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ブラック・スミス 〜探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄〜  作者: 雅楠 A子
《本編:探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄》

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61/77

28(3/3)

2024/03/13、改稿

一部内容を変更致しました。m(_ _)m

 一方その頃、ヴィンスはスミシー探偵社本社の外、厳かな階段の3段目に腰を下ろして待っていた。突然、辺りがざわつき始めたので、気になったヴィンスがくるりと首を回して背後を見ると、眼鏡をかけた茶色いマッシュヘアの少年が鬼気迫る顔で階段を駆け下りてくるのが見えた。一体何事だろう、とヴィンスは、目の前を通り過ぎていく少年の姿を目で追いかけた。

 その時だった。


「ヴィンス!」


 ジェムの声に振り向き、今まさに本社のビルから出てきた彼の様子を目に留めて、ヴィンスはたった今、自分の前を横切った少年がコリン・リグリーであると悟った。


 ヴィンスは飛ぶように走った。あのビルの中でなにがあったのかは分からない。だが、あの今にも人を殺しそうなほど追い詰められた顔をしたリグリーを、逃してはならないとヴィンスの直感が告げている。


 ファティーグパンツを履いた、軍人にはとても見えない見知らぬ男に追いかけられて、コリンは酷く慌てていた。その男がジェムの仲間なのか、そもそもジェムはどちら側の人間なのか、それとも無関係なのか、なにもかもが分からなかった。ただ、あの場所で、スミスの懐で、20年前の誘拐事件と"メイガス"との繋がりを自分が知っていることを明かすわけにはいかなかった。


 ……こんなはずではなかったのに。


 コリンは先の道路を走るバスを目にして、あれに乗って、どこか遠くへ逃げてしまおうと考えた。


 ……いや、ダメだ。()()()を置いて、この街を離れるわけにはいかない。せめて、()()()の無事をこの目で確かめるまでは。


 ふと、地下鉄を使おう、とコリンは思った。運に任せて、探偵たちの真似事でもしてみようと。


 コリンは地下鉄駅への階段を、上ってくる人の群れをすり抜けながら下って、更にその先の改札をひょいと飛び越えた。ヴィンスはそれを真似して、コリンよりも身軽に改札まで辿り着き、「ごめんね、駅員さん!」と謝りながら突破した。


 コリンはホームに停まっていた地下鉄の後方車両に乗り込み、前方車両に向かって走り続けた。幸い、乗客は少ない。

 ヴィンスも同じように地下鉄に乗り込んだが、2車両ほど駆け抜けたところで、死角に隠れて待ち伏せていたコリンから不意打ちを食らい、そのせいで座席に尻餅をついた拍子に、後頭部を窓ガラスに強く叩き付けた。すると間もなく発車を知らせるベルが鳴り、コリンが大急ぎで車両から降りた。ヴィンスはありったけの力で身体を起こし、コリンに追い縋るも、降車口の自動扉は無情にも閉じられてしまった(このような機械に情けの心など期待したって仕方がないのだが)。

 ヴィンスは、くそっ、と窓を叩いた。


 再び地上に戻っても、コリンはそのガゼルのように細い足を忙しなく動かし続けた。休む暇はなかった。あの身軽そうな男を撒くために、随分時間を費やしてしまったから、ジェムがもうすぐそこまで来ているはずだ。


 そして、それはコリンの予想通りであった。ジェムはヴィンスのおかげで、ほんの数メートルのところまでコリンに追いついていたのだ。せっかくグリーン派の探偵社員が保管庫でジェムを足止めしてくれたのに、彼の働きが無駄になってしまった。これでは、いつ捕まってもおかしくない。


 マガリッジ区を抜けてブランポリス市の行政区であるニューノール区に入ると、高層ビルが乱立し、人の往来も増えてきた。区の名前よりも有名なシティ・オブ・ブランポリスとの俗称がある、クリスティ・スクエアなどを含む地域――医療、福祉、商業施設ら全てがこの地域に密集しているので、都市(シティ・)の中(オブ・)の都市(ブランポリス)と呼ばれている――は、もっと先の方だ。そこまで行けば、人の波に紛れてジェムを撒くことができるかもしれないが、辿り着く前に体力がもたないだろう。それでも、コリンは諦めなかった。


 ニューノールの朝のラッシュアワーによって、ジェムは苦戦を強いられていた。尾行するときに目立たないようにするための癖で、ジェムは往来する人との接触をせずにコリンを追いかけていたので、どうしても余計に時間を食ってしまっていたのだ。そのことにコリンも気が付いたらしい。彼はだんだん人をわざと押し退けて走るようになって、時々、コリンに突き飛ばされてバランスを崩した人々が、ジェムの前に倒れ込んでくる。


 その内のひとりが、茶封筒に入った書類を確認しながら歩いていたようで、コリンにぶつかった拍子にそれらをぶちまけながらジェムの前で膝をついた。放っておいて、そのままコリンを追いかければ良いものを、その膝をついた人物というのがタイトスカートを履いたビジネスウーマンで、彼女が這い蹲るように地面に散らばった紙を掻き集めているのを、ジェムは無視できなかった。

 母親からも義父からも、果ては"ホーム"の婦人たちからも、この男性社会で誰よりも敬わなければいけない相手は働く女性である、と教えられてきたからかもしれない。ともかく、ジェムは踵を返して、自分たちの追いかけっこの犠牲となってしまったこの女性を助けることにしたのだ(そして後々、ジェムはこの時のことを、相手が男だったら自分は助けていただろうか、と悩むことになるのだが、それはまた別の話だ)。


