プロローグ、虹色薬局の店主が見つけたお客の男
日が昇り沈む、闇になれば、月や星が瞬く。そしてまた太陽が空を曙色に染めながら昇る。動物も植物も太陽の動きのそれで、目覚めて起きるを繰り返している。
86400。
ハチマンロクセンヨンヒャク秒。
一日は二十四時間、それは人間の概念。
立ち止まろうが、動けなくなろうが、勝手に進む時、その積み重ねで日々が経ち過ぎて行く。デジタル表示の時計だと、一秒の動きは見えない。
コチコチ、コチコチ、生真面目に秒針が動く時計、またはストップウォッチ、秒をコンマ迄極めるアスリート達の記録に存在を感じる。
――あと数秒出るのが遅かったら……その後の行動はズレてくる。そのまま遅れるか、それか遅れまいとする気持ちにより、速まるか。
きっちり同じタイミングにはならない。
☆☆☆☆☆
薬局の店主である彼女が、少しばかり店を閉め、近くの甘味処『オット星のホニャララ』で、町内の情報収集がてら、茶店の店主とお茶を啜っているある日の午後。
「ふうん、ステイホウムねえ……そういやちょっと昔にねそんな事あったさ『自粛札』ってのを政府が配ったんだよ、あれは『贅沢は敵』とかなんとか、言い出した頃だっかね」
虹色薬局、フォーアイ堂の店主は、スリランカ産のアッサムに温めたミルクをたっぷり入れたのが好み。
「そうそう!あの時きゃ大変だった、なんでもかんでも駄目!おまけに天罰だかなんだか知らへんけど、よう調べもせんと、袋叩きにするんもおったし……、何や今と変わらへん」
そう話しながら、カウンターで話し込む店主の彼、名を小次郎というのだが、ある理由から名前は変えている。
「そういやネットでさ、やなもん見ちまったよ、世も末だねぇ、何度、末が来とるんやら……、て今日は武蔵はおらんの?」
これ、ダーリンが創った新作やねん、食べてと出された、小鉢に盛られた水菓子、シロップの中に黒いタピオカがたっぷりと沈んでいる………。
「ちょいと!どう見ても!カエルの卵にしか見えないよ」
「そやかて、タピオカを味わいたいのに、表通りのは、大き過ぎて困るやん、クリームとかもいらんし、年寄りに、どんだけ砂糖食わすきなんや?」
「それはそうやけど……、スィーツはやっぱり見た目重視、女心がわかってない、そんなのやからお通さん一人を、うまいこと言いくるめられないんやわ、って私が話してたって言っといてな」
等と他愛のない話をし、薬局の店主は黒いそれを銀の匙ですくいを食べた、終えると茶店を後にする。少しばかり先にあるスーパー『やおローズ』で買い物を済まそうと、向かっていると何やら『陰気』を察知した。
「やな気だねぇ……、路地裏商店街に持って入られちゃ困るよ!どこのボンクラが醸してんのかい!全く……、純男ってのは!ウジウジ、ウジウジ……いや、これは……そう、愛が深いんだよ、底なし沼なんだよ、ズブズブに脳天迄沈んじまってるよ、これは金平糖でも癒やすのは無理かね……」
ほう、と重い吐息をついたあと、キョロキョロ探すと一人の痩せた男の後ろ姿を見つけた。
そして彼女は彼と縁を結ぶ。声をかけ、不思議な魔力満ちる己の店に連れて行く。
「一日でいいから、妻に会いたい」
そう言うとさめざめと泣く彼に、商談を持ちかける。
「そうさね皆、愛するものに旅立たれると、遺された者は、一日でいいから会いたいと言う、ただそれには、二人の想いが、寸分の狂いなくピッタリおなじ量じゃないと出来ない、しかし方法が無い訳では無い」
「そんな事ができるのですか」
掠れ声で震えるように問いかける客の男。
「ああ、分が悪い取引になるよ、成功しても、お客様の寿命が24時間、きっちり冥府の神に獲られる、そして相手が応じなければ、お客様の寿命は全て喰われる、それでもいいのなら手をかそう」
男の答えはイエス、それで良いとすがる様に頼み込む。
「いい、それでも良いから……、たとえ彼女が僕の元に来なくて、寿命全てを食べられても、このまま生きているのは辛い……」
ふうう、体の良い自殺補助になったら、困るのだけどねぇ……、と思いつつ、店主は、古びた革ベルトの腕時計と、水晶の小瓶を取り出した。瓶の中には液体が入っている。
「『86400時計』さ、使い方は先ずは風呂で身を清め、白い寝間着を着るんだよ、パジャマでもいい、何でもいいから白をね、そして寝る前に、この『月光水』を飲む。腕時計を嵌めて眠るんだ。翌朝……分かる、相手か来たら成功、そして時計の針が86400指し終えれば、おしまい、それまでに、見つけるんだよ、来なかったら、目を覚まさない。それでも使うかね?」
ピッタリ正午の位置に、針を指し止まっているそれ、大きめの文字盤は丸く真鍮の輪にはめられている、グルリと細かい点が、外側に、内側に、そして不思議な記号も描かれている
それらを、じっと見た彼。躊躇することなく手を差し出した。そして、受け取りながら、お客の男はかたく頷き、彼女が話した内容を心と脳に刻み込む。
一日でいいから戻りたい。それしか彼の心には無かった。かたく、硬く後悔と懺悔で凝り固まり動けなくなっている彼、家に帰り言われた通りに事を起こす。
白と、言われたので、クローゼットを漁り、ティシャツとスエットを引っ張り出してきた。シャワーを浴び着替えを済ます。
粛々と準備をする、寝室で小瓶の水を一息に飲み干した。ほんのりと草葉の味が広がる、動いていないそれを腕に嵌める、準備を整えていく。
葬式の様だな……そう思った、だけどそれでもいいと彼は薄く笑う、そしてベッドに潜り込もうとした時、別れ際オマケと手渡された、紙袋の事を思い出した。
「水を飲んだら眠る前にこれを食べるといい、虹色金平糖さ、一つ食べれば、記憶の中の愛する人に逢える」
部屋を出ていき、昼間着ていた服のポケットから、それを取り出す。捻った袋の口をを開けると、一つ摘んで口にした。唾液と混じり体温で溶けていく……。小さい頃に舐めた味がする。妻と一緒に食べたお菓子の甘さが蘇る。
物悲しく寂しい気持ちに溢れる。目元をこすりながら寝室に戻り、くしゃくしゃの掛け布団に潜り込むと目を閉じた。緊張をして眠れなかったら……と案じたのだが、
口の中に広がる優しい甘さが、とろりとした闇を連れてくる。それに誘われる様に男は眠りについた。