第25話「取引騒動」
午後5時が迫ろうとしていた。
奏たちが参加予定の街コンは午後6時から始まる。
「ふぅ、やっと終わった」
「奏さーん、こっちまだなんですけど」
「明日に回しとけ。今ヘトヘトになったら『街コン』まで身が持たないぞ」
「私、実は街コンって初めてなんですよねー。婚活自体今年に入るまであんまりしませんでしたから」
「姫香は以前から婚活してたのか?」
「はい。とは言っても親の紹介でお見合いを何度かしただけなんですけど」
「あたしと一緒かー」
街コンとは文字通り街の中で行われるコンパイベントの事である。
通常の少人数で行われる合コンとは違い、時間毎に店も話す相手も変わり、イベントによっては1000人を超える人数で行われる事もある。
婚活法においては、他の婚活イベントが全て締め切られた場合の代行処置として行われる事が多くなり、その需要は増える一方であった。
奏が「そろそろ帰るか」と言って姫香と一緒に席を立つ。
その時だった――。
「あんた何て事をしてくれたのっ! 取引先の前であの態度は何っ! いい大人があんなぶっきらぼうで良いと思ってんのっ!? いい加減にしなさいよっ!」
「「「「「!」」」」」
何やらオフィスの端っこの方が騒がしい様子。
そこは奏たちの上司が座っている席だった。
上司は茶髪のおかっぱ頭、スーツ姿で真面目そうな印象の女上司だった。
彼女の名は石井明子、49歳。身長165センチ、来年度には婚活法から卒業となる。今まで仕事一筋で働いてきたキャリアウーマンである。
その上司が座っている目の前には困った顔をしながらうつむき、ひたすら立ち尽くすしかない真凛の姿があった。
周囲からは「一体どうしたんだ?」とボソボソ呟く声が聞こえる。
奏たちは人混みを抜けて真凛の元まで行く。
「部長、どうかなさいましたか?」
「多摩さんが大事な取引先の前でぶっきらぼうな態度を取ってしまったの。気軽に話してくれても良いよという取引先の言葉を真に受けて、そこからはずっとタメ口で接してたの。その時は取引先も何も言わなかったけど、あとで私におたくらの教育はどうなっているのかねって厳しく問い詰められてすっごく恥ずかしかった。しかもあれですっかり機嫌を悪くして取引を停止するって言ってきたの」
「相手は誰です?」
「『東京フードファクトリー株式会社』の部長さん」
「とっ、東京フードってうちの取引先の中でも筆頭ですよ。そこと取引ができなくなったら――」
「うちの会社は大赤字だろうね。はぁ~……多摩さん、あなたは新人の中では仕事ができる方だから多少のミスには目を瞑ってきたけど、今の重大なミスはさすがに見過ごすわけにはいかない。クビを覚悟しときなさい」
「はい……申し訳ありませんでした」
真凛が泣きながら頭をペコリと下げて謝罪をする。
彼女は新人で世間知らずであったために社交辞令を全く知らなかったのだ。
奏が真凛よりも前へ出る。
「あのっ、あたしは彼女の教育担当ですので、責任はあたしにもあります。あたしのっ、指導不足でしたっ! ……お許しくださいっ!」
奏が部長に深く頭を下げて謝罪をする。
「そう言われてもねー、重大な損失を出したわけだから、彼女のクビを切るしかないよー」
「東京フードとの取引を元通りにすれば、彼女を許していただけますか?」
「……どうしてそんなに多摩さんを庇うの?」
「確かに彼女は対人関係に難ありです。しかしながら、今時彼女のように新人でコンスタントに仕事をこなせる人はとても珍しいんです。今彼女を失えば、うちの部署は大幅な戦力ダウンです。誰にでも失敗はあります。彼女に足りないのは経験だけです。この件はあたしがどうにかします。ですので、どうか今回は寛大な処分をお願いします」
「!」
真凛が奏の行動を不思議に思いながら感心する。
彼女の言葉に押され、明子はタジタジになる。
「分かった。じゃあこの件を丸く収める事ができたら、厳重注意で済ませてあげる」
「ありがとうございます」
奏がもう一度頭を下げ、それに伴い真凛もまた頭を下げる。
「ただし、取引先との取引を再開できなかった時は、多摩さんはクビ、八武崎さんにも責任を取ってもらう事になるけど、それで良いかな?」
「はい、任せてください」
「じゃあもう行って良いよ。八武崎さんはこれから婚活イベントでしょ」
「はい」
真凛はもう自分の席に戻り、荷物をまとめていた。
そして奏もそれに続き、明子の席から離れようとする。
「――八武崎さん」
「はい、何でしょう?」
奏が明子に呼び止められ、彼女は咄嗟に後ろを振り返る。
「私は来年で婚活法からは卒業なの。もう結婚は諦めてるけど、八武崎さんは私みたいにならないようにね。あなたなら仕事も家庭も両立できると思うから、頑張って」
「は、はい」
明子は席に座ったままガッツポーズをして奏を応援する。
奏は明子からの意味深な言葉に戸惑いながらも会社を後にする。
奏が姫香と共に会社のロビーまで下りてきた時だった。
「あのっ、さっきはありがとうございます」
奏たちを追いかけてきた真凛が申し訳なさそうな顔で礼を言う。急いで走ってきたのか、はぁはぁと息を切らしている様子だ。
「良いんだよ。部下のミスは上司の責任だろ」
「――あんなに酷い事言ったのに、どうして庇ってくれたんですか?」
「どうしてって、あたしも昔盛大にやらかした事があってな、その時に今の部長に庇ってもらった事があるんだよ」
「部長にですか?」
「ああ。あの人は普段から仕事には厳しいけど、本当は誰よりも優しいんだ。真凛は貴重な戦力だから、今すぐクビになったらあたしらの仕事が大幅に増える破目になるし、それに……」
「それに、何ですか?」
「その、あれだ。真凛からは婚活の事を色々教えてもらったからな。あんたの言葉はきつかったし、最初に聞いた時は凄く悲しかった。でもあのおかげであたしは婚活イベントの事をそこまで重苦しく考えずに済むようになった。ありがとな」
奏は真凛のゆるふわな髪をポンポン叩きながら彼女を慰める。
「!」
真凛は顔を赤らめ、恥ずかしそうにしながら奏に体を預ける。
「ううっ、今までっ、ずっと酷い事言って、ごめんなさいっ!」
彼女は今まで奏にしてきた仕打ちを後悔しながら、奏の平らな胸に涙目になった顔を押しつけて啜り泣きをする。奏はそんな彼女をそっと優しく抱きしめた。
そして真凛は自らの言動を悔い改めようと決意するのだった。
奏の会社回です。
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石井明子(CV:植田佳奈)




