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2024/02/02、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
「あの三人組が使っていた妙な力、」ジェムが、はぁ、と、溜め息を吐くの見ながら、デイヴは続けた。「魔法とか言っていたな、どうしてお前は知っていた? あれは一体なんなんだ?」
ジェムは、ちら、と1階のディガーに視線を向けた。彼は少しもこちらを向こうとしないが、なんとなく、聞き耳を立てられている気がする。彼がデイヴの前で喋ったり、変身したりしないのは、デイヴには妖精が実在することを知られたくないからなのかもしれない。どうやらデイヴは、ディガーの信頼を得られていないようだ。
「……ぼくも詳しいことは分からない。きみと状況が似ていて、彼女たちとは、ぼくがスワイリーの調査をしていたから出会したようなものなんだ。そのときに、彼女たちが"魔法"を使えることを知った。その力が、あまり良くない目的に使われてるみたいだってことも。これは、ぼくの想像だけど、"メイガス"は、人間が"魔法"を使えるようになるなんらかの方法を見つけたんじゃないかな。そして、それこそが、"谷間の百合"と彼らが戦う理由なのかも」
ふん、とデイヴは思案に沈んだ。顎を撫でながら、ぼんやりと空を見つめている。
ヴィンスは砂糖を大量に入れたコーヒーを飲みながら、ジェムたちの遣り取りを静かに見守っている。まるで立会人だ。
「……会長は、スワイリーはいなかったと言っていた」
唐突にデイヴが言った。
「俺にはそれが、今はいる、という意味に聞こえた。実際、スワイリーの名は、マガリッジの住民を騒がせているし、会長はそれを"谷間の百合"の仕業だと言った。つまり、"メイガス"と"谷間の百合"の抗争が激化しているということだ。そんな状況下で、"妖精の階段"の息が掛かった保安局の依頼など受けられるはずがない。ましてや、スワイリーの調査なんて。誘拐事件のいきさつを考えれば、尚更だ。問題は、これらの事実を"蹄鉄会"本部の皆様に、どう説明するかだが……」
それは確かに、頭を悩ませる問題だ。
「依頼人にそんなことまで頼まれてるの?」
ジェムの問いかけに、デイヴは「いいや」と否定したが、「だが、調査結果によっては、依頼人のアフターフォローが必要になる」と付け加えた。
「それは事務の仕事じゃないか?」
「大方はな。だが、隅々まで調べた探偵だからこそ助言できることもある。それに、時には、全ての真実を伝えられないときもある。そのとき、的確な助言ができるのは、俺たち探偵だけだ」
ジェムは黙り込んだ。前に、オルトン・ギファードに頼まれたことを思い出した。行き着いた先の真実がリリーを苦しめるようなものなら、彼女には伝えないでほしい、と。あのとき、ジェムはオルトンの頼みを断った。ジェムの依頼人はあくまでリリーだから、彼女が真実を知りたいと言うのなら、その望みを断ることはできない、と。
でも、デイヴの暗に示しているように、その真実が依頼人の人生を一転させてしまったら? その変化は依頼人だけに留まらず、周囲の人間をも巻き込んでしまうかもしれない。その責任を負う勇気が、自分たちにあるだろうか。
しばしの沈黙を破るように、ジェムは、こほん、と咳払いして、どうにか平静を装った。
「……なぁ、デイヴ。頼みがあるんだけど」
デイヴが気味悪そうな表情を浮かべた。それもそのはず、ジェムから彼に頼み事をするなんて、前例がないのだ。
「実は探偵社に、"メイガス"のスパイがいるみたいなんだ」
「なんだと?」
デイヴの眉間に皺が寄り、眼光の鋭さが増した。
「そいつを捕まえるために、ぼくに協力してくれないか?」
そんな内容ならば、断るという選択肢はない。なぜならば、それこそ、"蹄鉄会"とスミシー探偵社の危機だからである。デイヴは要請を承諾した。
* * *
クー・シーとしてこの世に生を受けてから、ディガーは何百年という年月を過ごしてきたが、己の主人ができたのは今世紀が初めてであった。主人となった男は三つの名前を持っていた。マシュー・スティール、エメリー・エボニー=スミス、そして、セドナ・サム・ストー二ー。幼い頃に父と生き別れになったこの男は数ヶ月もの間――いや、もしかしたらもっと長かったかもしれない――、アルビオン王国にある"メイガス"の研究施設に囚われていた。
