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2023/11/23、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
ハドソン夫人の提案により、ジェムとリリー、ヴィンス、ディガーの四人は、夫人を先頭に廃墟の地下鉄トンネルを二列になって歩いていた。
このトンネルは、タンブルウィードの駅に繋げるために開設されたものだった。だが、テスト走行以降はずっと使われず、時折遠くで電車が走る音が聞こえても、こちらに走ってくることはもうない。"蹄鉄会"のことだ、万が一シェルターに電車が脱線して来ないように、どこかで道を塞いでもいるのだろう。
なぜ地下鉄開通の計画が頓挫したのか、公には明らかにされていないが、噂によれば、とある団体が地下鉄をスラム街に繋げることにより犯罪が誘発されるのではないかと危惧して反対運動を起こしたのだとか。そしてどうやら、その団体というのが相当に右翼的な組織だったらしい。なんとこの世界には善意を笠に着た選民意識の高い人間が多いことだろう。
ハドソン夫人が向かった先には、封鎖された頑丈な鉄の扉があった。ハドソン夫人がノックにしては些かリズミカルにその扉を叩くと、しばらくして、中から、ぎぃーっ、と重量のあるものが擦れる音がした。見た目から想像していたほど、中は防音されてなさそうだ。
扉の向こうから現れたのは、アシンメトリーに分けた黒髪の膨らみのあるショートカットの、透き通った湖のような青い目が美しい、女性だった。歳は四十を過ぎた頃合だろうか。全体的に眉が細く、眉山は高く、彫りが深くて窪んだ目からは、隙のない印象を受けた。
ジェムの喉が、ひゅっと鳴った。近くにいて、その異変に気が付いたリリーとヴィンスは、目を丸くして、不思議そうに彼を見た。
「――ミセス・ハドソン」
低く落ち着いた声で、黒髪の女性は言った。それから、ハドソン夫人の後ろに並ぶ若者たちに気が付いたらしい。睨んでいるわけではないのだが、思わず背筋が凍りそうな視線をジェムたちに向けてきた。
「貴方は確か――、ミスター・カヴァナー、でしたか」
うわ、覚えられていたなんて。泣き言を吐きたくなるのを我慢して、ジェムはにこりと会釈した。
「ご無沙汰しております、監査部長」
げっ、と正直に失礼な反応を示すのは、ヴィンスだ。彼は慌てて口を塞ぎ、ちら、と上目遣いで黒髪の女性の顔を窺い見た。女性は唇で綺麗な弧を描いて、ヴィンスを見遣った。
「あぁ、君がミスター・アボットですか。丁度良かった、会長が君のお父上の仕事について、お話したいことがあると仰っていたんですよ。良ければ、取り次いでくれませんか」
「お――親父とは、疎遠ですから!」
動揺しすぎて、随分と砕けた言い方になってしまった。ヴィンスは恐ろしさに肩を竦めた。
ジェムはヴィンスに酷く同情した。あの梟のような目で見据えられたら、誰だって身が竦む。ヴィンスの反応は、仕方なかったと言えるだろう。
「まぁまぁ、ミス・バジョット。そんな怖い顔しないで。この子たちは、いい子たちなんですから」
思わず気が抜けそうな高い声で、ハドソン夫人は黒髪の女性を宥めた。しかし、ミス・バジョットと呼ばれた黒髪のその女性は、ハドソン夫人に対して、その澄ました顔を初めて歪ませた。
「一体、なんだって彼等を連れて来たんですか。"彼"がここにいることは誰にも知られてはいけないと、申し上げたはずです」
「だって、ジェムが珍しくやる気なんですよ。そんなとき、手を貸してやりたくなるというのが、親心というものでしょう?」
そこで自分の名前を使って欲しくなかった。案の定、バジョットは、刺々しい顔をジェムに寄越してきた。ジェムは理由もなく、ありもしない罪を認めて、謝罪を口にしたくなった。
はぁ、とバジョットは、溜め息を吐いた。
「……ミセス・ハドソン、貴方、本当になにも知らないんですよね?」
「アナタたちのお仕事のこと? もちろん、知ってるわよ」
ハドソン夫人は得意気に顎を突き出した。
「恵まれない人たちに、手を差し伸べる努力をしてくれているのでしょう?」
バジョットの顔が引き攣った。どうやら、彼女にとってハドソン夫人は天敵らしかった。
……いるよな、こういう、人を疑うことを知らない、善意の塊みたいな人。聞こえはいいけど融通が利かなくて、できればこの人相手に口論はしたくない、っていう。
