柱……。
かちゃん、と控え目に背後のドアが閉められると、ジェムは不思議と息苦しさを感じた。こんなぼろ屋が密室なはずもないのに、空気が薄いような錯覚に陥る。ちら、とリリーの方を見遣れば、彼女は眉根を顰めて片手で鼻を覆っていた。
ジェムは訊ねた。
「なにしてるの?」
「匂いが少し、きつくて」
……臭い?
リリーの話にジェムは疑問を持ったが、自分が呼吸をしずらいのも確かなので、もしかすると原因はその匂いなのかもしれないと思い始めた。しかし、何故その匂いを自分は感じ取れないのかと、謎は深まる。
……もしかして、彼女が妖精だからだろうか?
「……行こうか」
「はい」
照明のない部屋でも見えるのは、塵という塵を集めた絨毯と、綿が剥き出しになったカウチソファ。腐食したダイニングテーブルに、足が折れた椅子、土で汚れて黒くなった冷蔵庫。とても家全体を暖めることなどできなさそうな小さなストーブの上には、灰色の埃が積もっていた。
中央の柱に沿うように続く階段には、真新しい土が靴先の形に残っていた。ジェムが片膝をついて、それを確認していると、ふと、柱の壁紙が破れている部分が目についた。煤汚れた壁紙の下から、この家には似つかわしくない鉛の板が覗いていた。
「ジェム?」と、先を行くリリーから、怪訝な様子で呼びかけられる。
「ん――ああ、ごめん」
言いつつジェムは、こんこん、と左手の甲で柱を叩き、そして何事もなかったかのように階段を上り始めた。
コリンの気配に近付くにつれ、リリーは辺りに充満する匂いに顔を顰めた。その粘ついたカビ臭さは、外敵から身も守るために生き物が出す悪臭のようでもあるし、その場にこびり付いて腐ったブルーチーズが異臭を放っている光景をも連想させた。"妖精の遺物"であるペンダントを着けていなかったら、この異臭が人から発せられた匂いであると気付けなかったかもしれない。
階段を上がってすぐの突き当たりの壁には、猟銃を持った狩人と熊の絵が飾られていた。そこから左に曲がった先の部屋から、その匂いは漂ってくる。リリーは、飛びつくようにそのドアノブに触れたが、はた、とノブを捻る手を止めた。
……匂いが消えた――?
「――どうかした?」
後ろで自分を気遣う声を聞いてはっとしたが、直ぐ様リリーはふるふると首を横に振った。
「大丈夫です、開けますね」
リリーはゆっくりとノブを回し、慎重に扉を開けた。
その部屋は、がらんどうだった。
窓からは穏やかな昼下がりの明かりが入り込んでいる。部屋の中を舞う塵が、ティンダル現象で陽の光をきらきらと反射させて、幻想的ですらある。
「……やっぱり、いない」
リリーはなにもない部屋を見渡しながら呟いた。
……さっきまでは、確かにこの部屋から匂いがしたのに。まるで妖精の悪戯にあったみたい――妖精のわたしが言うと、変に聞こえるけど。
加えて、リリーはこの部屋をなんだか異質な空間のように感じていた。まるで、現実世界から切り離されたような場所だと。
ぼうっとリリーが部屋を眺めていると、背後でうっ、と呻き声がした。吃驚して振り向けば、ジェムが壁に凭れかかって、鳩尾を抑えながら浅い呼吸を繰り返していた。リリーは咄嗟に彼の許へ駆け寄った。
「ジェム?!」
ジェムはリリーの呼びかけに応えるために、はあ、と一度、深く息を吐いた。
この、腹からなにかがせり上がってくる感覚、間違いない。
「……"魔力"だよ」
「魔力?」
「気付かないうちに、ぼくたち、"魔力"を浴びせられてたみたいだ」
すると、先程までリリーがいた場所から、ぎし、と床板が軋む音がした。反射的にジェムはリリーの肩を押し、自分の背中に彼女を隠すように腕を広げた。
「……コリン、」
そしてジェムは、目の前に立つコリンを怪訝そうに見つめながら、眉根を寄せた。コリンの背には、昆虫翼のような光の膜が靡いていた。
「動くな」
コリンは言った。両手を突き出し、手に持った異様な物体でジェムたちを脅していた。
リリーはコリンが握っているものを凝視しながら、震える声で訊ねた。
「……わたしたちを撃つんですか?」
「なに?」
ジェムは思わず後ろに首を捻って聞き返した。そこへ、すかさずコリンが警告する。
「余計な動きをすればね。僕は本気だ」
リリーはごくりと唾を飲んだ。拳銃を持つコリンの手は震えていない。彼は心を決めているのだ。
ジェムは当惑した様子でコリンのことを眺めていた。だが、しばらくすると意を決したように口を開いた。
「ちょっと、待ってくれ」
ジェムの声に、ぴく、とコリンの肩が跳ね上がる。ジェムは気にせず、コリンの手許を指差しながら喋り続けた。
「わからないぼくが可笑しいのか? それとも、これはきみたちにしか見えないものなのか? ふたりにはあれが、なにに見えてるんだ?」
リリーは、大きな目をさらに広げて、ジェムを見た。
「なに、って、」
そして、リリーはジェムが指差す方向に視線を移した。
「……えっ?」
――コリンが持っていた拳銃は、ただの棒切れに変わっていた。
いや、ただの、と言うには語弊があるだろう。それは、直角に合わせたふたつの棒切れを養生テープでぐるぐると巻いて固定させたものだった。
……だけど、見間違うには部屋の中が明る過ぎる。あんなにしっかりと見ていたのに、どうしてあれが拳銃に見えてたの?
はっとして、リリーは胸許のロケットを握り締めた。ロケットは、なんの反応も示していない。最初からコリンは、リリーたちに危害を加えるつもりなどなかったのだ。
コリンは、棒切れを握って突き出していた腕を下ろすと、はぁ、と溜め息を吐いた。
「ジェムが可笑しいんだよ、僕の"魔法"が全く効かないなんて」
そう言うが早いか、コリンは持っていた棒切れを床上に乱暴に放り投げた。同時に、コリンの背の光の膜が塵となって消え、幻想的だった部屋の雰囲気もがらりと変わり、なんの変哲もない空き部屋が現れた。どことなく生温かったのが肌寒くなり、呼吸がしやすくなる。冷たい空気が鼻腔を潜り抜け、ジェムの体内で暴れる"魔力"を少しずつだが抑えていった。
コリンから敵意が消えたので、ジェムはリリーを庇うために広げていた腕を下ろした。
「……なにをしたんですか?」
ジェムの遮りがなくなり、そろそろと前に出てきたリリーが訊ねた。
「"魔法"を使ったんだ。催眠みたいなものだよ。キミたち、階段のところで猟師の絵を見たでしょ? あの絵には僕の"魔法"がかかっていて、拳銃に似たようなかたちの棒切れを見せて、あの絵の様子を思い起こさせる状況を作ったの。僕の"魔力"はちょっと特別で、大気中に漂わせることができるから、それを使ってキミたちに幻を見せたんだよ」
「じゃあ、あの絵を見ていなかったら?」
「そうだなあ……、ブーメランの方が馴染みあるんだったら、それに見えてたかも。僕の思った通りの結果にはならなかっただろうね」
「コリン、」と、やや性急にジェムは訊ねた。「きみは、"メイガス"のスパイなのか?」
コリンは不敵に笑った。




