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2023/01/28、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
ジェムとグレアムが所属するスミシー探偵社は、"蹄鉄会"と呼ばれる組織によって設立された探偵会社である。"蹄鉄会"とは、かつて社交場としても名高い場所であった喫茶店を拠点に、エルヴェシアで全国的に活動している社交・奉仕クラブである。
"蹄鉄会"は、地域社会で声望を得ていて尚且つ6年間喫茶を利用している成人のみを招請し、各地で交流会と称して「より良い社会を実現するため」の意見交換を行っている。スミシー探偵社は、そんな"蹄鉄会"の会員が抱える、トラブルなど悩み事を解決することに特化した会社だ。つまり、ほとんどの場合一般人は利用できない、所謂、会員制のサービス会社なのである。会社というのは建前の、秘密結社みたいなものだと言った方が、実情に近いかもしれない。
ジェムはそんなスミシー探偵社の社員だが、"蹄鉄会"の会員ではない。スミシー探偵社で働くために、"蹄鉄会"の会員である必要はない。ただし、ブランポリス支部の支部長であるグレアムは、会社の管理に関わる上層部であるため、"蹄鉄会"の会員とされている。それ即ち、探偵社が"蹄鉄会"によって運営されていることを意味する。
そして先日、"蹄鉄会"の定期総会が開かれ、提出されたとある議題が波紋を呼んだ。それが、スミシー探偵社の社長――"蹄鉄会"現会長の解任である。
「俺たちスミシー探偵社の危機だ」
グレアムは、そう言い切った。
「どういう意味?」
ジェムが訊ねた。
「いいか、うちの会社は"蹄鉄会"のためにある会社だ。"蹄鉄会"がいなきゃ存続できない。だから、結果的にうちの会社を所有するのは"蹄鉄会"の会長になる。俺たちにとって"蹄鉄会"ってのは、取締役会みたいなもんなんだ。つまりだ、もし現会長が解任されちまったら、うちの会社は新たな所有者を迎えなきゃならなくなる――要するに、新しい社長さ。そうなれば、だ、次期社長の筆頭候補は一体誰になると?」
「さあね、本部のことはさっぱり。そうだな、父さんとか?」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか、坊主。だが、違う。的外れもいいところだな」
……冗談で言ったのに。
「オーガスタス・グリーンさ」
「ミスター・グリーン? MHDコーポレーションの社長の?」
ミスター・グリーンとは勿論、先程ジェムに水をぶっかけたキャスリーンの父親である。彼が社長を務めるMHDコーポレーションは、コーヒー店チェーン『ラッキー・ゴールド・コーヒー』を経営する株式会社だ。ちなみに、会社名の由来は『馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない(You may lead a horse to the water, but you can't Make Him Drink)』という諺だという。その気のない人間でも、ついその気にさせてしまう(Make Him Drink)ような水飲み場を目指す、という意味があるらしい。
「――そうだ。あの醜悪なカフェ・チェーン店の社長だよ」
グレアムは剣呑な空気を醸し出した。今にも舌打ちをして、悪態を吐きそうな面持ちだ。ジェムはやれやれ、とその様子を眺めた。彼とグリーン氏が犬猿の仲なのは、ジェムもよく知っていたのだ。
そんなジェムの心の内を読んだのか、グレアムは自分の苛立ちを取り繕うように深呼吸した。
「――ああ、分かってるさ。彼奴のことは気に入らないが、組織の資金繰りなんかで大きく組織に貢献していることは確かだよ。残念なことにな」
「コーヒーの味も悪くなかったよ、残念なことに」
「あのチェーン店のコーヒーが?」
「それ、チェーン店に対する偏見だからね」
「とにかく、だ。不思議なことに、あの男には信奉者がわんさかいる。おかげで、奴が俺たちのトップになる可能性は非常に高い。さらに悪いことに、奴は今や一大チェーン店である『ラッキー・ゴールド・コーヒー』を成功させた男だ。会長になって、『ホースシュー・カフェ』のオーナーになることにも期待されてるんだろう」
グレアムは悔しそうに顔を歪めた。
