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ブラック・スミス 〜探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄〜  作者: 雅楠 A子
《本編:探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄》

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18/77

9(1/2).見えざる手がかり、通称"無知" - The Invisible Clue AKA "Ignorance"

2023/04/23、改稿

一部内容を変更致しました。m(_ _)m

 ブランポリス市マガリッジ地区の建築物は、どれも摩天楼というほど高くはない。しかし、それでも公園の木々よりは高いものがほとんどで、スミシー探偵社本社もそのひとつだった。『ロイヤル・ホースシュー・カフェ』の看板を掲げた、観光街の一角にあるこのビルは、ネオルネッサンス様式の、テラコッタと白色の化粧煉瓦が施された古めかしく荘厳な外観で、公園から見るその姿は、まるでこの建物のために公園は存在しているとも思えし佇まいである。


 探偵社の本社と聞いて、無機質な高層ビルを思い描いていたリリーは、その外観に虚を衝かれていた。建物の入り口へ続く緩やかな階段を行く人々の装いも、ビジネスマンというよりは、特別にお洒落をした中産階級以上の一般市民といった様子である。リリーは、ブリアナには申し訳ないが、自分の装いがこの場においては相応しくないように感じた。


 そういえば、とリリーはジェムの姿を一瞥(いちべつ)した。ジェムの格好は昨日も今日もカジュアルなスーツスタイルだ。その時点で、自分が着るべき服装を察するべきだったのか。


「なに」


 羞恥心で身を硬くしたリリーの様子に、ジェムは逸早く気付いたようだった。


「いえ、想像していたものと違っていたので。……あの、ドレスコードとかって」


 ジェムはちら、と周りの人々の装いを見て、ああ、と納得した。


「ここ、1階にロイヤル・ホースシュー・カフェって高級喫茶があるんだよ。それに、ここは世間的には探偵社というより"蹄鉄会"の本部だから、自然とそういうお客さんが集まるんだろうね」

「そうなんですね。……あの、この格好で入っても大丈夫なんでしょうか……」

「似合ってるよ」

「そういうことじゃありません!」

「まあ、気にすることはないよ。ぼくたちの行先は、カフェじゃないからさ」


 彼に言われるがまま、探偵社本社の蹄鉄型2連アーチになった玄関を抜けると、そこには天井の高いドーム型のホールが広がっていた。2階のテラスに続く階段は蹄鉄型に曲がり(ここではあらゆる装飾に蹄鉄型があしらわれている)、広間の中央には、水汲みをする少女とその傍らで鞍を装着した馬が佇む様子を模した噴水が設置されている。その内装は、会社というよりも喫茶店で、喫茶店というよりもホテルのロビーようだった。


 ジェムは噴水の横を通り過ぎ、階段の陰になって人気のない廊下をずんずんと進んで行った。廊下の突き当たり、立派なフレンドリー・マトン・チョップス髭を蓄えた老紳士の肖像画が飾られた小広間にまで行き着くと、ジェムは肖像画の前で立ち止まった。

 ジェムは自身の襟からピンを外し、あろうことか、その肖像画の人物の襟にピン先を差し込んだ。するとどうだろう、肖像画を飾っている壁が横滑りに動き、ぽっかりと穴が開いたのだ。開いたそこには地下へと続く螺旋階段が続いていて、リリーは、ほぅ、と感嘆の息を吐いた。


「隠し通路なんて初めて見ました」


 ジェムはそんなリリーの呟きとも取れる発言に、「ここまで手の込んだものを作る必要性があるのか、ぼくには全然よく分からないけど」と冷めた調子で返した。


「なにか見られたくないものがあるとか?」


 無邪気に訊ねてはいるが、表情から察するに、リリーは相手が聞かれたくないことを知っていて訊いている様子である。なるほど、ブリアナと馬が合うわけだ、とジェムは内心嘆息する。


「まあ、依頼人にとってはそんなものばっかりかもね」

「たとえば?」

「……色々あるんだよ」


 言葉を濁して会話を切り上げたジェムは、お先にどうぞ、とリリーを誘導した。


 隠し扉をくぐる際、頭上に気を付けて、と注意を受けながら隠し通路に足を踏み入れたリリーは、迷わず螺旋階段を下り始めた。

 背後で扉が閉まる音がしたが、そんなことでは心細さなど一切感じなかった。薄暗い道で、この先にあるものに全く見当がつかなくても、リリーの好奇心が恐怖心に変わることは一度たりともなかった。むしろ、先が分からないという事実に、高揚感にも似た感情が沸き上がった。これが遊びではないことは百も承知で、リリー自身、もとより真剣に取り組んでいたはずだったのだが、この状況にはわくわくせずにいられなかったのだ。


