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ブラック・スミス 〜探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄〜  作者: 雅楠 A子
《本編:探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄》
5/77

3(1/2).翡翠色の研究 - A Study in Jade

2023/01/28、改稿

一部内容を変更致しました。m(_ _)m

 ジェームズ・カヴァナーはある組織のために働く、若き雇われ探偵である。人探しも素行調査も、ときには事件捜査(ほとんどの場合、失せ物探しである)も、依頼人の頼みとあればなんでも請け負う。それは決して大義のためではない。仕事だからだ。


 依頼人がどんな目的で、何を恐れて探偵を頼ろうとしたかなんて、そんなもの、知ったことじゃない。自分たちは"組織"の者が抱える問題、トラブルを解決するために存在しているのだから。それに、どうせこちらには拒否権など存在しないも同然なのだ。その仕事がどんなに嫌な内容であろうと、そもそも仕事を選ぶ権利さえ持たぬ自分には、拒否という選択肢はない。せいぜい断れるのは、犯罪に加担するような依頼だろうか。とはいえ、断った時点で上層部に呼ばれて、訊問を受けることに変わりはないのだが――ともかく。


 ジェームズ・カヴァナーは嫌気がさしていた。彼は"組織"のとあるお偉い方の依頼を請け負い、見事その依頼を成功させたのだが、同時に面倒事も引き起こしてしまったのである。


 それはちょうど昼食時より少し遅い時間帯のことだった。たまたま居合わせた様子ではない金髪碧眼の若い派手な女性が、ジェムこと、ジェームズ・カヴァナーの座るテーブルの前で立ち止まると、前触れもなく彼の頬をばちん、と平手打ちしたのだ。


「……キャス、」

「気安く呼ばないで」

「――ミス・グリーン。なにか誤解しているようだけど、」

「誤解? あなたが元カレを誘惑して、私たちを別れさせたこと?」


 これには深いわけがある。

 数日前、ジェムはMHDコーポレーションの社長、オーガスタス・グリーンの依頼で、彼の一人娘のキャスリーン・グリーンの誕生日パーティーに出席することになった。ジェムが請け負った依頼内容は、そのパーティーで、キャスリーンの恋人であるベントレーの不誠実な証拠を手に入れることだった。パーティー当日、計画通りにキャスリーンとベントレーのカップルに接触をして、警戒心を削ぐためにそこそこの交流を深めたあと、それとなくふたりから距離を置いてベントレーの監視を始めて数十分経った頃だった。ひとり、壁の花と化していたはずのジェムに、あろうことかターゲットの方から近付いてきて、言ったのだ。


「さっきから俺のこと見てるでしょ」


 ジェムの頭の中は一瞬真っ白になった。尾行・張り込みを最も得意とし、他の追随も許さぬほどと支部長から実力を認められた自分が、まさか親が裕福なだけのたかが大学生に視線を気取られるなんて、と。どう誤魔化そうかと思考を巡らせていると、ベントレーは続けてこう言った。


「君さえ良ければだけど、こんなパーティー、さっさと抜け出さない?」

「……は?」

「どこかふたりきりになれるところに行こうよ」


 そう言って、ジェムの手に自分の手を重ねてきたベントレーの行動に、ジェムは合点がいった。


 こいつ、()()()か。


 そのとき、ぱりん、と割れたグラスの音に、ベントレーはさっと手を引っ込め、音のした方に首を回した。そこには、顔面蒼白になったキャスリーン・グリーンが立っていた。こうして、ジェムは見事、オーガスタス・グリーンの依頼を遂行させたことになったのだ(そして、あの一瞬の出来事で、自分に(おご)りがあったという事実が明らかになって、それを恥ずかしく思ったジェムはしばらく立ち直れなかった)。


「――だから、誘惑なんて誤解だよ。そもそも、彼がゲイだってことも知らなかったし」

「言わないでっ!」


 半ばヒステリックにキャスリーンは叫んだ。目にいっぱい涙を溜めて、ふるふると唇を震わせる彼女は、どうにか理性を保とうと必死である。頭に血が上りやすい性格のようだ。


「私が……、この私が、こんな男に恋人を奪われるだなんてっ」


 訂正しておくが、自分は彼女の恋人を奪ってなんかいないし、あの日以降、彼には一度も接触していない。それに、一番悪いのは、色々と事情があったにせよ、恋人を騙すような真似をしたベントレーなのでは。


