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嘘つき四つウサギ  作者: 千羽稲穂
第一章 兄ウサギ
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男、四人

 大学が終わった後、私は探偵事務所によることにした。ここ最近いりびたりになっている。それは終夜がいるからということもあるが、久藤君関係でいろいろありすぎて事務所を行ったり来たりしていたこともある。


 先日少年が倒れた道であるにもかかわらず、駅前はいつもと変わらない風景が広がっていた。みんな、先日のことを忘れてしまっているようだ。

 そこから探偵事務所を見ると、窓の蛇腹がわずかに開いているのが見えた。電灯がチカチカと着いたり消えたりしている。蛇腹の隙間から小さな男の子がこちらを覗いていた。手を小さく振っていた。私はそれに答えようと手をポケットから出す。


 と、その時誰かとぶつかる。年は、終夜よりもわずかに上。腕には痣。


「すみません」


 少年は申し訳なさそうに頭を上げた。


 その子は私が脅した上、この道で久藤君に殺された『アリクイ』の少年だった。


 私の存在に気づかずに彼は足早に去っていった。後姿を目で追うが、群衆に紛れてしまう。足音はもとより小さく耳に残らない。黒木さんのようにキザッたらしくない、ふんわりとした石鹸の香りが鼻についていた。


 そこで冷静に分析する私がいることに気づいた。今は素直に気持ちを言った方がいいかもしれない。


「生きてたんだ」


 心がさざめく。広がった草原にそよ風が吹きやわらかく草花を揺らすように安堵をもたらす。


 久藤君は死にたかったけれど、誰も殺したくはなかったのかもしれない。兄さんも私も彼はぎりぎりまで生かし続けたのは、根底にある殺人の忌避から。そういえばその実、兄さんの恩人を殺したのは『アリクイ』の下っ端だ。


 久藤君は手を汚してない。


『ナリカワリ』はその性質上、人を殺すことには向いていない。殺せば、私のように匂いがつく。

 それを踏まえたら、彼の行動にも合理性が生まれる。


 しかし、亡き久藤君を、責めたててしまいたい気持ちになる。

 それなら心中なんて考えず、友達として傍にいてくれればよかったのだ。それさえできなかったとは、恋とは罪なものだ。


 私は先ほど出会ってしまった少年のことを忘れ、探偵事務所に歩みを進めた。






 探偵事務所に着くと、異様な光景が広がっていた。

 いつもながらの資料の散乱は見慣れたものであったが、そこにいる四人の男は奇妙な組み合わせとしか言えなかった。


 床一面に散らされた資料の上にパイプ椅子を置き、そこに足を組み座っているのは兄さんだ。

 一方デスクに向かって、くるくると回るいつものお気に入りの椅子に座っているのは黒木さん。

 その向かい側には我は関せずと言った風に眼を閉じる、三、四十代くらいの狼目の殺し屋。

 そして、ソファには、資料を興味深そうに読んでいる終夜と、大きな体をしているのにお腹から背中の幅が薄く、ひらっべたい体をしている久藤君がいた。


「生きてたんだ」

 今度は素直に言えた。


 私の来訪に気づいた久藤君はこちらを振り向く。そして手を小さく振った。


「あ、お姉さん」と爽やかに笑顔を作る。


 その笑みに背筋がぞくぞくっと冷える。

 幽霊がそこにいるのだ。殺したはずの、死んだ男が私に手を振っている。どこの怪談話だろうか。合コンならひと盛り上がりはできるネタではある。


「久藤君、実際のところ染香とはどんな関係なんだ」

 兄さんが神妙な面持ちで、久藤君を見つめる。

 どうやら久藤君が兄さんに危害をもたらしたことを知らないらしい。


「僕も気になるなあ」

 兄さんの隣にいる黒木さんものっかってくる。

 ここにいるのが私ではなく亜希ちゃんなら、黒木さんはすぐさま彼女にすりより、口説いているはずだ。「一緒に食事でもどう?」と軽く。今は、男だけだからか、それとも私だからか、彼の本性はなりを潜め、私をいじめる側に加担していた。


