28(1/3).鼠のなかの猫 - Cat among the mice
2024/03/13、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
平日の記録保管庫は利用者が少ない。そのため、誰かが入室すると分かるよう、コリンはからくりを利用している。今日も、誰かがあの隠し扉を開けたので、ぽーん、と音が鳴って、保管庫の天井から吊り下げられているランプが青色と紫色に点灯した。ランプの色は、スミシー探偵社の社員証でもあるバッジの宝石の色と対応しており、一方は役職を、一方は所属する地域を示している。……やって来たのは、ブランポリスの探偵社員のようだ。
コリンは詰所の操作盤のボタンを押して、ランプを消灯させた。急いで席を立ち、詰所を出て、地下1階にある入り口を目指す。
入室してきたのは、ジェムだった。彼は、連れの大柄な男となにやら真剣な様子で言葉を交わしていた。
連れの男は、栗色のくるくると巻いた長髪で、だぼっとしたオーバーサイズのシャツにガウチョパンツを合わせた、ヒッピーファッションに身を包んでいた。
ところで冷戦が続いていたこの時代、西欧至上主義に疑問を持つ思想の波は、遅まきながらエルヴェシア共和国にも流れ込んでいた。その影響で、若いエルヴェシア人たちが抱えるアルビオン王国への反発心は、むくむくと育って今にも破裂寸前であった。そんな情勢にどこよりも警戒しているのは、"妖精の階段"だろう。彼らはエルヴェシア国民にとって、かつてのアルビオンによる支配を想起させるものだからだ。
そうして"妖精の階段"の保守化が進み、若者たちはそれに対抗するものとして、アメリカのヒッピーたちの観念を自分たちの文化に取り入れた。服装や音楽で静かな反抗を続ける彼らには、まだ自由の先にある世界への憧れが強い。そのためか、ゴシック・ロックに代表されるような西欧諸国で起こった新しい流行は、まだこの国では見られない。
……とはいえ、あの男のヒッピーファッションが、そんな風潮を象徴しているかは疑問である。
ジェムとヒッピーの男が別れたのを遠目で見ながら、コリンはぐっと顎を引いて、自然を装いながら彼らに近付いた。
「やぁ、ジェム、いらっしゃい。今日は何用で?」
コリンの声にジェムは振り向いたが、ヒッピーの男は何事もなかったかのように――まるでコリンがここに存在していないかのように――、視界の彼方へ行ってしまった。コリンは密かに残念に思う。ちょっと腹の探り合いをしたかったのに。
「急ぎで調べたいことがあるんだ」
ジェムが些かそわそわした様子で言った。
「あの人は?」
目線をヒッピー男に遣って、コリンは訊ねた。ジェムは、コリンの視線の先を確認してから、ああ、と答えた。
「ぼくの情報屋だよ」
「噂の?」
「まあ、そんなところだよ」
……テキトーに濁されたな。
彼が曖昧な返事をするときは、なにか言いたくないことがあるときだ。
ジェムの隠したいことって、なんだろう。コリンは納得したふりをしながら、考えを巡らせた。あの助手のヒッピー男の正体だろうか。それとも、あの男が助手ではなないという事実の方だろうか。
隠し事は気になるが、このままジェムを足止めするわけにはいかないので――そんなことをしたら、ますます怪しまれる――、コリンは気のいい管理人の皮を被った。
「手伝おうか?」
しかし、ジェムは首を横に振った。
「いい。場所は分かってる」
断られては、仕方がない。コリンは、迷いなく階下に向かったジェムの背中を追うのはやめにして、ヒッピー男の動向を窺うことにした。
くるっと男の方へ首を捻ると、コリンは男が自分の方を見ていることに気付いた。目が合った男は、急激に目を逸らして、コリンからは影になる場所へそそくさと逃げていった。
……僕のことを探ってる?
