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第80話「混沌なる修羅場」

 この時、菫と涼音の目の前では大きなジェットコースターに乗っている大勢の客が、黄色い声を上げながら彼女らの前を横切っていく。


 菫はその光景を目にしながら青ざめた顔になり、全身をブルブルと震わせている。


「あ、あわわわ」

「もしかして怖いんですか?」

「うん」


 菫が可愛い声で甘えるように頷く。しかし涼音には手加減する気などなかった。


 涼音は自らの企みをここで話そうと口を開く。


「もしこれに乗るのを断るのでしたら、真さんは私が頂きます。じゃあ、そういう事で」


 涼音が意地悪そうに言いながらジェットコースターの列に並ぶ。


「待ってっ!」


 菫が精一杯の勇気を振り絞る。彼女は明らかに無理をしている。


「一緒に並びますか?」

「う……うん」


 涼音が顔をニタニタさせながら菫を誘い出す事に成功する。彼女はそれをしめしめと喜ぶが、心底では悔いている様子。これは全て涼音の作戦だ。


 誘えれば彼女と一緒にアトラクションを楽しめる。誘えなければ自分が真を奪いに行くと本気で考えていたのだ。


 菫は覚悟を試されていた。


 だが本人がそれに気づく事もなく、2人は列に並びながらスマホのアプリでしばらく時間を潰す。その間に2人が話す事はなかった。


 菫はいつの間にか涼音の言いなりになっていた。


 彼女は菫をすっかり手懐けていた。この正直で純粋無垢な性格は扱いやすいと同時に騙されやすいものでもあった。


 バイトである程度の社会経験を積んでいる涼音にとって、社会の事をよく知らない菫がまるで子供のように見えていた。そんな彼女を出し抜きたい気持ちと、放っておけない気持ちが葛藤する。


「菫さんって、どんな曲が好きなんですか?」

「私は昔からロックが好きなの。だから人工音声もロックを意識してるの。昔っからずっと大好きで、落ち込む度に聞いてきたの。マコ君にロックの曲を教えてもらってから、ずっとね」

「じゃあ、菫さんがフリーコンポニストをやっているのって――」

「うん、マコ君がきっかけだよ」


 ――やっぱり好きなんじゃん。


「……」

「どうしたの?」

「いえ、何でもないです」

「?」


 そしてコースターが目の前に迫ってくる。


 列に並んでいた事を一瞬忘れていた菫は、急に体が震えてくる。


「では次の組どうぞ」


 コースターにぞろぞろと人が乗り始める。菫はこの勢いに逆らえないまま涼音と一緒に乗る。


「どうしよう……もう限界」

「まだ発進してませんよ。目を瞑ってたらどうです?」

「あっ、その手があったね」


 菫は目を瞑ったままコースターが頂点の位置に達する。そしてそこから一気にコース上を駆け抜けるように高速スピードで彼女らを運んでいく。


 外界はどうなっているだろうか。彼女はその好奇心に負けてしまい目を開く。


「きゃあああああぁぁぁぁぁ!」


 菫はそのスピードの激しさから黄色い声を出してしまう。


 数分後――。


「大丈夫ですか?」

「う、うん、大丈夫」

「向こうにベンチがありますから、そこまで行きましょ」

「もう……乗りたくない」


 今、菫は青ざめた顔をしており、涼音に肩を貸してもらいながら一緒に歩いている。食後からそこまで時間が経っていない事もあり、かなり気分が悪そうだ。


「……菫さんの覚悟はよく分かりました」


 涼音が彼女には聞こえないくらいの声でそっと呟く。


「えっ? 何か言った?」

「いえ、何も……空耳じゃないですか? 気分が悪い時って幻聴聞こえる事あるらしいですよ」

「そうなんだ。じゃあやっぱり乗り物酔いのせいなんだ……」


 2人はそんな会話をしながらベンチまで歩く。


「……ん?」

「どうしたの?」

「あれ、真さんじゃないですか?」

「えっ! ……マコ君……どうしてここに?」

「確かデートに来られないって言ってたんですよね?」

「うん、しかも女の人と一緒にいる。どういう事?」


 菫と涼音は少し遠くから真と京子の様子を眺めている。


 京子は彼女たちから見て後ろ向きだ。真は何やら困っている様子。彼女たちはその様子を不信感を持ちながら眺めている。


「もしかして、菫さんとのデートをドタキャンしたのは、まさかあの女性とデートするためとか?」

「もう見てられない。確かめる方法は1つしかないよ」

「えっ、ちょっと――」


 菫は痺れを切らすと、涼音の制止を無視して真の元へと向かう。


 この衝撃的な光景に菫の乗り物酔いはすっかり醒めていた。ツカツカとコンクリートの地面を踏み鳴らしながら真の元へと近づいていく。


 涼音は少し遠くのベンチの後ろ側に隠れている。


「! スミちゃんっ!?」


 真が不信感に満ちた顔の菫に気づくと、何故そこにいるんだと言わんばかりに驚愕する。


「マコ君、これどういう事?」

「そっ、それはっ!」

「この人と一緒に遊びに行くために、私とのデートをドタキャンしたの?」


 菫はそう言いながら真に詰め寄る。


「……ごめんなさいっ!」


 真はその場の勢いに任せて頭を下げてしまった。しかし、この状況で頭を下げる事は、相手の証言を事実であると認めるも同じ事であった。


 ふーん、この人、どうやら浮気と考えているみたいですね。だったら……。


 菫はショックのあまり涙を流す。


「酷いっ! ずっと……マコ君を信じてたのにっ!」

「あのっ、これには深い事情があって――」

「でも私よりこの人を優先したのは事実だよね? この人とカップリングはしてるの?」

「そっ、そんなつもりじゃ」

「イエスかノーで答えて」

「答えはイエスですけど」

「「「!」」」


 口を塞ぐ真の代わりに京子が応える。


 京子はこれを真とのカップリングを維持するチャンスであると捉えていた。この咄嗟の思いつきにより、2人の決裂が決定的となってしまう。


 菫はカップリングを浮気と考えていた。しかし真にとってはたかがカップリング、この認識のずれが、2人の仲に亀裂を生みだしたのだ。


「マコ君なんかっ……大っ嫌いっ!」

「!」


 菫は涙を流しながらひたすら走り続ける。方向など全く考えていない。とにかく真から離れたかった。もはや浮気した人のそばにはいられない。その気持ちが彼女の心を執拗に痛めつける。


「スミちゃんっ!」


 真は彼女を追いかけようとするが、京子に腕を掴まれてしまいその場から動けない。菫が段々と離れていき、真の目に映る彼女の姿が段々と小さくなっていく。彼は絶望するしかなかった。修羅場と言っても良いこの状況に。


 真が呆然としたまま立ち尽くすと、京子はようやくその手を離すのだった。

これにて第4章終了です。

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