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嘘つき四つウサギ  作者: 千羽稲穂
第一章 兄ウサギ
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妹ウサギの秘密

「お姉ちゃん、きちんとハンカチとティッシュを持った?」

「はーい」

「持ってないでしょ、あと鍵も」

「はいはい」


 と、希星が渡してきたのは、鍵とティッシュとハンカチだった。


 こういうところは誰に似たのかきちんとしている。

 そう言えば、昔から希星は、前日準備に手を抜かないタイプだった。私が遠足から帰って鍵がなくて家に入れないところを希星は赤ちゃんの頃から見ているからか、希星はきちんと用意をする。小学校のころも、時間割通りに前述準備に準備を重ねていた。提出期限も忘れものもめったにしない。


 私とは大違いだ。


「こんな休みにどこいくんだ?」


 玄関に兄さんが出て来る。休日だからか暇そうだ。あくびを一つして、寝癖を手でなおし、パジャマの上から腹を掻いた。


「兄ちゃんも行きたいなあ……なあんて」


 あくびに交じりで、願望が駄々洩れな呟きが聞こえる。


「兄さんは、留守番」希星が指をさす。

「兄さんには秘密だもんね」私は希星に沿う。

「そう、女の子同士の秘密ね」


 兄さんは不満げな顔をしていた。

 これは後からついてきそうだ。私達弟妹が心配で兄さんは私の後や、邉の後を追うことがある。しつこいから、私も邉もまいているけど、希星に関しては巻くのは難しいだろう。


 兄さんの尾行はある意味プロのそれだから、ついてきたら鬱陶しいほかない。希星はばれなくていいけど、私や邉にしたら裏でやっていることを知られればたまったもんじゃない。


 面倒だなあ、と考えて、私は足早に希星を押して家を出た。






「今日はどこでやるの?」


 希星に歩きながら問うた。背後からはやはり視線を感じた。


「今日はいつも通り電車にしよっかなって思ってる」

「いつも通りだねぇ」

「そこが一番安心だしね」


 背後の視線がちらちらうるさかった。どう見ても兄さんが追っかけてきている。後ろを振り返るけどどこにいるかは分からない。

 

 普通に閑静な住宅街が立ち並んでいる。隣には古ぼけた大きな団地が構えている。


 私が思うに、この団地のどこかにいるのだろうが、流石に長年捕まらない泥棒だ。プロと遜色ない尾行の仕方をしている。兄さんの腕が上がったのか、それとも私の敏感さが血に濡れた当時から廃れてきているのか、正確な居場所は特定できない。どちらにせよ、兄さんを巻くのに骨が折れそうだった。


 希星の秘密は、外からでは見えないが私が居ることが知られると問い詰められそうだ。しかも、私はその光景を見られた後の言い訳が上手くできそうにない気がした。


 私が兄さんに言い合いの喧嘩で勝った経験がない。兄さんは盲目的で鈍いが、兄さんのどうしようもないところに私は甘い。ついついどうしようもないところに負けて口から零れるのだ。


「希星、ちょっとだけ遠回りしていい?」


 希星は首をかしげる。


「兄さん?」

「まあ、ね」


 内心視線に戸惑いながらも、ポーカーフェイスを決め込む。


「ならどうして? 別に追って来てもばれないじゃん」


 希星は強情だった。いつもこちらの言い分をいつも聞かない。しかし、いつも私の事情には敏感に察し、頭の中では考えてくれる。そして、一本芯が通ったことを述べた。そうして紡がれた言葉に困惑しつつ、助けられていた。彼女は知らず知らずのうちに、誰かを救う。

 それでも、だいたいマイナスの方向に進むことが多いのだが。


「流石にばれるから。兄さんは確かに、にぶちんでしていることに気づきはしないと思うけど、私と希星がいて、その後何もなく、帰ってくるなんておかしいでしょ?」

「おかしいかなあ?」


 やはり希星は聞き分けがない。


 希星は昔からこうだった。

 常日頃から私や兄さんは本を読むが、希星が本を読んだ姿を最低限にしか見たことがない。中学の読書感想文や国語の時間、現在の高校の現文でしか、読んだことがないのではないかと思う。というのも、彼女はいつも私達が本を読む姿を見て、大見えきり指摘するのだ。


「本を読むなんておかしいの。そんなもの読まずとも自分の頭で考えて行動したほうがいいよ。脳が腐るから」


 それから現在に至るまで彼女は必要最低限の時しか本を読まない。意固地で頑固で、言い分を決して曲げない。まっすぐに伸ばされた芯を持っている。だから相手にしにくい。


 そのやりにくい一つに彼女が述べる通りいつも自身で考え、行動しているから、何も言えないのも事実だ。それに、察しがいいから私の秘密や兄さんの秘密、邉の秘密も本当は気づいているのではないかと、ほのかに感じていたりする。


