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ブラック・スミス 〜探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄〜  作者: 雅楠 A子
《本編:探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄》

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19-2.続・三人の盲目な探偵 - RE: Three Blind Detectives【case:リリー】

2023/12/20、改稿

一部内容を変更致しました。m(_ _)m

『ロイヤル・ホースシュー・カフェ』の、アカンサスなどの植物を(かたど)った浮き彫りの装飾が美しい木枠のソファはクッション性が高く、座った途端に身体が沈み込んでいくほど柔らかい。リリーは慌てて腰を上げ、今度は背筋が伸びるように、ちょこんと浅めに座った。


 木工象嵌(ぞうがん)が美しいウォルナット材の猫脚ローテーブルに、男性給仕によって、ふたつの水が入ったグラスが置かれた。メニュー表を手渡され、そこに書いてある数字の羅列に、リリーは初めて不安を覚えた。


  ……わたし、今、そんなにお金を持ってない。電車代も払わなければいけないし、余計な出費はできないわ。


 いつも出かけるときはオルトンか、両親がいるときなので、まとまったお金を持つ習慣がなかったリリーは、よもや経験するとは思ってもみなかった窮地に立たされていた。「大事な娘に、それだけでトラブルを引きつけるお金など持たせるものか」という彼女の父親の方針があったことも、その一因である。


 ……オルトンがいつも会計してくれてたのも、考えてみれば、おかしなことよね。ああもう、わたしって、こんなにも世間知らずだったんだ!


 そんなリリーの心境を知らないキャスリーンは、独断でカフェ・モカをふたつ頼んでしまった。恨めしげにそちらを見遣ると、キャスリーンは訝しげな表情で、「なによ?」と言った。リリーはぶんぶんと首を振った。

 あのアーモンドのような目で睨まれると、萎縮してしまう癖は、どうしても抜けない。


『ロイヤル・ホースシュー・カフェ』の受付にほど近い席に、リリーとキャスリーンは向かい合って座っていた。

 キャスリーンに出会(でくわ)してしまったせいで、デイヴの動向がすっかり分からなくなってしまったが、第三者から情報を集めることも時として重要である。それにまだ、デイヴがこの店を出ていくところも見ていない。

 嗅覚だけは、デイヴの方に気を回して……などという器用な真似はできないので、どうか会長の部屋に隠し通路がないことを祈りつつ、時々フロントの前を通る人々にリリーは注意を向けていた。


 なかなか話が始まらないので、キャスリーンは痺れを切らして、口にしていた水のグラスを、ことん、と置いた。


「なんなの? 人の命がかかってるって。それと、ミスター・モーズリーに、なんの関係があるの?」

「……あ、ええと――」


 それは咄嗟に出た言葉であって、キャスリーンに説明できるようなことは、なにもない。さっきまでの威勢はどこへ行ったのだろう、とリリーは自分でも泣きたくなるくらい情けなくなった。

 はぁ、とキャスリーンが深い溜め息を吐く。


「ほんと、鈍臭いんだから。わざわざ付き合ってあげてるんだから、早くしなさいよ」


 なかなか勇気が出せず俯いていたリリーは、そんなキャスリーンの棘のある言い方が癪に障って、ちら、と視線を上げた。


 ……さっきまで、顔を真っ赤にさせて、狼狽していたくせに。


「ミスター・モーズリーのことだけど、」ぴく、とキャスリーンの片眉が跳ね上がったが、リリーは構わず続けた。「いつから好きなの? 確かあなた、最近まで、他の人と付き合ってたんじゃなかった?」


「なんでそんなこと答えなきゃならないの?」

「そうね、じゃあ、どうしてわたしがミスター・モーズリーを尾けてるって思ったの?」

「それは……、彼がカフェに入ったあとに、あなたが突然現れて、あんな場所で蹲って、なにか待ってるみたいだったし、怪しまれても仕方ないんじゃない?」


 ……確かに、あんな所で蹲ってる人がいたら、誰だって警戒するわよね。

 でも、とリリーはキャスリーンへの詰問を続ける。


「だとしても、わたしに話しかける必要があったかしら? あなたとは関係ないんだから、無視しても良かったのでは?」

「無視できるわけないでしょ、あなたがミスター・モーズリーに危害を加えるかもしれないのに」

「どうしてそんなにミスター・モーズリーを気にかけるの? 彼はグリーン家お抱えの、ただの運転手ではなかったの?」

「しつこいわね、なんでもいいじゃない」

「……わたしが、ミスター・モーズリーを尾けていたと言ったら?」


 かっ、とキャスリーンの目が見開かれる。


「やっぱりね!そうだと思ったのよ、どんなに清楚ぶったって、あなたは人を誑かす"魔女"に違いないもの。良かったわ、早めに気が付いて。私が彼の後を追っていなかったら、今頃どうなっていたか」


