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2023/08/06、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
むかし、アラン・グレアムに魔法の実在を示唆したのは、ジェムの母、スーザン・カヴァナーだった。彼がスーザンに出会ったのは、今から12年前のことである。蜂蜜色の髪を靡かせ、真夏の空と同じ瞳を持つ彼女は、アランがこれまで目にしたことのあるもののなによりも美しく、可憐で儚げで、花のような女性だった。
たった一晩にだけ咲き、翌朝には紅に染まって枯れてしまう……、そんな月見草のような人だった。
あれは、いつだっただろう。夕暮れ時のことだった。いや、夕暮れなんて言い方は正しくないのかもしれない。はっきり覚えているのは、太陽なんてとっくに沈んだあとだったということだ。まだ辺りが真っ暗にならない、現実なのに現実離れしたような気分にさせるその時間に、彼女は言ったのだ。
「ねぇ、アンヘル。あなた、魔法って、信じる?」
突然のことで、アランは驚いたのを覚えている。まだ、アンヘルという名前が、自分にとって面映ゆかったときで、なのに彼女は好んでその名前で自分を呼ぶから、アランはついついつっけんどんになった。
「突然なんだよ、夕日に感化でもされたのか?」
だが、スーはそれがアランの照れ隠しであることが分かっていたようで、そのまま気を悪くすることも無く会話を続けた。
「もし魔法があったら、あなたはなにに使う?」
はあ、とアランは溜め息を吐いた。なにか熟考する前の、彼の癖である。
「そうだなあ。その魔法ってのが、どういう類のものかにもよるが、取り敢えず、俺が生きやすいように使うかなあ」
なるべく身体を動かさずに生活することが、アランの理想である。スーは困ったように微笑み、そして目を伏せた。
「……そのためなら、他人の頭の中も支配したいと思う?」
深刻そうなスーに対して、アランはまるで笑い話でもしているかのように、にやついた。
「それは嫌だなあ。俺の楽しみがなくなっちまう」
他人の頭ン中なんて分からないから、あれやこれやと画策するのが楽しいのに。アランは心底愉快そうに呟いた。なにやらよからぬ事を考えていそうな、名前にそぐわぬ悪魔のようなアランの微笑みに、スーはほっとした様子で、ふふっ、と笑った。
「好きよ、あなたのそういうとこ。私の悩みなんて、全部ちっぽけに思えちゃう」
「誰彼構わずそんな台詞を吐くものじゃありませんよ、マダム。悪い男に付け込まれちまいますぜ」
想いを寄せる相手からの好い言葉に慣れないアランは、ついついふざけた口調になってしまう。そんな彼の心中を知ってか知らずか、スーはいつも本気なのか冗談なのか分からない返答をしてくる。
「もう手遅れだもの」
――と、こんな風に。
「おいおい、そいつは聞き捨てならねえな。どこのどいつだよ?」
スーの告げたことに焦ったアランは、思わず語気を強めてしまう。それでも、スーはにこにこと表情を崩さない。ここまで彼を手のひらの上で転がせられるのは彼女だけに違いない。
「そうね、背が高くて、長髪で、髭を生やしていて、女たらしで、表では飄々としているけど本当は寂しがり屋で一途な、天使を意味する名前の人」
「……それ、俺か?」
「それから――あの子の父親も」
グレアムがこのときの会話をよく覚えているのは、これが初めてのことだったからだ――スーがジェムの父親について語ったのが。
アランは嫉妬していた。何度、ジェムが本当に自分の息子だったらと願ったか。だが、そうではない現実に存在するジェムが愛おしく、仮に願いが叶ったとして、彼が彼でなくなってしまうのは嫌だった。だから、ジェムの父親という存在はアランにとって憎らしく、同時に、憧れの存在だった。
――だが、スーがあのシェルターに逃げ込むことになった経緯を俺は知らない。もし、ジェムの父親がその原因なのだとしたら……。俺はどう受け止めればいい? 憎くたらしくても存在を否定できない、この男を。
「あの人は、他人を支配したがってた。だから、逃げるしかなかったの。ジェムを守るには、それしかなかったから」
「……なんの話だ」
そんな話を聞かされても、アランはすぐには受け入れられなかった。受け入れ難かった。だって彼は――その男はジェムの父親なのだ。
「あの人は、あなたみたいな人だった。違うのは、自分が自分の思うがままに生きるには、他人の行動を全て自分が統制できなければ叶わないと考えていたこと。他人の勝手な干渉こそが、自己の自由を奪うと考えていたの」
……似ている。確かに俺と似ている。だけど、俺はその干渉を厭いながらも楽しんでいる。その違いが齎したのは、一体なんだ? 彼女は、何を伝えようとしている?
