21(1/2).フィンタンズ・ワーフへの乗客 - Passenger to Fintan's Wharf
2024/02/02、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
リリーの報告を受けた翌日、ジェムとヴィンスはデイヴ・モーズリーの尾行を開始した。
――否。正確に言うならば、彼らは尾行の許可を得たのだ。
アラン・グレアムがパットの店に現れてから、今朝、数日ぶりにブランポリスの探偵社事務所に訪れたジェムは、勤務表ボード(ジェムの欄には、要人警護と書かれている)を素通りして、事務員のボニーのデスクに歩み寄った。
この女性、過去にリリーとオルトンに応対した、ホースシュー・カフェのあの従業員である。実は探偵社の事務員の幾人かは、カフェの従業員を兼任しているのだ。勿論、それは探偵社事務所がカフェに附設しているからこそ出来るのだが。
ジェムの気配に、手許の書類から顔を上げたボニーは、相変わらずの無愛想さで言った。
「珍しいこともあるもんだね。アンタがここへ顔を出すなんて」
「やあ、ボニー、そうだね。どうしても会いたい人がいてさ」
「おや、誰だい?」
「デイヴ・モーズリー」
ボニーは、無愛想どころかむしろ不機嫌そうな顔をした。
「アンタ、なにを企んでるんだい?」
「べつに。他の探偵社員と同様に、うちのエースから助言を賜りたいと思うのが、そんなにおかしなことかい?」
はん、とボニーは鼻で笑った。
「エース、ね」
含みのある言い方だが、ジェムはなにも言わず、代わりに微笑を返して誤魔化した。
ジェムのお粗末な嘘を聞いても、それを暴こうとしないところが、彼女のいいところだ。おそらくそれが、彼女にとってどうでもいいことだからなのだろうけど。
ボニーは、デスク脇の収納棚からファイルを取り出すと、電話機の送話器を手に取って、ファイルに挟まれた名簿を見ながら、ボタンを押した。
「――今、モーズリーの無線呼び出し機に信号を送ったよ」
「ありがとう。それじゃあ、デイヴから電話が来たら、ここに来るよう伝えてくれないかな」
そう言ってジェムは、ボニーに1枚の紙切れを手渡し、紙に書かれた文字を指し示した。ボニーは至極嫌そうな顔をしたが、黙ってそれを受け取った。
それじゃあ、とジェムが踵を返して事務所を出ようとすると、ボニーは「ジェム、」と呼び止めた。
「父親には会わないのかい?」
「"アラン"にはなるべく会いたくないんだ」
探偵社事務所を後にしたジェムは、近くの駐車スペースに停められた金春色のセダンに乗り込んだ。
「それで?」
運転席に座るヴィンスが、助手席のジェムに訊ねた。
「デイヴが来るのをここで待つ」
「来てくれるのかねえ?」
「来るよ」
ジェムは断言した。
「根拠は?」
「あいつがデイヴ・モーズリーだから」
しかし、ヴィンスはジェムの回答に不満げな顔をした。
「……なあ。そいつとお前って、どういう関係?」
ジェムはヴィンスの質問の真意が分からず、眉根を寄せた。
「仲の悪い同僚だけど」
「その割には、随分と信頼してるみたいだな?」
「あのな、あいつのことを信頼してるから、こんなことをしてるんじゃない。ぼくの知ってるデイヴ・モーズリーなら、腹の内でなにを考えていようが、こっちの呼び出しに応じると思ったんだ。それだけの話だよ」
「そう断言できるくらいには、そいつのことを知ってるのか」
……やけに突っかかってくるな。
「お前はぼくになにを言わせたいんだ?」
溜め息混じりにジェムが訊ねると、ヴィンスはいつになく真剣な表情を浮かべて、前のめりでジェムに問い詰めた。
「おれは、お前の相棒だよな?」
「……なんだよ、突然」
「いいから答えろよ。お前はおれのこと、どう思ってんだ?」
「それを聞いてどうするんだよ?」
「確かめたいんだよ、おれは、その――モーズリーってヤツとは違うってさ!」
ジェムは、ぽかんとした。ヴィンスの言っていることの意味が、瞬時には分からなかった。ようやく理解したとき、ジェムは、ヴィンスのあまりに幼稚な態度に呆れ返った。
……こいつ、デイヴなんかに対抗意識を燃やしてんのか。
とはいえ、ヴィンスの問いに正直に答えるのは気が引けた。そのような、自分の真情を吐露するとも近い問答には、些か抵抗がある。どうにか上手く誤魔化せないものだろうか。
「……コンフィダント」
「ったく、わざわざフランス語の発音で言ってくれるとは、どうもありがとよ!」
やはり、既に自国の言葉として存在する単語を、わざわざフランス語の発音に変えたところで誤魔化しにもならなかった。ジェムが精一杯、無い頭を捻って導き出したその場しのぎだったが、残念なことに、その努力は徒労に終わってしまった。
ジェムの答えを聞いて、安堵した様子のヴィンスは、はぁ、と溜め息を吐いて、座席の背凭れに沿ってずるずると身体を滑らせた。そして、先程と比べると覇気のない、疲れた顔をジェムに向けた。
「……ジェム、怖いのは分かるけど、お前はもう少し言葉にして、気持ちを伝えるってことをした方がいいと思うぞ」
ヴィンスが諭すような口調で言った。先程の誤魔化しのことを言っているのだろう、とジェムは考えて、恥ずかしさに居心地が悪くなった。
