第33話「結婚式の前夜」
真と奏が菫の両親に頭を下げてから1分が過ぎる。
またしてもこのリビングを沈黙が支配する。腰を折り曲げ目を瞑りながら姿勢を崩さない2人、困り果てている菫の両親。
彼らは苦渋の決断を迫られている。
全員それを分かっていたためか、沈黙の時間が彼らにはより一層長く感じるのだ。
「頭を上げてください」
「……あの、無理を言っているのは分かってます。でも――」
「今日のところはお引き取りください」
「僕はスミちゃんに幸せになってほしいんです。あなたはどうなんですか?」
「私たちも、菫が幸せになる事を願っています。しかしそれとこれとは別です。私たちは私たちのやり方で、菫を応援したいと思っています」
「明日の結婚式は何時からですか?」
「結婚式は正午からを予定しています」
「……そうですか」
真は残念そうな顔で玄関へと向かう。
奏は心配そうな顔で真を追いかける。
「おい、良いのか?」
「仕方ないよ。スミちゃんの両親が動かないなら、僕が何とかするしかないよ。失礼しました。じゃあもう帰りますね。お邪魔しました」
「お、お邪魔しました」
2人は客用に出された麦茶を全く飲まないまま帰っていく。
「あなた――良いの?」
「ああ、良いんだ。これも菫のためだ。覚悟はできてる」
午後6時、真と奏は帰りに買い物を済ませると自宅へと戻っていく。
奏はいつものように買い物袋を2つも持参している。
真も奏もパンパンになった買い物袋をそれぞれ片手に持ちながら家に上がり、キッチンに辿り着いたところで同時にドサッと置く。
2人は冷蔵庫に食材を一緒に入れていく。
「ふぅ……スミちゃんの両親だけどさ、結局肯定も否定もしなかったな。きっと迷ってるんだろうけど、あの様子じゃ、保身に走るかもしれないな」
「僕はスミちゃんの両親を信じるよ」
「信じるったって、スミちゃんが八王子家に嫁いだらどうすんだよ?」
「スミちゃんがそれを回避する事を望むなら、僕は抵抗を続けるよ。僕、明日の結婚式に乗り込もうと思う。そこでスミちゃんに本当の気持ちを確かめる事にする」
「あんたそんな事したら、結婚式場からつまみ出されるだけじゃ済まないぞ!」
「その時はその時だよ。だってほっとけないもん」
「真らしいな。あんたは昔っからそうだったな。誰かがいじめに遭っていたら、そこに割って入って今度は真がいじめの対象になってたもんな」
「この癖が原因で、僕はどこのクラスにも馴染めなかったけど、困っている人を見過ごしたら、自分が困っている時に誰も助けてくれなくなるって思ってたからさ」
真は集団に向かないところがあり、彼はそれで就職を断念した。
群衆の中でうまく立ち回れないが、そんな彼だからこそ信頼される事も多いのだ。
「スミちゃんは男性恐怖症だけど、真だからあんなに仲良くなれたんだろうな。事情があったとはいえ、普通は男の家に泊まりたいなんてなかなか言えないものなんだぞ。彼女みたいに警戒心の強い女が男の家に泊まるってのは、相当信頼してるって事だ」
「うん、僕、彼女の信頼に応えてみせるよ」
奏のスマホが着信音を鳴らす。
奏はすぐにメールを見る。メールの相手は真凛だった。
『奏さん、さっき部長から明日取引先に謝りに行くようにって言ってたんですけど、一緒に行っていただけませんか? 私だけではうまくいく気がしません。お願いしますっ!』
そう言えば真凛の件、まだ解決してなかったな。
奏は真凛に明日一緒に行く事を約束する内容のメールを返信する。
午後7時、真と奏は夕食を食べる。
米、味噌汁、野菜の漬物、和風ソースのハンバーグ、ひじき豆、ほうれん草の胡麻和えがある。
2人は家に帰ってきてからずっと降り続いている雨の中、共に夕食と食べる。
真は今回の献立から奏の不安を読み取っていた。
「姉さん、そういえば何で今日会社休んだの?」
「そんなの最初っから真と一緒にスミちゃんの家に乗り込むつもりだったからに決まってんだろ。真が断ってたらあたしだけでも行ってた。スミちゃんを助けたい気持ちは、あたしも同じだからさ」
「明日の結婚式は正午からだけど、姉さんは大丈夫なの?」
「――その事なんだけどさ、明日一緒に行けなくなった」
「ええっ!? 何でっ!?」
「うちの部下が仕事でミスをしてしまってな、それで取引先に一緒に謝りに行く事になったんだよ。もしそこと取引ができなくなったら、会社は一気に大赤字の危機になる」
「そんなに重要な相手なんだ」
「まっ、そういう事だ。だから結婚式場にはあんた1人で行ってくれ」
奏は取引先を相手に社運のかかった交渉のため、共に結婚式場へ行けない事を残念に思いながらも真を信じる事にした。
「……分かった、そうするよ」
「ところで、王子ホテルまで行ってどうするつもりなんだ?」
「あっ! 考えてなかった!」
「やっぱり――」
「スミちゃんに一言結婚したくないって言わせれば良いと思うんだけど」
「んー、そうだなー。だったらさ、スミちゃんのサプライズという扱いで登場して、そこで幼馴染からのスピーチって事で飛び入り参加したらどうだ?」
「なるほど、それなら自然な形でスミちゃんにメッセージを伝えられるね」
「ん? 何だか風が強くなってるな」
奏はリビングのテーブルに置いてあるリモコンを手に取りテレビをつける。
ニュース番組に切り替えると、女性のアナウンサーが天気予報を放送している。
『現在、小笠原諸島の方から関東地方に向かって大きな台風が向かっており、小笠原諸島では暴風警報が出ております。付近の住民の方はご注意ください』
明日は台風か……。
「姉さん、これ会社休みになるんじゃないの?」
「あいにくだが、うちは台風でも出勤しなきゃいけない決まりなんだ。台風の日に休めるのはホワイト企業くらいだぞ。それに今日も有給使っちまったからなー、なんてタイミングの悪い日だ」
「でも、いつも残業せずに帰ってくるよね?」
「それはあたしがいつも時間内に仕事を終えているからで、仕事ができない連中はいつも残業させられてるよ。まあこれでも昔よりはマシになったんだけどな」
「そうだったんだ」
真は明日の結婚式が台風で中止になる事を願いながら部屋へ戻る。
しかし、もし結婚式が中止にならなかった場合は取り返しのつかない事態になる事を確信していたためか、どうにも胸騒ぎが収まらない。
彼は自分の部屋から横殴りに降る雨を眺めるのだった。
ここから急展開です。
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