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ブラック・スミス 〜探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄〜  作者: 雅楠 A子
《本編:探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄》

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18-2.三人の盲目な探偵 - Three Blind Detectives 【case:リリー】

2023/12/10、改稿

一部内容を変更致しました。m(_ _)m

 デイヴ・モーズリーの一日は、キャスリーン・グリーンをマガリッジのヨガスタジオまで送ることから始まる。


 いつものように、デイヴはスミシー探偵社本社ビル前、ハロルド・パーク側の路肩にクーペを停め、社長令嬢を下ろし、その後、探偵社の駐車場に車を置いた。それから、情報を足で稼ぐ。


 ……今日は、実に気分が乗らないが、会わなければならない御人がいる。


 デイヴは重たい足取りで会社へ続く長い階段を登った。



 * * *



「……来た」


 リリーは身構えた。

 アルコールに、微かに甘い果実を含んだ匂い。デイヴの気配が、ビルの外に現れた。本当に現れた。ジェムの言った通りだ。


 ……デイヴに会いたくないから、前に調べたんだって言ってたけど。


 ジェムには、デイヴと顔を合わせたくないがために、彼のスケジュールを把握しようと試みた過去があるらしい。デイヴは記録保管庫の常連だから、鉢合わせないように気を付けなければならないのだとも。随分と嫌われているんだな、とリリーは苦笑いした。


 ……確かに、ちょっと荒っぽいところもあるみたいだけれど、そんなに悪い人には見えなかった。


 とはいえ、誰にでも反りが合わない人間がいるものだ。リリーにとっても、ひとり、どうしても理解し合えない人物がいるのだし。


 スミシー探偵社本社ビルのホール――またの名を、『ロイヤル・ホースシュー・カフェ』のロビー――に佇む、水汲みをする少女と鞍を装着した馬を模した噴水の縁に座り、リリーはデイヴの様子を探っていた。彼は、些か苛々した様子で、時折鬱憤を晴らすためにか、深く短い息を吐いている。


 自分の姿をデイヴに見られないか、はらはらしながら、リリーは目を閉じ、デイヴの周囲の匂いや音に集中した。だが、それらでデイヴの居場所や行動を推理するよりも早く、かつかつという、彼のオックスフォードシューズの踵が硬い床を叩く音が、ごんごんとリリーの耳をつんざいた。


 勿論、ホールを横切るのはデイヴだけでない。疎らに人がいる。つまり、靴と床がぶつかり合う音が人の数だけホールに響いていたわけなのだが、かといって、特別デイヴの足音が大きかったのではない。彼の歩き方ががさつだったからでもない。ただ、デイヴの音だけに集中していたリリーには、近距離にいる彼の足音が、まるでジェットエンジンのような轟音に聞こえたのである。


 どくん、とリリーは口から心臓が飛び出るのではないかと思った。もしかして彼がこっちに来るのではないか、と内心焦りもした。しかし、デイヴが向かったのは噴水の奥の記録保管庫ではなく、ホールの手前に入口のある『ロイヤル・ホースシュー・カフェ』のフロントであった。


『ロイヤル・ホースシュー・カフェ』の仰々しい、ウォルナットの材質のカウンターを構えた受付には、やや古めかしい態度の、ペンギンによく似た男が立っていた。デイヴはどん、と威圧的に――とはいえ、カフェの利用客に注目されない程度に――カウンターに腕をつき、ペンギン男に詰め寄った。


「会長に、お目通りを願いたい」


 静かに凄んだデイヴに対し、受付の男は冷ややかな目を向けた。


「恐れ入りますが、お約束は頂いてますか?」

「いいや、ない。だけど、これを見たら、事情が変わってくるだろう」


 デイヴは懐から1枚の紙を取り出し、それがなにか周囲には分からないように軽く丸めて、受付のペンギン男に手渡した。男が訝しげにそれを受け取り、ちらと隠された紙の内側を覗き込むと、彼の顔面は蒼白になった。