実を言えば、オーガスタス・グリーンが会長の椅子を欲するあまりに、現会長の失脚を狙うのは今に始まったことではない。会員たちが持つどんなに些細な"蹄鉄会"への愚痴も見逃さず、それを根拠にねちねちと会長の手腕を疑うような発言を繰り返し、会長の人望を失わせようと画策するのは、もはや日常茶飯事だった。
グリーンは元々、野心ある実業家なのだ。6年の間カフェに通い詰め、"蹄鉄会"からの招請を受け、この組織の仕組みを知ってからずっと、実業家らしく、組織の可能性を自分の手で拡げたくてうずうずしていたのだ。
そして、グリーンは夢追い人でもあった。この街の人間にとって特別な『ホースシュー・カフェ』を手に入れる、そのために会長の座にのし上がる――それが彼の目指す頂点だった。
子どもにも分かるように言い換えるなら、彼はビッグになりたいのである。誰もが見上げる有名人に。その手段が、飲食店ビジネスの頂点に立つということなのだろう……きっと。
「……まあ、ビジネスのことは彼奴に任せた方が結果は良いだろうさ、素人の俺にだって分かる。だがな、知ってるだろ? 彼奴が俺たちのことをどう思ってるかを。 便利屋だよ。もしくは、使用人だ。それか、"蹄鉄会"の奴隷とでも思ってやがるに違いない。わざわざ俺の大事な有望な社員を、娘の運転手に雇うぐらいの傲慢っぷりだからな」
「娘の別れさせ屋とか?」
先程その仕事の後始末を終えたところだ。ジェムはげんなりした。
「彼奴が俺の部下になにを吹き込んでるか知ってるか? 探偵社が"蹄鉄会"から独立すれば、もっと高い報酬を望むこともできるし、割に合わない依頼を受けなくても良くなるとさ。そうやって社員たちを煽らせて、現会長を辞めさせようって算段なんだよ。その嫌な仕事をさせてるのは、自分だってのに」
つまり、グリーンが会長の座に着けば、探偵社は"蹄鉄会"の手から離れ、社員の労働条件はもっと良くなる、と言いたいわけだ。
「探偵社の地位を向上させてくれるってこと?」
「あの男がそんなことをしてくれると本当に思うか?」
「確かに、普段の対応からは想像できないね」
「とんだ二枚舌さ。……だが、俺たちが"蹄鉄会"にとって便利屋だってのは、間違っちゃいない。元来、俺たちは組織が掲げるビジョンを実現するために存在する助力者だからな。だからこそ、どんなにちんけな仕事もそれなりに請け負ってきたんだ。彼等が社会に及ぼす影響をこの目で見てきて、それを必要だと感じているから。それなのに、探偵社を独立させる? 俺たちに楽させてもらっている彼奴が? ……有り得ない。奴の狙いは、そんなことじゃないはずだ、俺たちの待遇を改善させるなんて、これっぽっちも考えていないだろう。考えてみろ、俺たちは"蹄鉄会"のおかげで給料だって、高額ではないが安定的に貰ってる。この職種じゃ、有難い話だ。それでも嫌なら、他の探偵社で働ければいい話だ、探偵をしてるのはうちだけじゃないんだから。だのに、会社ごと"蹄鉄会"から独立させようって? 目先の利益のためだけに? 彼奴らめ、俺たちの存在意義を忘れ、あんな野郎の口車に乗せられやがって!」
だん、とグレアムが感情的にテーブルを叩くと、奇妙なことに、饒舌だった彼の口が突然ぴったりと閉じられ、顰めていた眉はすっかり緩んで、気の抜けた表情で自分が握り締めている拳を見つめていた。ジェムは、ちら、とグレアムの顔を窺い見て、ふう、と息を吐いた。やっと"仮面"が外れたようだ。
ジェムはローテーブルの上のカップに手を伸ばし、すっかり冷めたインスタントコーヒーを口にした。
「"アンヘル"、」
ジェムの声に、グレアムの肩がぴくりと跳ねた。
「せっかく淹れたのに、コーヒー、冷まっちゃったよ」
グレアムはそろそろとマグカップに手を伸ばした。先程までの尊大な態度の男とは正反対の姿である。
「……悪い、ちょっと頭に血が上っていたみたいだ」
「最近、支部長の仕事が大変なんだね。いつもは無気力な父さんが、あんなに仕事熱心になるなんて。ほんと、"蹄鉄会"の人みたいだ」
「"蹄鉄会"の人だよ、俺は。それに何度も言うが、あれは"仮面"だ。スミシー探偵社ブランポリス支部の支部長、"アラン"・グレアムのな。本来の俺じゃない」
「仕事とプライベートを分けてるってことでしょ、前にも聞いたよ。だけどさ、呼び名まで変える必要あるの?」
「その議論も前にしただろ? こうでもしなきゃ、俺が俺を見失っちまうんだよ」
はあ、と深い溜め息を吐きながら、グレアムはずるずるとソファに沈んだ。実に疲れた様子である。部屋に簡素な家具しかないのが、非常に申し訳なくジェムは思った。