ジェムとヴィンスは、バジョットを憐れに思った。その一方でリリーは――、タイプの違うふたりの女性を、羨望の眼差しで見上げていた。
「……仕方ありません。いいでしょう、貴方たちの事情は、会長から聞いています。ついて来なさい。」
バジョットは渋々といった具合に、四人を手招きした。しかし、最後尾を務めていたディガーは、二の足を踏んだ。
「俺は行かない」
ディガーの主張に、ヴィンスが飽き飽きとした様子で、ぐるりと目を回した。
「なんだよ、なにか文句でもあるのか」
ぐるる、とディガーの喉の奥から唸り声が響く。ここまでくると、目つきの悪い大人の姿をした、聞き分けのないただの子どものようだ。
「俺は死の先触れだ。その先にいる、弱っているヤツに、会うわけにいかない」
まぁ、と拍子抜けする声を漏らしたのは、やはりハドソン夫人である。彼女は少々戸惑った様子でディガーを見つめている。無理もない。彼女は、この長身の男が、妖精、あるいはクー・シーだということを知らないのだから。
ディガーの発言に、眉ひとつ動かなかったバジョットは、これ幸いと、とある提案をした。ハドソン夫人にディガー押し付けることにしたのだ。
「では、ミセス・ハドソン。彼に寛げる場所を用意してあげてください。本人が嫌だと言うことを、無理にさせる必要はありませんから」
そんな言い方をされれば、善意の塊であるハドソン夫人が断るはずがなかった。ハドソン夫人はバジョットの提案を快く受け入れ、バジョットは結果的にハドソン夫人を追いやることに成功したのだ。
さて、バジョットの許可を得て入った扉の先は、トンネルの傍らに存在するとはとても想像できない、アパートメントの一室のような場所だった。立地は悪いが、住居としては、キャンピングカーよりもずっと快適そうな部屋だ――タンブルウィードの一部の住人たちに、少々の申し訳なさを感じてしまうぐらいには。
「副社長、客人を連れて参りました」
ジェムは、はっとした。バジョットが副社長と呼ぶ人物は、ひとりしかいない。
「……デブラ。いい加減、客人の前でだけでも、常務と呼んでくれないか? 副社長なんて肩書、私には荷が重過ぎる」
「副社長こそ、そろそろ腹を決めて、正式に認めては如何でしょう? 謙遜も度が過ぎれば傲慢となって、身を滅ぼしますよ」
やれやれと溜め息混じりに首を振った人物は、スミシー探偵社の人間ならば誰でも知っている顔の男だった。面長な顔にスコッチ髭を生やし、小さな子どものような体格のその男は、スミシー探偵社常務取締役、アーヴィン・パウエルだ。
パウエルは、柔らかそうな生成色の、頭が少し持ち上がったベッドに横たわっていた。やつれて、筋肉が落ちて不健康に痩せたその姿は、病人そのものだった。
パウエルは、ジェムたちを見るなり、目尻の皺を深くした。
「久しぶりだね、ジェームズ。元気そうでなによりだ」
この人は、会社の人間の顔と名前をすべて覚えているのだろうか。遠目からパウエルの姿を見たことがあるだけであまり接点はないはずなのに、とジェムは、親しげにかけられたことに苦笑いを浮かべた。ええと、と思わず口籠もってしまう。
「あぁ、すまない。私の方はアランを通して君の話を聞いていたから、勝手に親しい仲の気でいたみたいだ。私は、スミシー探偵社常務取締役のアーヴィン・パウエルだ――知っていると思うが。こうして面と向かって君と話すのは、初めてだね?」
こくん、とジェムは頷いた。パウエルは視線をジェムの隣へ動かした。
「そして、君が、この町のゴッドファーザーの息子、というわけか」
ジェムの隣でヴィンスが、うぐぐ、と苦虫を噛み潰したような表情で呻いた。
「そして、君は――」
リリーに目を向けたパウエルは、その目を驚愕で見開いた。もしかして、とかろうじて聞こえるくらいの掠れた声で呟いたのち、パウエルはごくんと唾を飲んだ。
「……フェリシアの娘、かい?」
今度はリリーが驚く番だった。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、自分の耳を疑った。
「お母様をご存知なのですか?」
「勿論さ。彼女は、うちの社員だったからね――探偵ではなく、カフェの方のだが。君は、お母さんによく似ている」
