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嘘つき四つウサギ  作者: 千羽稲穂
第一章 兄ウサギ
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弟ウサギの秘密

 雨がからりとあがった日に、私は邉の仕事風景を見に駅前の商店街に遊びに行く。


 邉のスケジュールを思い出す。確か今日は朝から夕方までレストランで接客業をして、夕方から夜まで居酒屋でバイトだったはずだ。


 この忙しさの合間に情報戦を繰り広げていると思うと我が弟ながらさすがと言える。

 私ならそっこうでねをあげる。そもそも私は探偵事務所でしかバイトをしたことがないから、弟の複数兼業している世界が新鮮に思えるのだ。複数しているからこそ邉はいろんな世界を知っているし、何か聞くんだったら弟に一番に聞きに行く。


 兄さんの裏家業を手伝いはしているが、実際のところ私より邉を頼った方がスムーズに進むだろう。が、邉の秘密の仕事に手を出せば、兄さんは更に手を汚すことになっていたはずだ。私より邉は容赦がないだろうから。


 空を見上げると、赤色が広がっていた。この季節にしては雲が少ない。年々この時期の雨は少なくなっている。逆に台風が多くなり、警報が鳴る回数が多くなっている。私の街はあまり鳴らないが、世界的に見て台風が多くなっているのは明らかだ。


 路地裏のいかがわしい店をちらりと覗く。こういうところに邉が帰りによっていたりしないだろうか。不安に思うのはきっと私が邉に弱いせいだ。


 小さい頃よく邉と遊んだ。私が近所に連れ回したせいもあってか、あまり同世代の男子と遊んだ邉をほとんど見たことがない。邉は同世代の男子とは一線を画した男の子だった。


 薄茶色の髪に、澄み切った瞳は大人びていて、顔も整っている。兄さんだって負けず劣らずの男前だが、兄さんは日本男児らしいもので邉とはまた違う。邉は何というか、西洋じみていた。すっと通る鼻筋も、ぱっちりとした目も、どこかハーフを思わせる風貌だった。見た瞬間どんな女の子でも落ちてしまう魅力が詰まっていた。


 姉の私でさえ気を抜くと長時間見とれてしまって、邉のことを見つめてしまう。これが同級生だったとしたら、きっと絶望的な修羅場が出来上がるだろう。


 例えば邉が好きな女の子Aがいる。その女の子は、邉に近づいて来た少女Bにちょっかいをかけて、AとBは喧嘩をする。その隙にどこからともなく表れた少女Cが来たりして、邉に告白する。それを見たAとBは絶望してCをいじめるために同盟を組む。と、過去実際にあった修羅場を例にとる。


 と、言うものの邉はどの女性にも靡かなかった。私と遊んでいた幼少期、ある少女が邉のことが好きすぎて、邉に無理やりキスをしようとしたことがあった。邉は少女の情愛は認めるものの、最後まで私を盾にして避けていた。


 私にしか最後まで心を許さなかった。それは幼少期から現在までも続いていることだと信じている。


 無口で、人付き合いが下手で、だからか知らないが邉は高校卒業後フリーターになった。一つところに留まらず何個もバイトを掛け持ちして、顔を覚えられないよう、すぐに縁が切れるような職業についた。


 あれから邉は世渡りがうまくなりいろんな人とかかわって、今に至る。


 駅から暫くアーケードが続く。そこをくぐり、邉を見つけるためにきょろきょろと周囲を見た。片方にはご飯やさん、片方には飲み屋さんがある。その先には兄弟でよく行っているのを見るラーメン屋さんが見える。その前に一匹の熊のぬいぐるみが看板を掲げ、宣伝している。


 周りとまるで世界が違う。


 スーツ姿で行きかう人が多々見える商店街に、一匹だけファンタジー世界から現実に迷い込んだ熊がいた。あれが、弟だ。その姿に引いてか知らないが人があの熊の周辺にだけ人が寄りついていない。


