10(2/2)
2023/04/30、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
デイヴは眉間に深い皺を寄せた。
「護衛任務って、なんでお前が――いや、そもそも、護衛対象に探偵業務を手伝わせるなんて、そんな依頼、ボスが許すはずが――待てよ。お前、まさか、上の許可は得てんだろうな? 」
「いや、ぼくの独断だ」
「お前な!」
飄々と悪びれもなく言い切ったジェムに、デイヴが食ってかかろうとしたが、リリーの姿を見てデイヴは苦々しげに顔を正面に戻した。
まず、デイヴがジェムに訊ねたのは、何故リリーが彼と行動を共にしているかであった。そこでジェムはコリンにしたのと同様の説明をし、そして思わぬ所でデイヴに違和感を覚えさせてしまった。ジェムは、自分が規定違反をしたということを潔く認め、隠すべきものだけを隠し通すことにしたのである。
あの路地裏を出たあと、デイヴがふたりを先導するように前を歩き始めたので、ジェムとリリーは並んで彼の声が聞こえる距離を保ちながらついていくことになった。デイヴの向かう先が分からないのを不安でないとは言い切れないのだが、彼の前を歩くよりはずっと気が楽だった。なぜならデイヴは、その体躯ゆえに――そして腕力ゆえに――、立派な盾の役目をこなせる男だからである。
「……それで、なにを調べてるんだ?」
デイヴは小言を言うのを我慢して、渋々話の先を促すことにした。ジェムから目配せを受けたリリーは、自分の首元を飾るロケットペンダントを外した。「これです」
デイヴは足を止め、それをそろそろと受け取って、中身を見るや否や、蒼白い顔で訊ねた。「·····これは?」
「それは、わたしの母が祖母から受け継いだものです。これまで一度も中を見た事はなかったのですが、訳あって先日、それを開けてみたところ見知らぬ名前を見つけまして、どうにかその人の正体を調べられないかと調査を依頼したのです」
ロケットペンダントに刻まれた名前に、探偵社の若きエースであるデイヴが気付かないはずがない。デイヴはジェムにほとほと呆れたような冷たい視線を寄越して、「それで、昨日はこそこそと·····」と呟いた。
デイヴの呟きを聞いたリリーは、はて、と不思議に思った。リリーの知る限り、スワイリーの調査を始めたのは今朝からなのだが、ジェムはひとりで昨日からなにやら行動を起こしていたらしい。疑問は残るが、そのことをデイヴに言う必要はきっとないし、ジェムがリリーに話していないことを、わざわざ今ここで聞くべきではないのだろう。なにをいつ訊くべきか、やんちゃ盛りの頃からオルトンとの付き合いがあるリリーは心得ていた。
「しかし、」デイヴはリリーにロケットを返すと再び歩き出し、ジェムの方に軽く首を回して言った。「ボスは何故この依頼を受けたんだ? お前も知っているだろう、これを調べるのは、会長の命令に背く行為だぞ」
探りを入れるつもりか?