コリンは、男の視線に気付かなかったふりをして、地下2階へ降りた。上階のヒッピー男と下階のジェムを吹き抜けから観察するためである。
ヒッピー男に背を向けるように吹き抜け近くの本棚で仕事をしている素振りをしていると、コリンは上階から針のような視線をひしひしと感じた。やはり、彼はこちらの行動を非常に気にしているようだ。
一方でジェムはどうかというと、彼はひとつの本棚の前に立って微動だにせず、なにやら熟考している様子だった。あまりにヒッピー男とジェムの行動が違うので、コリンは、もしかしたらあのヒッピーはジェムの助手でも情報屋でもなくて、護衛かなにかなのかもしれない、と思い始めた。
……ええい、こうなったら行動を起こすのみ!
コリンは思い切って、ジェムの隣にまで行って、声をかけることに決めた。
「――やっぱり、手伝うよ。なんか、切羽詰まってるみたいだし」
コリンに声をかけられて、ジェムは初めてそちらに視線を向けた。
「ありがとう」
いつも通りの素っ気ないながらも丁寧なジェムの返しに、コリンは少しだけほっとする。
「で、なにを調べてるの?」
「この一週間、デイヴがなにを調べていたか」
コリンは、うーん、と困ったように人差し指で右頬を引っ掻きながら唸った。
「貸出しているわけじゃないから、そういう記録は付けてないんだよなあ」
すると、ジェムが棚に視線を戻しながら固い声で言った。
「デイヴが襲われたんだ」
「……えっ」
驚愕でコリンの頭は真っ白になった。
デイヴがエースたる所以のひとつは、彼の強さにある。彼は調査依頼を承ると、情報を得るためなら裏社会の人間とのガチンコ勝負も厭わないと聞く。無敗伝説すらあるくらいだ。その強さは、多くの探偵社員から一目置かれるほどだった。また、彼が力で勝ち取ってきた情報の精度も、決して悪くはなかった。多少、思い込みが激しいきらいはあれど、エースと期待されるに十分な結果を出してきた男なのである。
だからこそ、コリンには信じられなかったのだ。目の前のジェムがこんなにも切迫した様子で、デイヴを襲った災いのもとを調べようとしているだなんて。だって、それは、つまり――あのデイヴが、負けた? 誰に――いや、なにに?
「誰がやったのかは分からない。だけど、あいつの話によれば、襲われる何日か前から後を尾けられていたらしい。心当たりはないそうなんだけど、ぼくは、あいつが調べていたことが関係してると思ってる。……なにか知らないか?」
コリンはジェムの話を遠くで聞いているように感じていた。彼の態度や言葉に集中できず、ぼんやりと話を聞くことしかできなかった。今し方耳にした驚きの出来事に、想像力を働かせずにはいられなかった。そして、その想像力は、コリンに最も最悪な可能性を考えさせてしまった。
「……この棚、」
コリンは、ジェムが見上げていた棚の分類表示を見て、呟いた。
「もし、この棚の事件記録を調べてたのなら、スワイリーのことを調べてたのかも」
「この棚で?」
ジェムは至極冷静な声で聞き返すが、コリンはその違和感に気付かない。
「きっと、そうだよ! だから襲われたんだ――ほら、これ! それと、これも! あと――、」
興奮した様子でコリンは、今から20年前に当たる年代の記録が仕舞われたその棚から、スワイリーのファイルを取り出した。しかし、その棚に仕舞われていたスワイリーの記録は、たったの二冊だ。
その事実に、コリンは硬直した。
「その二冊だけか?」
念押しのように訊ねるジェムに、コリンは取ってつけたような笑顔しか浮かべられない。
「……ごめん、場所を間違えた。年代がぴったりスワイリーと一致するから、てっきり……」
「ここが『行方調査』の棚だと思った?」
ジェムが見ていたのは『特殊調査』の棚だった。保安局などの国の機関から請け負った依頼の記録を保管する棚だ。
下手な言い訳だ、と思いつつ、コリンはジェムの問いかけに「そうなんだ」と返した。「思い込みって恐ろしいね? ごめんね、すぐに他のファイルも取ってくるから」などと、自分の間違いを強調するような科白を吐いて、早急にこの場を立ち去ろうとした。
ジェムから、はあ、と呆れたような溜め息が聞こえた。
「コリン、もういい」