休日を除き、寝る以外にほとんど使用しないジェムの部屋は、いつも整然としていた。散らかる心配もないほどに。ゆえに、今回のように突然訪問客が現れても、見た目にはそれほど困らないのが利点であったが、訪問客の立場で考えれば、もてなしは期待できないというのが難点であった。いつか家具を新調させることも考えなくては、とジェムは改めて考えた。
それは、ともかく。
「……まあ、"アラン"のおかげで、なにがあったのかは大体分かったけど、」ジェムはそのまま言葉を続けるのを一瞬、躊躇った。「ぼくのところに来たってことは、それとは別に厄介事があるってことだよね? それも、人の手が必要なほどの」
「流石は俺の息子、理解が早くて助かるね」
グレアムはにっ、と歯を剥き出して笑った。この笑みで一体どれだけの人間を恐怖に陥れたのだろう、この男は。ジェムは、探偵社の同僚たち――とくに事務員たち――を哀れに思った。
「ある人からの依頼を受けてな――極秘の依頼だ」
ああ、ほら、嫌な予感しかしない。ジェムは慌てて口を挟んだ。
「父さん、ぼくは本部のいざこざに関わるつもりはないよ、いつも言ってるだろ」
「なんだよ、ジェム。俺はまだなにも言ってないぞ。なんで本部の人間だって思ったんだ? もしや、俺の話を聞いて怖気付いたか?」
……まったく、この人は。
ジェムはぎろりとグレアムを睨み付けた。もうやけくそである。
「じゃあ、誰からなにを依頼されたんだよ」
「その前に、」
グレアムはソファに沈めていた身体を起こして、目を輝かせた。まるで少年のような輝きである。
「腹が減った」
「いつものクッキーなら、そこの棚に」
「持ってきてくれよ。疲れて動けない」
言うが早いか、グレアムはソファに身体を横たえた。これは、もう動かないという意思表示である。なんて面倒臭い男なんだろう。育ててもらってなんだが、人を顎で使うのを得意とするこの男は、いつか痛い目を見ればいいのに、とジェムは時折思う。
ジェムはこれ見よがしに溜め息を吐いて立ち上がり、食品庫として使っている棚に向かった。
「ついでにコーヒーも淹れなおしてくれると有難いんだが」
……今すぐにでも、あの尻を蹴飛ばしてやりたい。
ジェムは食品庫から取り出したクッキーの箱をどん、とローテーブルの上に置き、空になったグレアムのコーヒーカップを手に持って、今度は簡易キッチンに向かった。
コンロに火を付け、先程使ったケトルを温め直し、使用済みのカップを軽くすすぐ。カップにインスタントコーヒーの粉を入れていると、背後でグレアムが話を再開した。
「会長のことは、前に話したよな」
小気味好い咀嚼音を立てながら話すグレアムの指は、大型のクッキーサンドを挟んでいる。実は、この菓子、ふたりがひとつ屋根の下で暮らしていた頃の思い出のクッキーなのだが、そんな話をする必要は、現時点ではないだろう。とにかく。
ジェムは、ケトルが温まるのを待ちながら、グレアムに返答した。
「……あの人には、返せないほどの恩があるって話?」
「一生費やしても返せないかもしれない」
「お金のことを意味してるんだったら、必ず返してくださいね」
「金は……、あれ、どうだったかな」
「やめてよ。冗談にもならないから」
「悪い悪い。借金はちゃんと返す。お前に迷惑はかけないよ」
……あるんだ、借金……。
「それで、その会長になんだけどな、」
グレアムはぽりぽりとクッキーを口に運びながら言った。
「なぜだか絶対に受けるなと言われている依頼があって、」
そのとき、ケトルがしゅーっと音を立てたので、ジェムはコンロの火を止め、とくとくと白磁器のマグカップにお湯を注いだ。
「――それが、スワイリーの調査依頼なんだよ」
「スワイリー?」
グレアムの目前にコーヒーの入ったマグカップを差し出しながら、ジェムは聞き返した。
「スワイリーって、最近巷を騒がせている、あの妙な泥棒のこと?」
「……まあ、そうなんだが」
グレアムはマグカップを受け取りながら、歯切れの悪い返答をした。
……ああ、これ、深入りすると面倒なやつだ。これ以上聞いちゃ駄目なやつだ。好奇心に負けて首を突っ込んだら、父さんの思うつぼだ。
「なあ、ジェム」
「……なに」
「聞きたいことがあるんなら、聞いてもいいんだぜ」
……畜生。負けた。こんなの、聞かずになんていられるか。
「……スワイリーと、うちの会社には、なにか関係が?」
「おう、あるぞ。非常に深ぁい関係が、な」