「こ、これは、」

「奥さんに知らされたくなかったら……、分かるな?」

「ぐ、……だが、」

「会長の所に案内してくれるだけでいい。そのあとのことは、なにが起ころうと、お前の責任じゃない。写真のネガもくれてやる。どうだ?」


 ペンギン男はぐっと唇を噛み締めた。それもそうだ、浮気の証拠写真のネガともなれば、喉から手が出るほど欲しいはず。

 少々お待ちください、と口早に言って、男は手元の台帳を忙しなくぱらぱらと捲り始めた。流れるような、いっそ文様のような文字の羅列を、指を添えながら注意深く読み込んでいる。それから流れるような手つきで内線電話に手をかけると、口許を片手で隠して、ぼそぼそと呟いた。やがて男は受話器を耳から離し、そのペンギンのようにふっくらとした顔を和らげて、言った。


「お待たせしました、ご案内致します」


 ……どうやら今朝は、会長にとっても都合の良い時間帯だったようだ。


 リリーはあまりに血の気のなくなった受付の男を遠目に見て、少し気の毒な気持ちになった。いや、確かに、浮気をした男が悪いのだけれども。


 カフェの利用客の寛ぐ時間を邪魔しないために置かれた衝立で隔たれて作られた細い道を、するするとペンギン男とデイヴが歩いて行く。他の一般的な客とは違う場所へ案内されているようだ。リリーはそろりそろりとカフェの入口に近付いて、中を覗き込みながら推察した。


 思っていたより狭い店内だ。壁には窓がなく、その代わりに鏡が貼られている。革張りの椅子と石膏の天井には、花や植物などのモチーフが施されており、鉄やガラスを利用した調度品らを置いているのを見るところ、"蹄鉄会"はこの建物を購入したときに内装をアール・ヌーヴォーに改装したらしい。


 デイヴと男が曲がり角を曲がると、その先には細長い廊下が伸びていて、やや大きめの個室が学校の教室のように片側に等間隔で並んでいた。個室のドアはどれも開け放されていて、どの部屋にも赤いベルベットのソファが大理石のテーブルを挟んで向かい合わせに設置されていた。また、それら全ての個室には、それぞれ壁に小さな油絵と額付きの鏡が規則的に何枚も掛けられていて、美術館のような、なんとも贅沢な空間が演出されている。


 廊下の突き当たりは、真っ直ぐに伸びる長い廊下を描いた壁だった。ペンギン男はその壁の前に立つと、「会長はこの先にいらっしゃいます」と言った。

 なにを馬鹿な、とデイヴは男を睨みつけた。


「……俺には、ただの絵に見えるが?」


 すると、ふたりが立っているすぐ真横の壁が(騙し絵の壁ではなく、普通の壁だ)、ちーん、という音とともに横滑りに開いた。

 それはエレベーターだった。ペンギン男は視線だけでデイヴに乗るよう促し、デイヴは警戒しながらも男に従った。


 デイヴの気配がどんどん遠のいていく。リリーは神経を研ぎ澄まして、デイヴの匂いを追った。だが、彼との距離が開けば開くほど、リリーは身体への負担を感じ始めた。どうにか踏ん張らないと、今にも意識が飛んでしまいそうだ。

 すとん、と床に座り込み、蹲って視界を遮り、聴覚だけに集中する。


 デイヴが向かう先――その先に、"蹄鉄会"の会長がいる。3代目エメリー・エボニー=スミス、ないし、4代目スワイリーの息子、マシュー・スティール――その声を耳にするチャンスなのだ。逃すわけにはいかない。


 ちん、とベルが鳴り、機械の扉が開く音がする。それから、かつかつと床を叩くオックスフォードシューズの音。


「――デイヴィッド・クラウディア・モーズリー、」


 重厚感のある声。ごくん、とリリーは息を呑んだ。


「こうして約束もなしに訪ねてくるなんて、非常識だとは思わないか? ミスター・グリーンから、君はとても優秀な探偵社員だと聞いていたんだがね。それとも、このような無礼を働く相応の理由があるのかい?」


 すう、とデイヴは息を吸った。


「……エジキエル・オーウェル保安官」


 しばしの沈黙。リリーの肩に力が入る。


「20年前の『カフェ従業員誘拐事件』を担当し解決に導いたという、この男は何者なんですか?」


 エジキエル・オーウェル保安官。エジキエルの愛称はジークだ、もしかして、ジーク・オーウェル保安官のことだろうか。あの人は、妖精闘争やスワイリーについて詳しいようだったし、会長のこともよく知ってそうだった。まさか彼も、あの誘拐事件の関係者だったとは。


