13(1/2).カイゼル髭の男 - The Man with the Kaiser Mustache
2023/08/06、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
キェーフト病院の待合室で、リリーはぼう、と天井の照明を眺めていた。ぐるぐると、アシュビー家で起こったことを思い返す。初めて救急車に乗ったこととか、趣のある病院の外観とか、いつもは癖のように観察してしまう内装のことなんかは、まったく記憶に残らなかった。思い出そうとしても、頭に霧がかかったかのように、ぼんやりとした映像しか浮かばない。エルヴェシア最古の歴史ある病院だというのに、勿体ないことである。そもそも、なにも視界に入ってなかったのではないかとすら思える。不思議なことが起こり過ぎて、リリーにとっていつもは気になることが、今はどうでもよくなっていたのだ。
魔法とか、妖精とか、そんな単純な言葉であのとき起きた出来事を全て説明される気分は、はっきり言って最悪だ。魔法や妖精が確実な証拠もなしに存在することを主張されたって、どうしたって受け入れにくい。
なるほど、人間は自分の理解を超えるものに出会すと、どうしようもできない拒否反応を起こすものらしい。かつて行われたとされる魔女狩りだって、こういう心理を上手く突いたものだったのかもしれない。
それに、とリリーは思う。
自分の持っているこの能力が、もしかすると、彼女たちの言う”魔法”なのかもしれないと思うと、なぜだか無性にその存在を否定したくなる。わたしは特別でも、異常でもない、ただの人間、エルヴェシアで暮らしている普通の女の子よ。わたしはただ、お母様と同じ緑色の目を持っていて、人より少し鼻が利くだけ。妖精じゃない――わたしは妖精じゃない。
どさ、とリリーの隣に誰かが腰を下ろした気配がした。彼は腰を屈めて、自身の膝に肘を着き、悲愴感の漂う深い溜め息を吐いた。
「……気分はどう?」
リリーは訊ねた。
「……最悪」
ジェムはぼそ、と素っ気なく答えた。
そりゃそうだろうな、とリリーは眉尻を下げた。わたしだって、ここに来るまで、生きた心地がしなかったもの。リリーはジェムに同情した。
だが同時に、ジェムの姿を見て心の余裕を取り戻したリリーは、くす、と笑った。
「でも良かった。ただの胃潰瘍で」
「言うなよ、恥ずかしいから」
ジェムが呻くような声で言った。リリーは、ふふふ、と益々笑う。
「気を付けようね、悪化させると胃に穴が開くんだって」
「……うん」
ジェムがとっても素直だ。リリーは、ちょっと可哀想だな、と思いながらも、もう少し意地悪をしたくなって、うずうずした。
……いやいや、流石にそれはよそう。身体を痛めて、こんなに落ち込んでるんだから。
だけど、顔がつい、にやけてしまうのはどうしようもない。リリーは、一所懸命、笑うのを堪えた。
結局のところ、ミアが言っていたことは正しかった。身体にストレスを与えただけ、死にやしない。医者によると、病院に着いた頃には既に出血が止まっていたらしい。胃カメラでの治療は行わず、ジェムは胃薬の内服で経過を見ることとなった。
「……その、さっきのこと、だけど、細胞レベルで人の情報を書き換えられる、ってことは、人を病気にすることもできるってことなのかな? つまり、ジェムの胃潰瘍も……」
リリーは数刻前の出来事を思い返しながら、やや遠慮がちにジェムに問いかけた。ジェムは、項を摩りながら、さあね、と応えた。
「でも、もし、そんなことができるとしたら、それは”魔法”じゃなくて”呪い”だよ。一緒にしたら、魔法に失礼だ」
「……失礼、って……」
変わったことを言う人だ、とリリーは思う。そういえばジェムは、以前にも魔法を見たことがあるのではないかと、ミアに疑われていた。本当にそうなのだとしたら、その魔法は一体どんなもので、彼女たちのものとはなにが違うのだろう。
「おう、あんたらか。ミス・アシュビーが言ってた奴らたァ」
病院には相応しくない快活な声が響き渡った。また、なにやら面倒な男がやってきたみたいだな、とジェムは顔を顰めた。
カイゼル髭を持つ壮年ぐらいのその男は、黒いキャトルマンハットを被り、胸に星型のバッジを付けていた。ジェムとリリーの前に立つと、さっと帽子を脱ぎ、狐色の癖毛の髪を顕にした。
「聞いたぜ。大変だったらしいな」
男は喋りながらしゃがみ込み、ふたりの顔を覗き込んだ。まるで幼い子どもに話しかけるような姿勢である。
「保安官がなんの用ですか」
ジェムが疲れた様子を微塵も隠さず、訊ねた。保安官は目尻の皺を深め、カイゼル髭をにやっ、と持ち上げた。
「そう警戒するな。オレは保安官である前にこういう者だ」
そう言って、男は腕を持ち上げて、シャツの袖を見せつけた。――装蹄鎚と削蹄剪鉗を模した、カフリンクスだ。
「"蹄鉄会"……」
ジェムはげんなりした。
「それに、スミス派だ。安心したか?」
いいや、ちっとも。ジェムは既のところで言葉を飲み込んだ。
「どうして、こちらに?」
リリーが訊ねた。
「ミス・アシュビーに呼ばれてな。お前たち、妖精を巡る争いに巻き込まれたんだって?」
保安官は、にやにやとふたりの出方を窺っている。ジェムとリリーは顔を見合せた。
分からないことは、たくさんある。会長の真意。スワイリーの正体。ロケットペンダントの意味。20年前の誘拐事件の真相。妖精のこと、魔法のこと。そして、スワイリーと妖精の関系……。
「なにか、ご存知なんですか?」
ジェムの言葉に保安官は満足そうに、ふん、と鼻を鳴らし、キャトルマンハットを被り直した。その様子を見て、ふたりは、どうやら想像を遥かに超えた大事に首を突っ込んでしまったらしいことを悟った。開けてしまったのは、ロケットペンダントじゃなくて、パンドラの匣だったのかもしれない――なんて、使い古された言い回しが、リリーの頭を過ぎった。
「オレの名前はジーク・オーウェルだ。シェリフ・ジークとでも呼んでくれ」
……オーウェル?