 螺旋階段を下りきり、さらに地下深くまで広がる大きな空間に出たリリーは、まず、その光景の美しさに魅了された。


 その場所は、まるで秘密の図書館だった。

 中央が吹き抜けの3階層にまで続くその部屋には、隠し通路のものとは別の部屋を下る用の螺旋階段が設置されていた。各階層にはすべて同じく、壁一面に引き詰められた棚とまるでドミノのように列を作って並べられた棚、そして、その随所に机と椅子が置かれていた。一見、とても広くて開放感のある空間だが、一歩足を踏み込むと、壁という壁に大量の本を詰め込んだ狭苦しい小さな部屋にいるような感覚に陥ってしまうほどの迫力もある。


 隠し通路の螺旋階段から下りてきたふたりは、部屋の3階部分――これを、我々は地下1階と呼ぶ――にいた。リリーは吹き抜けに設けられた柵に寄り掛かりながら、本棚ばかりで成り立ったこの部屋を見下ろしていた。


「これが記録保管庫なのですか?」


 リリーの傍らに立って部屋を見下ろしていたジェムに、彼女は訊ねた。


「うん。およそ120年の間に、探偵社が請け負った案件が記録されてる」

「120年分のものが、ここに」

「仕舞われているものの内容はともかく、この光景はなかなかだろ」


 ジェムが目を細め、穏やかな笑みを浮かべた。まるで、少年がようやく見つけた宝物を感慨深く見つめているようなその横顔を、この人はこんなふうに笑うのか、とリリーは意外に思った。ぼんやりとジェムの横顔をリリーが眺めていると、真下の方から「やぁ、ジェム! また来たの」と、やや甲高い少年のような声がした。

 声のした方向に目を向けると、少年と呼べるほどには若く小柄な男性が、最下層から吹き抜けを通してこちらを見上げ、片手を挙げて会釈していた。その少年は茶色いマッシュヘアで、スクエア型の銀縁眼鏡を掛けていて、薄い檸檬色のシャツの上に緑のニットベストを着て、清潔感のある印象にあどけなさをも持ち合わせていた。