 早口に言葉を吐き出すキャスリーンを眺めながら、リリーはなるほどこれが、と微笑みを浮かべていた。これが、情報を引き出す、ということか。自分について無茶苦茶を言われているようではあるが、そんなことも気にならないくらいの高揚感が得られて、ちょっと癖になる。

 (そし)りを受けているというのに、リリーがにこにこと嬉しそうなので、違和感を覚えたのだろう。キャスリーンは不可解な面持ちで、「なに笑ってるのよ」と唇を尖らせた。


「……いえ、あなたもミスター・モーズリーを尾けていたんだな、と思って」


 キャスリーンは、ばつが悪そうな表情を浮かべた。しかし、つん、と顎を突き出して、「彼を守るためよ」などと都合の良い科白(せりふ)を吐く。


「だいたいね、あなたが悪いのよ。あなたが魔法で魅了して、あの人を惑わせたんじゃない。それで私を責めるなんて、お門違いもいいところだわ!」

「魅了? わたしが? 誰を?」

「ミスター・モーズリーを、よ!」


 リリーは驚きのあまり、あんぐりと口を開けて、まさか、と声を絞り出した。


「あなたがわたしを虐めてた理由って、彼がわたしのことを好きだからなの?」

「好きなんかじゃないわ、あなたにそう思わされてるだけよ」


 キャスリーンは、それが真実かのように断言した。


「なのにあなたはいつもそうやって、罪のない人間のふりをして。私はあの人を守るために当然のことをしただけよ。それを虐めてた、だなんて、人聞きの悪いこと言わないで頂戴」


 リリーはすっかり呆れ返ってしまった。

 キャスリーンはいたって真面目だ。本気なのだ。心の底から自分のしていることが正しいと信じている。哀しい哉、エルヴェシア共和国の教育も要因となって、彼女の言う"魔法"が本当に"魔法"の力だと信じているのだ。


 ……本気でわたしを"魔女"だと思っていたのね。でも、なにを根拠に? わたしが"魔法"を使ったことは一度もないのに。


「どうして、わたしが魔法を使ったと?」

「あの人があなたを好きになるわけないから」


 ……さっきも似たようなことを言っていた気がする。


「どうして?」

「どうしてもよ!」

「あなたが彼を好きだからなのではなくて?」


 リリーの一言に、キャスリーンは目許を真っ赤に滲ませて、なにか言い返そうと大きく口を開けた。しかし、リリーはその前に厳しい口調で続けた。


「わたしとミスター・モーズリーはほとんど接点がないはずなのに、彼がわたしを好きなのをおかしいと思って、わたしが魔法を使ったと考えたんじゃない? その方があなたにとって都合が良かったんでしょう? そう考えれば、ミスター・モーズリーと一緒にいても辛くないから」


 キャスリーンは、違う違う、と目で訴えるように、じっとリリーを睨みつけ、幼い子どものように左右に首を振った。同い年だというのに、随分幼稚に見える。


「辛いことなんかないわ、私は彼を愛してるもの。私が一番彼を理解してるの――だから、あの人があなたを好きになるはずないのよ、私には分かるの。どうせ、人を本気で愛したこともないあなたには理解できないでしょうけど」

「ええ、分かりません。他人を傷付けてまで、彼との関係を守ることがあなたの"愛"だというのなら、理解したくもありません」


 リリーはきっぱりと言い放った。愛するとはなんなのか、いつかオルトンに問うたことがある。あのとき、リリーには、愛のことなどよく分からなかった。今でもはっきりとは分からない。だが、あのときと今では、まったく違うことがひとつある。それは、経験である。


 リリーは"ホーム"で沢山の恵まれない人々を目にした。故郷のバーニーヴィルでの基準ならば、ぼろを纏っていると言われるような人々が、どんな宝石よりも美しく輝いた瞳で暮らしていた。そこには慈愛があったし、慈悲があった。

 あの温かな場所を守るために、ジェムは改めて妖精闘争に身を投じることを決意したのだし、そんな彼を支えるためにヴィンスも力を貸してくれているのだ。同じ守るという言葉の意味が、彼らとキャスリーンでは、こんなにも違う。"愛"というものがなんであれ、リリーはジェムたちの行動こそが、正しい愛し方なのだと信じたい。