「なにか勘違いしてないか? ぼくはただ、その署名を彫った人物が誰かを知りたいだけだ。署名は確かに本物と同じだけど、それを彫った人間が、"彼"とは限らない」
「そんな屁理屈、」
「ボスが言いそうなことだろ?」
デイヴはぐうの音も出ないようだった。眉間を揉みながら、デイヴは考えを整理する。
「……つまりお前は、護衛対象でもあり、依頼人でもある彼女を連れ回してるってことか」
「連れ回してるだなんて、聞こえが悪いな。ぼくは頼まれたことをやってるだけだよ」とジェム。
「ボスに報告もせずに、だろ? まさかとは思うが、行く先々で、彼女がお前の"ワトソン役"だって下手な誤魔化しを言ってるんじゃないだろうな?」と鋭い視線を向けるデイヴ。
「さあね」とジェムはしらばっくれる。
「あの、」リリーはやや強引にふたりの会話に割って入り、訊ねた。「"ワトソン役"、ってなんなのですか?」
「探偵助手だよ」
ジェムが答えた。
「相棒であり、探偵とは一心同体、一蓮托生。"ワトソン役"の失態は探偵の失態であり、"ワトソン役"の功績は探偵の功績である。それが、"ワトソン役"。そして、探偵は、"ワトソン役"の行動の一切の責任を持つ。そういう関係」
「……わたしがそれをやることに、なにか問題があるのですか?」
「問題大ありだよ!」
リリーの疑問にわざわざ足を止め大声で返したデイヴに、道行く人々が振り返った。デイヴは、失礼、と早口に言う。
「――いいかい、"ワトソン役"には、会社という後ろ盾がない。探偵によって業務を委託された、いわば個人事業主なんだよ。こんな危険を伴う仕事をなんの補償もなくやる"ワトソン役"なんて、君みたいなうら若き女性がやることじゃない!」
鼻息を荒くして説明するデイヴに、リリーは目を伏せ、そうですか、と答えた。
「べつに、きみが若いからとか女性だから駄目なわけじゃないよ」
デイヴの説明にジェムが補足する。
「誰がやろうと覚悟のいる仕事なんだよ。探偵にとっても、"ワトソン役"にとってもね。それなりに、信頼関係が築けてないとやっていけないから」
「お前は、またそういう……」
デイヴが小言を言いそうになったので、ジェムは直ぐ様反論する。
「なんだよ、間違ってないだろ。お前こそ、自分の価値観で他人の道を塞ぐなよ」
「だが、この仕事はっ」
「それ以上言うなよ、その辺の男より仕事のできる先輩社員がいるのを忘れるな」
ジェムの口振りからして、デイヴは女性が探偵業務をするのに否定的なようだった。デイヴとしては、身体を傷付ける可能性のある危険な仕事――探偵に限らず、警察や保安官、消防隊員、土木作業員など――に女性が就くことは、好ましくないのだろう。かといって、本人の意思を無視したいわけではないので、ちらちらとリリーの顔色を窺っている。
「――と、とにかくっ、お前がまだ彼女を連れ回すつもりなら、条件があるっ!」
デイヴの言葉にジェムは顔を顰める。
「条件? ぼくがそれを呑まなきゃいけない理由は?」
「監査部に話す」
わかったよ、とジェムは渋々承諾した。
「俺と協力関係を結べ。お互いに情報を交換するんだ。もしも、身の危険を感じたら迷わず俺を呼べ。彼女の安全を確保しろ。それが俺の条件だ」
「つまり、リリーのためか?」
ジェムはわざとリリーの名前を口にした。デイヴの眉間がぴくりと動いた。
「――っ、そうだっ。彼女を危険に晒さないためだっ」
……名前を呼んだだけで苛立つなんて、相当だな。
「では、早速なのですが、」
デイヴの提案に――というより、条件という名の取り引きだが――、リリーは意を決して、ここぞとばかりに詰め寄った。
「どうしてスワイ――その、妖精泥棒を調べるのを禁止されているのでしょうか? 記録保管庫の方にも訊ねたのですが、わからないと言われて。依頼に関わることでないことは分かっているのですけど、どうしても気になって……」
「そ、それについては、ちょうど俺も調べていて、直接的な原因をこれと断定することは出来ないんだけども」
リリーに距離を詰められたデイヴは、顔を真っ赤にさせて、狼狽えていた。露骨なデイヴの態度に、ジェムは溜め息を吐く。
「その話題、ここで続けるのか?」