 つかつかとぬいぐるみに近づく。ぬいぐるみは、こっちに気付き看板を落とした。手を振り、来るなと全力で主張している。


「熊さん」かろやかなメロディーを奏でるように言葉を紡ぐ。


 ぬいぐるみが一歩下がる。

 その顔に手を伸ばす。


「その顔を見せて」


 脱がそうとするが、ぬいぐるみが顔を押さえつける。

 こんなぬいぐるみをしなくても、宣伝の仕事は出来る。むしろこれは邉が持ち込んだものだろう。しない方が客引きできるのに、顔を見せるのが怖い邉はしようとしない。


「ちょっ、姉さん、これはだめだって」邉の小さな声が聞こえる。

「いいから」


 次の瞬間、ぬいぐるみの頭がすっぽん、と脱げた。熊の丸い頭がその場にころころと転がっていく。邉の美麗な面構えが現れた。邉のこめかみから頬にかけて汗が伝う。

 途端、周囲の人々が邉の面に向く。視線が邉に集中して、人が群がる。その中の一人の女性が動いた。


「あのぉ、ここらへんで飲める店を探しているんですが、いいお店知ってますか?」


 連れに三人の女性が居るが、少し離れたところに居る男が女性を見ているようにも見える。女性の煌びやかな服装、男三人に女性三人となると、合コンではないかと推測した。


「いや、ちょっと……」と邉がたじろぐ。


 すかさず、「いいですよ。なんでも聞いて下さい。ただしちょっと着替えさせますんで、その後に。ここの居酒屋にでも入って、くつろいでください。こいつ行きますんで」


「姉さん!」

「ちょっとなんで待っててくださいね」


 私はぬいぐるみの頭を拾い、邉の背中を押して、店の裏に向かった。

 邉の背は私よりいつのまにか高くなっていた。いつのまにか、だ。私には知らないところでいつのまにか邉は成長している。気に食わないが、いつしかそれが楽しみになっていた。

 今も、そうでありたい。



 裏口で邉がぬいぐるみを脱ぎ、正装に着替えるのを扉越しに待つ。裏口の扉の先では、先ほどよりも盛況している居酒屋の風景が広がっていて、先ほどから人の声が絶えない。カンッとカップ同士を付け、乾杯した音がする。


「さっきのお客さん、騙されてる」邉が店の中を眺めて呟く。

「店の収益が出て万々歳じゃない」私は腕を組み路地裏の壁にもたれかかっていた。「どーせ邉狙いだったしね」


「僕狙いだからこそのぬいぐるみだったん……」

「収益を得るためなら、そんなことしない」

「姉さんって横暴……」

「しない」と喝を入れた。


 思った以上に人前に出るのが苦手になっているような気がした。昔はもっと顔をさらけだしていた。ぬいぐるみなんて持ち出さなくても、邉のことなんて噂は立たない。情報に敏感になり過ぎている。


「姉さん……」


 扉の向こうで、邉の着替える音がする。絹が擦れてる。今はシャツをきているのだろうなということが分かる。


「なあに?」

 

 きゅっと、紐を縛る音がする。


「俺のこと怒ってる?」


 携帯電話が震えているような気がした。その震えに少しばかり、恐怖を感じる。邉のことだろうか、と思えてならない。怖くてしょうがない。邉が知らないうちにこちら側になっていたことが、怖いが心強かった。でも今なら分かる。汚れるべきでないのを気づいているのにやってしまうのは、私達兄妹に信念があるからだ。

 兄さんが悪者退治に人の家を襲うのも、邉が裏の世界の仲介者(・・・)をしているのも、理由がある。


「仲介者だったんだって、怒ってたよ」私は正直に述べた。


 珍しいぐらいの正直さだった。


「姉さんに知られてたの、俺は知ってたんだ」邉が諦めたように白状する。


 最初知ったのは、探偵事務所を創立した黒木探偵からだった。彼はおかしな事件を数件意地悪にも私に見せてきた。遠くの地域で浮かび上がった少女の溺死事件に、近くの駅ホームの自殺、そして結婚詐欺事件、少女の春を売るものまで、いくつかの事件には共通点があった。


