第83話「魂の抜け殻」
何だかとんでもない事になりそうだなー。
真はそんな事を考えながら樹の行く末を心配する。
だが彼はそれ以上に菫に伝えたい気持ちを伝えられないままでいる事の方がずっと心配だ。真は珍しくカシスオレンジを何杯も飲んでいる。
菫の事を忘れようといつも以上に飲み続けるが、それでも彼女の事をなかなか忘れられないばかりか全身に酔いが回っていく。
「おい、飲みすぎじゃねえか?」
「そ、そうですかねぇ~、えへへ」
真は顔を真っ赤にしたままカウンター席にバタッと突っ伏してしまい、樹は呆れ顔のまま彼を飲みに誘った事を後悔する。
「ったくしょうがねえな」
2時間後――。
八武崎家の玄関のそばにはタクシーがエンジン音を立てながら停まっており、樹が会計を済ませた後でインターホンを鳴らすと、慌てて奏が出てくる。
「済まないな。わざわざ送ってもらって」
「良いんだよ。こいつも相当滅入ってたみたいだしな」
真は熟睡したまま樹が呼んだタクシーの後部座席に座っており、そんな彼に奏が肩を貸し、八武崎家の玄関まで運ぶ。
「よいしょっと。ふぅ、真くらいの体重でも、結構重く感じるもんだな」
「――ずっと重いものを背負ってきたからじゃねえか」
「ずっと重いもの?」
「ああ。こいつ、ずっと長月さんの事ばっかり話しながらカシオレ飲んでたよ」
「あぁ~、そういう事か。あっ、そうだ。タクシー代を払っておかないとな」
「んなこたあ良いんだよ。俺が勝手にした事だからよ」
「そうか。でもタクシー行っちゃったけど、大丈夫なのか?」
「えっ!」
ふと、樹が玄関とは反対方向を向く。
「あっ!」
そこにタクシーはなく、既に出発した後だ。樹はしまったと言わんばかりに顔が青ざめてしまい、ポカーンとした表情になる。
「ふふっ、タクシーを停めておかないミスをするなんて、相当疲れてるみたいだな。泊まってくか?」
「いや、歩いて帰るよ――ハッ、ハックション!」
「無理すんな。どうせ今も無職なんだろ。1日どっかで泊まったくらいじゃ困らないと思うけど」
「じゃあ今日だけ泊まってくわ。寝床は1階のリビングで良いぞ」
「分かった。じゃあ毛布だけ持っていく」
「……悪いな」
「真を家まで送ってくれた分の借りを返しただけだ」
樹はしばらく黙ったまま1階のリビングにあるソファーで落ち着く。
奏は真を起こすと、酔いを醒まさせた後で風呂と歯磨きを指示し、真は目を半開きにしながら黙々と作業を済ませ、2階にある自分の部屋まで上がっていく。
その間、彼は一言も喋っていない。もはや話す元気すらない魂の抜け殻のようだった。
「樹、真が風呂上がったから入って良いぞ」
「ああ、分かった」
「あたしもう寝るから、風呂の栓を抜いて電源も切っといてくれ」
「おう」
奏は既にパジャマに着替えている。そのまま彼女も2階まで上がると、1階には樹がただ1人沈黙の中に居座っている。彼は両腕を頭の後ろで組みながら天井のライトを見つめている。
「――風呂入って寝るか」
翌朝、樹は真が起きてくる前に朝食を済ませて家を出ようとする。
「もう帰るのか?」
身支度を済ませて玄関まで行ったところで樹は奏に呼び止められる。
「ああ、12時から『結婚したくない人限定編』っていう婚活パーティがあるんだよ」
「婚活イベントなのにそんなちゃらんぽらんなものまであるのかよ」
「マリブラには色んな奴がいるからな。多分その中で婚活イベントを企画している人の中には、婚活法が気に食わない奴もいるんだろうよ。せめてもの抵抗ってとこだな」
「婚活法へのアンチテーゼか」
「じゃあ行ってくるわ」
「ああ、気をつけてな」
あいつ、本当に大丈夫か?
午後11時、真が起きてくると、奏は彼を尋問するように話しながら昼食を食べる。
「昨日は随分飲んだみたいだな」
「あ、うん。ごめんね、心配かけて……いたたたた」
真は片手で額を抱えながら辛そうな顔になる。
「飲みすぎるからだ」
「次からは気をつける」
「分かれば良し。それで、樹と何を話してたんだ?」
「えっと、あんまりよく覚えてないんだけど、確かレジスタンス新聞に入社したって言ってたよ」
「! それ本当かっ!?」
「う、うん。確かそう言ってたと思うけど」
「……まずいな。確かあの会社は『テロ組織』に認定されている会社だ。あいつには悪いけど、しばらくは樹と関わらない方が身のためかもな」
「でも、テロ組織に認定されている割には、全然捕まる様子もなかったよ」
「えっ!」
真の指摘に奏は少し考え込む。
もしかすると、黒杉財閥はレジスタンス新聞に弱みを握られてるんじゃないか?
それなら黒杉財閥がレジスタンス新聞の人たちを逮捕できない事に説明がつく。あの総理官邸での爆破事件でレジスタンス新聞の人による犯行である事は間違いないと言われているんだ。
なのに誰1人として逮捕されないのはおかしい。きっと誰かがあの時に黒杉財閥の弱みを掴んだ。そうとしか考えられない。
奏は食事をしながら深刻そうな顔でレジスタンス新聞の行方を案じていた。
樹はそんな彼女の気持ちも知らないまま、婚活イベント会場へと向かうのだった。
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