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自主性という名を用いて何もしない大人たち

作者: 神崎コウ

 

  自主性とは本当に便利な言葉だと思う。


  今、色んな学校がこの言葉を用い生徒の自主性がどうのこうのと生徒たちに向かって説いている。


  ただ、蓋を開ければ空っぽというケースがほとんどだ。


  本来ならば、自主性を尊重したいのであらば学校という枠組みにいる以上学校側、つまり教師陣の協力が不可欠なのにも関わらず、生徒がこうしたいと言うとそれを否定する。もちろん、何でもかんでもいい訳では無いし、予算的に厳しい場合もあると思う。が皆1度は思ったことがあるかもしれないが、なぜこれがダメなんだという校則や、学校に勉強に必要なもの以外持ってきてはいけないといった、モラルやルールさえ守れさえすれば何も問題のないこの規則のことに。加えて規則を破ると連帯責任と来たもんだ、個人への罰則でいい所を全体に課すこの謎のルール。学校はどうやら僕の知らないところで自衛隊にでもなったようだ。今思えば小学校の時の運動会での行進もそれを彷彿とさせる。(皮肉)

  学校側からしてみれば、連帯責任や行進で協力し合う意識を高めているのかもしれないが、自分の知らないところで罰則を受けそれがだんだん厳しくなってくると、誰もそれを守りたくなくなる。真面目にしていても連帯責任だと言われ報われないからだ。もし、生徒たちの協力意識を高めたいのであれば他の方法も僕はあると思う。


  そんな話は置いておいて本題に戻ると、この謎の規則を生徒達がこれはおかしいんじゃないかと教師たちに訴える。そこでちゃんとした理由でもあれば納得するがそれがない。ただ頭ごなしにダメとしか言わない。だから生徒たちは疑問に思う。僕は自分達の意見を述べることが自主性だと思う。ただ、今色んな学校を見ればわかるようにそれがない。なぜか、大人たちに否定されるからだ。だから生徒たちは、これはおかしいんじゃないかと思ってもそれを受け入れ、いや諦め、これが現実だと思い込み、次第に大人たちに何も言わなくなる。


  果たしてこれが自主性と言えるのか。


  僕は皆に問いたい。


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