「もう、最低っ!」


 そう叫んで、テーブルの上に置かれたコップを掴むなり、キャスリーンはジェムの顔面に向かって中身をぶちまけた。結果、ジェムは昼時のダイナーで、コップ一杯分の水を浴びることになったのだった。

 好きなだけ人を罵倒して、暴力とも言えなくもない方法で怒りを発散させたキャスリーンは、幾らか心の平穏を取り戻せたらしく、つかつかとヒールの音を響かせつつ、手首の内側で流れ落ちる涙を拭いながらその場をあとにした。

 紙ナプキンで顔から滴るただの水を拭きながら、ジェムは窓ガラス越しに彼女が立ち去るのを確認して、ほっと一息吐いた。


 ……コーヒーを飲み切っていて良かった。こっちをぶちまけられていれば、びしょ濡れになるぐらいでは済まされなかっただろう。


 するとそこへ、黄色いワンピース型の給仕の制服を着た褐色の肌の少女が、満を持してといった具合にコーヒーサーバーを持って現れた。そして、ジェムの前に置かれたカップに並々とコーヒーを注ぎ、呆れたようにこう言った。


「相変わらず、厄介事を抱えてるみたいね、ジェム?」


 ジェムこと、ジェームズ・カヴァナーはぐったりとした動作で少女に顔を向けた。その顔は、先程の金髪女性に釈明していたときとは打って変わって、無愛想極まりない表情だった。


「……時々、この仕事を辞めたくなるよ」


 ジェムはぶっきらぼうにそう言った。


「なにをしたんだか知らないけど、気を付けなさいよ。ああいうタイプの子は、緑の目をした怪物になりやすいんだから*」


 少女はじとりと蔑むような目でジェムを見下ろしながら言った。ジェムは素知らぬふりで、如何にも真面目くさった調子で片眉を上げた。


「緑の目なんてしてなかったけど?」 

「あなたもなかなか罪な男よねぇ。せいぜい、夜道に気をつけるといいわ」


 ジェムは再び満たされたコーヒーカップを口許に持ってきて、その液体を口に流し込んだ。


「……きみはぼくの心を的確に抉ってくるよな」


 少女は愉快そうにふふんと笑った。そのとき店に数名の客が入ってきたので、少女はその対応をしに営業用の爽やかな笑顔を浮かべて、この場を離れた。


 この少女の名前をブリアナ・ロスという。彼女の母、ママ・ロスが経営するダイナー『ロス』で働く看板娘なウェイトレスで、ジェムとは2年ほど前からの付き合いだ。ダイナー『ロス』は、陽気で情に熱いママ・ロスの料理と、気さくで愛想の良いブリアナの親しみ溢れる接客を求める客で、いつも賑わっている。『ロス』の料理は、この地域のいわば、おふくろの味なのである。


 ジェムは目の前に置かれた手付かずのままのモーニング・プレート(ダイナーといえばモーニング・プレートであり、たとえそれが昼食であろうと夕食であろうと、料理の名前はモーニング・プレートなのである)に手を伸ばした。すると、見事に同じタイミングでブリアナの接客が一区切りついたらしく、彼女は再びジェムの席に訪れて、彼の対面に座った。


「――それで? どういった仕事だったの?」


 今日は厄日かなんからしい。ブリアナの質問に答えるため、ジェムはカトラリーを置いた。


「娘の彼氏の不誠実さを証明しろって、グリーン社長直々のお願い。娘にはもっと相応しい男がいるんだってさ」

「要するに、彼氏に浮気をさせる機会を作って、ふたりを別れさせてくれと」

「そうとも言える」

「それでハニートラップを仕掛けたわけね?」


 ブリアナは頬杖をついて、楽しげに訊ねた。ジェムは顔を顰めた。


「違う。――いや、違わない、けど。つまり、ハニートラップを仕掛けるつもりではあったけど、やってないんだ。ぼくはただ、彼女の恋人から誘いを受けただけで――あ、おい、変な想像するなよ」


 ブリアナは堪らず噴き出した。


「あなたも大変ね、そんな似合わない仕事もしなくちゃならないなんて。私、映画とか小説のイメージで、探偵は犯罪捜査とかするものなんだと思っていたけど、案外なんでも屋と大差ないのね」


 そう言われると、辛いものがある。そもそも、探偵の定義がよく分からないし。


「それにしても、その彼氏、可哀想。本当の自分を隠すために、好きでもない子と付き合わなきゃいけなかったなんて。勿論、騙されてた彼女には同情するけども」


 社長令嬢に接する機会があったくらいだ、ベントレーという男もそれなりの血筋か家柄の人間だったのだろう。だからこそ、()()を装わなければならなかった、周りが求める()()を演じなければならなかった、彼の苦労は計り知れない。