ジェムの指摘にはっとしたデイヴは、くるりと背を向け、「場所を移そう」と言って、歩みを進めた。やがて三人は横断歩道に差し掛かり、赤信号に足を止めた。
「これを」
デイヴがスーツの左内ポケットから取り出したのは、くたくたの革表紙の手帳だった。彼は、パラパラと忙しなくページを捲ったあと、それを開いたままリリーに手渡した。ジェムがその小さな手帳の中身を覗き込もうと、リリーの肩口に顔を寄せると、デイヴがわざとらしく咳払いをしてきたので、仕方なしに身を引いた。その際に思わず吐いてしまった溜め息がリリーに聞こえてしまったらしく、不安そうにこちらを見上げてきたので、慌てて首を振った。
「なんでもない。読み上げてくれる?」
はい、と朗らかに答えたリリーは、手帳の開かれたページを読み上げた。
「"蹄鉄会"に所属する、某喫茶店の店員が誘拐される事件が発生――誘拐?」
驚いて、リリーは手帳から顔を上げ、訊ねた。デイヴは頷いた。
そのとき、都合悪く信号が青に切り替わった。デイヴが「渡ろう」と言って、リリーの背に腕を回して彼女をエスコートをしたので、三人は会話を中断し、ぞろぞろと横断歩道を渡った。
歩きながら、ジェムは、デイヴに対してやけにもやもやしている自分の気持ちについて、考えていた。
デイヴに苦手意識を持っていることは、確かだ。だが、この感情はデイヴという人間に向けられているのではなく、デイヴがリリーの前で見せる表情や態度にであるとジェムは分かっていた。
デイヴのリリーへの特別な感情にはとうに気付いていた。あからさまに目を伏せたり頬を染めたりする様子に、気付かないはずがない。リリーを利用して、徹底的にやつの弱味に付け込みたいところだが、彼女にでれでれしているデイヴの姿を見るのは少々癪に障る。
つまり、自分はリリーに対して好感を持っているということなのだろう。まあ、彼女がいなければ、今頃デイヴに殴り倒されていただろうから、少なからず彼女に恩を感じているのだろうと思う。加えて、あの神秘的な姿を見てしまったので、アルフォンス・ギファードに負けずとも劣らない庇護欲を掻き立てられているのかもしれない。……厄介な感情だ。
そもそも、あの姿はなんだったのだろう。デイヴなら、真っ先にそれについて聞きそうなものなのに、言及すらしないとなると、あれを見たのは自分だけだったのかもしれない。だとしたら、なぜ、自分には見えたのだろうか? あの状況で幻覚を見るほどに、神経症にはなっていないと思っていたのだが。
……あの羽のような形の光のベール……。言うなれば、あの姿は、妖精……。
横断歩道を渡り切り、程なくして利用者の少ないバス停を見つけたデイヴは、そこに設置してあるベンチに座り、どうぞ、とリリーに自分の隣りに座るよう促した。あれほど奥手な様子を見せていたくせに、これくらいの駆け引きはできるらしい。
リリーが促されるがままにちょこんと隣りに座ったので、デイヴはとても嬉しそうに表情を和らげたが、ジェムの冷ややかな視線でこれが仕事であることを直ぐに思い出して、慌てて表情を取り繕った。
「20年前のことだ。結構大きな事件で、連日、記者がカフェに殺到したらしい。勿論、"蹄鉄会"は探偵社を使って、早々な事件解決を望んだが、捜査はかなり難航したようだ。結局、犯人の居場所を特定したのは、保安官だったって話だしな」
リリーは、再び手帳に視線を落として、続きを読み上げた。
「被害者の名前は、パストラ・エルレラ・ハロン、ベルタ・オフィーリア・トバイアス、サミュエル・シュールト・カウペル、ユーリア・ブルーシュコヴァー、ジョエル・マティアス・ダヴィド・ドゥラノワ、フェリシア・アディラ・·····ストーニー」
最後の名前を読み上げるとき、リリーは舌がもつれるように感じた。その名前は、リリーの旧姓の母と同じ名前だった。予想だにしてなかった出来事に、彼女は動揺したのである。
そんなリリーの微妙な変化に気が付いたジェムは、直ぐ様話題を変えることにした。取り引きはしたものの、リリーの持つ情報をなるたけデイヴに知られたくなかったのだ。
「犯人の要求は?」
「保管庫にある記録、すべてだ」
デイヴはリリーの動揺を気にする素振りも見せずに答えた。どうやら、気を逸らすのに成功したらしい。
しかし、記録? とジェムは考える。身代金目当ての誘拐では、なかったのか。
