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ブラック・スミス 〜探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄〜  作者: 雅楠 A子
《本編:探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄》

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27(2/2)

2024/03/13、改稿

一部内容を変更致しました。m(_ _)m

 ガラス扉を開けて、オルトンのビジネスクーペに向かおうと歩き出したとき、すれ違った高年の女性が白いハンカチーフを落としていった。レースをあしらったその白いハンカチーフを拾い上げ、リリーは女性に声をかけた。


「あの、これ、落としましたよ」


 リリーの声に振り返った彼女は、すっかり白髪に染まった髪を上品に巻いた、ふくよかで愛らしい顔つきの女性だった。女性は、まぁ、と感嘆の声を洩らすと、とても嬉しそうに顔を綻ばせた。


「ありがとう、優しいお嬢さん」


 いいえ、と会釈し、リリーはハンカチーフを手渡して、それきり女性と別れようとした――のだが。

 女性は差し出されたハンカチを、それを持つリリーの手ごと包み込むようにして放さず、じっとリリーの瞳を見つめていた。リリーは、あれれ、と内心慌てながら、にこにこと微笑む女性に、にっこりと笑いかけた。


「……あの、どうかされましたか?」


 女性は、ぱっと瞳を輝かせて、泡が弾けるように話し始めた。


「私、これから隣の聖堂で開催されるセミナーに参加するのだけど」

「……ええ」

「良かったら、貴女もどうかしら? もし、なにか悩み事があるのなら、絶対に行くべきよ。貴女の力になってくれるから。きっと、妖精が貴女を正しい方へ導いてくださるわ」

「……ありがとうございます、でも、」

「貴女みたいな優しい子に、これからのエルヴェシアを担っていってほしいもの。だから、ね? 一緒に来てみない? ちょっと顔を出すだけでもいいから」

「あの、わたし、」

「少し話を聞くだけでいいのよ? それだけで貴女の見る世界が変わるかもしれないなら、安いものでしょう?」


 ……どうしよう。全然、放してもらえない。無理矢理引き剥がせばいいのかもしれないけれど、でもそれは、流石に失礼だし……。


 ふと、リリーは女性のハンカチーフに視線を落とした。それには、3つの先の尖った楕円形と丸とが組み合わさった模様を背景に、巨大な角を持つ鹿の刺繍が施されていた。リリーは、どこかで見た記憶があるな、と思って、まじまじと刺繍に見入ってしまった。その様子に女性は、リリーの関心を得られたと喜んで、ますます掴む指に力が入った。


「――あぁ、そうそう、このカルノノス様の刺繍もね、セミナーで教わったのよ。幸せになるおまじないですって。毎朝、窓際にこのハンカチを広げて、ミルクと黒いアロニアの実を供えるのよ。そうすると、妖精たちが力を分けてくださるの。妖精たちの魔法がかかったアロニアの実を食べると、身体の内側から不思議と力が湧き上がってくるのよ。でもね、少しでも(よこしま)な考えでお供え物をすると、妖精たちが怒って、私たちの力を根こそぎ持って行ってしまうの。そんな日は、ベッドから少しも動けなくなってしまうのだけど。それでも、なんとなくでしか妖精を信じていなかった頃よりはましよ、だってあの頃の私はなんに対しても投げやりで、いつ死んでも良い、なんて考えていたんだもの。最初はね、私も暇潰しにいいかと思ってセミナーに参加しただけだったの。それが今じゃ――うふふ――こんな老いぼれの、生きる楽しみなんだから」


 確かに、女性の表情は活き活きとしていて、若者にも負けない活力に(みなぎ)った光をその瞳に宿していた。おそらく彼女は、"妖精の階段"のセミナーに対して並々ならぬ感謝の念を持ち、それ故に彼らへの支援に情熱を燃やしているに違いない。


