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嘘つき四つウサギ  作者: 千羽稲穂
第一章 兄ウサギ
23/29

点と線をつなぐ。

 少年を連れて、探偵事務所前まで来たが、その間一言も少年は話さなかった。


 見た目から見て中学生ぐらい、終夜よりは年上ぐらいのはずだが、終夜よりかはあまり芯が固まっていないようだった。名前がない、行くところがない、と聞けば、少年のこれまでの人生の暗い足取りを何となく察せられる。私のことをぬくぬくと育ったと言っていたのならなおさら、彼が自分の人生に絶望しているのがわかる。


 じーっと俯き何かを考えているが、その表情は分からない。先日兄によって殴られた頬にはガーゼがあてがわれている。もう片方は、腫れは引いていた。

 掏りをする気配がないこと、手にナイフなど物騒なものを握っていないことを確認する。

 目の前には探偵事務所の扉があるだけだ。


「一つだけ注意。私は、これからほとぼりが冷めるまで、君をここで匿う。ここはあなたの業界なら誰しも知る危険地帯だから、誰もここまで君を追って来ない。だけど、君が私の物に手をだしたら……」


 ぎゅっと、彼の手を握りしめる。痣も何も関係ない。全てをひっくるめて、私は笑顔でこの中学生ぐらいの少年を睨みつけた。


「殺すから」


 探偵事務所の扉を開けた。

 白い紙がそこら中に散っている。

 

 探偵事務所の来客は現在過去最高数に至っている。一人は終夜で、一人は兄が殴った少年だ。そんな二人が顔を合わせるなか、黒木さんが「また拾ってきたのか」と「犬や猫じゃないんだよ」と、扉を開ければ駆け寄ってくるはずだった。

 だが現実は「あれ?」と拍子抜けするほど、反応がなかった。駆け寄ってくる相手も、すり寄ってくるいやらしい声もない。


「終夜、黒木さんは?」


 事務所には終夜一人しかいなかった。ソファで一人、二枚の紙とにらめっこをしている。私の声に気づいた終夜は、紙から顔を上げる。「黒木さん?」と年齢相応の幼い表情を見せ首をかしげた。


「ほら、男の人」と言えば、終夜は頭の上に豆電球を灯した。

「僕に、おにぎりを買ってきた後どっかに行ったよ?」


 また女漁りに行ったのか、それとも私が新たな疑問に答えるのが嫌で席を外したのか。私は前者を推したいが、こういう時は大概嫌な方向にことが動いていることが多い。そもそも、喧嘩するな、と言ったのは黒木さんなのだからこの件に噛んでいるのは確実だ。と、すれば、ほぼほぼ、後者だろう。


 考えるだけでため息がでそうになるが、ため息を吐いたって彼の性格は変わらない。無駄なことをするのはやめた方がいい。

 吐き出す息を噛み殺す。


 私は少年の手を引き、扉を後ろ手に閉めた。そうして、少年の手をやっと放す。少年は怯えながら、探偵事務所の窓のほうへと足を向けた。きょろきょろと、目を動かす。此処には、彼を脅かすものは何もないのにもかかわらず、彼は目に見えない何かをおびえていた。


「適当に座って。此処は大丈夫だから」と少年に言うも何も聞いていないようだった。知らんぷりをして窓に張り付いている。


 普通の人はこの事務所に来れば紙が散っていて足の踏み場がない探偵事務所に驚くはずだが、それ以前のことが気がかりなのだろう。

 何がそんなに気がかりなのか、私は少年の隣に立ち、窓の外を見るが、人が行ったり立ち止まったりする、ありきたりな風景にしか見えない。


 少年は体を震えさせ、目をでめきんのようにぎょろりと大きく開かせて警戒している。私のことを見ていない。言葉も通じない。黒木さんに電話を掛けるが、通じない。


 点は、だいたい浮かび上がったが、線を結ぶには、あと一息だった。


『ナリカワリ』が兄を標的にした。そして黒木さんに近づいた。この二点だけでも黒木さんに詰問したら、この件は終わってくれる。あとは、あぶりだして、消すだけだ。だが、どこかしら、やはり違和感がある。私が触れたくても触れられない事柄がある気がしてならない。


 ソファに座る終夜の隣に座り、私は考える。終夜は再び二枚の紙とにらめっこしていた。ちらりと覗きこむと、あ、と心の中で水滴が一滴垂れてくるかのように一文字落ちてきた。


