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1.スワイリー、逮捕される - The Arrest of S.Wiley

2024/04/14、改稿

一部内容を変更致しました。m(_ _)m


本作に登場するいかなる事件・人物・団体は、すべて架空のものです。仮に実在するものとの類似性があったとしても、それは意図しない偶然であり、一切関係ありません。



それでは、皆様、長いお付き合いになると思いますが、どうぞよろしくお願い致します。


挿絵(By みてみん)

キャラクター原案・イラスト:がっくす3

X(旧Twitter):@GAGAGA_08

 エメリー・エボニー=スミスという常連客の男の存在を知ったのは、とある昼時の出来事がきっかけである。


 いつものように焙煎前の生豆をひとつひとつ手で拾い上げ、質の悪い豆を除外する作業を行っていたとき、まるで判事のような凛とした声が店内に響き渡ったのだ。


「失礼ですがマダム、御主人の威厳のために断言致しましょう。マダムの心配は杞憂です。もう少し辛抱なさってください。近い将来、御主人から嬉しい報せを受けることでしょう」


 突然なにを言い出すんだろう、この人は、と首を捻っていると、テーブル席にいた女性客も、はあ、と気の抜けた返事をした。なるほど、テーブル席の御婦人方の会話に、カウンター席の常連客の男が横槍を入れたようだ。客同士の問題は客の間で解決してくれ、と珈琲豆に意識を戻して、フランク・キプリングは仕事を続けた。


 それから一週間後のことである。

 これまたいつものように、カウンターの端席を占領する常連客に深煎りコーヒーを給仕し、食器を洗おうと目線を下げたとき、ちりんちりんと客の入店を知らせるベルが鳴った。ちらり、とそちらに視線を向けたところ、どうやら男女二人客のようだ。お好きな席へどうぞ、とフランクが声をかけると、ふたりはテーブル席に着いた。


 二人客から注文を受け、コーヒーと粗末な軽食を給仕したあと、再びシンクに視線を落としたときだった。


「マスター、」


 カウンターの常連客が珍しくフランクに声をかけてきた。


「覚えているかね、一週間前、ちょうどあの席で御婦人方が話していたことを?」


 フランクは常連客が指した席を横目で見ながら、一所懸命、一週間前の記憶の糸を手繰り寄せた。


「ええと、お客さんが突然、御婦人方の会話に割って入ったときのことですか?」

「君は配慮に欠けるなあ。だが、そうだ。あのとき、一人の御夫人が旦那の不貞を疑って、友人に相談を持ちかけていた」

「はあ、そうだったんですか」

「君という奴は、本当に豆のことにしか興味がないんだな、まったく。……今、そのテーブルに座っているのはね、マスター、その御夫人と御主人だよ」

「仲直りしたってことですか」

「平たく言えば、そうだね。だけど、そもそも御主人は、後ろめたいことなどなにもしてないからね、誤解が解けたと言った方が妥当じゃないかな」

「そうなんですか?」

「覚えてないかなあ。あの御婦人方がやってくる数日前、あの御主人がこの店に同僚と一緒に来店しているんだよ。そのとき実に嬉々とした表情で、妻と30年越しの結婚式を挙げる計画をしていると話していたじゃないか。妻に内緒で、仕事のあとに少しずつ準備を進めていると」

「へえ」

「へえ、って君、やっぱり覚えてなかったんだな。いや、もしや君、客の話にまったく耳を傾けたことがないのかい?」

「プライバシーに関わることですから」

「聞こえはいいがね、君はもう少し、人間に興味を示したらどうなんだい」

「なら、どうしてその人が御夫人の旦那さんだって分かったんです? お客さんの知り合いとか?」

「まさか。たまに店で見かける程度の名も知らない相手だよ。まして、あのふたりが一緒にいるところなぞ、見たこともない。僕がふたりを夫婦だと判断したのは、結婚指輪が理由さ」

