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ブラック・スミス 〜探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄〜  作者: 雅楠 A子
《本編:探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄》

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26(1/2).バーニーヴィル発19時50分 - 19.50 from Barneyville

2024/03/13、改稿

一部内容を変更致しました。m(_ _)m

 時を少し戻して、夕飯時。


 アトリエでの作業を終え、ダイニングルームにやってきたフェリシアは、今夜もテーブルには自分以外いないことに溜め息を吐いた。


 夫のクロードの留守は、珍しいことではない。むしろ日常茶飯事だ。正直に言えば寂しい。だからといって、フェリシアは夫に不満があるわけではない。彼女の母に比べれば、クロードからは、妻に対する愛情が視えるので安心できる。しかし、やはり独りでする食事は寂しいものだ。

 だから、娘との食事の時間が、なによりもの楽しみだったのに。


「エレン」

「はい、奥様」


 フェリシアの背後に控えていたメイドが返事をした。


「リリーはどこ?」

「自室にいらっしゃいます」

「また部屋で食事を取るつもりなのね?」

「ご推察の通りでございます」


 はぁ、とフェリシアは深い溜め息を吐いた。


「……ほんと、こういうときは昔の私にそっくり」

「えぇ、懐かしいですね」


 フェリシアはぎろり、とエレンを睨みつけたが、その大きなアーモンド型の瞳では、少しも凄みがない。エレンは表情筋をぴくりとも動かさず、相変わらずの涼しい顔を保っている。


「あなた、本当に妖精よね?」

「はい、奥様」

「時々、あなたの感情がまったく読めないときがあるの。なにかしてるの?」

「いいえ。奥様の力が未熟なのです」


 ぷく、とフェリシアの頬が膨らんだ。フェリシアは気付いていないが、こうして尊大な態度を取って彼女を怒らせることで、エレンはいつもフェリシアの抱える孤独を紛らわせているのである。


 渋々とフェリシアがテーブルにつくと、直ぐ様エレンに瓜二つのメイドが主人に食事を配膳した。


 オードブルはフェタチーズやメロン、ナスをペースト状にしたサラダなどで、ポテトスープ、アントレと続き、メイン料理――ベルトラン家では、魚料理と肉料理が同日に出されることはない――は、レンズ豆のソースを添えた羊肉だった。大きくほんのり温かな皿に、茹でた根菜と共に載っている。スパイスにカレー粉が使用されていて、ちょっぴり刺激的で美味なはずなのに、独りで食べていると味気ない。


「……ねぇ、エレン」

「はい、奥様」


 フェリシアからそう遠くない位置で待機していたエレンが返事をする。


「リリーはどんな様子だった?」

「……奥様のようにお嬢様の考えが読めるわけではないので分かりませんが、部屋から一歩も出ないつもりのご様子で」

「あの子、一度も部屋を出ていないの?」

「"私"から報告がないので、そうなのでしょう。少しでも動きがあれば即応できるように、監視させていますから」


 フェリシアが不服そうに顔を顰めた。


「監視?」

「失礼。見張り、です」


 どちらにせよ、あまり聞こえがいいものではない。


 食事をしながら、フェリシアはふと昔を思い出した。クロードと結婚したばかりで、この広い厳かな邸宅や上流階級の暮らしに戸惑っていたフェリシアは、いつも近くに待機しているエレンら使用人たちがまるで看守のように感じられて、彼女たちの目からなんとか逃れ、束の間の自由を手にしたことがある。

 あの頃のクロードは、誘拐事件のこともあって、神経質になっていた。どんなに些細な変化も見逃すな、警戒を怠るな、と使用人たちに言い聞かせていたのだ。それを素直な使用人たちが真面目に実行してしまったがために、フェリシアは息苦しい思いをしていたのである。


 ――とくにエレンの目を掻い潜るのには苦労したわ。エレンったら、僅かな隙も作るまいと何人もの分身を作ってたから。


 そうして手にした自由は、あまりにも無責任な甘い毒杯だった、とフェリシアは思う。家庭を築くにはあまりに若く未熟で、心配する夫の気持ちに寄り添ってあげられなかった。大切な人を不安にさせてしまうことが、こんなにも心苦しいものだったなんて。


 デザートのバクラヴァ*で甘くなった口内を食後のコーヒーで整えながら、思い出に耽っていたフェリシアは、無意識のうちにカップを持たない方の手を自分の胸許に当てていた。さらっと自分の肌を撫でたとき、フェリシアは違和感を覚えた。


