第31話「家族と仕事の天秤」
和成は菫に拒否された事でますます彼女が欲しくなる。
その欲望は衰えるどころか、その勢いを増すばかりであった。
小さい顔に対して大きな目で幼く可愛げがある顔立ちと声、豊満な胸に腰回りのくびれがある圧倒的な体形の良さ、小さくも丸みを帯びた尻に細長い脚は見た者を虜にする。
菫は自らの美貌を悔いる。彼女は一刻も早くここから脱出する事を目論み、目を半開きにさせながら夜の輝く東京の街を眺める。
「君は実に美しい。俺と結婚すれば毎日贅沢な暮らしをさせてやる。世界中の宝石やブランド品を集めたり、一緒に好きなところへ旅行もできるし、女の夢が全て叶うわけだ。さっきも言ったが、貧乏な生活とはおさらばできる」
「何でもお金で解決できると思わないでください。それに……私は貧乏な生活よりもあなたとおさらばしたいです」
「もし俺との結婚が破談になれば、うちに勤めている君の両親は2人共クビ、更なる貧困生活を強いられる事になる。無職で収入もないまま時間が過ぎれば無職罪で逮捕される。それくらい分かってるよな?」
「……分かってます」
菫はうつむきながら威嚇するような声で返す。
菫は家族を人質に取られ、自らが犠牲になれば全てが解決すると思いながら自分の望みに蓋をしようとする一方で、できる事なら自分も家族も助かりたいと心の底から願う。
マコ君……気づいてるかな……。
午後9時、真は菫の心配をよそに居酒屋黒杉で奏たちと飲んでいた。
店内は街コン参加者で溢れ返っておりざわざわしている。
しかし真たちはずっと仲間内で話しながらさっきまでの疲れを癒すように飲みそのまま帰宅する。
午後10時過ぎ、真と奏が帰宅し、姫香も真凛もそれぞれの自宅へと帰っていく。
「はぁ~、やっと終わったね」
「そうだな。結局今日も成果なしか」
真も奏も色んな人と話して疲労困憊だったのか、風呂に入るとそのまま就寝する。
2日後――。
「ん? メール?」
午後2時、真が昼食を済ませ記事や動画を作っているところにスマホの着信音が鳴る。彼はスマホのメールを見る。
「!」
メールの相手は慎吾だった。
『黒杉京子に何か言われてないか?』
『今度黒杉財閥主催のパーティに呼ばれています』
『そうか、俺も一緒に行って良いか?』
『友人という扱いなら大丈夫かもしれません』
『分かった。また連絡する』
『はい、よろしくお願いします』
真がメールをし終わったところで奏が真の部屋へ入ってくる。相変わらずノックはない。真はしょうがないなーと思いながら奏の方を見る。
「なあ真、スミちゃん、このままだと結婚しちまうぞ」
「!?」
そう、この日は菫の結婚式の前日、水曜日の午後2時である。
菫とは翌日の木曜日にデートの約束をしていた事を思い出す。
スミちゃん、約束覚えてるかな。
「あんたがそれで良いって言うなら、無理に行動しろとは言わない。あの隠れメール、あたしにはどうも怪しい気がするんだよなー」
「怪しい?」
「ああ、結婚式の会場を伝えているのに招待状が一向に来ないんだぞ」
「確かに怪しいね。でもこのまま行ったら絶対つまみ出されるよね?」
「それはそうだけど、幼馴染って事で結婚式を見るくらいならできるかもしれないぞ。行くだけ行ってみたらどうだ?」
「――スミちゃんの両親は株式会社マリッジワールドに勤めてるってスミちゃんが言ってた。スミちゃんが結婚を望んでいないとすれば、両親を人質に取られてる」
「スミちゃんの両親はその事に気づいてるのか?」
「分からない」
「じゃあ確かめに行くか?」
「ええっ!?」
真は奏の突然の誘いに驚く。
奏もまた菫の事が心配だったのだ。
困ってる人を放っておけないその性分が真たちを奮い立たせる。
「スミちゃんの両親としても、スミちゃんの本音を知らないまま結婚させるのも不憫だろう。せめて真実を伝えるべきだと思う」
仮にスミちゃんの両親に真実を告げたとして、スミちゃんの両親が行動を起こしてくれるだろうか。うちの親くらいの世代で今無職になったら、もう安定した仕事は望めない。
真は菫の両親に『菫』と『今の地位』という2つの天秤を突きつける事を躊躇っていた。
子供の不幸か自分たちの職を投げるかの2択を迫られるのは、真っ当に生きてきた親にとってはたまったものではない。
真はそれを分かっているからこそ、菫の両親に本当の事を伝えるのが辛かった。
しかし菫の不幸を受け入れるのはもっと辛かった。
「……」
「真、あんたがスミちゃんの両親の立場だったらどうだ?」
「!」
「私だったら迷わず今の職を投げる。仕事よりも家族の方が大事だからな。仕事ってのは家族の生活を守るためにあるものだ。仕事のために家族の幸せを犠牲にする事なんてあっちゃいけない。だから、黒杉京子にも、スミちゃんの理不尽な結婚にも屈するな」
「……分かった」
2人は最寄りの駅まで歩き電車に乗り菫の家へと向かう。
空は曇っていた。しかしこの時の2人には、帰りに雨が降ってくる事を考え傘を持参するほどの精神的余裕はなかった。
歩いている時も、電車で吊り革を持っている時も、その表情は真剣そのものだった。
彼らは菫の両親に苦渋の決断を迫る覚悟をしたのだ。
全ては……菫を救うために。
シリアス回です。
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