「結婚指輪?」

「ほら、よく見てご覧」


 フランクは促されるまま二人客の手許に目を向けた。ふたりの左手の薬指には、確かに同じ銀色の指輪が嵌められている――が。


「……なんの変哲もない指輪に見えますけど」

「そう、なんの変哲もない普通の指輪だ。まるで大量生産品のような指輪だ。だから気になったんだ」

「なにがです?」

「矛盾だよ、マスター、矛盾だ。彼等の身なりなら、もっと特徴のある指輪を身に付けていた方がしっくりくる。実際に、御婦人の耳許をご覧、大振りのルビーのイヤリングが見えるだろう? あのぐらいのものを身に付けられるほどの御夫人が、なぜ結婚指輪だけはあんなにも安っぽいのか。――そうだ。御主人だって同じだ。特注のスーツをそつなく着こなしているのに、同じ安っぽい指輪をしている御主人と。それで思い出したんだよ、あの御主人が同僚としていた会話を」

「……30年越しの結婚式」

「その通り! だから考えたんだ、30年の間に、夫婦の経済状況、生活環境が変わった可能性を。そしてふたりが30年経っても変わらない愛を育んでいる可能性を。すると、ビンゴ! 彼等は実際に夫婦だったわけさ」


 小声ながら声に覇気がある常連客の様子に、フランクは彼と少し距離を置いた。しかし、指輪か、とフランクは考える。


 ……()()()()()()()()()()()()()()()


「しかし、マスター。君なら、あのふたりの関係に気付けただろうと僕は思うんだがね」と常連客。


 フランクは、心の内を読まれたのだろうか、と吃驚する。常連客は指を組んで、不敵に唇の端を吊り上げた。


「君はもう少し人に興味を抱くべきだ。人の顔を覚えられなくったってね、気に病むことはないよ。君のような観察眼があるなら、それを利用すればいいんだ。()()()()()()のようにね」

「……え」

「君、いつも()()()()()()()()()()僕に話しかけているだろう?」


 常連客はとんとんと自分のシャツの袖を叩いた――いや、実際には、袖に取り付けられたカフリンクスを叩いていた。装蹄鎚(そうていづち)削蹄剪鉗(さくていせんかん)を模した、特異なデザインのカフリンクスを。


 この常連客はいつもこのカフリンクスを身に付けて店にやって来るのだ。だからフランクは、彼を"常連客"として認識することができた。会話をすることは少なくとも、そのカフリンクスさえあれば、声を聞かずとも彼を"彼"だと認識できたのだ――たとえ、顔を覚えることができなくても。


「やれ、驚いた。君はそんな表情もできるのか」


 指摘されて、フランクははっとした。いけない、いけない。突然のことに頭が真っ白になってしまった。今は接客中だ。お客さんに謝らなきゃ。自分の無礼を謝らなきゃ。()()()()()()()()()()()()、なるべく穏便に、自分の非を認めなければ。


「すみませんでした。これまでの私の無礼を、どうかお許し」

「――ああ、なんてことだ! なによりも重要なこの淹れたてのコーヒーを飲み損ねてしまった! すまないがマスター、僕のためにもう一度、君の美味しいコーヒーを淹れてはくれないだろうか?」

「はい、只今」


 フランクは直ぐ様冷蔵庫から冷水に浸して保管している布を取りだし、流水で綺麗に洗い、水気がなくなるまで絞った*。3、4回、ぎゅっ、ぎゅっ、と布を絞る作業を繰り返していると、冷えた手に対抗するように、目頭が熱くなってくるような気がした。ぎゅっ、と唇を噛み締める。


「謝罪は受け取らないよ、マスター」


 "常連客"の言葉に、フランクはぴた、と手を止めた。


「君に非があるわけでもないのに、突然謝られたって、僕は全然嬉しくないよ。不快だ、不愉快だ。今まで何人もの人間が君にこんなことをさせてきたのかと思うと、まったく腹立たしい」

「……私を責めないのですか」

「責める? 君を? なにを言ってるんだね。僕はこれでも君を心配しているんですよ。こんなにも美味しいコーヒーを淹れる素晴らしい人間が、豆としか対話してくれないことにやきもきしてるんです。僕なんて、ずっと話しかけたくてしょうがなかったのに。ええ、そうです。認めますよ。僕は嫉妬してるんです、その豆に。あろうことか、人間が、珈琲豆に!」