「……私も、昔は、そうだと思ってた。相手の考えていることが分かれば、他人に振り回されることがなければ、生きるのがどんなに楽だろうって。そうしたら、思う存分自分の好きなように自分の人生を生きられるから。でもね、今なら分かるの。それは、自分の頭の中だけは他人に見えないことが前提だってことが。他人に支配されるのは嫌なくせに、自分が他人を支配するのは赦している身勝手な考え方だってことが。望んでいるのは、選ばれた人間だけが好き勝手に生きられる、独善的な力だってことが。それにやっと気が付いて、そんなのは本当の自由じゃないと思った。私の欲しかったものじゃ――ジェムにあげたかったものじゃ、ないって。だから、私は逃げるしかなくて、」
「スー、君は一体、なんの話を」
「アンヘル」
スーは、突然話を切り上げるように、暗がりのなかで微笑んだ。
「魔法って、そういうものよ」
結局のところ、ジェムの父親についてスーが話したのは、これが最初で最後だった。スーが亡くなってから、グレアムはずっと、その男の幻想を追い続けている。自分がジェムの本当の父親になるためには、その男を見つけられなければならないような、そんな気がして。
……”魔法”は、何かの暗喩だと思っていた。人を操作する話術、方法、洗脳の類を言っているんだろうと。だが、そうじゃなかったとしたら? もっと簡単に、他人の頭の中を弄くり回す方法があるのだとしたら?
「ボス?」
社員の呼びかけによって、グレアムは過去の思い出から現実に戻った。
三人の社員は、長いこと黙り込んでいたグレアムを、少々怖がっているようだった。それもそのはず、終業時間なんてとうに過ぎていて、それでも三人を解放する兆しも見せない上司に、幾らでも嫌な想像ができるというものだ。グレアムは悪いことをしたな、と苦笑して、ソファから腰を上げ、所長室の扉を開けた。
「いや、悪い。つい、お前たちのことも忘れて考え事をしちまってたよ。俺も歳だな」
社員たちは、そう言うグレアムに戸惑いの表情を浮かべながらもほっとした様子で、口々に仕事終わりの労いの言葉を述べながら、所長室を出て行った。
部下たち全員の帰りを見送ったあと、グレアムはひとり、所長室のソファに身体を横たえ、ただひたすらに"魔法"について考えた。
自分だけは誰にも支配されず他人を操作できる力、”魔法”とはそういうものだと、スーは必死にグレアムに伝えようとしていた。彼女にとっての"支配"とは、どんな力を意味したのだろう。他人の行動を制限して従わせる力か、他人の考えを読み取り情報で心を惑わす力か、他人の意識を奪って操る力か。いや、そもそも、それらどんな力が存在していようとも、力を持っているだけでは、他の人間より優位に立てられるわけじゃない。すべては使い方次第だ。だが、ジェムの父親である"その男"はその力で社会的に優位になろうとした――そう、考えるべきか?
そしてスーは幼いジェムを連れて、"ホーム"と呼ばれる、あのセーフハウスに身を隠したのだ、と。
……つまり、どういうことだ? "その男"は”魔法”を使えなかったが、その力を欲していた? 自分のものだけにはせず、スーとともに、その力を手に入れようとしていた……?
