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第73話「社運を賭けた直談判」

 奏は自分が必要とされている事が嬉しくて仕方なかった。


 それこそが彼女にとっての数少ない生きがいであった。


 自分にも家以外に居場所があったのだと、奏はどこか安心の表情を浮かべる。最高の仲間に出会えて良かったと感じた彼女は、バッグからハンカチを取り出して目元の涙を拭き取る。


「部長、会社が本当に奏さんを不当解雇するって言うなら、私も一緒に会社を辞めるって人事部に伝えてくれませんか?」

「えっ! 多摩さん何言ってるの?」

「こんなに良い人を不当解雇するような会社になんていられません。ましてや奏さんは食品開発部のエースなんですよ。彼女が辞めるべきなら、私なんてなおさら辞めるべきですよ」

「そうだそうだ。俺も辞める」

「俺も辞める」

「私も辞めます」

「私も」


 真凛の突然の申し出を皮切りに、奏を不当に辞めさせるなら自分も辞めると申し出る者が後を絶たず、ついには明子を除く食品開発部の全員が辞めると言い出したのだ。


 これにはさすがの明子も焦りを見せる。


 自らも身を切る覚悟を決めなければならなくなった。もはやさっきまでの状態には戻れない空気となっていた。


「……みんなの言いたい事はよく分かった。これから私と奏の2人で直談判してくるね」

「「「「「お願いしますっ!」」」」」


 明子以外の全員が同時に頭を下げながら希望を託す。


「ただし、彼女のクビが決まるまではちゃんと働く事。良いね?」

「「「「「はいっ!」」」」」


 明子は奏を連れて人事部のオフィスへと向かう。


「奏さん、大丈夫かな?」

「大丈夫だよ。今までだって、奏さんはどうにかしてきたじゃん」

「まさか真凛があんな事を言うなんて、思ってもみなかったな」

「この前奏さんに助けられた借りを返しただけです。おかげで私も身を切る覚悟をしないといけなくなっちゃいましたけど、あの人のためなら、悔いはないって思えるんですよね」

「――あんなに素敵な人なのに、何で男から人気がないんだろうね?」

「人を動かすほどの魅力の持ち主だからこそですよ。男からすれば、生意気に見えるんでしょうね。私はもう奏さんにぞっこんなのに」

「へぇ~、奏さん好きなんだぁ~」

「かっ、勘違いしないでくださいよっ! 私はあくまで1人の人間として奏さんを尊敬しているってだけですからねっ!」

「はいはい」


 姫香がニタニタしながら赤面する真凛をからかう。


 食品開発部最大の危機が訪れているにもかかわらず、彼女たちは明るく振舞っていた。みんな直談判が通る方に賭けていたのだ。


 その頃、奏と明子が人事部のオフィスへと辿り着く。


「どうぞ」

「! 石井じゃないか。どうしてここに?」


 黒いスーツに白髪交じりの黒髪をした男が驚き、椅子から立ち上がる。


「人事部長、折り入ってあなたに相談があります。これは緊急の案件です」

「――何の相談だ?」

「ここにいる八武崎奏を我が社に残していただきたいのです」

「それは駄目だ」

「彼女は特に大きな過失を犯していません。故に納得がいく説明をしていただかなければ」

「……そこに座ってくれ」


 人事部長はそう言うと、彼女たちを部屋へ受け入れる。


 彼は秘書にお茶を持ってこさせるように言うと、自らも彼女たちと対面するようにソファーに座り、不機嫌そうな顔で左腕の腕時計と定期的に睨めっこをしている。


「彼女に事情は説明したか?」

「既に知っていたようです。八武崎さんも当事者ですから」

「分かっているなら、何故ここへ来た?」

()()()は直談判をしに来たのです」

「頼むからこれ以上私を困らせないでくれ。誰を相手にしているのか分かってるのか?」

「ええ、もちろんです。しかし、何の罪もない者が不当解雇されるのを黙って見過ごすわけにはいきません。彼女は貴重な戦力です。もしこのまま八武崎さんの不当解雇をそのままにするのであれば、食品開発部の者たちは全員辞職すると言っております」

「おいおい、冗談はよしてくれ――」


 人事部長が笑いながら突っぱねようとする。


「これを見ても同じ事が言えますか?」

「!」


 明子は食品開発部の社員全員の辞表、そして明子自身の辞表までをもバッグから取り出すと、それらをお互いの前にある机の上に突き出す。


 人事部長はしばらく顔がポカーンとなり、開いた口が塞がらない。


「私は、いえ、私たちは、社員を不当解雇するような会社にはいたくはありません。これが食品開発部の総意です。方針を変えないのでしたら、その証として、これら全てを受理してください」

「……何故一社員のためにそこまでするんだ?」

「これは一社員の問題ではありません。我が社の存亡にかかわる問題です。今までに数々のヒット商品を開発してきた食品開発部の社員全員が一斉に辞めれば、任命した人事部にも責任が及ぶのでは?」

「君は、私を脅しているのかね?」

「いえ、どちらを選ぼうとあなたの自由です。ですが、選択には責任が伴うものである事くらい、ずっと人事部の仕事をこなしてきたあなたなら――お分かりですよね?」

「……なるほど、石井さんの要求を呑めば、我が社は黒杉財閥を敵に回す事になり、要求を呑まなければ会社倒産の危機……か。ずっと人事部としてやってきた私だが、これほどの苦渋の決断をさせられるのは初めてだ。これは私1人では判断しかねない。社長に相談させてくれ。明日には答えを出す」

「分かりました。では明日まで待ちます。失礼します。行くよ」

「はい」


 奏と明子が同時に出ようとする。


「待ちたまえ」

「「!」」

「八武崎、君のおかげでどれほど大勢の人に迷惑がかかっているか、それを自覚してるか?」

「――お言葉を返すようですが、その大勢の人に迷惑をかけているのは、黒杉財閥なのでは?」

「……」


 奏が後ろを振り返ると、悲壮の顔で人事部長の目を見ながら問いかける。しかし人事部長には返す言葉はなく、彼女たちはその場を去って行く。


「ふぅ、さすがの私も肝が冷えた」

「あたしが1人で行っても良かったんですよ」

「八武崎さんは何にも分かってないねー。ああいう偉そうな人たちはね、相手の肩書きだけで相手をどう扱うかを判断するの。ましてや係長くらいの人じゃ、そもそも相手にすらしてくれないよ」

「そうですか」

「ふふっ、分かればよろしい」


 明子はそう言いながら奏よりも先に歩き、食品開発部へと戻っていく。


 それを追うように、奏も社内を闊歩するのだった。

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