 フランクは思わず"常連客"の顔を見た。目の前の顔を知った顔であると認識できないその目で、"常連客"の顔を構成する目と眉と唇の形を凝視する。


「……私は人の顔を覚えられません」

「分かっているよ」

「それを無礼だとは思わないのですか」

「プライバシーに関わることを記憶するのも無礼で、個人情報の尤もたるものである顔を覚えていないのも無礼だと?」


 屁理屈だ、と思うのに、フランクは言い返せない。


「なにも恥じることはないよ、マスター。君は君なりによくやっている。例えば、そう、前に、ハンチング帽を目深に被った無精髭の男の客が来たことを覚えているかい?」

「……スーツの着丈が、少々大きかった?」

「そうだ、その通り。この店には珍しい装いの客だったので、君も覚えているとは思っていたよ。そんな客にも、態度を変えない君は素晴らしかった。ところで、彼にはどんなコーヒーを出したか覚えているかね?」

「中煎りのブラジル産です」

「よろしい。僕が買っているのは、君のそういうところだよ、マスター。ちなみにその客は、今日、来ているかい?」

「……ええ、ちょうど奥の席に」


 フランクは声を潜めて言った。"常連客"の男はにこにこと笑みを深める。


「どうして彼だと? あのときの服装とは違うようだが」

「靴です。あのお客さん、変装みたいにころころと服装を変えて来ますけど、靴だけはいつも同じなんですよ。それに、今日も中煎りのブラジル産を注文しましたし」

「確かかね?」

「神に誓って言えますよ。顔は覚えられませんが、お客さんを間違ったことはありません」

「大した自信だ。他にも根拠があるんじゃないかね?」

「企業秘密です」


 ならばよろしい、と"常連客"は会話を切り上げ、「アダム、」と人を呼んだ。"常連客"の背後のテーブル席に座る山高帽を被った男が振り向いた。


「彼で間違いない」


 そう言って"常連客"は奥の席の男を指し示し、アダムと呼ばれた山高帽の男は頷いて、例の男の方へ出向いていった。


「――エルヴェシア保安局だ。同行を願いたい」


 アダムの科白を聞くや否や、例の男は席を立ち、出口の方へ駆け出した。男はアダムを振り切り、店を出ることに成功したが、外で待機していた様子の他の保安官たちにとっ捕まった。人が道路に腹這いになって押さえつけられている様子を見るのは、不思議と罪悪感を覚える。


「――ご協力感謝します、マイヤー殿。また後ほど」


 去り際にアダムが述べた謝辞を、"常連客"はひらひらと手を振って応えた。


 フランクが驚いて目をぱちぱちと瞬かせていると、唐突に"常連客"が言った。


「"ブラス・ブーム"を知っているかい? この国で突如起こった流行なのだが、実に不可解で興味深い事象だよ。皆がこぞって真鍮製のアクセサリーやら調度品を買うようになって、最近は泥棒まで出る始末だ。真鍮の価値が上がったわけでもないのに、何故、と私は思ったよ。理由は単純だった。最近発見されたという"妖精の遺物"と呼ばれる聖遺物が真鍮製だったからだ。移民の私には理解に苦しむ概念ではあるが、つまるところ、彼らは一獲千金を狙い、真鍮製のものに手当り次第に手を出している、ということのようだ。先程の"彼"は、そういう泥棒のひとりでね、今回はこの店の客からものを盗もうと企んでいたようだ」


 "常連客"はそこで一旦区切り、コーヒーを啜ると、フランクの顔を窺いながら話を続けた。


「実を言うとね、僕は君を疑っていたんだ。君は誰よりも人の身なりを観察していたからね。だけど、あんなにも慎重に客のことを見ているのに、ものの価値には全く関心なさそうなので、どうも違うなと思ったんだ。きっと他の理由があるんだろうな、って。それで、少しばかり意地悪なことをした――いやはや、大変申し訳ない! 君には心から謝罪する。なんでもいい、どうか、私に贖罪をさせてくれないだろうか」