 リリーは考える。


 ……どうしてミスター・モーズリーはオーウェル保安官のことを調べているの。誘拐事件を解決に導いた立役者の、何が彼を不審がらせたの。ミスター・モーズリーはなにを――


「君は、一体何を調べている?」


 リリーが抱いた疑問と同じ質問を、重厚感のある声が放った。それに、デイヴが質問で返した。


「会長が私たちにスワイリーの調査を許可しないのは、この男が原因ですか?」

「スワイリーだと? 誰に頼まれてそんなことを……いや、まさか――」


 ……そういえば、どうしてミスター・モーズリーはスワイリーのことを調べているのだろう。スワイリーの調査をスミシー探偵社の探偵はしてはいけないことになっていたはずなのに。ジェムのように、特殊な事情がなければ――待って。どうしてジェムは、ミスター・モーズリーが()()()()()()を調べていることに疑問を持たなかったの?


「――ぇ、ねぇ、ちょっと!」


 がし、と背中を壁に押し付けられるように肩を掴まれて、リリーは、はっ、と目を開けた。目の前には金髪碧眼の丸顔の少女が、その大きな目をきっと吊り上げて、リリーに詰め寄るようにしていた。


「なに無視してるのよ! 私の声が聞こえないって言うの?」


 リリーの顔が強ばった。


「……キャス、リーン」


 気が付かなかった。デイヴと会長の声にばかり集中していて、彼女の近付く気配を察知することができなかった。


 キャスリーンはリリーを掴む手に力を込めた。ぐぐぐ、と彼女の細い指が、リリーの肉薄な肩に食い込む。


「もう一度聞くわ。こんな所で()()がなにしてるの? また誰かを魅了しようとでもしてるわけ?」


 なんて間が悪いんだろう。こんな時にまで邪魔をされるなんて、と意外にも、恐怖より呆れが先に来た。彼女に絡まれる暇なんてない。高校を卒業した今では、関わることだってそうそうないのだから、わざわざ付き合ってやる筋合いもない。

 リリーは内側から、キャスリーンの手を払うように、腕を押し退けた。


「あなたには関係ありません」

「あるわ。だってここは、あなたが居ていいような場所じゃないもの」


 リリーは憤慨した。


「あなたになんの権限があって、そんなこと!」


 滅多に言い返さないリリーが声を荒らげたので驚いたのだろう、キャスリーンは一瞬、言葉を失った。だがすぐにもとの形相に戻って、リリーに負けじと大声を上げた。


「白状なさい! あなた、ミスター・モーズリーを尾けていたんでしょう!」

「――えっ」


 おほん、と咳払いする声が聞こえて、リリーもキャスリーンも我に返った。ここは、ホールだ。天井が高い。声が反響する。なんて恥ずかしいところを多くの人の前で見せてしまったのだろう。


 キャスリーンは顔をリンゴみたいに真っ赤にさせて、俯いていた。リリーは、ちら、とその表情を窺った。そして初めて、彼女の瞳の中から滲み出る感情の色を読み取ることができた。

 ピンク色だ。


「もしかして、キャスリーン」リリーはキャスリーンにしか聞こえないくらいの声で訊ねた。「好きなの? ミスター・モーズリーのこと」


 途端に、キャスリーンはくるりと踵を返した。リリーは慌てて彼女の手首を掴んだ。


 ……散々わたしに酷いことをしておいて、あなただけ逃げるなんて、そんな不公平なこと、絶対許さないんだから。


「キャスリーン、だったら尚更、あなたに聞きたいことがあります」

「っ、なによッ」

「ミスター・モーズリーのことです。彼について知っていること、なんでもいいから教えてほしいの」

「嫌よ、なんであなたなんかに!」

妖精(ひと)の命がかかってるんです!」


 キャスリーンが息を呑んだ。


「話を聞かせて。……お願い」


 キャスリーンは、初めて、リリーに対して首を縦に振った。

ヨガは確か、1960-70年代にはアメリカで第1ブームが来ているはずなので、成金のグリーン社長の娘なら、流行りに乗って、通っていてもおかしくないかなあ、と。ビートルズとかにきゃあきゃあ言うタイプですかね、キャスは。


とはいえ架空の世界ですし、あまりぎちぎちに時代考証はしていないのですけれど。

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