ディガーが彼に出会ったのも、その施設だった。純粋な血統の妖精同士、死ぬことを許されず、かといって"普通に"存在することも認められず、自分たちの持つ不思議な力だけが敬われていた。そんな環境下で"彼ら"の施す様々な実験と仕打ちに耐えていたふたりは、いつからかお互いに仲間意識のような感情を持ち始めていた。
そして、"彼ら"が妖精化計画の礎となる技術を手に入れたその日、妖精だけが持つはずだった力を全て失った少年の姿を見て、ディガーは施設からの脱走を決行した。マナの力で穴を掘り、異空間への扉を開け、冥界とほぼ変わりないその空間への恐怖と戦いながら、どうにか逃げ切った。そして少年からディガーという名を与えられた。由来は勿論、彼の魔法だ。そのときにディガーは、少年の名がマシュー・スティールであることをようやく知ったのだった。
幼いマシューを背に乗せて、放浪するディガーたちが最初に出会ったのは、自由の旅人を自称する移動型民族だった。広義では、ジプシーと呼ばれる人々である。その後しばらく、ふたりは彼らと共に過ごし、その間、マシューはセドナ・サムと名乗っていた。ディガーが、それが彼の本当の名だと知ったのは、ずっと後のことだ。
エメリー・エボニー=スミスとなったマシューがデイヴに伝えた話は、半分は本当で、半分は嘘だ。彼がかつてエルヴェシアの保安官だったことは本当で、それは父親と再会するためであった。一方で、保安局でマシューのことを知る術は、一介の保安官には存在せず、デイヴが聞いたのは会長がマシュー自身だったから知っている事実である。そもそも"メイガス"にマシューの身柄を引き渡したのは保安局の人間であり、"メイガス"の存在自体、公にされていないのにそれを簡単に調べられるはずがないのだ。幸か不幸か、デイヴはその矛盾に気付かなかったようだった。
店先でデイヴと別れたジェムたちを、その並外れた聴覚で遠くから窺っていたディガーは、静かにふたりの青年に歩み寄った。
「来てくれて、ありがとう」
ディガーの気配に気付いたジェムが言った。
人間にしては耳が良い奴だ、と感心しながらも、ディガーは怪訝そうに目を細めた。
「お前たちがいるとは知らなかったんだ」
「うん。でも、デイヴを助けてくれたんだろ?」
ディガーは肩を竦めた。
「ご主人に頼まれてしまったからな。俺は俺の仕事をしただけだ」
だろうな、などと憎まれ口を叩くのは、ヴィンスだ。彼は以前、ジェムに危険が迫っていてもディガーは動く気はないと言っていたことを、まだ根に持っているのだ。それからずっと、このふたりの間にはなかなか埋まらない溝がある。
「オーウェル保安官のことだけど、」ジェムは言った。「彼は、死んだことになってるんだな?」
えっ、とヴィンスは声を漏らした。
ジーク・オーウェルと実際に会ったのは、ジェムとリリーだけだった。ジェムの言葉にヴィンスが驚くのも無理はない。
ジェムたちが会った彼が20年前のエジキエル・オーウェルと同一人物である確証はないが、それでも、ジェムにはいつか当人が彼らの前に現れるだろうという予感があった。そのときはきっと、すべての謎が明らかになるだろう、と。
「いや、死んでいる……が、生きてもいる。生きているのは、裏切り者と呼ばれている方だ。"メイガス"は入れ替わりに気付いていないようだがな」
「馬鹿言え、もうとっくに勘付いてるだろ。だから、彼らはデイヴに付き纏ったんだ。万が一にも、あいつがエジキエル・オーウェルに接触しないよう、先に始末するつもりだったんだよ」
「だが、エジキエル・オーウェルの遺体は確かに保安局で確認されている」
「一方で、エジキエル・オーウェル保安官の目撃情報は後を絶たない。そういうことなんだろ」
ディガーは不機嫌そうに喉を鳴らした。しかし、ジェムの考えを否定する気はないようだ。
「それじゃあ、そのオーウェルってヤツが現れるまで、モーズリーはあの三人組に悩まされ続けるってわけか」
ヴィンスはベイカーポケットに手を突っ込んで、苛立たしげに口許を歪めた。ヴィンスなりに思うところがあって、見も知らぬ男を責めているのだ。
彼の言う通り、エジキエル・オーウェルが姿を現すまで――もしくは、彼の死がきちんと確認されるまで――、ミアたちはデイヴを放っておきはしないだろう。ディガーは気不味そうにジェムたちから目を逸らして、ぐるるるる、と呻いた。
「……オーウェルは、とんでもなく手のかかる奴だが、自分の後始末はできる男だ。あの三人組のことは、自分がでどうにかするだろう。癪に障るが、あの野郎のことを信じるしかあるまい」