 そう言って、上目遣いに手を合わせる"常連客"は、許しを乞う、甘え上手な末の兄弟みたいだ。


 ふっ、とフランクの口から空気が漏れた。ああ、この感覚を知っている。この愉快な感覚を私は知っている。


「やあれ! なんと。君が笑った表情など、僕は初めて見ましたよ」

「フランク」

「……はて?」

「私の名は、フランク・キプリングです。どうかフランクとお呼びください」

「……僕はニール・マイヤーです。フランクくん、許されることなら、どうか、この老いぼれの数少ない友人になってはくれませんか」

「勿論、喜んで」


 この人なら。フランクは思った。この人となら、珈琲豆と対峙しているときのように、気を許して会話をすることができるかもしれない――こんな自分でも。


「あ、それとね、フランクくん」

「はい」

「僕は引退した身なんだけど、時々そんなこともお構いなしに僕を訪ねてくる人がいるのね」

「……はあ」

「なのでね、僕は最近、偽名を名乗っているのです。だから、人前では僕をニール・マイヤーって呼ばないでね」

「偽名、ですか」

「うん。エメリー・エボニー=スミス。それが、今の僕の名前です」


 フランクが"常連客"改めニール・マイヤー――またの名をエメリー・エボニー=スミス――と親交を深め、彼が抱える秘密を知ることになるのは、それほど遠い先の話ではない。これから語られようとしている物語のことを考えれば、あっという間の出来事だった。


 それから、おおよそ数ヶ月後、年を跨いで数週間、といったところか。既に所在を掴まれてしまったニール・マイヤーと、その洞察力の高さ故、度々話題になっていたエメリー・エボニー=スミスに、同時にそして同様の依頼が持ち込まれたのだ。


「マイヤー殿、」

「エボニー=スミス殿、」

「「スワイリー逮捕のため、捜査にご協力願いたい」」


 ニール・マイヤー兼エメリー・エボニー=スミスの男は、すっと息を吸い、一気に捲し立てた。


「君たちは、私の引退をなんだと思ってるんだね? 私はもう歳なんだ、戦力外なんだ、余生を楽しく過ごしたいんだ! もう十分社会に貢献したでしょう? 頼むから好きに生かしてくださいよ! 保安局の仕事は保安局でどうにかしたら良いんじゃないかね!」



 * * *



 それから、数十年。雪がしんしんと降る日の夕暮れ時。アルビオン王国へ向かう定期船ヴィクトリア号に、エルヴェシア保安局から以下のような無線電信が届けられた。


 ――貴船一等船客室にスワイリーあり。髪は黒、右足を負傷。名をM・スティール


 ヴィクトリア号の一等船室に設けられたジェントルマン用の休憩室、通称カードルームにて、ニール・マイヤーはぐるりと室内を見渡した。

 そこには、テーブルに着きカードゲームに嵩じていた三人と、向かい合ってソファに座り政治論議に華を咲かせていた四人の男たちがいた。その全ての男たちが、風変わりな老紳士の登場で、一斉にこちらに視線を向けた。マホガニー製の家具だとか、赤い布地貼りのソファだとか、ピスタチオグリーンの爽やかな壁紙や、その壁に掛けられた幾つもの荘厳な絵画や魚の剥製のことなんかには目もくれず、ニールは男たちの様相をじっくりと観察して、ほほう、と声を上げた。


「一等船客に黒髪の男が三人と、車椅子に座る男が一人、そして、右足を負傷した船員が一人というわけですか。スワイリーの特徴のいずれかに当て嵌る人間が五人もいて、全て一致する男はひとりも存在しないというのもなかなか奇跡的ですな」


 そして、ちら、とニールは入口を塞ぐように立つ船員に目を向けた。白い水兵帽の下から覗く船員の短毛は硫黄色だ。


「――それでは、皆様。突然ではありますが、まずは僕の質問に答えて頂きましょう。皆様は、魔法を信じますか?」



 そして、物語は半世紀の時を経て、ここに開幕する。

* フランクは、「ネル」と呼ばれる布のフィルターを使って、コーヒーを淹れるドリップ方法を使用しています。通称ネルドリップ。



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