「……自分らしく生きられてる人間なんて、そもそも存在するのかどうか」


 同じテーブルに座る者ならば聞こえるくらいの声量だったが、ブリアナはジェムの呟きに対して聞こえなかったような振りをした――いや、聞かなかった振りをしたというべきか。


「でも、なんであなたがそんな仕事を? グリーン社長にはお気に入りがいらっしゃるんでしょ? デイヴ・モーズリーとかなんとかっていう」


 よく知っているな。まったく、誰が教えたんだか。


 ブリアナの言う通り、オーガスタス・グリーンにはお気に入りの探偵社員がいる。デイヴ・モーズリー、ジェムが所属する探偵社の若きエースである。


「あいつは面が割れているからね」


 ジェムの言葉に、ブリアナは納得して何度も頷いた。そして、ジェムを憐れむような視線を寄越してきた。


「あなたは捨て駒ってわけね」

「まあ、そういうことだろうね」


 ジェムは会話が一区切りついたと判断して、再びカトラリーを手に取った――が。


「それで満足なの?」


 ……やっぱり、今日は厄日だな。


 ジェムはブリアナの休みない質問攻めに、心の中で溜め息を吐いて――実際に吐こうものなら、彼女の繊細なハートを傷付けかねない――、おしゃべり好きな少女の相手をするためにカトラリーを置いた。


「――どういう意味」

「だって安い仕事ばっかり引き受けてるじゃない、自分が過小評価されているとは思わない? 自分はもっとできるのに、って。本当はもっと――そうね、例えば――巨大な悪の組織をたった一人で壊滅させるくらいの仕事がしたいとか」


 巨大な悪の組織ときたか。映画かドラマの見過ぎじゃないのか?


「別に」


 ジェムのあまりに素っ気ない返事に、ブリアナはこれ見よがしに白けた顔を作った。


「つまらない男」


 癪に障る言い方だ。


 丁度そのとき、白いワイシャツにサスペンダー付きのパンツという、明らかに他の店舗の制服であろう身のこなしの、黒人の青年が入店してきた。彼は真っ直ぐカウンターへ向かい、接客中のママ・ロスに声をかけた。「ジェムはどこです?」


 所作が礼儀正しいその青年は、ジェムのよく知る人物だった。


「ウィリー、ここだよ」


 ジェムはボックス席から立ち――昼食は完全に食いっぱぐれてしまった――、ウィリーの許へ歩み寄った。


「どうしたの?」

「お電話です、ボニーから」


 ジェムは渋面を作った。「……ボニーから?」


「ミスター・グレアムがこちらに向かっていると」

「向かってる? 今? それとも、もう――」


 ジェムはちらりと窓の外を見て、後悔した。道路を挟んで向かい側の飲食店、『パットズ・バー&グリル』の看板が掲げられた店への下り口の前で、小麦色の肌に(くり)色の髪の男が、左手を振りながら、満面の笑みを浮かべていたのだ。そして、その男の登場は、ジェムがこれからかなりの面倒事に巻き込まれることを意味していた。冷めた昼食を食べるのをブリアナに妨害されることなんて、大した障害じゃないと思わせるくらいの面倒事に……。


「……ウィリー、あの人、追い払えないかな」

「無茶言わないで下さいよ、ジェム。あの人の面倒臭さはあなたが一番分かっているでしょう?」


 ……確かに。あの男の面倒臭さは自分が一番理解している……。


 ジェムは向かいの店で待っている男から逃げることを早々に諦め、ママ・ロスに料金を支払い、ウィリーと共にダイナーを出ることにした。ママ・ロスには、「あんた、今日はツイてないね」と言われてしまった(食いっぱぐれた昼食の料金は引かれた)。


 車の通りが少ない道路を渡り、終始にやけ顔で待つ男の前までやってくると、ウィリーはジェムを早々に見捨てて、自分の仕事場である『パットズ・バー&グリル』へ戻っていった。

 ジェムは男に「やあ、父さん」と呼びかけた。男はジェムの呼びかけに、「よう、坊主」と返した。


 この男の名を、アラン・グレアムという。


引用* - O, beware, my lord, of jealousy! / It is the green-ey'd monster which doth mock / The meat it feeds on.(シェイクスピア『オセロー』)


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