解答
きゅ、きゅ、と窓をふくとよく外が見えた。探偵事務所の窓からは階下の商店街から群衆が流れている。隣の駅は次の電車の発車時刻を示す電光掲示板があり、兄さんが近くにいるのかチカチカと点滅している。その周辺を探し出すとやっぱり兄さんの姿があった。久藤君と的場さんとで楽し気にどこの居酒屋に寄るか話しているのだろう。どいつもこいつも裏の者だからか、騙すのがうまい。普通のふりをして、一番群衆になじんでいる。大声で歌っているストリートミュージシャンの方が目立っている始末だ。
すると、私の視線に気が付いた久藤君がこちらを振り向き、手を振った。私は無視をして、探偵事務所に向き直る。
こちらは異世界のような有様だ。踏まれた紙には、男物の靴跡がある。一人、二人、三人と小さな子どもが一人、てちてちと間を縫うように歩いている。足跡をたどれば、終夜と黒木さんに行き当たる。
「的場さんは、すごい人だろ?」
うなづくと、黒木さんは座っている椅子を回し始めた。いなくなった途端、またやりはじめるところに、裏と表と顔と心とが現れているようで、笑ってしまう。裏の人はみな、偽るのがうまい。
今回も、そうだ。
私は黒木さんの椅子の回転を止めて、こちらを向けさせる。
「さきほどは取り乱してすみませんでした」余裕綽綽に黒木さんは口角を上げる。「で、これから本題なのですが」
「なになに? ディナー行きたくなった?」
「私は邉が好きです。それは変わりませんから。彼氏でもないですし」
「残念だ」
また回転する椅子を、私は力づくで止める。ふくらんだ黒木さんの頬がより萎んだように見えた。
「あなたは最初から分かってたんじゃないですか」
終夜が持っている資料を、貸してもらい提示した。それは希星が念写した風景だ。私と的場さんと、背後には兄さんを模した久藤君がいる。
「これは妹が念写したものです。妹のウサギが進化していなければ、三ヵ月前の風景だと思われます。あなたはこれを見て『面白いものが写っている』と言いましたね。それは的場さんの方じゃなくって、本当はこっちの久藤君のことでしょう?」
「的場さんの方だよ」
「ほら、またはぐらかした。
そもそも、久藤君に今回のこと持ち出したのはあなただったんでしょ?
証拠なんてないですが、そっちの方がうなづけるんです。
私に接触してしまった久藤君に、私を困らせる、今回の騒動を起こすことをもちかけた。だけど、途中で久藤君が脅してきた。
途中、不機嫌そうに煙草をふかしていたのは、上手くいかない計画のせいでしょ?
本当の計画では的場さんに久藤君を殺させるはずだった。でも、久藤君はそれに気づいて、複雑化させた。『アリクイ』を絡ませたのが、事態を混沌へと導いた。
兄さんの恩師を殺したり、『アリクイ』の掏りを使うのは想定外だった。本当はあなたが用意した掏りを使うはずだった。
そうですね、希星なんかを。
でも、彼はそうはしなかった。彼がしたかったのは自身を私に殺させることで、その前に私を自由にさせることだった。
家族のしがらみにとらわれ、邉を好きな私。
そんな私を解放して、私に久藤君を殺させるはずだった。
あなたはただ久藤君と言う駒を使って、私を兄と仲たがいさせて、希星と兄とも仲たがいさせて、もしかしたら邉も巻き込んで、喧嘩を起こしたかった。私を困らせたかった。
でも、そうはならなかった。
その歪の一つが終夜。あの家にはあの子はいないはずだった。いえ、いたけれど、処分するはずだった。
『アリクイ』の男の子と兄さんが思ったよりも早く接触して情報を欲したから、処分前なのに情報を渡すしかなかった。
たかをくくっていたんですね。私がその子を連れてきたって、あなたはどうにかなるだろうって。
あなたはその時思っても見なかったはずです。終夜が此処に来て、長居をすることを。相手が私のことを熟知していることを知らなかったから、歪ができた。
結果あなたは終夜がいたから、しばらく動けなかった。
本当は兄さんがあの人に接触する前に、終夜にはケリをつけるはずだった。でも、私がそうはさせなかった。
それでも次の日には動いたみたいですが、その時にはもう久藤君の動向は分からなかった。
結局あなたは私にあなたが事の発端だと悟られてしまった。
負けたんですよ」
──私に。
黒木さんはしばらく放心していた。それからポケットの中にある煙草を取り出す。とん、と箱から一本の白長い煙草を出すと、口にくわえた。ライターに火をおこし、煙草につける。煙がもくもく舞い上がる。
こういう時の黒木さんの方が黒木さんらしい。
えいっと加えた煙草を取り上げて私は煙草を吸い、離す。口に含む煙に異様さを感じる。それを肺まで押し込むように吸いあげると、肺が拒否反応を起こし、咳き込んだ。
こんなもの、吸っている方が今や珍しい。煙草税も馬鹿にならない。体にも毒だ。それでも吸うのはひょっとして自傷行為だろうか。あれだけ女を夜な夜な抱いているくせに、私の目の前で自傷を見せているのだろうか。
「なぜ、あなたは私を困らせたかったか……それは、私にヤキモチやいていたからですか?」
この人はよく知っているはずだ。私が邉以外、見向きもしないことを。そして、それでもいいから、とこの関係を続けてくれることを了承した。
私にとって味方だと言ってのけたのはこの人なのだから。
「……ちょっとぐらい痛い目は見た方がいいと思ってね」