「終夜、それ貸して」


 え、と終夜も表情に不安を垂らす。


「じゃあ、何書いてるか教えて?」

「君には早いよ」


 と、その隙に紙を取り上げた。

 一つは、希星の念写した絵だった。私が知らないうちに、事務所に落としてしまったのか、黒木さんが私の荷物から盗んだのか定かではないが、終夜に知らず知らずのうちに渡っていたらしい。


 青い色の下地に、希星の好きな人と私が描いてある。この好きな人は狼のような鋭い瞳で、私の父ほどの年齢か、それよりも少し下ぐらいの男性だった。この男性には見覚えはない。


「ねぇ、ここ見て」


 終夜が絵の私の後ろあたりを指さす。くっきりとではないが、ほんのり面影が見える。背丈が黒木さんよりも大きい、狼目の人よりも少し小さい。だけど体のラインがしっかりとしているのが分かる。顔の輪郭、今どきの男性の髪型。一見して、そこらにいる男性に見えるが、私は見ただけで分かる。



 これは間違いなく兄だ。



「僕を救ってくれた人じゃない?」


 どくどくと血が勢いよく流れていく音がした。心臓が脈打ち、早すぎて追いきれない。重いハンマーを打ち付けては離して、心臓が浮き沈みしている。その心臓の浮き沈みが、


「違う」

 

 ぴたっと止まった。

 終夜の見つめる瞳が揺れる。


「兄の名前は、慎助。覚えてて」


 終夜の持っていたもう一つの紙を見る。こちらには、名前がずらりと並べてあった。黒木さんが確認していた名簿であるのは、すぐに思い出せた。上から順々にあいうえお順で名前と能力と役職が書かれている。役職と言っても、どれも悪い仕事だ。そこにある名前の中に、私の名前はなかったけれど、妹、希星の名前と弟、邉の名前が書かれていた。


 だけど、兄の名前だけない。


 他に知っている人の名前を見つけようと思うけれど、いなかった。最近いなくなった『アリクイ』の名前すらない。事実上いるはずになっているから、名簿には記載されているはずだ。だが、ない。兄の名と同様に、ない。


 唇を噛みしめる。あの兄の姿が思い出されてならない。私が至らないばかりに、兄が消されてしまった、とするのが一番てっとりばやかった。

 いや、そう考えが行きついてしまうのだ。この名簿が正しかったら、だけど。


「ねぇ、何が書かれているの?」隣で終夜がしびれをきらして、私の手から名簿を分捕る。


 その時、私の力と相まって、ビリビリと名簿が書かれている紙が破けてしまった。


 あー、と終夜が不満そうにこぼす。

「あー」と同時に窓側から驚く声がした。


 同時に発した少年達の声にどぎまぎしつつ、終夜からちらりと見て、次に窓際の少年を見る。彼は探偵事務所の蛇腹から外を見ていた。

 そこから何を見ようと、風景は変わらないはずだ。いつもと同じ人通りがある。だけど、彼が知っている人がいるとしたら、話は違うだろう。

 

 彼は私を見ずに顔を伏せて、私の横を通り、探偵事務所の出口まで歩き出す。俯いた真っ青の顔は、南極にいるような凍えた顔つきだ。そう、それぐらい寒い、幽霊がいたかのような、気分の悪い人がそこにいたような、そんな表情だ。


 あまりにも、流れるような動きに私は反応できなかったが、そこでようやく「あ」と声を出せた。


「どこ行くの?」


 ぴたっと彼の動きが止まる。


「ここもばれてる」

 彼はボソッと口元で言ったのが聞こえた。


 次の瞬間、今までの動きが嘘みたいに彼は乱暴に扉を開けて、駆けだした。生気のない腕が振られる。この場から逃げ出したい切実な思いが見て取れる。

 

『ナリカワリ』も幽霊のようなものだが、今の少年はそいつよりも生きることを放棄している馬鹿な幽霊だ。その霊がこの窓から見えたとしたら……



「終夜、事務所をちょっとの間だけおねがい」



 私は少年が駆けだしたと同時に立ち上がり、少年の後を追った。駆けだしたからか、私が走った後、床から紙がひらひらと巻き上がっていた。白い小鳥が外出を送り出しているみたいだった。扉が叫ぶぐらい強く閉めて、少年の後姿を目で追う。


