マンションの部屋にて夫婦の会話
洗濯をベランダに干している妻、リビング掃除機かけてよと言われて手伝う夫、共働き夫婦の休日の光景。
「そうそう、ネットで頼まなきゃ……晩ごはん何にする?」
シーツを物干し竿にかけ、パンッとシワを伸ばしながら、背中越しに問いかけている。
「今さっき朝ご飯食べたばっかだし……、あ!でもオムライスと、コーンスープがいいかなー。夏菜子が最初に作ったメニューだよね」
掃除機を動かしながら、ふと思い出したそれを答えにした彼。
「えー!なんだか勿体ない!もう二度と、私の手料理食べられないんだよ、でお米あるの?」
「……、無い、お葬式終わった後に、どうにも自炊できなくて、職場に持って行ってさ、引き取ってもらったんだ、お米とか虫つくんだろ?だから」
「じゃぁ炊飯器……まさか中身は、そのままじゃあないわよね。私確かあの朝、ご飯炊いて出たもん」
何気ない言葉に、ドクンと心臓が大きく一つ跳ねた彼。キリキリと痛みを伴い、その朝の事を思い出す。ほんの些細な言い合いをした、どうでもいい事だった。
それにより家を出るのが遅れた。何時もなら、一緒に駅までの道を歩いた、だけどその朝は……、お互い別の道で、別々に向った。
日常が、普段がその選択により、大きく舵が切られた。
後悔が、大きく大きく彼の中で膨らむ。くだらない事で、朝から言い合いなんかしなければ、それよりも、どうしてあんな事を言ってしまったのか、悔やんでも悔やんでも戻らぬ時。
「ねえ……聞いてるの?」
部屋に入り、黙り込む彼に気がついた彼女は、振り返っても仕方無いでしょう、あの朝は私も悪かったし、それに。
「寿命よ」
とあっさりと言い切り話を閉じた。一応炊飯器をカパッと開け確認を済ますと、リビングのパソコンスペースに、向かうと電源をいれる。
「んー、ヨーグルトが安い、アイスも買っちゃおう、お菓子もジュースも、パンに、ハムとチーズ、冷凍野菜、お漬物に、唐揚げ、パックのレンチンご飯に、レトルトカレー、豚バラが安い!ねー、今日の晩御飯、オムライスなら、冷凍ピラフ使おっかなー、キャベツともやしが安いけど野菜炒め作れる?無理?どっち?」
深く悔いる夫の気を紛らわす様に、ちょっと聞いてる?と、矢継ぎ早に言葉を投げかけている。
「聞いてる、うん……、でもそんなに買ってどうすんの?今日中に捌けないよ、だって君は……」
言葉に涙が宿る。腕時計の確認をする。
時が進んでいる。一秒、一秒先へと動いている。
「買うのは、貴方の為だもん、食べなきゃ生きていけないでしょう?もう!」
その返事にイライラッとした夏菜子は、その場から離れると、彼の目の前に立つ。
1秒2秒3秒……じっと見つめると、腕を広げ夫の背にまわした。心臓の音を聴くように胸に耳をあてがう。
ええ!なに、ど、どうしたの、妻のいきなりの行動にドキマギとする、頭ひとつ分低い彼女、身を寄せ合う事により感じる柔らかさと体温、香り。
「ねえ……どきどきしてる、フフ、どうしたの?」
キスして、と甘えそのままに言う彼女。突っ立ったままの彼は顔を赤らめる。そしてどうしようかと考え……
「や、やめとく……」
肩に手を置いたが、あれこれと考え断る夫。
「なんでよ!私の事嫌いなの?そういやベッド新しく買い替えてたし!誰かいるの?」
「いないよ!部屋見れば分かるだろ!彼女がいれば冷蔵庫もなんか入ってるし!ベッド変えたのは、その……色々思い出すからさ、寝れねーんたよ!しばらくリビングの床で寝てたんだ!そ、それに今、キスしたら消えてしまいそうで……だからヤダ!」
少年の様に半泣きの顔を真っ赤にし、ヤダ!と言い切る彼に、まあ……なんてヘタれな、胸元から見上げそう思う、夏菜子。クスクスと笑いが込み上げる。
「なんだよ、前から思ってたけど夏菜子は、意地悪なんだよな、そうやってさ、いっつも、いっつも……」
「いっつもって何よ!言ってみなさいよ!」
からかう様に話す。言葉とは裏腹に、離すまいと肩に置かれた手に、力が入るのを感じている。甘える様にモゾモゾと動いてみる。
「う……今意地悪してっし……」
「うふふ、夫婦なんだから……、我慢しなくてもいいんじゃない?」
やっちゃダメとは言われなかったから……と誘いをかける。
「……、あ、そうなんだ……、ってか!ダメダメ!そんなことしたら、明日から生きていけないよ!そんでもって、やったら消えるとかも有りそうで怖い」
そう言い頭をブンブン振ると、グイっと手を伸ばし密接していた身体を離した。
もう、せっかくのチャンスを無駄にする気なの?と笑いつつ、きちんと背を伸ばして、少しばかりしょんぼりとしている彼に向き合う彼女。
「大丈夫、何したって消えないわよ、時間が満ちない限りね、だからね、勿体ないじゃない?こうしてケンカするのは良いけどさ、終わってしまって、どうしようもない過去を振り返る為に、せっかくの『今日』を使うのは、やめとこうよ」
その言葉にハッとした夫。そうだった。『時』には限りがある。86400秒しかない……。
「朝7時開始だったの、何やかやで朝ご飯遅れて9時前、今は10時30分……、明日の午前7時迄の時間よ、大事に使わなきゃ勿体ない」
「う……そ、そうだった。この時計がぐるりと一周すれば……針が元の位置に戻れば、僕達は」
「そ!だから、一分一秒!楽しまなきゃ……美味しいもの食べて、笑って、何時もの話をして、ケンカして、仲直りするの」
そう言うと、ぶらんと下げていた手を取る夏菜子。腕時計の文字盤をじっと見る。
一秒、一秒、チッチッと規則正しく進んでいる。それは生者の心臓の鼓動の様に思う夏菜子。
とくんとくん……、耳に残る温かい血潮の音が、夏菜子の心に響いている。