「で、実際どうなんだ?」

 重々しく、狼目の殺し屋が口を開く。


 ピリッと空気がはり詰めた。それもそのはず、今現在、この空間には微妙な面々しかいない。

 仮にも罠をかけた、かけられた相手がそろっているのだ。いくら『ナリカワリ』時で違う顔をしていても気づく人はいる。しかし兄さんは鈍感だからか久藤君を目の前にしても気づいていない。


 その人、兄さんを殺そうとしていた人だよ、おまけに恩師を罠にかけて殺した人だよ、なんて面倒な惨事になりそうなこと、口が裂けても言えない。


 そもそも殺してと頼んだはずなのにまだ生きているのが驚きだ。驚きすぎて何も言えない。さっきぶつかってきた少年もそうだ。こんなに立て続けにびっくりするようなことが起きたら、ああなんだ生きていたんだ、と感慨にふけることも容易に出来ない。


 狼目の殺し屋をちらりと見るが、やはり関せずと言った風に表情はぴくりとも動かさない。兄さんは私の方をニヤニヤしながら見ているし、黒木さんはへらへらと軽い笑顔を向けてくる。久藤君に関してはいつも通り、私のことを一心不乱に舐めるような眼で見ていた。


 ここにまともな人はいないのか。


 そして変な威圧感が私に押し寄せてくる。


「どう?」

 兄さんが念を押してきた。


 どうも何も、と黒木さんに助けを呼ぼうとするが、彼はこの空気を楽しんでいて私に救いの手を差し出す雰囲気ではなかった。


「えっと、どうって?」私が言い淀むふりをする。見え見えなのはわかりきっているけれど、私の口から言うのはかなりの抵抗があった。まだ話していない事柄を覚悟もせずにいうなんてしたくはない。


「久藤君のことだよ。聞けば、邉いじめてたあの子だって話じゃないか。これは何かの縁だろう。お似合いだよ、君達」と、兄さんが今にも携帯で私と久藤君を並べて結婚写真でも撮りそうなほど嬉しがっている。


「お似合いだなんて……」

 その言葉に酔いしれる久藤君もどうかとは思う。


「僕は良いと思うよ」と、黒木さんがまた無責任なことを言ってしまうし、その言葉を皮切りにボソッと狼目の殺し屋が「へぇ」と何かを知った風な口ぶりで私と久藤君とを何度か交互に確認する。


 殺し屋に関してはあの場で何があったか知っているはずだ。さっきの「へぇ」も皮肉交じりにしか聞こえない。


 この男、四人を相手取るのは厳しい。終夜もたじろいでいるのか、資料から目を離さない。離したとしても、資料からこそっと目だけだして覗く。顔は隠したまま様子をうかがっているだけだ。障子に穴をあけて、秘密の会談を見る子どもがそこにいる。私が障子を開けても彼はそこから逃げるだけなので、今はそっとしておくことにした。


 はぁ、と慣れているため息を一つついて、顔をほころばせた。


「お兄ちゃんに言ってなかったんだけど」


「『お兄ちゃん』」と久藤君と兄さんの若干二名が歓喜交じりの驚きを示すが、今は放っておこう。


()()()には言ってなかったんだけど、私、彼氏いるから」


「へぇ」と黒木さんと殺し屋がうなづく。


 こいつら、分かっているのにいちいちふりをしているのが、いらいらする。


「ほら、目の前にいるでしょ」


「目の前にいるって誰ですか?」

 久藤君が真剣な表情でわざわざ立ち上がり、言い寄ってくる。目の前に立てば自分になるとか嫌な企てをしている。


 私は立ちはだかった薄い壁を押しのけて、そこに座る人を指さす。この梅雨の時期でも、コートを着て、年がら年中女と遊んでいる口が軽い男を、しっかりと見据える。私が告げるその男は満更ではない様子で鼻を高くした。