「やぁ、コリン。今日は先客はいないのか」


 ジェムが声をやや張り上げて返事をした。コリンは銀縁眼鏡の位置を調整しながら笑った。


「もしかして、昨日のこと? まさか、根に持ってるの?」

「昨日のこと? ああ、デイヴが来ていたのを黙ってたことか。いいや」


 ジェムの顔には笑顔が貼り付けられていたが、その目は全く笑っていなかった。その表情から、彼がコリンの言う"昨日のこと"を根に持っていることは明らかだ。


「キミたちはもうちょっと仲良くするべきだよ、同じ志を持つ者同士さ」

「そういうのはデイヴに言えよ。ぼくのせいじゃない」

「どうだか」


 コリンは呆れて肩を竦めた。


「とにかく、早く下に降りてきなよ――で、隣の女性が誰なのか、ちゃんと紹介して」


 はいはい、とジェムは呟き返事をしながら、リリーを螺旋階段へ誘導した。


 最下層に下り立ち、コリンとの面会を果たしたリリーは自己紹介しようと口を開きかけたが、それを素早く察知したジェムが遮るように言った。


「彼女はリリアーヌ・ベルトラン、今回の依頼の護衛対象だ。それと、依頼人の意向で、ぼくの仕事を手伝ってもらってる」


 ……なるほど、そういう(てい)なのね。


 リリーはにこりとコリンに微笑むと、手を差し出して、「はじめまして、リリーです」と握手を求めた。


「はじめまして。僕はこの記録保管庫の管理人をしています、コリン・リグリーといいます。どうぞよろしく」


 コリンはリリーの差し出した手を握り返し、目尻を下げて笑った。


「つまり、キミはジェムの"ワトソン"候補ってわけだね?」

「ワトソン?」


 コリンの言葉が理解できず、リリーは訊き返した。


「そんなんじゃないよ」


 リリーの疑問に答えることなく、ジェムが即座にコリンの言葉を否定した。コリンは、「ふうん?」と意味ありげな相槌を打った。


「――それで、今日はどんなご入用で? まぁ、きみの仕事っていうのは、この間の調査のことなんだろうけど」

「調査じゃなくて、情報収集だよ。ちょっとした、勉強のためにね。それで、スワイリーについて調べたいんだけど」

「スワイリーについて?」


 コリンは眼鏡のブリッジ部分を指で押して、眼鏡の位置を直した。


「……ジェム、聞いてると思うけど、今は"蹄鉄会"にとって、すごく微妙な時期なんだ。ほら、今の"蹄鉄会"の会長は、どうもスワイリーの調査について消極的だろ?」

「そうらしいな」


 ジェムの返事に、コリンは溜め息を吐いた。


「本当に分かってる? キミは今、結構マズイことをしようとしてるんだよ?」

「……まずいこと?」


 ジェムは腕を組んだ。

 あのね、とコリンは説明する。


「スワイリーの調査はね、つい最近までMHDのグリーン社長がうちの探偵社の社員を派遣しようと、"蹄鉄会"の保安官たちを通して積極的に動いていたんだ。だけど、会長がちっとも首を縦に振らないから、結局のところ、"()()()"()()なにもできなかったのさ。そうなって初めて、会員たちの中である疑惑が浮かび上がったんだ」


 ジェムは眉を顰めた。


「まさか、スワイリーと会長との間に癒着があるとでも?」


 コリンは頷いた。


「その()()()だよ。それにさ、キミのところのボスはミスター・グレアムだろ? 限りなく会長に近しい人物だ。監査部の"監視"が付いていてもおかしくない。そんな中で、スワイリーの調査なんかしてみなよ、自分は会長のことを怪しんでます、って大声で言っているようなもんでしょ、会長の意に背くようなことを堂々としてるんだからさ。しかもキミは、ミスター・グレアムの息子だ。キミの行動がミスター・グレアムの意志と見なされることも有り得る。ジェム、キミを心配して聞くけど、まさか会社に対して叛乱を起こそうとしてるわけじゃないよね? それも、お父さんに(そそのか)されたとかで……」


 その視線は鋭く、容赦がなかった。リリーは身構えた。探偵社の事情はよく分からないが、簡単にスワイリーの資料を調べられるわけではなさそうだ。それに、とリリーはジェムを盗み見た。


 ……あの支部長、彼のお父様だったんだ。


 ジェムは困ったように笑いながら、肩を竦めた。


「そんな大層なことじゃないよ――スワイリーを捕まえるために調査をしているわけじゃないしな。ただ、近頃、そのスワイリーが(ちまた)を騒がせていることは事実だろ? それを不安に思う依頼人ってのが、まったくいないわけでもないんだ。そういう依頼人のために、知識をつけて対策を練ることもぼくたちの仕事なんだよ」


 涼しい顔をしてみせてはいるが、本当は冷や汗が出てしょうがない。ジェムは汗ばんだ手を拭いたい気持ちを我慢しながら、じっとコリンの返答を待った。


 すると、コリンは鋭い視線を引っ込め、考えるときの癖なのか人差し指で頬を引っ掻きながら、棚の森を見渡し始めた。


「……うーんと、そういうことなら、ちょっと待ってて」


 コリンはそう言うと、ぱたぱたと駆け足で、棚で溢れた部屋の奥深くに吸い込まれていった。


 コリンが近くにいないことを確認すると、ジェムは大きく息を吐いた。ついでに汗ばんだ手を、袖を擦るようにして拭った。リリーはジェムのベストの裾を引っ張り、こちらに顔を向けた彼の耳にそっと顔を寄せ、ひそひそと囁き声で訊ねた。


「ロケットのこととか、わたしが調査を依頼した張本人だってことは、隠しておいた方がいいのね?」


 ジェムはちら、と辺りを確認してから、リリーと同じように囁き声で答えた。


「コリンの言った通りだよ。思ってたより、ぼくはまずい立場にいたみたいだけどね。しかもきみの依頼は、正式には受けていない依頼なわけだし、こんなこと監査部に知られたら、ぼくは査問を受ける羽目になりそうだな」