 私は雑踏をかき分けて少年の十メートル後ろにひっつく。次第に足が速くなる。人が、あっちこっちに行き、少年はその規則性から外れて、路地裏に入っていく。


 そうして、私は彼を見失った。

 駅前の商店街にはいくつも路地裏が存在している。雑踏がいきかうとそれが濃く深くなる。そこを辿っていくのは至難の業だ。ただ、少年のいなくなった路地裏はどこの路地裏か見分けがついた。


 追わなければならないのに気が付けば、足がその路地裏の入り口で止まってしまっていた。


 なぜ、ここなのだろう。


 少年を追っていった相手はまず間違いなく『ナリカワリ』だった。私の兄を消し去った相手だ。それなのに、此処に行きついた。まるで私が追っていったことを知っていたかのようだ。


 この路地裏は、私が手を汚した場所だ。私があの時、あの日、人を殺した場所だ。


 路地裏の入り口に茫然と立ち、その奥を眺める。

 奥には臭気と鉄の香りがした。ひっそりと隠れている私の影が見える。暗闇の中、隠れている彼女は今の私を見つめて、ふっと息を吐く。その息がこちらにかかってくる。前髪がさらりと揺れた。私のポーカーフェイスを揺るがせた。彼女の瞳は曇っていた。光も何もない。袋小路に迷い込んだように、みすぼらしい姿をさらしていた。


「惨めね」


 私は彼女に話しかけた。今の私にお似合いの言葉だ。自身の言葉で自信を傷つけている。そんなことは分かっていた。


「情けない」


 ぐっと顔をしかめる。泣きそうなのが分かっていた。そうだ。ずっと泣きたかった。ずっと泣いていた。その原因が胸に突き刺した自身の言葉であることを知っていた。


「家族のためなんて、馬鹿みたい」


 そのすべてが、私の感情であることを十分に悟っていた。それが今も変わっていないことを知っていた。全てを受け入れて、その刃物を私の胸に当てた。突き刺されて、心臓の鼓動が止まるその瞬間まで待っていた。血まみれになっていく、私の全身を、じわり、じわり、と染み渡っていくのを、見届けた。


 あの日の私の口元は、笑っていた。

 私の元から、彼女は去っていく。透き通り、風のように私の体を通過して、雑踏の中に溶け込んだ。でも、今の私はあの日の路地裏に戻ってきた。


 暗くしめっぽい路地裏に、すんっと匂いをかぐと煙草の匂いがした。兄さんの大好きな煙草が、陽気な鼻歌とともに蘇る。この路地裏の壁によりかかり、白い煙を細く登らせて、ちっぽけな空を見上げていた。


 目を細める。

 だが、そこには兄の姿も、駆けこんだ少年の姿もない。幻だけが路地裏には漂っていて、私を惑わせる。ふわふわとした香りがここに誰がいたのかを示す。兄さん、と思いを馳せるが、でもどこか違和感があった。その違和感は、もうわかっていた。


 遠くの方で、悲鳴があがった。なぜだか、そのタイミングすら、全て予定調和がとれていた。私がここを覗くことも、そう仕向けることも、どれもこれも出来すぎていた。

 ぴんっと張り詰めた糸がありとあらゆる点を結ぶ。大きな波を雑踏はもたらしている。その中で、私の中の研ぎ澄まされた感覚が告げていた。


 私に誰かがぶつかる。大きな男、しかも兄さんが大好きな煙草の香りを漂わせている。ふりむくと、細長い背丈に手に黒い皮手袋をした男が歩いていた。その皮手袋は、ぬめりのある光沢を際立たせた。優男の印象とは裏腹に、手には少量の筋肉。最近傷つけたのか皮手袋から覗く痛ましい傷は生々しい。



 まぎれもない、兄の姿だった。



 ふらっとその人を私は追った。後ろに倒れているであろう、追っていた少年を見捨てる。私はその人を求めた。群衆をかき分け、大きな背中のどうしようもない人を、目で追い、その人の優しい足音と、真っ白な気配を感じ続けた。群衆を逆行して、大きな群れを抜け出す。ぷはっと息を吐きだし、清清しい空気を吸う。そして、その人の姿を再び感じる。


 気づけば、そこは邉の秘密基地であるアパートで、邉の隣の部屋の107号室が開いていた。扉がおいで、おいでと促している。

 飛び込めば、命はないだろうと知っていても、その人の後を追わずにはいれなかった。一言、謝りたかった。偽りの気持ちだとしても、大好きだよと、言ってやりたかった。彼のあきれ果てた言葉をもらいたかった。