随分と攻撃的な物言いだ。
ジェムとヴィンスが怪訝そうな顔でこちらを見てきたので、ディガーは居心地悪そうに首を竦めた。「ともかく、」と話を逸らす。
「お前は自分の仕事に集中していればいい。それ以外は俺たちに任せておけ」
ディガーがそんなことを言うなんて。些か驚いたジェムは片眉を上げた。思っていたよりも仰天していたのか、無意識に「ありがとう」と口を動かしていた。
「他に質問はあるか? 出血サービスで答えてやる。あとから、なぜ教えてくれなかったのかと責められたくはないからな」
ディガーは胸の前で腕を組みながらそう言った。またもや彼らしくない発言だったので、ジェムの口から、えっ、と突飛な声が洩れた。苛ついたようにディガーの鼻に皺が寄ったのを見て、えへん、と咳払いをして誤魔化した。
「それじゃあ、あの三人組についてだけど――どうだった?」
「どう、とは?」
「あるだろ、きみのその嗅覚でしか分からない情報が」
ジェムの言葉に、そういえば、とディガーは思い出す。ひとつだけ、だが、大きな違和感を抱いたことを。
「あの赤毛の人間、女の身体なのに、壮年の男の匂いをぷんぷんさせていた」
ヴィンスは不愉快そうに唇を尖らせた。
「それのなにがおかしいの? 男二人とつるんでるんだし、他にもそのぐらいの年頃の男がいるんだろ。それとも、女性の身体付きだけど、元々は男性だったんじゃないかって意味?」
「いや、そうじゃない。なんというか……、」ディガーは頻りに片方の耳の裏を摩りながら、言葉を選ぶように続けた。「……生物として、彼女が雌であることは確かだが、同時に、彼女自身を象徴する匂いとして、年老いた雄と同様の匂いも嗅ぎ取れたのだ。そう、まるで――」
「――ひとつの身体に、ふたりの人間がいるみたいだった?」
ジェムがディガーの言葉を締め括った。ディガーはふぅむ、と深く息を吐く。
「……そうだ。ただし、一方はまったく意思を持たないようだが」
その答えに、ジェムは、ずっと頭の片隅で引っ掛かっていた棘がようやく抜けたような気分になった。霧が晴れたと言うべきかもしれない。
ともかく、ジェムはすっきり晴れ晴れとした気持ちになった反面、僅かに抱いていた希望が断たれてしまったので、知らず知らずのうちに口許に乾いた笑みを浮かべていた。やはり、裏切られたという印象は拭いようもない。
「ジェム?」と気にかけるようなヴィンスの呼び掛けに、ジェムは首を振った。そして、決意を宿した目でディガーに向き直った。
「ありがとう、ディガー。おかげで、やっと腹を括れそうだ。心配しないで、スパイは必ず見つける」
うむ、とディガーは満足してジェムたちに背を向け去ろうとした。それを、おい、とヴィンスが呼び止める。
「あの猫、なんか言ってたか?」
……猫?
ジェムが怪訝に思っていると、ディガーの金色に近いアンバーの瞳が、夜の闇のなかで光った。
「口を慎むことだ。死にたくなければな」
「りょーかい。警告は受け取ったよ」
どこかで聞いたことのある科白だ。ジェムは、なるほど、あのときの自分もこういう目をしていたのだろうな、と理解した。ご主人以外に、こんな目をさせる存在がディガーにいるとは、意外である。
ディガーはそれきりなにも言わず、さっさと背を向けて行ってしまった。季節外れのロングコートをはためかせて、人々に奇異の目で見られているさまは、どことなく淋しげだ。
「……まだ、ぼくに言えないことが沢山あるみたいだな?」
ジェムが問いかけると、隣に立つヴィンスは戯けて大袈裟に驚いた様子を見せた。
「やだ、嫉妬?」
「今の話のどこに、そんな要素があった?」
「そう怒るなって、ジェム。時が来たら全部教えてやるから」
まったく、どこまで本気なのか掴めない男である。ジェムは、とりあえずはこの男の話を鵜呑みにしてやろう、と追及するのを諦めた。
「まあ、いいや。明日は頼むよ、ヴィンス」
「さっきモーズリーに話してた調査のことだよな? おれは何すればいいんだ?」
「もしものときのために、お前の健脚が必要なんだ」
「……なるほど?」
神妙な顔で頷いてはいるが、果たしてヴィンスがジェムの言葉の意味を理解しているかは微妙だ。些か意地の悪いことをしているという自覚はあるものの、ジェムはそれ以上の説明をする気はなかった。
そんなことよりも、明日に備えて今一番必要なのは、十分な休息だ。夏の夜は短いのだから。