ジェムは、その名前をどこかで聞いたような気がした。――あぁ、そうだ。case.12だ。
* * *
赤髪の美女は、夕暮れ時の港で、潮風を浴びていた。遠い昔に海の底へ沈んだとされる、伝説の大陸に思いを馳せる。悪霊の名前を付けられた大陸、地下世界となり、妖精たちの棲家とされた場所。
「……ほんと、スミスって連中は、揃いも揃って厄介だわ。どいつもこいつも、なかなか尻尾を出さないんだから」
赤髪の美女――ミアは言った。
ミアの隣など、畏れ多くてとても立てない男たちが顔を見合わせる。
「アデプトたちの目論見は外れたってことじゃないか?」とハーヴェイ。
「じゃあ、オレたち、国に帰れるの?!」とディエゴ。
ミアは、はん、と鼻で笑った。
「馬鹿ね、そんなわけないでしょ。あたしたちの最終目標は、スワイリーよ。あいつを表舞台に引き摺り出して、徹底的に虐めて再起不能にしてやることが、あたしたちに求められてる成果。そうでもしなきゃ、支援者の成金たちに示しがつかないんでしょーよ」
その成金のおかげでこの身体があるとはいえ、彼等はまるで悪鬼のような連中だ。ミアは、ぶくっ、と不機嫌そうに頬を膨らませた。
港は活気で溢れている。観光客や恋人たちの往来は絶えず、3人の会話を気にするような輩もいない。海は陽の光を反射して、きらきらと輝いている。
「あたし、港って嫌いだわ」
一番気持ちよさそうに潮風を浴びているミアが言った。言葉とは裏腹に、彼女の表情は晴れている。
「浜辺がないんだもの」
ミアの価値観を、ふたりの男たちは理解できず、首を捻るしかなかった。
* * *
ジェムとリリーがジーク保安官によって連れられた先は、エルモア歴史博物館だった。ここは、この国、エルヴェシアの歴史を主に扱った博物館で、エルヴス島がアルビオン王国の植民地とされていた時代から、独立戦争を起こしてエルヴェシアを建国するまで、その後、内紛にまで発展した国内での公民権運動や移民問題を経て現在に至るまでの資料を多く貯蔵している。
ただひとつ、この博物館の奇妙な点は、およそ都市伝説とされている、幾度もの土地変動により海底に沈んだと言われているレムリア大陸があたかも実在したかのように、いくつもの展示品があることである。
いや、奇妙であると称すのは、エルヴェシア国民の基準で物事を説明していないからだ。エルヴェシア共和国で生まれた人間ならば、誰しもがレムリア大陸は実在したと本気で信じている(一部の捻くれ者たちを除いて)。このエルヴェシアが、かつてレムリア大陸があったとされている海上に存在しているから、というのも、彼らがレムリア大陸説を支持する理由のひとつである。
――否、エルヴェシアに限ったことではない。大西洋の北の方に位置するアルビオン王国でさえも、レムリア大陸の存在を信じている。アルビオンは、妖精信仰の最大教派である、”妖精の階段”を国教とする国で、彼等はレムリアを、妖精たちが棲む地下世界だと考えている。
そんなアルビオン王国とエルヴェシア共和国の関係性を知っていれば、エルヴェシアの国民がなぜレムリア大陸の存在を信じているか、自ずと答えは見えてくる。
「オレたちの国では歴史を語るとき、妖精ってのが必ず教科書に出てきやがる。それについては、お前たちにも覚えがあるだろう?」
突然、歴史の授業が始まったようだ。ジーク保安官の問いかけに、「ええ、まあ」とジェムは曖昧に答えた。
「学校では、なんて?」
ジーク保安官の問いかけに、ふたりは戸惑うように視線を交わしたが、これといって従わない理由もなかったので、ジェムに促されてリリーは素直に答えた。
「……ええと、あくまで伝説という位置付けではありますが――妖精たちは、この島がまだ大陸だったときに、ここに棲んでいた、と。そして、大陸が沈んだときに、一緒に地下世界へ消えてしまったと、聞いています」
リリーの答えに保安官は頷き、そして、ジェムにも喋るのを促すような視線を寄越した。ジェムは渋々口を開いた。
「――その妖精を探しに、アルビオン王国から探検家がやってきて、次いで、島の開拓が始まった」
「エルヴェシアの国民なら誰もが知ってる話だ」