「保管庫の記録って、うちの会社の? ほとんど個人情報じゃないか」
「あぁ、その通り。だから、調査は難航したんだ。秘密結社お抱えの探偵組織が集めた個人情報なんて、流出させるわけにはいかないだろう」
「……そういうふうに言われると、自分がとんでもないところに所属しているような気がしてきた」
"蹄鉄会"のことを秘密結社と称しても、間違いではない。ほとんどの会員が世の中を変えたいと思っていて、暗に社会に働きかけることもする集団だ。活動内容のほとんどは奉仕活動だが、会員の一部はかなりの権力者であり、影響力もある。そんな組織に仕えているような探偵組織なんて、存在すら公にしてはまずいような気がする。
「――それで、その事件が"かの大泥棒"とどう関係しているって?」
「はっきりとは分からない。だが、この事件を境に、会長が保安局の協力依頼を一切受けなくなったのは事実だ」
「つまり、保安局の捜査協力すら断っているのだから、一般市民が妖精泥棒の調査を依頼したところで、受けるわけにはいかない、と」
「そういうことだろうな」
ふむ。それならば、会長がスワイリーの調査を禁止しているのも納得できる。納得はできる、が、やはり、"蹄鉄会"の会員であれば、なにもしない現状に不満を募らせる者がいても仕方がない。"より良い社会、より良い明日"が彼らの行動理念だからだ。
……案外、グリーン派と会長派に意見が割れるのは、時間の問題だったってだけかもしれない。
「――ところで」
デイヴが少々声量を上げて言った。
「フェリシア・アディラ・ストーニーとは、お知り合いなのですか?」
なんだよ畜生、やっぱり気付いてたのか。
「それを聞いてどうするんだよ。あわよくば、お近付きになりたいとか?」
「黙ってろ、カヴァナー」
ジェムの茶化しをぴしゃり、と跳ね除けたデイヴはベンチから立ち上がって、リリーの手に恭しく触れた。
「俺の調査にどうしても必要なことなのです。教えて頂けませんか?」
どうしよう、とリリーは逡巡した。確かに、彼からは既に情報をもらってしまっている。先程の取り引きのこともあるし、タダより高いものはないというし、情報には情報で返すのが筋なのかもしれない。だが、"これ"を彼に正直に話しても良いものなのか。
「……は、母です。わたしの、お母様」
デイヴの圧には勝てなかった。しどろもどろになりながらも答えてしまったリリーの話の内容に、ジェムはまずいな、と思った。
まずい。非常にまずい。誘拐事件の被害者に、リリーの母の存在、そして、スワイリーのサインが彫られた彼女のロケットペンダント。これでスワイリーと誘拐事件とを結ぶ状況証拠が出来上がってしまった。
「へぇ、同姓同名?」とジェムは、とぼけた振りをした。
「カヴァナー」とデイヴは鋭い視線を向ける。
流石に五月蝿かったようだ。それか、わざとらし過ぎた。どちらにせよ、デイヴの仕事の邪魔をしているのだから、怒られて当然だ。
しかし、予想に反してデイヴは至極真剣な顔で言った。
「調査は中止しろ」
……なに?
「どういう意味」
「妖精泥棒は危険だ。これ以上は、彼女の安全だって保証しきれない」
ジェムは黙り込んだ。デイヴがどんな推理をして、そんな警告をする判断をしたのかはわからない――いや、推測はできるが、それを肯定したくない。だが、"蹄鉄会"に所属するカフェ店員が誘拐された事件を無視することはできない、それはジェムも同意見だった。その事件に首を突っ込むことは危険かもしれない、ということも。
「ボスに伝えてくれ、ロケットペンダントの件は俺が引き継ぐと。護衛の任務は引き続きお前に任せる。だが調査からは、手を引け。彼女を連れ回すつもりならな」
……それはできない。ぼくがスワイリーを調べるのは、会長がそれを望んだから。リリーが助けを必要としているから。他の誰にも、任せることはできないんだ。
それに、なにかが引っ掛かる。理由は分からない。だけど――なぜだろう、デイヴのように、スワイリーをすっかり悪者にしてしまうのは、間違っている気がする。
「悪いけど、デイヴ、ぼくには妖精泥棒がきみの考えているような人だとは思えないんだ」
それに、とジェムは肩を竦めた。
「さっきも言ったろ、ロケットに署名を彫ったのが、"本物"だとは限らない」