「……ペンダント」


 ――だから、エレンの心が読みづらかったんだわ。


 大変、と小さく呟いたフェリシアに、「はい?」とエレンが聞き返す。


「エレン、今すぐリリーの部屋を確認して! あの子、ペンダントを持ってるわ!」

「―― はい、奥様!」


 エレンは瞬時にその場で自分の分身に指示を出した。リリーの部屋の前で待機していたもうひとりのエレンは即座に命令に従った。しかし、リリーの部屋は既にもぬけの殻だった。

 ベッド越しに見える窓が全開だった。だが、彼女がそこから外に出たという確証はない。眼下の庭にも廊下にも、リリーの姿は見当たらなかった。


 ダイニングルームのエレンは、フェリシアの横で首を振った。


「――奥様、申し訳ありません。お嬢様の姿が見当たりません」


 ギィィッ、と椅子が引かれた。


「リリー!!」


 フェリシアは娘の名を呼びながら、家中を駆け回った。奥様、奥様と呼びかけながら、エレンはフェリシアの後を追いかける。だが半狂乱のフェリシアに、エレンの声は届かない。


 ベルトラン家の非常事態に気が付いた執事が、執務室から顔を覗かせた。


「エアハルト、」エレンは執事に大声で伝える。「旦那様に連絡して下さい! お嬢様がどこにもいないんです!」



 * * *



 ベルトラン邸から抜け出したリリーは、ウォッシュバーン・パークの北口にあるウルフズ・ゲート(名前の由来は諸説あるが、ゲートの装飾のクー・シーが狼に見えるからだという)の近くまでやって来ていた。


 ウルフズ・ゲート付近には、朝10時から夜8時の間にだけ開かれる、親子連れのためだけの遊び場がある。高い囲いで隔たれたその場所の手前には、手洗い場付きの時計台とピクニック・テーブルが備え付けられている。そんなプレイグラウンドとピクニックエリアから少し離れた場所に、樹齢900年の(かし)の木が鳥籠のような鉄柵に保護されながら、ひっそりと立っている。初めてデイヴ・モーズリーに話しかけられたときに、リリーがスケッチしていた木だ。


 この(かし)の木には、ぼっかりと大きな樹洞がある。その樹洞を活かして、とある著名な芸術家が妖精の物語を題材にした作品を彫刻した。それを市の慈善団体が保護し、彫刻の細かな模様までよく見えるように、木の洞に小さな電球を埋め込んだので、夜でもこの楢の木の周りはぼんやり明るいのだ。

 そんな芸術作品を前にぼんやりと佇む、胡桃色の髪の青年の傍へ、リリーは近寄った。


「――オルトン」


 青年――オルトンは、はっとして振り返った。


「リリー! どうしてここに?」

「オルトンこそ、こんな時間になにしてるの?」


 すると、オルトンはなにやら思い出した様子で、急に表情をなくして、ふい、とリリーから顔を背けた。


「……考え事さ。君は?」


 今まで聞いたことのないくらい、冷ややかな声だった。リリーは尻込みしそうになるのを、奥歯を噛み締めて、必死に耐えながら答えた。


「あなたに会いに来たの」


 こんな言葉を告げられるなんて、第三者の人からすれば、随分熱烈だと思うことだろう。しかし、そんな真っ直ぐな科白を、オルトンは鼻であしらった。


「隠れ蓑が必要だからか」

「え?」

「盾になれって言うんだろ? 君の正体を隠すために」

「違うわ! そんなんじゃ――」

「そもそも、どうして僕がここにいると?」

「それは、」


 ……ここからオルトンの匂いが――、ヘーゼルナッツの匂いが、したから。


「……妖精の力か」


 歯切れが悪くなって視線を彷徨わせていたリリーを、どこか切なそうに見ながらオルトンが言った。正確にリリーの能力を理解したわけではないだろうが、オルトンは、彼女がこの場所に来た理由をなんとなく察したようだった。


 こくん、と小さく頷くリリーに、オルトンはさらに表情を曇らせる。草食動物のようないつもの温厚そうな笑みは、すっかり影を潜めていた。

*バクラヴァ:パイ生地に、ピスタチオなどのナッツ類を挟んで何層にも重ねて焼き上げ、シロップをかけたトルコの甘いお菓子

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