11(1/2).男たちは語る - The Men Tell a Story
2023/04/30、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
クリスティ・スクエアは吐き気を催すには良い場所だ。世界中の有名企業の広告がこぞってネオンサインなどの電光看板を使用し、交差点を見下ろすビル群を飾り付けている。そしてその下を歩く人の数……、色と色がぶつかり合って不響和音を作り出している。
一歩踏み出せば高級ブランドの店が並ぶP.D.通り、また一歩踏み出せば劇場や音楽ホール、高級ホテルなどが並ぶチャンドラー通り、そして一歩踏み間違えれば、いかがわしい香りの漂う、エロティシズムが渦巻くキンゼイ通りに繋がっているこの交差点は、複雑怪奇、奇怪千万、グロテスクこの上ない。
絵の具をなにも考えずに混ぜ合わせ、パレットの上で固まって、形容し難い色になったあの感じ。キツい生活臭を消すために、より強い匂いで打ち消そうとして、更に刺激が強くなったあの不快感。それが、この繁華街である。
この雑多な様子を人はなにを間違えるのか、美しいと言う。統一されない美しさ、個々が個々として煌めいている、そんなものがこの交差点にはあるのだと言う。
"男"はこの交差点が大嫌いだった。ここにいるのは、他人には少しも関心がないくせに、冷たい視線を寄越すことを忘れない、小者の人間の群ればかりだからだ。
……ほら見ろ、今だって、俺の身なりを見て、薄気味悪いとちらちら視線を送ってくる。見たくなけりゃ見なけりゃいいのに、鬱陶しいこと、この上ない。
心の内で毒を吐きながら、なぜこの男が大嫌いなクリスティ・スクエアに訪れたのかというと、敬愛する彼の主人より、風の噂で聞いたとある人間の真意を見極めてこいと命令を受けたからである。
……まあ、大体想像はついてるんだけど、用心にね。ご主人はそう言った。ご主人に言われちゃ、俺は断れない。たとえ、それがあのいけ好かない野郎のためだったとしても、あの、人の良い目尻の皺を作りながら頼み込む主人の、あの顔を見たら、俺は断れないのだ。
薄暗いキンゼイ通りの酒場に入った男は、目的の人間の姿を探した――否、そもそもその人間の姿など、彼は知らないのだ。
仕方ない、とカウンターの席に着き、男は店内の客の会話に耳をそばだてた。
――この前、貴方に勧められた映画を観たのだけど――今日、すれ違った姉ちゃんが――なにをもって、人は生きていると言うのか――あの野郎、俺の女房に手を出しやがって――ウイスキーのロック――どうせ私は落ちこぼれ、父さんの期待なんて――今、考えているこのとき、一体私たちの意識はどこにあるのか、私たちに意思はあるのか――お客様、なにになさいます?――吐きそう――見て、あの人格好いい――ねえ、お兄さん、マシュー・スティールって知ってます?
ぴくっ、と男の耳が動いた。
見つけた。俺の獲物。
ぐるり、と首を回して、男はピントを絞るように該当する会話を抽出し、その会話が聞こえる方向に目を遣った。唇の動きと、抽出した会話の内容が一致する人間を探し出し、そしてついに、目標を発見した。
その青年は、実に軽薄そうだった。
なんだ、小僧かよ、と悪態をつきながら、男は青年の行動を観察し、会話に耳を傾け続けた。
――マシュー・スティールです――聞いたことない? いやあ、困ったなあ、ずっと探してるんですけどね――どんな人か? それが知らないんですよ、名前以外まったく――あ、そうだ、お姉さん、お姉さんも違う店とかで聞いてみてくれません? ほら、人助けだと思って――ああ、いや、なんていうんでしょう、父の知り合いと言いますか、家族の恩人と言いますか、なにせ私が幼いときに出会った人のようで、まったく記憶がなく――あ、生き別れの祖父だって言ったら、協力してくれます?――やだなあ、ふざけてなんかいませんよ、至って真面目です。真剣ですよ――
……ふざけてるのか、こいつは。
しかし、これでは、この小僧が探してるマシュー・スティールが、あのマシュー・スティールかどうかの判断ができない。どうやら、俺から話しかけに行くしかなさそうだ。
先程から熱心に声を掛けてくれているバーテンダーのことなど無視をして――おそらく、聞こえていないからなのだが――男は椅子から立ち上がり、マシュー・スティールを探しているという青年のいるテーブルへ近付いていった。
「おい、小僧。お前の探してるマシュー・スティールってのは、俺の知ってるマシュー・スティールのことか?」
しゃがれた低く聞き慣れない声に、青年――ヴィンセント・コースケ・アボットは顔を上げた。
そこには、季節外れのロングコートを着た、ロン毛の男が立っていた。男の瞳は、ほとんど金色に近いアンバーで、獣のように爛々と光っている。
もう、噛み付いてきたか。おれの撒いた餌に。さすがスワイリー。噂を聞きつけるのが早い。
「それは、話を聞いてみないことには、わかりませんね」
ヴィンスはにやり、と口角を上げた。
* * *