黒木さんがそっぽを向く。あからさまに態度が悪い。煙草をふかし、椅子を回転させる。この全てが子供っぽい。黒木さんのおかれている過去なんてそれだけで十分に理解できる。それだけで、邉の代わりとして十分だ。
正直、久藤君でもよかったけど。
それはそれ、これはこれだ。
「君だって、もう少し周囲に目を配った方がいいと思うよ。『ナリカワリ』が昔から傍にいるとか、気づいた方がいいって」
「あっちはプロなんだから気づくわけないでしょ、ばぁか」
黒木さんが知っている方がおかしいんだ。
「で、彼が自殺まで考えるほどの依頼主って黒木さんだったんですか? 的場さんが『黒木』って言ってましたけど」
言いつつ、煙草の火を灰皿の上で消す。火が完全に消えたところを確認すると、黒木さんがすくっと立ち上がった。私の前に新たに立ちふさがった敵のように見える。希星が日曜日の仮面ライダーの敵が好きだったから、私は敵の方に立って見え、黒木さんは正義のヒーローにしか思えない。
「僕じゃない」強く否定した。
「あいつらと同じにするな。名前を口にするだけでも反吐が出る」
奥の方で終夜が震え上がるのが見えた。黒木さんの雰囲気ががらりと変わる。目に灯った、私を殺さんとする眼光は的場さんにも引けを取らない。まるで狼の光だ。この眼光は、きっとあっち側の人だから出来るのだろう。私はできるだけしたくはない。黒木さんもそうだが、たまにこうしてなることがある。
落ち着いてください、と言うとすぐに収まるがなぜか怖さが残る。
「僕もひとつ、君に伝えなきゃならないことがある」
「謝罪ならいくらでもどうぞ」
「そうじゃない」
流石に私も空気は読めるので押し黙った。
「久藤はなぜ小学生の頃から君達を監視していたと思う?」
さきほどの煙草から植物の花がぱっと咲いた。毒々しい赤色の花で、その花自体の名前も何も知らない。ただ、そこで咲き誇って、場を濁した。
「ここで疑問が浮上する。僕は、久藤と同じく一体何者なんだろうか。見張っていた者達は『黒木』と名のっていたそうだけど、僕も黒木だ」
「分からないから聞いてるんじゃないんですか」
「考えてみなよ。僕の口からは言えないから。僕はさ、ヒントを与えることしか出来ない立場だから。
言えるとしたら、君達しか持ってないものが事の発端だとか。それが、たとえば『ウサギ』とか、そういうことしか言えないんだ。
しかし、だ。今こうして僕が伝えている情報は本物なんだろうか。君は主観的に嘘をつく。客観視してみればないこともあることと嘘をつく。それはただの盲目だ。僕も疑え。的場さんも、君の家族さえも」
黒木さんが近くにある赤い花をもぎ取った。瞬間、腐っていき、ペーパーフラワーのように固まり、黒木さんが握るだけで繊細な花がぽろぽろと壊れていく。
「それでも、私はあなたが味方だということは知ってますよ」
蓋をすることも、そういう事柄から逃げることも知っている。そのためにふるった刃はまだ手に持っている。あの時、黒木さんが近くに通っただけで、私は満たされていた。
これで逃げられる。葛藤からも、悲しみからも、この訳の分からない『家族』という言葉も、殺しに歓喜している私の心からも。暫くは、家族と言う関係に逃げられることも。
ぬるまゆだっていい。私は浸っていたいのだ。どんな状況に置かれていても、ぎりぎりまでは、食いしばっていたい。事故に巻き込まれるその日まで、私はブレーキをかける。
「あなたは、『アリクイ』の掏りの子を殺さなかった。久藤君だって。ヤキモチはやくし、時折子供っぽい。それなのに裏の顔は立派で人前だと平凡そうな表情をする。そんなあなたが、私の味方じゃないなんて思えない」
「掏りの子は延命しただけだ。裏に関わりすぎていたから、切り離せなかった。ただ、違う裏の職を提供しただけだ。久藤もそうだ。『ナリカワリ』を処分するには幾つも複雑な処理が必要だから、放置されているだけで……」
「ほら」
「ほら、とは」
「そのまんまです」
張り詰めていた糸が、緩むように黒木さんの中の嫌なもやもやが晴れていくのが分かった。この人はいつもそういう雰囲気を纏ったらいいのにつまらないところで張り詰め消耗している。
「君が、」黒木さんは呆れていたけれど、私に親しみを含んだ表情を向けてくる。「それでいいなら、僕は反対しない。これまで通り、僕は君の味方だ」
私もそれを受けて、ふふっと口に笑みを含ませた。
「ね、ぼくもごはん行きたい」
終夜が私達の間に入りこむ。不安そのものが顔に書いているあるよう。明らかに困っていた。私と黒木さんの会話は分からないけれど彼は彼なりに、空気が読めて気づいたのかもしれない。
「いいね。三人でご飯」
「お肉!」
終夜の目がきらーんと光った。これは今日は胃が持たれるコース直行だろう。お腹もつかな? と楽し気に会話を始めた横で、「ええ、三人で……せめて僕と二人で行かない?」と黒木さんはめげずに聞いてくる。
「あ、却下です」
何度目かになる会話の後、私は明日の予定を思い出した。
「でも明日は空いてます」
黒木さんはコートを脱ぎ去り、両手を上げて大はしゃぎしたのは言うまでもない。どこからどこまでが裏か表か、私には分からないけど、その喜び方が尋常ではないので自然と私はくすくすと声を出して、手を口にやり、笑ってしまった。
「あ、わらった」終夜の声が高らかに響いた。
第一章 兄ウサギ完結です。