「これらの事件には復讐したい人と裏のコネクションを繋げる、仲介者が関わっている」


 聞いた途端、弾けた。もしかして、と悪い予感があった。

 仲介者は表からは発見できない。裏の世界を漁り、今旬の裏の世界を騒がせている仲介者を見つけた。辿り着いた先にいたのは、いろんな世を渡り歩いている弟の姿だった。

 そこから邉に話を聞こうと、バイトの概要や、シフトの情報を手に入れた。合わせると仲介者のシフトとぴったりあってしまった。


 とっくの昔に弟はいけない世界に浸かっていたのだ。


「情報を手に入れるのは、思ったよりも簡単で、情報屋や殺し屋、バイター、いろんなところにあたれば簡単に分かる。俺の情報は、表向きのものしか漏らしていないつもりだから安心してたんだ。でも、黒木さんあたりはバレるなぁって心配してた。あの人は、探偵とは思えないほど、情報を操るのが上手いから、そこから姉さんに俺が仲介者だって、漏れるんじゃないかって」


 邉が喋る。この姿が邉の本当の姿だ。邉はよく喋る。他の女の子には決して見せない家族だけの姿だ。その姿を今は私にだけ見せてくれる。


「何でこんなことをするの?」知っていて、問いかける。

「別に……」


 その態度が、兄さんとそっくりだった。ああ、兄弟なんだなと実感する。私の弟なんだなと、しみじみする。


「教えなさい」私は強く推す。

「笑わない?」

「笑わないから」


 はあ、と息遣いが聞こえてきそうなほど大きなため息をすると、邉はぽつりと呟いた。


「悪者退治だよ。いけない事をした人を倒すために僕は情報を売ったり、繋げたりしただけさ」


 ぷっと、私は噴き出した。


「姉さん笑わないって言ったのに」

「だって、もう邉、仕事してるのに、今更ヒーローごっこだなんて」

「こういうのはダークヒーローっていうんだよ」


 やはり、私の目に狂いはなかった。邉は邉だった。変わるところなんて何一つなかった。でも、一層悲しくなった。私は彼らに罰せられる運命にある相手だから、かもしれない。この哀しさの原因は自分自身なのだ。


 なぜ気づかなかったんだろう。今までやってから気づくのだ。彼らの嘘に、私は気づかない。その前に止めてやれない。そのあとに、カバーするだけするのだ。兄さんも、希星も気づかれないように、私が弟の秘密をかばう。


 扉を開けて、邉が出て来る。口にはマスクをしている。明らかに人前に出るのをはばかっている。


「そのマスクは?」と私は自分の口に指をさした。

「たまーに、バイトしてると、どこから聞きつけたか分からないけど裏家業のことで話しかけてくる奴がいるんだよ。時間外にはやめてほしいんだけどね」


 なるほど。そのためのぬいぐるみだったのか、と納得する。だが、客引きならやはり邉の美貌を捨てるには惜しい。邉は間違った職業を選択したわけだ。


 そんなものに就職した邉がかわいくて、凝視する。じろじろと見ていると、邉は照れくさそうに、鼻の頭を掻いた。


「さて、行かなきゃ」

「どこに?」

「さっきのお客さん、きっと俺への依頼だ」


 私は小首を傾げ、聞き取れなかった言葉を反芻する。


「姉さんは気づいてなかったみたいだけど、あの人たち俺を探してたみたい。携帯にも依頼が来てたの、今気づいた」


 邉の目が細まる。マスクさえなければ、女子を百パーセント落とす笑顔がそこにはあったが、今は見えない。昔よりかは、一段と人付き合いに慣れたのだろうに、それを見せるのは今も昔も変わらず私だけだ。


 変わらず、邉はそこにあり続けている。

 たった一つの信念を持って。


 邉が去ろうとした時、呼び止め、こちらに向かせる。


「深入りしないでね。あと、今は怒ってないし……」

 おでこに、ぱんっとデコピンする。

「許すっ!」

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