そうだろ、とジーク保安官は片眉を上げた。
「だが、妖精という存在をどう捉えるかは、人それぞれだ――アルビオンの奴らとは違ってな」
ジーク保安官がふたりを案内した先は、レムリア大陸の展示室を通り抜けた先の、従業員以外は立入禁止の区域だった。保安官は、その扉の前で仁王立ちになり、ジェムとリリーの顔を交互に見遣った。
「ここから先は、公には存在しない歴史だ。これ以上、妖精に関わるつもりがないなら、ここで手を引け――会長は理解してくれるだろう」
ジェムの眉間がぴくり、と動いた。これは、自分に向けられた言葉だ。この男は、会長の依頼を知っているのだ。
保安官の言葉で、リリーもジェムと会長の間になにかあることを悟ったらしい。ちら、とジェムを窺うような視線を送ってきた。
自分だけだったら、ここで引き下がってた、とジェムは思う。これ以上踏み込んだら、知りたくなかったことまで知ってしまうだろうから。だけどこれは、自分のことだけじゃないから――ぼくは、彼女が妖精であることを知っているから、もう引き返すことはできない。
「……求められている限りは、全力を尽くしますよ」
ジェムの答えに、ジーク保安官はふん、と鼻を鳴らした。及第点を貰えたようだ。
「お嬢さんは?」
予想外の問いかけに、リリーは「え?」と聞き返した。すると、ジーク保安官はやや顰めた顔で言った。
「この先の真実を知れば、お嬢さんの心が傷付くかもしれない。それでも、真実を知りたいと思うか?」
強い眼差しで、リリーは頷く。
「――覚悟はできております」
がちゃ、と、保安官は、後ろ手で扉を開けた。扉の先は、先程の大仰な台詞にしてはなんの変哲もなさ過ぎる倉庫だった。
博物館の倉庫と聞いて、思い浮かべるような動物の剥製はない。そもそも、自然史博物館ではないのだから、剥製の類いはエルモア歴史博物館にそれほど展示されていないのだ。あるのは、ほとんどが書類と、粉末や繊維質なものを容れたガラス瓶であった。
「ここに保管されているのは、人間の醜い欲望が生んだ、犯罪の証拠だ。美術品や工芸品なんかは、奥の方に保管してある。あんまり人目に晒したくないもんでな」
そう言うと、保安官は瓶をひとつ手に取って、ジェムに手渡した。瓶には、仄かに光を反射する灰色の粉末が収められており、『腕』と書かれたラベルが貼ってある。
「なんですか、これ」
「それに書いてある通りだ。元は妖精の身体の一部だったらしい」
うっ、と声にならない悲鳴が、ふたりの喉の奥から漏れ出た。
「人魚の肉を食べると不老長寿になるって伝説が、どっかの国にあるのは知ってるか? それと同じさ。妖精の一部を体内に取り込むと、我ら人間は彼らの摩訶不思議な力を授かれるらしい。その迷信のせいで狂信者の奴らに捕まって手足をもがれた人間が、果たして本当に妖精だったのかは、今となっちゃ判別のしようがない――胸糞悪い話だろ? だが、"妖精の階段"が国家宗教であるアルビオンでは未だに、この狂った話を信じている輩がいる。しかも、奴らの思想は、遠い昔にアルビオンの属国だったこの国にも流れ込んで来ている――まったく、時代遅れだよな」
手渡した瓶を受け取って元の場所へ戻し、こっちだ、と次にジーク保安官が見せてくれたものは、トリスケル模様をふんだんに使った絢爛豪華な刺繍の絨毯と、眉目麗しい女神の姿を描いた美麗荘厳な彩色の絵画だった。ふたつの前には花束が置かれ、その様相はまるで慰霊のようであった。
「こっちの絨毯は、妖精たちの毛髪で織られたもので、そっちの絵画は、妖精たちの羽を顔料にした絵の具で描かれたものらしい。絵画の方は、かなり古い年代に描かれたものだが、絨毯の方はそうでもない」
この倉庫にあるものは、そんな曰く付きのものばかりなのだった。
ちなみに、吐血って、すごいキツい臭いらしいですよ(知り合いの看護師談)。鉄臭さがやばい、らしいです。吐瀉物より酷い臭いだとか。鮮血だと、もっと悪いんですって。
リリーの鼻は大丈夫だったんでしょうか……、いやいや、それどころじゃなかったか。それとも本当に吐血だったんでしょうかね! 胃潰瘍ってのも怪しい(意味深)。