「ほら、悪者退治するなら準備万端にしなきゃ。じゃなきゃ、捕まるかもしれないし、最悪殺されるよ」


 視線をたどりながら、私は自身の経験上にあったことを語る。もちろん本気で言ったつもりだが、希星は不愛想な顔をして「本当?」と疑った。


「本当。だって、ほんの些細なミス一つで死んだ人を何人もこの目で見たからね」


 お得意のポーカーフェイスをせず、希星と向き合った。希星はお遊び程度に考えているつもりだろうが、意識が低い。


 私の耳まで彼女のことは知れ渡っているし、その筋では有名で尊敬されてもいる。自身がその対象だと知らないのだ。だから危ない。その自覚が未だないことにも、自覚を持つべきだと思っていない希星が、リスクを持っていることに気づいていないのは、姉としても不安だった。


 一、二秒考えて、何かを察したのか希星はうなづいた。


「お姉ちゃんに任せといて。兄さんの巻き方なんて、お茶の子さいさいなんだから」

「姉さん時々おばあちゃん臭いよね」

「一言多い」


 希星を軽く小突いてやった。






 朝の通勤ラッシュとは違って、人はそんなにいなかった。駅構内にぱらぱらと黄色い線の外側に並ぶ程度だ。その列も一箇所に二人しか並んでいない。電光掲示板には次の列車までの時刻が飾られている。今日は赤い文字も見られない。


 腕時計を確かめてみると、列車まであと数分といったところだった。


 電光掲示板から振り返り、駅構内の監視カメラを見る。人の目には見えない小さなカメラに目線を向けないで確認する。昨日、確認しただけで構内にカメラは八個はくだらない。


 そよそよと真昼間の熱くも寒くもない五月の湿った風をきって、列車が視線の先から現れる。目を二つ光らせて、こちらに駆けてくる様は一種の獣のようで私達はその獣にどうすることもできずただ茫然と立ちすくんでいた。


 もうこの体を捧げます。だから痛くしないでと泣くこともやめ、諦めている。


 私は知らず知らずのうちに大きな乗り物が苦手になっていた。憎まずにいようとしたのに、難しかったようだ。気づけば、こうしてまた嫌っている。


 監視カメラには私の花を咲かせることができるのに、この大きな巨体に咲かせたって、花は見えない。止まらない。ほんの一瞬で命を跳ね飛ばし、命のろうそくを根元から手折る。その一瞬が恐ろしく、苦々しい思いがにじみ出た。


 ぼんやりしていると、ぶるっとポケットの中の携帯が震えた。希星との個人チャットから通知が来たのだ。書いている内容に『了解』と返す。


『お姉ちゃん、一瞬だから見ててね☻』


 お手並み拝見だ。


 希星とは駅に入る数分前に別れた。今はお互い近くにいないほうが良い。その方が個人を特定されない。ある程度の距離をとって、監視カメラに希星と私が近くにいないことを示す。


 電車が駅に着き、希星を気にしながらも電車に入る。電車内は座る席が限られているほどには人がいた。


 座っては希星のことが見えないので、電車内の端より、ぎりぎり希星が見える位置で立った。吊革を握る。


 希星は席を探して、目の前の空いている席に座っていた。


 いつも通りに思えた。どこも不自然なところはない。異変があれば、わかるはずだった。


 だが、次の駅についても、その次の駅についても、そのまた次の駅についても希星には何の不自然な行動は見られなかった。


 次第に人が多くなっていき、希星は疲れたのか、眠り始める。くらくらと頭を回したかと思えば、突っ伏した。


 この次の駅で待ち合わせだったはずだが、何のアプローチもない。


 目まぐるしく変わる息遣いの中、私は希星の息遣いだけをとらえていた。


 次の駅に着く。私は希星を無視して、先に降りさせてもらい、横目で希星を見る。希星は電車の扉が閉まる直前飛び起きて、電車内の人込みを避けて、なんとか下車した。


「あはっ」と小さく彼女の笑い声が聞こえた。


 後ろ手に電車が過ぎ去る。どんどん遠ざかっていく電車に対し、彼女は勝ち誇ったように笑みを浮かべていた。

 途端に、携帯がぶるっと鳴り、見ると。


『見えた? お姉ちゃん』


 全く見えなかった。






 駅を降り、店の裏手にある路地裏でおち合うと、希星は手に男物の財布を出しながら、私にとびついてきた。


 その財布は明らかにあの電車内で希星が掏ったものだった。


「まさか、あの状況でできるとは思わなかった」


 希星の手癖が悪いことは知っていたけど、ここまでとは思わなかった。さすが、掏り界隈で今をにぎわせている時の人だ。

 素直に驚いて、私に飛び掛かって落ちた彼女が掏った財布を拾った。


「まさかまさか、お姉ちゃんこれだけと思ってる?」


 希星の声に油が乗っている。長年慣れたような、その道のプロのような熟年した自信がその声にはこもっていた。

 ごくりと唾をのみ彼女の問いに答える。


「じゃじゃーん」と見せたのは、ありとあらゆる財布だった。


 トランプのババ抜きよろしく財布の手札を見せている。

 その有様に幻のような霧がかかって見えた。


「参りました」


 両手を挙げて投了したら、希星は、あははと愉快そうに笑った。ほんの少し、そこに危険な香りを漂わせながらも、それでも私は彼女の自身に酔わされた。希星はきっと、もう抜け出せないのだ。