 なんて馬鹿なんだろう、と思いつつ、女性と一緒になって散らばった紙を1枚1枚拾い上げていると、ジェムは、すっ、と紙束を差し出すオリーブ色の肌の細い腕を視界の端に捉えた。咄嗟に顔を上げて見たその腕の正体に、ジェムは驚いた。


「リリー」


 ふわり、とジェムに微笑んだ後、彼の持つ紙束を自分の手許のものに重ね、リリーはそれを女性に手渡した。リリーはこの女性から大いに感謝されたが、それに対してふるふると首を横に振った。


「いいんです、(もと)を正せば、わたしたちのせいでもありますから」


 女性は怪訝そうな顔をしていたが、再びジェムとリリーに対してお礼を告げると、足早に去っていた。


「オルトンのインターン先の事務所まで、彼の車で送ってもらったんです」


 出し抜けにリリーが言った。


「だけど、これ以上、彼のお世話にはなりたくなかったから、自分の足でミスター・デーンズのお店に向かうことにしたの。そうすれば、ジェムに会えると思って」


 リリーの話を聞きながら、ジェムはヴィンスに諭されたときのことを思い出していた。彼女のために、なにもしてやらなかったことを悔やまなかったことはない。ずっと心の奥に引っ掛かっていた。だからこそ、次に彼女に会ったときには、そのことを伝えなければと思っていたのだった――が。


「……迎えに行けなくて、ごめん」


 なんだか的外れな謝罪をしてしまった。


 リリーは、きょとんとして、目を瞬いたあと、ふっと泡が弾けるように笑った。


「そんなこと、端から期待してません」


 ジェムはばつが悪くなって、目を逸らした。


「誤解しないで、あなたを信じてなかったわけじゃないの」ジェムの表情を見たリリーが慌てて言った。「ただ、わたし自身、誰かの助けを待っているより、自分でなんとかしようと行動を起こす方が性に合ってるの」


 ……リリーらしい。


 そう思って、ジェムは笑を零した。


「それはそうと、」リリーは言った。「誰かを追いかけてたように見えたけど」


 ああ、とジェムは応え、そしてもう姿が見えなくなってしまったコリンの方に視線を向けた。


「コリンを追ってたんだ。どうやらあいつが、ぼくらが探していた犯人みたいでね」

「コリンが」

「うん」


 すると、ふわ、と空気が変わる気配がして、ジェムはリリーの方へ視線を戻した。そして、あの小さな光の粒がリリーの周りを漂いながら、彼女の背中に昆虫翼のような光の膜を形成し始めたのを目にした。


 もう、ジェムがこれらの光景に圧倒されることはなくなっていたが、その代わり彼は、"魔法"を使う者たちの纏う光がそれぞれに異なった流動性を持つことに気付いて、それらの違いを比べるようにまでなっていた。リリーの光は、綿毛のように不規則に揺蕩(たゆた)い、淡く点滅しながら時折虹色に輝いて、アルブカの葉のようにくるくると螺旋を描く。ジェムはぼう、と見蕩れた。


 ……やっぱり、リリーの"魔法"が一番綺麗だ。


「――なぜかは、上手く言えないんだけど、」とリリーが話し始めたので、ジェムははっとして、そちらに意識を向けた。「わたし、コリンの居場所がわかるんです。今ならまだ、追いつけると思う。だから、……」


 こんな話、間接的に自分は"普通の人間"ではないと白状しているようなものだ。だけど、ジェムなら、自分が妖精だと分かっても、変わらずに接してくれる。そう信じていたが同時に、リリーは、彼から以前とは違う目を向けられるのではないかという恐怖を感じていた。妖精は、アルビオンやエルヴェシアの人々にとって、善くも悪くも畏れられる存在だから。それは、あのとき、ガスステーションで身をもって体験したことだ。


 ……ずっと一緒にいたオルトンだって、変わってしまったんだもの。ジェムはそうはならないなんて、そんな期待をするのは可哀想よ、わたしが傷つきたくないからって。


 だが、怖いからといって、この場で自分の持つ妖精の力を使わないという選択肢は、リリーにはなかった。どんな思惑であれ、ジェムたちを危険に晒したコリンを、このまま逃がすわけにはいかない。母が言ったように、本当に妖精と人間は相容れないのだとしても、今回のように共通の敵がいるならば、協力することはできるはずだ。リリーは、その可能性に賭けることにした。


「――だから、案内しますから、わたしを信じられなくても、ついてきてくれませんか?」


 ジェムは真っ直ぐにリリーを見据えて、答えた。


「わかった。きみを信じる」


 リリーの大きな目が驚きで更に大きく丸くなり、そして、花が咲くように顔を綻ばせた。


「ありがとう、こっちです!」


 リリーはジェムの腕を引っ張って、コリンの匂いのする方へ駆け出した。

 まだ安堵するには早い状況だということは分かっていても、リリーは自分の頬が緩むのを抑えられなかった。


 ……だって、今のはきっと、嘘じゃなかったもの。


 真夏の晴れ渡った空のような瞳にはまた、あの優しげな光が灯っていた。あの光は多分、彼がリリーに向き合おうとしてくれているとき、彼が誠実であろうとするときに現れるのだ。だからあの光に、自分はこんなにも惹かれるのだろう。リリーはそう思った。


 きゅっと唇を噛んで、リリーはコリンの気配に集中した。喧騒の中、コリンは呼吸を整えながら足早に歩いているようだった。ぐずぐずしていたら、どんどん距離を離されてしまう。リリーは眉宇を引き締め、アスファルトを踏み締めた。


ところで、どんな理由であろうと、公共交通機関で人様の迷惑になるようなことはお辞めくださいませ。作中にそういった描写がありますが、作者はそんなことを推奨して書いておりません。だめ、絶対。

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