「あなたと彼の間に、なにがあったのかは知りません。だけど、今のあなたたちに愛があるとは、わたしには思えない。ミスター・モーズリーはあなたのことを仕事相手としてしか見ていないようだし、あなたは別に恋人を作って、まるであてつけているみたい。それの、どこが愛だと言うの? そんなことをしていて、あなたは本当に幸せなの?」


 キャスリーンの瞳から、ぼろ、と大粒の涙が溢れた。それを機に、彼女は堰を切ったように泣き出してしまった。

 どうやら図星を指してしまったようだ。泣きじゃくる彼女を、リリーがしんみりとした気持ちで眺めていると、女性の給仕がそっとカフェ・モカをテーブルに置いた。

 このタイミングといい、わざわざ女性が来るところといい、気を遣われたのではないかと勘繰ってしまう。


 ……なんだか居た堪れない。


 そろそろとコーヒーカップを傾けると、突然、茹でた栗のようなまろやかな匂いが漂ってきた。

 カフェ・モカの香りとは明らかに違うそれに、眉根を寄せ、ふと、リリーは顔を上げた。


 リリーのちょうど視線の先には、細長い廊下へと続く、開かれた豪奢な扉があった。そこから、帽子を深めに被って、よっぽど顔を見られたくないのか、さらに鍔を摘んだ髭面の人物が、ひょい、と頭を突き出して、ちょいちょい、とオリーブ色の肌の手でフロントの男を手招きした。


 数刻前、デイヴに脅されていたペンギン男が、いそいそと髭面の人物の許へ向かうと、男性は小さな紙切れをペンギン男に手渡した。

 リリーは直感した。あの紙は、デイヴ・モーズリーとマシュー・スティールが今まさに会って話をしていることとなにか関係があるに違いない。ならばあの髭面の人物は、きっと、マシュー・スティールの信頼を得ている重要人物だ。

 どうにか人に怪しまれることなく、その顔を拝めないだろうか、と背筋を伸ばしていると、キャスリーンが、そうね、と嗚咽を交えながら呟いた。


「あなたの言う通り、私は幸せじゃない。あの人のことを想えば想うほど、どんどん不幸になっていくみたい。だから他に恋人をつくって、彼のことを考えないように努めたけど、惨めな思いをするだけだった。彼を好きになってから、辛いことばかりだわ。この間だって――」キャスリーンは自分のバッグからハンカチを取り出して、びーっ、と鼻をかんだ。「彼のあとを追いかけてたら、ミアとかいう赤毛の女が現れて、命が惜しければこれ以上彼に関わるなって言って、私を脅したのよ」


 リリーは、目を瞬かせた。


「なんですって?」

「私を脅したのよ! 他にも大きい男がふたりいて、すっごく怖かったんだから!」

「男が、ふたり? それと、赤毛の女性が――?」

「そうよ!」


 かしゃん、とコーヒーカップを置き、リリーはテーブルに身を乗り出した。


「その女性(ひと)、ミア、っていったのね?」

「そうよ――知ってるの?」


 リリーは席から急いで立ち上がり、その場を足早に去ろうとした――が、踵を返して、流れるような動作で、ぎゅっ、とキャスリーンの手を握った。


「ありがとう、キャス、助かったわ。あなたに会えて良かった」


 ふわり、と微笑んで感謝の言葉を述べるリリーを、キャスリーンはぽかん、と見上げていた。そのあどけない表情を見て、なかなか愛らしい顔だなと、リリーはさらに笑みを深めた。


 すると、心に余裕ができたからだろう、リリーは、ほとんど所持金がないのにカフェ・モカ代を支払わなければならないことを思い出した。困った顔でカフェ・モカを見つめているリリーに気が付いたキャスリーンは、真っ赤に充血した目を訝しげに細めた。


「もしかして、急いでるの?」


 リリーはぐっ、と唇を噛んだ。縋るような目付きを寄越してしまったのかもしれない。キャスリーンは、すっかりいつもの調子を取り戻して、はぁ、と溜め息を吐いた。


「……いいわ、ここは私が支払ってあげる。今度、なにか奢りなさいよ」

「ありがとう、本当にありがとう!」


 つん、と泣き腫らした顔で澄まして、キャスリーンはひらひらとリリーに手を振った。


 時刻は既に正午を過ぎていて、今から集合場所へ向かったら、約束の時間を過ぎてしまうかもしれない。今度こそ、リリーは急ぎ足でカフェを後にした。


 このとき、彼女は知らなかった。その先で、更なる波乱が待ち構えていようとは。

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