さて。
ジェムとデイヴは睨み合っていた。どちらにも譲れない事情があった。だが、どちらかがなにかを妥協しなければいけなかった。そして、その妥協点となるのは――
「……大丈夫ですよ」
リリーであった。
「危ないことはしません。約束します――ね、ジェム?」
ジェムは思わず苦笑する。この場で、ジェームズ・カヴァナーの愛称を呼ぶことが、どれだけデイヴに精神的ダメージを与えるか、彼女は分かっているのだろうか。
「依頼人はきみだ。きみの判断に従うよ」
ジェムの返答に、リリーの顔にぱっと花が咲いた。
「ほら、彼もこう言っていることですし、きっと大丈夫、心配いりません! ミスター・モーズリーとのお約束通り、なにかあったときは、ちゃんとご相談しますから――ね、お願いします。調査を中止しろだなんて、言わないでください」
こんなふうにリリーの請願されては、自分の意見を貫き通すことなどデイヴにはできなかった。想いを寄せる女性の頼みを無下に拒むなぞ、誰ができよう。デイヴは、「……分かりました」と渋々承諾した。
別れ際、デイヴは「約束、忘れるなよ」と苦虫を噛み潰したような表情でジェムに言い、さっさと背中を向けて足早に去っていった。
はあ、と大きな溜め息がジェムの口から漏れた。肩の力を抜き、天を仰いだ。とぼとぼとベンチまで歩いて、リリーの隣りにどかりと座る。
「……終わった」
「……はい」
「長かった」
「そうですね」
「生きた心地がしなかった」
ジェムの台詞に、リリーはあはは、と空笑いをする。
「でも、良かったですね、彼と協力関係を結べて。一時はどうなるかと思いましたけど」
そんなリリーの肯定的な意見に対し、ジェムは不服そうな顔をした。
「……上手く乗せられたような気がする」
「え?」
「いや、なんでもない」
そして、しばしの沈黙が流れた。
時は夕暮れ、なにかを始めるにはやや遅いが、仕事を切り上げるにはまだ早い。ジェムは、今日得た情報や今後の調査について、リリーと相談してお互いの考えを共有すべきだろうと考えた。
「きみはどう思う? さっきのデイヴの話」
しかし、一向に返事はこない。どうしたのだろう、とジェムが首をそちらに捻ると、リリーは驚いた様子で、目をぱちくりと瞬かせていた。
「なに」
「いえ、その……、いいんですか、わたしがなにか言っても?」
「……なんで?」
「だって……、」
だが、リリーの言葉は続かない。ジェムはそれを怪訝に思ったが、やがて、ははあ、と合点がいった。
「もしかして、前に、ぼくが言ったことを気にしてる? ――きみのことを信用してないって言ったの」
ジェムの問いかけにリリーは黙り込んだ。視線を合わせず、口を真一文字に結んでいるので、ジェムは、これを無言の肯定と受け取った。
「……ごめん。あれは、売り言葉に買い言葉であって、本心じゃないんだ。だから、その……なんでもいい、言ってくれると助かる」
リリーは目頭が熱くなるのがわかった。冷たい夜の空気を吸い込むことで、なんとかやり過ごしたが、視界がぼやけるのだけは止められなかった。
……なんでこんなに嬉しいんだろう。
「……ありがとうございます」
リリーの言葉を聞いて、ジェムは片眉を上げた。
「わたしのこと、信じてくれて。あんな話を聞いたあとなのに」
「あんな話? 誘拐事件のこと?」
「はい。わたし、不安だったんです。さっきの話を聞いて、お母様が怪しまれてしまうんじゃないかって。わたしのことをまた、信じてもらえなくなるんじゃないか、って」
「……それは、ロケットに書かれているメッセージのせいで? きみは、お母さんとM・スティールが特別な関係にあると考えてるの?」
リリーはジェムの質問に考え込むように、一度視線を落とした。だがすぐに、その長い睫毛を持ち上げ、はい、と答えた。
「少なくとも、母は"彼"を恨んではいないと思います」
「どうして?」
ジェムに促されて、リリーは慎重に答えた。自分の考えていること、印象を誤解なく伝えられるように。
「お母様の、振る舞いです。このロケットペンダント、わたしには、お母様は宝物のように扱っているように見えました。このロケットが――"彼"の名前が彫られたロケットが、お母様の辛い記憶を象徴するとは、とても思えないのです」
リリーの母はこのロケットペンダントを肌身離さず身に付けていた。これを扱う手は、壊れ物を扱うように丁寧で、これに注がれる眼差しは慈しみに溢れていた。もし、デイヴの言うような危険な男の名がロケットに刻まれていたとして、そのとき、母にそんな態度を取る必要があるだろうか。
自分の母親に対して、確固たる自信を持って答えるリリーの姿を見て、ジェムは彼女の母に興味を抱いた。娘にこれほどまで信頼されている母親とは、どのような女性なのか、会ってみたいと思った。
……いや、なにを考えてる。彼女の母親に会うことがあるとしたら、それは仕事のため。決して、そんな、興味があるから会うんじゃない。母親なんて存在には、会わない方がいい。会ったところで、自分の傷を抉るだけだろ?