 だから、私は扉の誘いを受けて、中へ踏み込んだ。

 ギィギィ、と古びた床がすすり泣く。私はそろりそろり、と歩みを進めた。奥へ進むにつれて、そこに立つ人の異様さが浮かび上がる。アパートのちっぽけな狭い部屋に黒い靄がかかったような、異質な匂いと雰囲気が合わさって、一周回ってこの場に似合っている。この部屋に何年も住んでいたかのような貫録を漂わせていた。


「何しに来たんだ」その人が怒ったような声をだす。


 私は気おされた。後ずさり、後ろを振り向くと同時に、その人は私の背後の開けっ放しの扉の元へつかつかと歩く。そうしてゆっくりといつものように閉めた。そうだ、そんなふうに兄は閉める。

 皮手袋をしているときは、細心の注意を払い、中にも外にも音を響かせない。誰にも気づかれずに、彼は去っていくし、家に侵入する。その所作は芸術だと称した人もいたほどだ。


 振りかえって、その人は扉に背をつけた。これで、私の脱出経路は、奥のベランダに通じる窓しかない。しかし、そこに行きつくまでに女の私より男の彼は簡単に動作を止めることが出来るだろう。


「メール」私は単語を紡ぐ。

「ああ、あのメールか」ゆるがない。

「希星には出張、邉にはメッセージ消して、私にはしばらくいないなんて言ってたじゃん。あれ、どういうこと?」

「追われてるんだ。染香が子供を連れだした後、掏りグループのボスのところへ行ったけど、情報が間違っていて失敗した。で、有給(・・)休暇・・とってしばらく遠くへ行こうとしてたところなんだ」


 ここは堪えるしかないのに、思わず口に出してしまいそうになる。逃げるには、出口は二つ。自然に振舞わなければいけない。そして、手口にのって、ここから脱出しなければならない。

 しかし、私の失ってしまった表情や感情が言うことを聞かない。これがなんだか分からない。兄を救おうとしているこれは、この人に憤っている私は、やはり『家族』という枠組みが、大事なのだ。


 今はそう思えているんだ、と安心感を得られるのにどこか冷たい私がいる。温かくないこの感情が、気持ち悪い。私をここに立たせている、これをそれ以外の感情にしてくる。あの日のような感情にしてくる。


 違う、私は、兄さんを救いたいんだ。


「街から出ようと、駅に行こうとしていたら商店街が騒がしくなっているし、そこに男の子が倒れてるし、慌ててそこから逃げようと思っていたやさきお前がいたんだ。

 焦って、お前から逃げて、このアパートに行きついた。でもそこで考え直してさ、お前の追跡を逃れようなんて、無理な話だろう。探偵だし、これまで雇っていた俺はそういうのすごくわかるから、だから、これまでの経緯を話そうと……思って……」



「お兄ちゃん」



 目の前の人は、全く揺るがない。確かにこれは兄の動作だ。だが、この単語を言ったときは違う。兄は少なくとも、どこかしらどうしようもないから、優しいから、冷たくっても手を差し出した。今は、あの冷たい兄の雰囲気は出していないからなおさら、反応するはずだった。


「もういいよ」


 あの日の光景が目に映される。血まみれの私は、笑っていた。否定するために、私は冷たい私の感情を隠した。


「完璧だったよ。体形も、歩き方も、細かい動作のあれこれも、話し方も、言い訳の仕方も、どれもこれも兄さんだった」


 床に着ける足から頭に向かって熱がこみ上げてくる。ぎゅっと手を握りしめて、ポーカーフェイスを作った。どれだけ言葉の刃で傷つけたって壊れない、表情を作り出す。裏にある表情は、五月の雨で洗い流された。


 きっと、大丈夫だ。私の感情を引き出すのは、守ってくれるのは終夜だから、今この人に請わされることはない。何一つ、怖くはない。


「でもね、兄はたまーにおかしいところでしくじるし、変なところが不器用で。特に誰かの尾行をするときとか、兄は簡単にこっちに尾行しているよって伝えちゃうほど、下手なんだ。

 それなのにあなたは、まったく音がしなかった。気配が薄すぎ。いつもそうしているから、なっちゃうのかもしれないんだろうね。

 しかも、有給休暇だなんて。兄は職をやめているのに。

 それとも今回の『ナリカワリ』は急すぎて準備不足だった?」





「ねぇ、久藤君」




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