「黒木さん」


 私が述べると同時に空気がゆるむ。さきほどまでの張り詰めた空気とは違い、空気がまるごと入れ替わったかのように陽気な、それでいてやわらかい。


 ああ、と頭を抱えて兄さんが久藤君に歩み寄ると肩に手をぽんっと置き、「良いことあるさ」と声をかけた。


 居酒屋の件を思うと、兄さんは人のことを言えない。いやいやむしろ仲間が増えて嬉しいのかもしれない。


「そうですかね」

 と、私や兄さんの事情を全部知っているのに久藤君は続ける。


 邉が好きなんでしょ?、と脅してきたのが嘘のようだ。


「そうだよ。こういう時はぱーっとやるのがいいんだって」

 と、言っている兄さんは、私が邉を諦めたんだと思っていそうだ。


 兄さんは久藤君よりも隠すのが下手だから人に好かれるし信頼をよせられることが多々あるが、それ以外はただの愚図だ。特に今それを見せるのは久藤君と言う人物でなければ深く傷ついていたに違いない。


「そうだよそうだよ。今から飲みに行こう」と兄さんが久藤君を誘い、久藤君が「ええ、行きましょうと」とのっかった。


 一昨日かそこらまで、裏では抗争を広げていた二人が飲みに行くのが滑稽でならない。どうぞ二人でいつまでも、と言いたいがこのままでは本気で兄さんは久藤君に殺されるのが明白なので止めなければならない。


「俺も行く」


 と、私が言おうとしたが、狼目の殺し屋が割り入った。無表情ではあるが、目だけは物言いが強くギラギラと気持ちを伝えてくる。俺が行くから、ここにいろ、と。あつい信頼を伝えている。頼りたくなるし、この人の前では私が普通の一人の弱い少女だと錯覚させる。


 そんなはずはないのに。


 黒木さん以外の男が和気あいあいと立ち上がり一緒になって、探偵事務所を後にする。


 一番先に兄さんが、日曜日のヒーローにやられた悪党のように嫌味な顔を見せつけた。

「じゃあ、あとはお二人で」捨て台詞を残す。


 兄さんは終夜のことを聞いてこない。聞くところと、聞かないところを普通に間違っている気がする。

 やはりどうしようもない。


「そろそろ家に帰ってきてもいいんじゃない? 長期出張は終わったって言って」


 兄さんは私の言葉にそのうちな、と言わずに手を振った。男性とはそういうものなのか、いまひとつ言葉が足りない。


 次に二番手として、久藤君が事務所を出た。

「俺、的場さんと飲みに行きたかったんですよね」

 人懐っこい笑みをその顔に張り付けさせている。そうすることで、自分が可愛がられることを知っているんだろう。食えない男だ。


 殺し屋が、しっしっと手で久藤君を払いのけて先を促したので、久藤君は楽し気な歩調で私に後姿を見せて出ていった。

 言わなくてもわかるが、彼はきっと私の前にまた現れるだろう。

 今度はどうなるかは知らない。


 三番手として殺し屋が出ていく。待ってと声を出そうにも、無視していきそうだったので、男の手首をしっかりとつかんだ。太く、力強い手首は、私が握っても折れそうにない。ふと上を見上げると、男は狼の目のようなおどろおどろしい瞳を向けていた。眼光が鋭くひるんでしまう。

 私は普通の少女と言う皮を脱ぎ、足元を確立させる。


「久藤君、殺さなかったんですね」


 かよわい乙女のように思えるほど細い声で尋ねる。これでも精いっぱいだった。久藤君が生きている、考えただけでも恐ろしいことだ。彼を目の前にして先ほどは何も思ってなかったはずなのに、久藤君がいなくなって初めて心が冷えていくのを直に感じ取った。


「的場だ」男は私のか細い声にこたえるようにして鳥がさえずるような小ささで応えた。


的場桜まとば さくら


「的場さん、なんで……」

「おまえは、殺したくないと言っただろう。だからだ。殺すことを生業にしていた者として、いつも考えていることがある。

 人を殺すとして、どこからどこまでが人殺しに入るんだろうか。

 依頼したものは、その環境を取り巻く者達は、依頼されてしぶしぶ殺す殺し屋は、人殺しにあたるのだろうか。俺があの時『ナリカワリ』を殺っていたのなら、依頼したお前か俺、どちらが人殺しなんだろうか」