 すると、リリーの胸許のロケットペンダントが、じりじりと熱を持ち始めた。アシュビー家で起こったのと同じ反応である。


 ……でも、この人から嫌な匂いはしない。甘酸っぱい、プラムの匂いがするだけ。


 つまり、この女性に悪意はないということだろう。とすると、この女性がリリーにもたらそうとしている危険は、悪意によるものではなく――善意、ということになる。


 「あ、あのっ!」


 リリーは、今度こそは女性の押しの強さに負けるまいと、声を張り上げた。女性は些か吃驚(びっくり)した様子で、不思議そうに目をぱちぱちとさせている。


「ありがたいお誘いですけど、わたし、これから大事な予定があって、一緒には行けないんです、ごめんなさい」

「あら、そうなの? 残念だわ、是非とも参加してほしかったのに」


 と言いつつ、リリーの勧誘を諦めていない彼女は、「あっ、そうだわ」とハンドバッグの中から小さく折りたたんだ紙を取り出した。


「これ、セミナーのパンフレットなんだけど」


 リリーは再び女性に両手を包み込むように握られ、それから押し付けられるようにパンフレットを手渡された。


「時間があるときに、気軽にいらっしゃって。いつだって歓迎するわよ」


 そうして、ようやく女性はリリーを解放した。愛想笑いを浮かべながら女性に別れを告げたあと、ほっと一息を吐いたのも束の間、陽の光を遮るようにリリーの背後に人が立った。はっとして振り返るよりも先に、その人物はリリーの手からパンフレットをもぎ取った。


「オルトン!」


 リリーはパンフレットを奪った犯人の名を、子どもを叱るときのような声色で呼んで諌めた。しかし、オルトンは意に介した様子もなく、くるりと踵を返して車に向かい、その道中でパンフレットをくしゃくしゃに丸めてしまった。

 ちょっと、とリリーが抗議をしても、オルトンは聞く耳を持たず、ビジネスクーペのドアを開けるとぽい、とダッシュボードの上にパンフレットを投げた。リリーは急いで助手席に乗り込み、捨てられたパンフレットを拾い上げようとしたが、運転席に座ったオルトンに再び取り上げられてしまった。


「いいかい、リリー。このセミナーにだけは、絶対行っちゃ駄目だ」


 オルトンは丸めたパンフレットを見せつけるように持ちながら、目を三角にして言った。まるで子どもを叱りつけるような彼の態度に、リリーは思わずむっとする。


「行かないわ。行かないけど、理由は教えてくれてもいいんじゃない?」


 オルトンは、じぃ、とリリーの目を見て長いこと黙り込んでいたが、なにやら決意したように唇を引き締めると、サイドブレーキを解除して車を発進させた。どうやらリリーがあの女性に捕まっていたときに、給油は済ませていたようだ。


 しばらく車を走らせたあと、オルトンは唐突に話を始めた。


「僕のインターン先の事務所に、よく相談が来るんだ」


 彼のインターン先とはつまり、ブランポリスにある法律事務所のことだ。リリーは、うん、と相槌を打った。


「セミナーに多額の金を注ぎ込んだことが原因の離婚とか、同様の理由での借金とか、セミナーに参加したら性的な悪戯をされた、とか。ついこの間も、養父母の宗教教育によって精神的苦痛を受けてきた、って人から慰謝料請求の相談が来てた。その宗教教育ってのが、あのセミナーを受講することだったんだよ」


 オルトンから知らされた事実に、リリーは絶句した。同時に、オルトンの宗教の対する不信感は、幼少期のことだけが理由ではないことを悟った。彼はずっと、信仰の闇と戦ってきたのだ。


「僕だって、"妖精の階段"のような教団がこの世の悪の根源だとは思ってないさ。彼らの導きがあるからこそ、救われる人たちもいる。分かってるよ。だけど、宗教という集団的な思想観念によって、理不尽にも虐げられている人たちがいることも忘れちゃいけない。ひとつの思想に縛られない誰かが、彼らに寄り添ってあげなくちゃ。だから、僕は神を信じない。地獄に堕ちようが、来世で呪われようが、構わない。それが僕の選んだ道だからね」

「どうしてそんな、……そんな話をするの?」


 リリーは消え入りそうな声で訊ねた。


 本当は、どうしてそんなことを言うのかと怒りたかった。大切な家族である彼に、地獄に堕ちてほしくも呪われてほしくもない。いや、どんな人間でも、死後には救済されてほしい。死後の世界があるかどうかも分からないけれど。

 しかしリリーは、それは言ってはならないことだと分かっていた。それは、オルトンという存在を否定する行為なのだと。


 オルトンは、一瞬、リリーに視線を寄越すも、再び真っ直ぐフロントガラスの向こうに目を向けた。


「君が妖精だからさ」


 オルトンはそれきり、口を噤んだ。


 リリーは、そのとき初めて、自分が妖精であることの意義を考え始めた。好きでなったわけじゃないなんて言い訳せず、自分が妖精であるという事実を受け入れ、尚且つ、その事実をどう活かすべきなのか。この世に、自分が存在する意味とは。


 ――ブランポリスまで、あと少し。

⚠︎本作に登場するいかなる事件・人物・団体は、すべて架空のものです。仮に実在するものとの類似性があったとしても、それは意図しない偶然であり、一切関係ありません。また、作中にて登場人物が語る思想について、いかなるものも推奨する意図はございません。



大事なことなので、もう一度表記致しました。

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