「査問?」

「そう。怖い人たちに囲まれて根掘り葉掘り聞かれるなんて、たまったもんじゃない。……父さんの立場も危うくなるかも」


 では、どうしてブランポリスの支部長は自分の依頼を請け負う判断をしたのだろう。まさか、ロケットの彫りを見て、スワイリーに気付かなかったとも思えない――いや、あれは絶対に気が付いていた。しかし、その疑問を今、口にすべきではないのだろう、とリリーはそれ以上考えるのを止めた。


「じゃあ、わたしたちは、わたしのお父様の仕事の関係で、スワイリーへの対策を一緒に練っているということにしましょう」

「きみのお父さんの仕事って?」

「画商です」

「……なるほど」


 リリーは得意げに微笑んだ。


 それはそうと、ジェムとリリーがひそひそと耳打ちし合っている間に、コリンはすっかりスワイリーの捜査ファイルを集め終えていた。よく知る間柄であるジェムが、今日初めて目にする少女と至近距離で会話をしている様子を目前にして、コリンは呆気にとられていた。


 いや、まさか……、まさか?


「もしかして、そういう関係?」


 コリンの出現にようやく気が付いたふたりは、ぱっと互いに距離を置き、そして、まごついた視線を交わし合った。

 確かに、今のは距離が近過ぎた。真面目な話をしていたのだし、内容が内容で、コリンに聞かれたくなかったからこそのあの距離だったのだが、傍から見れば、親密そうに見られるような距離でもあった。なにか、納得のいく説明をしなければ――と。


 意を決して、先に視線を外したのはジェムの方だった。「いや、なんていうか、その、」と首を擦りながら、しかし一向にその先の言葉が続かないので、リリーはだんだん焦ってきた。彼には、一切の言い訳が思い付いていないのだ。ここは、自分がなんとかしなければ、ますます怪しまれてしまう――と。


「えっと、わたしたちは、そのう――」


 勢いで口を開いたは良いものの、リリーの方も一切の言い逃れが思い付いていない。そのうえ、助けを望めるような者はどこにもおらず、コリンからの射抜くような視線を一身に浴びて、リリーの顔は居た堪れなさのためにみるみるうちに赤くなっていく。


 ……どうすればいい? 恋人ではないと否定すべき? でも、それじゃあどうしてあんなに顔を近付けて話してたんだってことにならない? ふたりきりになった途端ひそひそ話をするだなんて、それって恋人同士じゃなければただの怪しい動きじゃない? だったら、いっそのこと、恋人だって嘘を吐くべき? でもそれは、彼にとって、迷惑になるんじゃないかしら……。


 そして、リリーは声を絞り出すように言った。


「――わ、わたしの口からは、とても言えません……っ!」


 ジェムは、へっ、と素っ頓狂な声を出してしまい、そしてコリンは、えっ、と目をぱちくりさせ、慌ただしくジェムとリリーの顔を交互に見比べた。


「えっ、なに、ちょっと、どういうこと?! ジェム! キミ、一体何をしたの?!」

「いやいやいや、なにもしてないよ、誤解だから!」

「だったら何?! 言えないような関係って、一体何なの?!」


 ああ、もう、面倒臭い。


「――"ワトソン"だ! ぼくの"ワトソン役"だよ」

「でもさっき、違う、って!」

「それはっ、……まだ誰にも言ってないから。父さんにも、彼女を寄越した依頼人にも」


 ジェムの説明に、コリンの顔付きがきりっと変わる。


「ダメだよ、ジェム。それは、人の未来を左右する問題だよ」

「わかってる」

「リリーにもちゃんと説明した? この仕事が実際はどういうものなのか。キミも知ってるはずだよ、"ワトソン役"がどんなに大変か。それでも、ジェムは彼女をキミの"ワトソン"にしたいの?」

「…………」

「覚悟、決まってないんだ? そりゃ、他人(ひと)に言えないわけだね」


 それ以上はだんまりを決め込んだ様子のジェムに、納得のいかないコリンだったが、渋々と両手に抱えたファイルを近くの机に置き、それを2束に分けた。


 ジェムとリリーは、取り敢えず、ふたりの間柄をこれ以上は詮索される様子がないことにほっとした。だが同時に、新たなわだかまりがふたりの間にできてしまったのだった。

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