 手首をつかんでいた手が力なく滑り落ちる。

 それを言われてしまえば終わりだ。では、私があの日殺した原因が邉にあると最終的に終結してしまう。邉への感情がそうさせたのだと。あの時の事故も邉のせいだ。邉が、母さんを殺した。


 全て邉が原因になってしまう。


「人はみなすべからく人殺しだ」


 知らないうちに黒木さんが隣に立っていた。なぜか知らないがその黒木さんの言葉には黒木さんの『本当』がこもっている気がした。等身大の黒木さんを見るのは初めてではないけれど、いつになく真剣な言葉に慄いてしまう。


「現代は違う風に見えているだけだ。

 ここからここまでってね。でもみんな気づいていない。全部裏の世界が背負っているのに。目を向けない。自身が人殺しに加担しているのに。人だと見なさないから自分の手が汚れていることを認めない。

 あるいはそれを命だと見なしていない。そんな命の認識だから、命が矮小だから、すぐに殺す。すぐ忘れる。親友に何気ない言葉を告げて、数年後どこか知らないところで、その何気ない一言で自殺をしていたとしても、きっと知らないふりをするんだ。ただ、自分の手が汚れていることを知らないだけだ。やっていることは同じだろうに」


 その言い草に内心ドキッとした。やはり、目の前の二人は殺し屋であることに間違いないのだ。誰もが誰も悪いから、悪に手を染めていても気にならない。


 兄さんが「邉を責めるだろう」と言った、あの時の理論はきっと表の理論だ。どれほど偽ってもその裏には汚さがある。誰もが誰も区別していることに行き当たる。それが人間なんだと思い知らされる。久藤君を殺したときも私は区別をしていたのだ。

 自分は人殺しではない、なんてとても浅はかな考えだ。


「どうしたんですか?」と外から兄さんが的場さんを呼ぶ声が聞こえた。


 兄さんの手には黒の皮手袋をはめているように見えた。そうして叫んでいるように見えた。あの時事故を起こしたのは邉のせいではない。大きく、叫んでいる。あれは、誰のせいでもない。


 ウサギの叫びだ。そのさまは狼と言う人殺しに立ち向かう、小さな悪だ。その悪は本当に悪なのだろうか。対抗するものは悪にならざる得なかった弱いウサギは本当に悪なのだろうか。誰かと一緒に寄り添わなければ生きてけない小さなウサギは、綺麗なまま表に寄り添う嘘つきなウサギは、果たしていけないことなんだろうか。


「……そうですね」私に小さな悲鳴が乗り移る。

「あなた達が私を人殺しだとしたのなら、そうなんでしょう。むしろ、感謝しなきゃ。今の私は心が軽い。あなたが殺したらもっと重くなる気がします。久藤君を殺さないでいてくれてありがとうございます」


 皮肉交じりに言ったら、黒木さんがぶすっと顔を曇らせた。黒木さんのことはどちらかといえば感謝しているがそれでも、私の中の答えは的場さんにも黒木さんにも対抗していなければならない。


「黒木さん何となくなんですが、みんな同じく人殺しなら、みんな同じく人殺しじゃなくなるってことにもできるはずです。

 裏の裏は表です。

 今、みんな人殺しを見ない社会で、全部裏が請け負っていて、みんな人殺しなら、それをひっくり返すことだってできる。殺し屋がいない、人殺しがいない、泥棒がいない、掏りがいない、仲介者がいない、虐待がない、いじめがない、裏がない、そんな世界にだってできるはずです」


 そうだ。もとからそうだった。兄さんも、邉も、希星も、そういう世界を望んで歪んだ正義で悪を働くんだ。


 私が否定してはいけない。

 私が壊してはいけない。

 その隙に私の罪なんて重ねてはいけない。


 重ねてしまったら家族という小さなウサギの世界すら崩壊してしまう。


 だから、私はもう人を殺してはいけないんだ。


「だから、そんな悲しいこと言わないでください」


 少なくとも私は黒木さんがどれほどの汚れた過去を持っていようと、一緒にいることは嫌ではなかったのだから。

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