「……なんの話?」などと、分からないはずがないのにとぼけてみせる。
そんなジェムの弱い心を理解しているヴィンスは、構わず話を続けた。
「リリーのこともそうだけどさ、」ジェムの眉間が、びく、と微かに動いた。「言いたいことがあるときは、ちゃんと言った方がいいぜ。あのとき、お前、本当は引き留めたかったんじゃないの?」
「……彼女の家族の問題に、部外者が首を突っ込むべきじゃない」
「おいおい、そんな話じゃないだろ?」
ヴィンスは駄々っ子をあやす父親みたいな顔をした。ヴィンスに限らず友というものは、親になったり兄弟になったり子になったりと忙しなく形容を変える、不思議な存在である。
「確かに、リリーがおれたちと一緒にいられなくなったのは、彼女自身の問題さ。だけどな、お前があのときどうしたかったのか、彼女にどうしてほしかったのか、ってのは、また別の問題だろ。違うか?」
ジェムには、否定も肯定もできなかった。ただ彼に分かることは、あのとき自分がなにかを言って彼女を困らせたくなかったから、なにも言わなかったという事実である。
――いや、今となっては、それが真実だったのかも怪しい。自分を肯定するための、後から考えた言い訳かもしれない。
「そりゃあさ、」ヴィンスは自分の耳朶を引っ張りながら、一所懸命に言葉を探して言った。「突然のことだったし、おれだって状況を読むのに必死で、リリーのためになんにもしてやれなかったけど、でも、それでも、考えるんだ。おれは、あのとき、本当になにもできなかったのか、って。それは、お前も同じじゃないのか?」
ヴィンスの言う通り、その気持ちに関しては、ジェムも同じだった。しかし、ヴィンスと違って、ジェムは自分がなにもできなかったのではなく、なにもしなかったのだと認識していた。なにもしないことを、自ら選択していたのである。
「この際、結果は問題じゃないと思うんだ。大切なのは、自分の気持ちを相手に伝えることで、おれたちは、おれたちにはリリーが必要だ、って彼女や彼女のお母さんに言うべきだったんだよ。だから――つまり――おれが言いたいのは――」
しばらくは熱弁を振るっていたヴィンスだったが、話のまとめに差し掛かると、しどろもどろになった。お喋りな彼は、要点をまとめることが苦手らしい。
「――あのとき、お前やおれがなにも言わなかったせいで、リリーは不安がってるんじゃないか――おれたちが彼女をどう思っているのか、ちゃんと伝えるべきだったんじゃないか、って……」
成程。それで先程のヴィンスとの問答が、この話に繋がってくるわけか。ジェムが態度でも言葉でも示さなかったために、ヴィンスがジェムとの関係を不安に思ったのと同じように、昨夜のリリーも不安だったのではないか、と。ジェムたちが彼女への気持ちを伝えなかったせいで、もう二度とこれまでのような関係を築けなくなるのではないか、と。ヴィンスはそれを心配しているのだ。
ジェムは改めて、昨夜の出来事を思い返した。確かにジェムはあのとき、リリーをあのまま実家に帰すのは嫌だと思った。仲間として彼女の存在を必要としていたというのも理由のひとつだが、一番は、リリーが自分の傍にいることが、彼女の身の安全を認識できる確実な方法だからだ。
ジェムは、リリーの置かれた環境がさほど安全ではないことを知っていた。だから、なにかあったときに自分が即応できるように――いや、なにか起こる前にそれを対処できるように、できることならなるべく傍にいて、見守っていたかったのだ。
……自分にできることなんて、たかが知れている。だけどそれでも、自分の与り知れぬところで彼女が危険に巻き込まれるよりは、多少危なくても傍にいてくれた方がずっといい。
だが同時に、彼女のためを思うなら、実家に帰った方が良いとも思った。リリーの両親はこれまでずっと、娘を守るために手を尽くしてきたのだ。それがどれだけの苦労だったのか、妖精闘争の話を聞いた後だから、少しは想像できる。だったら、自分のところにいるよりは家族の許にいた方が、彼女は安全なのではないか、と。
結局、どちらが彼女にとって最善だったのかは分からない。しかしヴィンスの言う通り、なにかしら声をかけてやるべきだったのかもしれない。
「――でも、なんて? いつでもきみの帰りを待ってるから、とか、迎えに行くから待っててくれ、とか? 何様だよ、それ」
ジェムの科白に、ヴィンスは眉を顰めた。
「リリーがそんな言葉を望んでいると思うか? お前、あの子のなにを見てきたんだ。それとも、それは見ないふりをしてるのか?」
……どうしてそう、敏いんだ、こいつは。
ヴィンスが自分になにを言わせたいのか、ジェムは分かっていた。だが、その言葉はどうしてもジェムには言えなかった。だから口にも出さないし、なるたけ考えないようにしているのに――と、ジェムは苦悶の表情を浮かべた。
「――おい」
ヴィンスの低い声で、ジェムは現状に変化があったことを察知した。身体を捻って、ヴィンスと同じように車のリアガラスを見る。
すると、いつぞやのボートテイルデザインのクーペが、ジェムたちのいる駐車スペースに入ってきた。
「……来た」
ジェムは助手席のドアを開けて、車の外に出た。ジェムの姿に気付いたのだろう、クーペはヴィンスの乗るセダンの先隣に停まった。