リリーは眉根を微かに寄せた。母に似ていると言われたことが不満だったのではない。母について、やはり自分はなにも知らないのだと、再認識したからだ。
……ということは、あの誘拐事件の被害者リストの名前は、やっぱり、お母様だったのね。
ここまで来ると、オルトンが"蹄鉄会"の会員であったことも、誰かの意思が介在していたのではないかと勘繰ってしまう。リリーは、自分が今、何者かの掌の上で転がされているように感じていた。
「なにがあったんです?」
ちら、とバジョットの顔色を窺いながら、ジェムはパウエルに訊ねた。
「先の業務で少々しくじってしまってね……。治療のためにも、組織のためにも、隠れ家が必要だったのだ」
ジェムは、治療、という言葉に隠された情報が気になった。会長の、もうひとつの顔を知った今では、パウエルが治療を必要とする原因に心当たりがあったのだ。
「もしかして、妖精闘争と関係が?」
ジェムは、言葉を濁した本人ではなく、どうやら事情を知っていそうな彼の部下から話を聞くことにした。自分のような末端社員に詰問されるような状況なんて、パウエルじゃなくとも誰だって気分の良いものじゃないだろう、という彼なりの配慮でもあった。
デブラ・バジョットは、片方の眉をくいっと持ち上げ、腕を組んで、高圧そうな態度で応えた。
「お察しの通りです。副社長は、妖精信仰の過激派組織に対して、度々、諜報活動を行っておりました。そのために、信徒として、彼等と行動を共にすることもありました」
「そこで、なにかトラブルがあったのですね?」
「えぇ。信仰心を疑われ、再教育を受けさせられる羽目に」
なるほど、とヴィンスが苦々しく呟いた。
「再教育という名の拷問を受けたわけか。地下組織によくある類の話だな」
「スパイや異端者を炙りだすには、それが手っ取り早いのだろう。実際、本当に彼等の教えを信じている者は、どんな拷問にも耐えられるといった具合で、目が爛々としていたよ。そうでない私は、精神が壊れないよう努めるので精一杯だった」
パウエルは自嘲の笑みを浮かべながら、そう言った。
「それで、ジェムを巻き込んだのか? 顔が割れて、あんたが諜報活動に戻ることが厳しくなったから?」
ヴィンスが語気を強めて言った。すると、パウエルは、ヴィンスやジェムから目を逸らし、ばつが悪そうに手をもぞもぞと動かした。
「……否定はせんよ」
含みのある言い方だ、とジェムは思う。ヴィンスはジェムの代わりに憤慨している様子であったが、ジェム自身は巻き込まれたとは感じていなかった。なんというか、ずっと目を背けていたものを目の前に突き付けられた、自分自身と向き合う術を差し出された――、そんな感じだ。
「他に、常務がここにいることを知っている人間は?」とジェム。
「会長、それから、我らの友人が」とバジョット。
「つまり、スワイリーですか」
バジョットの主張の強い細眉が、ぴくっ、と動く。
「無闇にその名前を口にするのは感心致しませんね」
否定はしないらしい。
「それじゃあ、あなたたちの言う"過激派組織"は、今頃血眼になって常務を探し回っているんでしょうね?」
ジェムの問いかけに、パウエルたちは無言で肯定した。
……だったら、やはり、あいつが怪しい。
ジェムは、"スパイ容疑者"に対して複雑な想いを抱えながら、本格的に裏付け調査を始めることにした。
スパイの疑いをかけるだけなら簡単だ。だが、ジェムたちがこれからしようとしていることは、復讐――いや、制裁である。言い逃れもできないくらい、確実に仕留められる証拠がなければ。
「常務、お話したいことがあります」
パウエルは、にっこりと口角を上げたが、その目はぎらぎらと光って、少しも穏やかではなかった。それなりに鋭い目を向けられてきた経験を持つジェムだが、さすが探偵社のナンバー2ともなると、毛色が違う。獣に喩えられるような目ではない……、獣など可愛い方だと思えてしまうほど恐ろしい、真っ黒で澱みのないオニキスのような、否、他でもない人間の目だ。
ジェムは、思わず尻込みしたくなるのを必死に堪えて、くっと顎を引いた。
「探偵社にスパイがいると思われます」
「思われる?」
「……確実に、いるかと」
ぴりっと、した空気が流れて、リリーとヴィンスも反射的に姿勢を正した。
「それで?」
「……コリン・リグリーが、最も怪しいと……考えます」
パウエルの表情から笑みが消えた。
「詳しく聞かせてくれないか」