「……きみは、スワイリーが悪人だとは思ってないんだね」
ジェムの指摘にリリーは困った様子で、眉尻を下げて微笑んだ。
「……ええ。そう、願っています」
どうやら、リリーは家族に対してかなりの信頼を置いているらしい。だからこそ、家族間で継承されたペンダントに犯罪者の名前が刻まれていたと分かった今でも、家族の善人性を疑わない。むしろ、悪名高き妖精泥棒に善人性を見出そうとすらしているのだ。
「ジェムも、そう思ってるんでしょう?」
リリーの問いかけに、ジェムはぽかんとした。目を見開いて、まじまじと彼女の顔を見つめてしまった。困ったときの癖なのか、リリーは唇に微笑を浮かべて、「だって、」と言葉を続けた。
「さっき、ミスター・モーズリーにそう言ってたから」
「ああ、あれは……、ただ単に、あいつの考えに逆らいたかっただけだよ。大した理由はないんだ」
「でも、嬉しかった。泥棒なんて、褒められたことじゃないけど、"彼"を根っからの悪い人だとは思いたくなかったから」
そんなことで喜ぶなよ。ジェムは、人が良すぎるのも考えものだな、と内心苦笑した。
「まだなんにもわからないしね。断定したくなかったんだよ」
どうやら、思いがけず女の子を喜ばせたことに、柄にもなく舞い上がっているらしい。気が付けばジェムは、ドラマの探偵っぽい台詞なんか吐いて、格好を付けていた。言って後悔する。取って付けたような台詞だ、格好悪過ぎる、と。
ジェムは居心地の悪さを覚えて、さっさと話題を変えた。
「誘拐事件のことだけど」
「ごめんなさい、なにも知らないんです」
はっきりとリリーは言った。
「ジェムの言う通り、お母様とはなんの関係もなく、あの名前はただの同姓同名なのかもしれません」
それはデイヴの注意を逸らすために適当に言ったものだけど、とジェムは心の内で補足する。
「フェリシア・アディラ・ストーニー、だっけ? お母さんがカフェで働いてたって話も聞いたことないの?」
「ありません」
ジェムは腕を組んでぼんやりと空を見つめた。その様子はとても気怠げだが、彼の頭の中では幾つかの可能性についての議論が行われていた。
あのメッセージがロケットペンダントに刻まれたのはいつのことなのか。事件前か、事件後か。メッセージは誰に向けられたものか。リリーの祖母か、母親か。誘拐事件の被害者のひとりは、本当にリリーの母親だったのか、それとも別人か。そもそも、この誘拐事件にスワイリーは関わっているのか、いないのか。
スワイリーの署名が刻印されたペンダントの持ち主であるリリーの母親が、誘拐事件の被害者だったからといって、その誘拐事件にスワイリーが関わっていると本当に言えるのだろうか。スワイリーを巡る真実を知りたいという願望が、自分たちにそう思わせているだけなのではないだろうか。
すると、リリーはすくっとベンチから立ち上がり、意を決したようにジェムに向き合って、熱心な眼差しを向けてきた。
「でも、もし、"あの人"が悪い人ではないと証明できれば、お母様から話を聞くことができるかもしれません――この、ロケットについても」
……それは多分、きみの希望だ。家族の秘密に向き合うために、きみにとって必要な手段なんだ。
ジェムは嘆息した。自分が物語の探偵だったなら、スワイリーの悪事をとことん暴いて、痕跡を追いかけて、尻尾を掴むのが仕事なのだろう。だが、現実はそうじゃない。自分たちが集めるのはただの情報であって、それを善いか悪いか判断するのは依頼人だ。
そもそも調査すらまともにできないこの状況で彼の正体を暴こうとしている今、紙の情報を漁ったって仕方がないのかもしれない。それこそ、リリーの母のような、生きている証人の情報が重要なのかもしれない。
それに、今のリリーは自分の母親と話すことを積極的に考えてくれている。スワイリーの善人性をほんの少しでも見出すことができたら、実際に彼女の母に会って話を聞く機会が得られるかもしれない。そうすれば、それでリリーの依頼は達成されるかもしれない。
そして、その後は……、会長の依頼はデイヴに任せよう。
よし、とジェムはベンチから立ち上がった。
「帰ろう。あんまり遅くなると、ブリアナに怒られる」