コリンはジェムに背を向けたまま、足を止めた。
「管理人のお前が勘違いしたはずないだろ、あれだけしっかり棚の分類表示を見ていたんだから。だけど、思い込みはあったみたいだな」
ジェムはそう言いながらコリンの前に立ち、彼の手から半ば奪うようにファイルを受け取った。
「ぼくも自分の目で見るまで気付かなかったよ、スワイリーの調査のほとんどが、この『特殊調査』の棚じゃなくて、『行方調査』の棚にファイルが仕舞われてるって」
ぱらぱらと自分の記憶を確かめるように資料を捲りながら、ジェムが言った。それをコリンは黙って聞いていた。頭の中では、今度はどう言い訳しようか、など情けないことばかり考えている。
ジェムは話を続けた。
「でも、よく考えてみたら、そりゃそうだよな。いくらニール・マイヤーが優れた探偵で、4代目スワイリーを追い詰めた実力があったとしても、国家機関でプライドの高い保安局が毎度の如くうちを頼るなんてするはずがない。だから、スミスの探偵が請け負っていた依頼は、被害者から直接相談されたものだ。スワイリーを捕まえることじゃなくて、スワイリーに盗まれたものを見つけることが目的だったんだ」
ジェムはもう一度棚を見上げ、最初に受けた印象が正しかったことを確認した。やはり、『特殊調査』に該当する棚は、他の年の棚と比べて、保管しているファイルの量が圧倒的に少ない。
「だからこそ、"蹄鉄会"本部は会長を不審に思った。どうして、スワイリーの被害者の依頼すらも受けないのか。まさか、会長とスワイリーとの間に癒着があるのか? そんなことを言い出したのが誰なのかは知らないけど、でも、そのせいでスミシー探偵社の社長は、"蹄鉄会"会長の座を追われることになった。そうなんだよな?」
ジェムの話を聞きながら、コリンは悔しさが声に出そうになるのを、ぐっと堪えた。
「なんでデイヴがスワイリーを調査してると思った?」
「……なんでだろう? 君が最近、スワイリーのことを調べてたから、無意識に関係あると思っちゃったのかも」
ふうん、と適当な相槌を打ちながら、ジェムは一冊のファイルをコリンに見せつけるように持ち上げた。
「じゃあ、これは?」
ジェムが見せたファイルの表紙には、『19CC58-15』という識別番号と『カフェ店員誘拐事件』と書かれた上に、『未解決』の文字のスタンプが押されていた。
「20年前の、カフェ店員誘拐事件――お前が真っ先に手に取ったファイルだよ。確かに、この事件にスワイリーが関わっていたら、お前があの棚を見たときにスワイリーを疑ったのも分かるよ。だけどこの記録には、スワイリーのことなんて一行も書かれていないんだ。表紙にだって、」
ジェムはもう一方のファイル――エジキエル・オーウェルに依頼された、バリー・H・アシュビーの事件のファイル――を横に並べながら、『カフェ店員誘拐事件』のファイルに視線を誘導させるように顔を向けた。
「こっちには、『M.S.』のラベルがない」
このラベルは、ジェムがまだスワイリーを調べているとはコリンに明かしていなかったときに、彼が注視していたものである。ニール・マイヤーやフランク・キプリングの記録ファイルのなかから、スワイリーに関するもののみを取り出すには、『M.S.』のラベルが付いたものを探すことが重要だったのだ。
M.S.――つまり、M・スティールである。
「なのにお前は、これがスワイリーが関わった事件だと思い込んでいる。どうしてだ?」
コリンには、上手い言い訳が思いつかなかった。時間は刻々と過ぎていき、黙っている時間が長くなるほど、コリンの信頼性は薄れていく。しかし、現エメリー・エボニー=スミスとは違い、コリンは今の居場所に執着していた。予期せぬ事態が起きたからといって、自分の秘密を明かすわけにはいかなかった――たとえ、相手がジェムでも。
ジェムは、どれだけ待ってもコリンが答えることはないだろうと考えて、先程の問いからそれほど間も開けずに訊ねた。
「単刀直入に言うぞ。お前、"メイガス"を知ってるだろ」
ぱっ、と顔を上げたコリンの目の色が変わった――ように、ジェムには見えた。ほんの僅かな間の出来事だったが、砂ほどの細かい粒が彼の瞳の奥で光ったような……。