なぜスーは逃げた? 何が彼女の考えを変えさせた? 子どもができたことと関係があるのか? あいつに理由があるのか?
「……腹減ったな」
途端にグレアムは空腹を覚えて、ちら、とコーナーラックに目を遣った。そこには、スーが好きだった思い出のクッキーサンドの箱が仕舞われている。ジェムと顔を合わせると、まるでなにかの儀式みたいに、グレアムはこれを食べてしまう。どういうわけか、無性に食べたくなるのだ――彼女を思い出すと。
おもむろにグレアムは立ち上がり、コーナーラックへ真っ直ぐ向かって、クッキーサンドを取り出した。さく、と齧って、改めて部屋を見渡すと、なぜだか視界が開けたような気がした。彼女と一緒にいたときに、いつも味わっていた感覚だ。
――私の欲しかったものじゃ――ジェムにあげたかったものじゃ、ないって。
まるで、そんな力が既にこの世に存在しているかのような言い方だった。もし、そうだとしたら、本当にあの三人の社員たちは、存在しない記憶を頭の中に植え付けられたのかもしれない。"魔法"とやらを使って。
* * *
見事なウォルナット材の机の上で、黒光りする古い置き電話が、けたたましい音を立てた。"蹄鉄会"会長、3代目エメリー・エボニー=スミスは、手許の書類から顔を上げ、受話器を手に取った。
すっかり白髪と化したブルネットの髪を整髪剤で綺麗に整え、ささやかに下を向いた鷲鼻の下を頬から口周りにかけてをすっぽりと白髭で覆っている彼は、独特な渋みのあるいぶし銀のような男であった。その顔を知る会員社員は、今では全体の何パーセントになるだろうか。訳あって出せないその顔を見たとき、会員社員の何人が拒否反応を示すだろう。彼は、そういう時代に、”スミス”になった男であった。
「……どうした?」
スミスの問いかけに、受話器の向こうから、涼しげな低い声が応える。スミスは、通話相手からの報告に、ほっと安堵の表情を浮かべた。
「……そうか。経緯はどうあれ、会ってくれて良かった。彼はなんて?」
返ってきた涼しげな声には、少しだけ棘が含まれている。スミスは嗜めるように自身の声色を柔和にした。
「……それは、仕方ないさ。大事なことなんだ、決めるのは今すぐじゃなくたって良い」
しかし、次に受けた報告には、温厚なスミスも眉根を寄せた。
「……なに? それは、事実なのか?」
今度は電話の相手が、スミスを宥めるように軽い口調で自論を展開させた。スミスは、ふぅー、と深い溜め息を吐いて、革張りの立派な椅子に背中を凭れた。右手で片側の顬を揉んで、とても疲れた様子である。
「……分かった。君が言うなら、彼を信じて任せるとしよう。まったく、あの子の好奇心には困ったものだな」
部屋の壁にはふたりの老紳士の肖像画が飾ってある。スミスは受話器を片手に、その肖像画たちを眺めた。かつての恩師と、すべての始まりとなった名探偵の話をふと思い出し、ふたりの物語に、自分と長年の友との青年時代の日々を重ねた。
「……アーヴィンの具合はどうだい?」
受話器の向こうで、しばしの沈黙があった。真剣さに後悔が滲む声で、ぽつりぽつりと報告を受ける。
「……いや、誰にも場所を知られていないなら大丈夫だろう。そのまま監視を続けてくれ。……君が気に病むことはない。彼は彼の仕事をしただけなんだから」
スミスは、電話の向こうの見えない相手に向かって微笑んだ。そして、相手を労るように受話器を叩いた。電話の向こうから、少し照れくさそうな声で、五月蝿いと叱られる。
いつもすまんね、ありがとう、と別れの挨拶を告げて、受話器を置いた。
一息吐いてから、スミスは再び書類に目を落とした。この仕事ができるのも、あと数週間のことかもしれない。いや、もしかしたら数日かも。スミスは少々もの寂しい気持ちになりながら、ペンを走らせた。