グレアムはにこにこと人好きのする笑顔を浮かべた。"アラン"のときは、高圧的で配慮に欠けた態度なのが面倒だが、"アンヘル"のときはにこやかで穏健そうに見せかけて狡猾なのが厄介だ。どちらにせよ、グレアムという男には、あまり深入りしない方が本来ならば得策である。ジェムは気が滅入ってきた。
「"蹄鉄会"初代会長といえば?」とグレアム。
「『名探偵ニール・マイヤーの冒険譚』の主人公」とジェム。
「――その好敵手」
「怪盗コンバラリア」
「そいつだ」
ジェムは眉を顰めた。
「怪盗コンバラリアが……、スワイリー?」
「おそらくな」
「おそらく、ってなんだよ」
「そいつは、調べてみれば分かるさ。なんたって、それがお前の仕事だからな」
「は?」
グレアムはがりっとクッキーに齧りつき、さくさくと咀嚼した。その美味しそうに食べる姿が実に癪である。
「スワイリーの調査だよ。会長がお前に任せたいって」
「えっ、ちょっと、待ってよ」
ジェムは驚愕のあまり、感情に流されるまま語気を強めた。
「さっき、会長に絶対に受けるなって言われてたって」
「言ったなあ」
「なのに、会長が調査を依頼しただって? しかも直々に? 矛盾にもほどがあるよ」
「そうは言われても、実際そうなんだから、そうだとしか言いようがない。とりあえず、なんで会長が今まで認めなかったのかも含めて調べてみろよ。スワイリー、ってのが、なんなのか」
「あのさ、」
ジェムはむっ、と不満げに口を尖らせた。
「こういう仕事はデイヴに任せろよ。うちの支部のエースだろ」
グレアムは大袈裟に溜め息を吐いて、如何にも困っているふうを装った。
「勿論、俺もそう言ったさ。だけど、会長がどうしてもって言うから、仕方なくモーズリーとお前のそれぞれで調査させることになったんだ」
「……どうしても、って会長が?」
「ああ。そう、会長のご指名があった」
「なんで」
「なんで、って……。俺に聞くなよ」
「……じゃあ、デイヴと遣り合わなきゃいけない理由は?」
「遣り合う、ってお前、なにも競争じゃないんだから。彼奴がいた方が、お前も助かると思ってな。セカンド・オピニオン、ってなやつさ」
グレアムの回答に、ジェムは大きな溜め息を吐いた。
スミシー探偵社の若きエース、ブランポリス支部に所属するデイヴ・モーズリーは、おそらく――いや、誰がどう見ても――ジェム・カヴァナーを目の敵にしている。
デイヴは、この探偵社の探偵社員だった父親を追って、入社した男だ。彼にとってスミシー探偵社は憧れの職場で、会長の"エメリー・エボニー=スミス"は神にも値する人だった。そして、その"エメリー・エボニー=スミス"から一目置かれているグレアムは、彼の目標だったのだ。だが、デイヴが満を持して探偵社に入社したその年に、グレアムにスカウトされてやってきたジェム・カヴァナーは彼より3歳も年下で、無気力な態度のくそがきだった。そしてまさかのグレアムの息子である。それが理由か、事ある毎にデイヴはジェムに突っかかってくるのだ。
「勘弁してよ。ただでさえアイツには嫌われてるってのに、一緒の仕事なんかしたら、ますます目の敵にされるよ」
「まあ、そう言うだろうとは思ってたからな、モーズリーには、お前と同じ依頼を請け負うってことは教えてない。だからお前はただ、彼奴にも他の社員にもバレないように、会長に頼まれた仕事をやり遂げればいい」
「そんな無茶な」
「大丈夫だって、なんだかんだ、同じ組織で働く仲間だろ。これを機会に仲直りできるかもしれないぜ」
「まったく同じことを父さんにも言ってやるよ」
「ははっ、残念。それは"アラン"の方に言うべきだな。"アンヘル"にとっては心底どうでもいい」
「同じ人間のくせに」
「これも処世術のひとつさ」
納得がいかない。
「引き受けてくれるだろ?」
グレアムはにっこりと微笑んだ。眉尻を下げ他人の同情を誘う表情は、この男の得意技だ。気の進まない仕事ゆえにジェムは返答するのに一瞬逡巡したが、なにもかも考えるのを止めて、とうとう踏ん切りをつけた。
「ぼくに拒否権なんてないだろ」
それは、遠回しの承諾であった。
作中にて会社についての説明書きがございますが、あくまで架空のものです。
――そして、白状しましょう。『ラッキー・ゴールド・コーヒー』も『ホースシュー・カフェ』も、私を空想世界へと誘ってくれた某夢の国へのオマージュです。『ラッキー〇〇〇〇カフェ』さんには、大変お世話になりました。
(´TωT`)