 ではその覚悟はできているのだろうか。


「希星……」と小さ呼ぶと彼女は小首をかしげた。「希星は『覚悟』できてる?」


 今まで兄さんにも邉にも言えなかったことを思わず告げてしまった。


 妹にはそれ相応の能力があると思う。いつも考えて悩んで、私の知らないところで行動をしていた。だから決断と覚悟があるなら示してほしかった。


 私だって家族に言えないことがある。それは一生墓まで持っていくつもりのことだ。私は覚悟して生きてきた。手を血で染めたあの時、探偵の黒木さんに拾われたあの時、私は覚悟を決めた。私は秘密を抱えた。いつまでも変えられない汚名を背負った。


 だからこそ、気になった。兄さんも、邉も、希星も、みんな私しか知らない家族に言えないことがある。それなのに、気楽でいられている。でもそれって、覚悟が足りないのではないか。


「ねぇ、希星」


 八つ当たりだった。私一人だけが重いものを背負っていることへの、ただの八つ当たりだ。


 なぜみなそんなに手を汚したがるのか、わからなかった。手を汚すのなら私だけでいい。自暴自棄な思いが込み上げる。


 路地裏の薄暗さが私の心に影を宿す。


「覚悟、できてる?」


 ぴちょんっと雨上がりの雫が地面の水たまりに打つ。小さな風の囁きが音になって響き渡った。私の髪をなで、希星の二つくくりにして下に垂らした小さなおさげが揺れる。生暖かい闇に身を宿し、私は生ぬるい香りに鼻をひくつかせた。


「もちろん」


 その瞬間、太陽の日差しが希星の体を照らした。スポットライトを浴びた希星は、まるで物語の主役のようだった。悪を滅ぼす、あの日曜日の主役だ。


 ほろりと泣きそうになった。目に浮かぶ涙を私はなんとか沈めさせて、口を結び、また笑みを表情に浮かばせた。そうすることでポーカーフェイスを決め込むことができ、感情を押し殺した。


 私にはもったいないものだった。重くて痛くて、感じてはいけなくて、そうしたら私のものが軽くなる気がした。軽くなるはずはない。罰は罰だ。


 兄さんだって、邉だって、希星だって気づいているはずだった。何をいまさら当然のことを言っているのだろうか。だからこそ、私は邉を許して、兄さんに未だに協力しているし、希星の掏りを見分させてもらっているのだ。当然すぎるのに、それなのに、あまりにも私たち兄弟姉妹はつながりすぎた。


 掏った財布を全て地面に落として、希星は私の手を引いた。


 路地裏から出て、希星と歩く。


「覚えてる? お姉ちゃんに私の掏りがばれた時のこと」


 それはほんの少し前のことだった。私は覚えているが、そのことを私の口からは言及しなかった。


「私ポカしたんだよね。間違って違う人の財布を掏っちゃってさ、電車の中で戸惑って、掏った後で財布を落とした」


 それは掏りの中では一番やってはいけない部類のミスだった。あやうく希星は捕まってしまって少年鑑別所送りになるところだった。


 常習犯は、許してはくれない。希星は、はっきり行動でき、自分の認識もしている。きっと、彼女はばれたら「やった」と言い逃れせずに断言してしまうだろう。それだけはっきりしていうのなら、窃盗症でもないと判断されるだろう。事実そうだ。


「あの時お姉ちゃん、財布を拾ってくれて掏った人に『財布落としましたよ』って何気なく渡してくれた」


 内心ひやひやしていたのは私の心のうちにとどまらせておく。


「で、思ったんだ」


 二つにくくられて、垂らされた小さなおさげが揺れる。希星の表情は清清しいぐらいの笑みで満たされていて、希星が何かを食べているときみたいに幸せそうだった。


「お姉ちゃんってバカだなああああって!」


「ひどいっ!」


「だって、私の非行なんて見逃したらいいのに、無駄に隠すんだもん。お姉ちゃんこそわかってる? これって共犯ってことなんだよ? 希星なんて妹をかばったばっかりに、お姉ちゃんは同じ犯行をしてるんだよ? 同じ罪を被っているんだよ……」


そんなの、わかりきったことだった。


「そんなの家族だから当然じゃん」


 口からこぼれた言葉に私自身驚いた。これまで隠していた本心が出てしまっていた。私は自身の驚愕を笑い飛ばし、希星を安心させるよう、彼女の手を握りかえした。これだって、気恥ずかしい。顔を向けられなくなる。歩道を一緒に歩き、市街地に向かう。人に紛れるように、今度は私は希星を誘導する。


 私にとってこれは一種の答えだった。



――家族のためなら、家族を守るためなら、私はみんなの秘密だって隠してみせる。



 どれだけ希星が危機的状況でも救おう。

 家族だもの。

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