第85話「捨て身の防衛」
菫は政悟と目が合う。すると彼女は樹の後ろにササッと隠れる。
本能的にこいつはやばいと感じ取った菫は体を震わせていた。初対面ではあっても相手の言動や仕草から危険人物であるかを知る事ができる。
そんな彼女の男性恐怖症は、その卓越した防衛本能を持つ事により発症していた。だが本人にその自覚はなく、単なる怖がりであると思っている。
「初めまして。俺は黒杉政悟です」
「な、長月菫です」
「おや、緊張しているようですね」
「そいつは男性恐怖症なんだ。だからあんまり近づくと嫌われるぞ」
「忠告ありがとう。普段は会社経営をしています。あなたは?」
「フリーコンポニストです」
「フリーコンポニスト?」
政悟は知らなかった。世の中には経営者と労働者以外にも様々な働き方がある事を。ましてやここ最近生まれたばかりの職業の事など知る由もない。
しかも総理官邸爆破事件からはずっとレジスタンス新聞を追い続けているためか、菫には彼が常に起こっているように見えている。
「家で作曲をしています」
「作曲家でしたか。メジャーデビューはしているのですか?」
「いえ、していません」
「でしたら今度音楽プロデューサーを紹介しましょう。もし気に入ってもらえれば、メジャーデビューができるかもしれません。そうなればより多くの人にあなたの曲を聴いてもらえるかもしれませんよ」
「より多くの人に――私の曲をですか?」
菫にとってメジャーデビューは願ってもない夢であった。
何度か曲を応募したが全て酷評され、自信を失いかけていたところ、音楽サイトを調べている内にメジャーデビューできなかった作曲家たちがこぞって参加し、その中で突き抜けた者はメジャーデビューの夢も叶うと思い参加するようになった。
「ええ。ただし、俺とカップリングしてくれるのが条件です」
「カップリング……ですか?」
ふと、菫は真の事を思い出す。
マコ君も他の女性とカップリングしてるし……だったら……。
「駄目だっ!」
「「!」」
「長月さん、こいつは危険だ。絶対にカップリングしちゃいけない」
「どうしてですか?」
「こいつは自分がちょっとでも機嫌が悪くなると、気晴らしに誰かをクビにしたり、相手が所属している会社に圧力をかけてクビにさせるような奴だ。そんな奴とカップリングしても、幸せに何かなれるはずがない」
「おいおい、何の証拠が――」
「俺もこいつにクビにされた1人だ。証言してくれる人だっている」
「!」
菫は自らの栄光と現状を天秤に乗せる。
しかし答えは明らかだった。菫には金銭欲もないし、他の人を犠牲に幸せを手に入れる事も望んではいなかった。
「ありがたいお話ではありますが、メジャーデビューはお断りします」
「えっ、ど、どうしてです」
「あなたが信用できないからです」
菫は樹の後ろに隠れながら精一杯の勇気を振り絞る。相手が何者であるのかも知らないまま。
彼女もまた世間知らずであった。自由気ままに作曲ばかりをしていたためか、一般的なニュース以外の事はあまり知らないのだ。
「まっ、そういう事だ。分かったら彼女には手出ししない事だな」
「クッ……貴様、ただで済むと思うなよ」
「おっと、俺はレジスタンス新聞所属だ。俺に何かあったら、お前らの企みの全てが公表される。分かったら手出しはしない事だ。もし彼女と強制的にカップリングしようものなら、分かってるよな?」
「ふんっ、覚えてろよ」
政悟は面白くないと言わんばかりに捨て台詞を吐くと、まだ始まってもいないこの婚活イベント会場から立ち去っていく。
いつもより強く地面を踏み鳴らし、イライラを回りに振り撒かんとするその歩き方に周囲はゾッとする。もはや自らの本性を隠す余裕さえなかった。常に銃を突きつけられているかのような危機感に、彼の精神は疲弊していた。
「危なかったな」
「ありがとうございます」
「実はな、奏があいつに強制カップリングをさせられてたんだよ」
「えっ! 奏さんがですか?」
「ああ、黒杉財閥の連中は権力を背景に次々と気に入った相手とカップリングして、その中から最も価値のある人間を選んで強制的に結婚させられるそうだ」
「何故そんな事を?」
「あいつらは金と権力があれば何でもできるって本気で思い込んでる。分かったらあいつらとは関わらない事だ」
「は、はい」
強制カップリングをさせられたって事は、じゃあ、もしかしたらマコ君も……。
「それではこれより、結婚したくない人限定編を始めます。今から2時間の間、ゆっくりと話してくださいませ。恐らくないでしょうが、もしカップリングがあった場合は発表させていただきます。ではスタートです」
みんなが一斉に世間話を始める。
カップリングする気すらないのが必然であるが、菫のそばにはもしかしたらカップリングできるかもと近づいてくる者がちらほらおり、またしても菫は多くの男性陣に包囲される格好となった。
「ねえねえ、どっから来たの?」
「ちょっとだけ話さない?」
「連絡先だけでも交換してくれませんか?」
「えっ、えっと」
「あれっ……もしかして菫ちゃん?」
「!」
久しぶりに会ったような台詞に菫が反応し、声の正体を確かめるべくその方向を見ると、そこには一度見た事のある顔があった。
菫はその姿をどこか懐かしいと思うのであった。
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