線が繋がらない。
煙で思い出すのはこっそり兄さんが煙草を吸う姿だった。ご機嫌で、鼻歌交じりに煙を吐く。そんな姿をたびたび遠目に見たことがある。
煙草は高級品だ。母さんの時代は、まだ一般市民は煙草を購入できたが今はそうはいかない。度重なる行政の条約や市の条例で煙草には税がたっぷりと課せられていた。重い比重の税であっても吸う人はいたが、大概の人々は煙草と言うものは有害だとする教育方針や前述した税の重さでやめた。その中で兄さんは吸っていた。あのさらりとした金髪で、拳を血だらけに、優雅に吸っていた。
兄はだいたいは優しかったが、一方では冷酷だった。暴力はふるうし、自分の力を存分に使い、相手を騙すこともあった。全てが全て優しさに帰結するわけではなかったのは、理解していた。その一つが煙草だったのも、認知はしていたのだ。
空き巣に入った秘密の袋は、どこに隠しているかも何円使っているかも、そのお金にとんと執着していないことも私は知っていた。
が、しかし、そのお金を煙草にだけは使っていた。潰れそうな優しさを守るために、兄さんは煙草に頼るしかなかった。
暴力をふるって不良達から高級品の煙草をふんだくっていたことも、気づいていないふりをして、私は気づいていた。
あの血だらけの拳を栄誉の証だとしたら、煙草は罪だ。
人は、矛盾せずにはいられない。
兄は、その点普通の人だったのだろう。
どうしようもない、人だったのだろう。
目をゆっくりと閉じて、もう一度開いた時に兄が家に帰っていることを願った。でも、どこをどう見ても玄関には私と希星と弟の邉と、宿主のいない会社用の兄さんの靴しかなかった。
転がるように家に上がり、兄さんの部屋を隅から隅まで見たが、どこにも兄さんの隠していた皮手袋は見つからなかった。隠し場所まで私は知っているのに、そこにもない。
「お姉ちゃん?」
家を荒らす私に希星が寝ぼけ眼をして訝しむ。背後に希星が立っている。
「何か探してるの?」
「兄さんを探してるの」
荒らしたものを片付けて、私は振り返った。
「お兄さんなら、チャットでしばらく遠くに出張だって言ってたよ」
それより、お姉ちゃんさあ、そんな小さなところに兄さんいないよ、寝ぼけてるんだねー、と希星がバカにしている横で私は携帯を確認した。確かに個別だけれど私にも『しばらく家を出る』といつもながらにそっけないコメントだけ残っていた。
いつものように泥棒に行って帰ってこなかったことなんてないはずなのに。
本当に出張である可能性を考えて、希星が私から離れたのを見計らって兄の職場に電話を入れた。いれたはいいが、職員は、短い一言を述べて終わってしまう。
『お兄さんなら、先日突然退職届を提出されて、こちらもびっくりしているんです。妹さん、貴方は何かご存知ありませんか?』
焦りは募るばかりだ。いや、焦らない方がどうにかしているのだから、私の判断も感情も正常だ。
家族に断りもなく退職して、出張と偽りいなくなる。こんなことはありえない。少なくとも、今まで見てきた兄の姿ではない。
「姉さん?」
今度は邉が近づいてきた。
「兄さん知らない?」
あくび交じりに小生意気な低く甘い声が私の耳奥を震えさせる。ぱっと振り返ると、邉の顔が目の前にあって、心臓が跳ね上がる。
身内でも、邉の整った顔に驚かせられる。希星は耐性がついているが、私はまだまだみたいだ。
「邉は携帯に兄さんのメールきた?」
「来たけど、おかしいんだ。
いつもなら、『温かくして寝ろよ』『無理すんなよ』『ご飯できたから一緒に食べよう』みたいな俺を気遣ったものが大半だったんだけど、昨日の夜辺りに『今まで苦労させたな。実は俺さ、みんなに秘密にしてたことがあるんだ』ってきて、さっき見たらメッセージ取り消されてた。
おまけに『しばらくいなくなるから、染香のことよろしく』ってさ」
黙っていたことを私はぐっと喉に留める。兄さんはそれを一生話さないと思っていた。それを話すことにして、メッセージを取り消した。此処まで言っておいてやめた。
私が邉に話すとしたら、それは死の淵にある時だけだ。
兄さんは、一体何に巻き込まれたのだろうか。
「いつもなら『染香のことよろしく』じゃなくって『みんなのことよろしく』ってするだろうし。姉さん、どういうことか知ってる?」
「知らない」
ポーカーフェイスをするしかなかった。乾いた笑いを息をつっかえさせないように吐き出す。
ここでいつも心にあった恐れを表すわけにはいかない。
悪党である以上考えられることがある。人である限り完璧なことはない。人である限り矛盾するし、こうして最後に秘密を吐露したくなる。
つまり兄さんは、誰かに捕まっているか、あるいは死んでいる。
昔の兄さんは凶暴だった。警察のお世話にならないのが不思議なほど暴力をふるったし、煙草を強奪したことだってあるはずだ。自身の能力にかまけて先日は少年を殴ったし、昨日なんて終夜を処分しようとした。
こないだの掏り少年や少年の所属していたグループを壊滅させるために退職したのだとすると、やっぱり兄さんに向けた私の怒りや不安は、方向が違っていた。
兄さんは、ずっと奥深くまで考えてやっていたのだろう。自身が捕まったとしても、掏りのグループに復讐をしたかった。そのために全てを捨てた。自身の地位も、周囲の人間関係も。どうしようもないほど抱えていた甘ささえ。
結果、そのグループが強大だったのか、罠にはまったのか掏りグループのトップへ泥棒へ行ったきり帰ってこなかった。
不自然なメールは、どうみても兄さんが消えるときに書くようなものではなく死ぬ瀬戸際のものだ。
これまで危惧していたことが、現実になって頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。
「邉、最近の掏りグループの動向について教えてくれない?」
「なんで突然」
「いいから」
こんな言葉ですら叫ぶこともできない。
「最近の掏りグループ、というかこの街の掏りは至る所にいるんだけど、大きいのは三つぐらい。
一つは、商店街を根城にしている『コノエ』ってやつ。
二つは『サイキ』。
三つは正体不明の『アリクイ』。
一つ、二つは実はどっちもこのアリクイに食べられて、今はアリクイってグループしか動いてないって聞くな」
「アリクイは、本当にやってるのは掏りだけ?」
例えば、このアリクイが誰かを殺していたとしたら。誰かの真似をして、素人の空き巣を繰り返していたら、誰かに気づかれたくって、わざと目立つ行為をして、邉の耳に入るようにしていたら、どうだろうか。
考えすぎかもしれない。
兄さんを捕まえるのはそれほど至難なことだ。裏に通じている者に面が割れていない兄さんの現状を考えれば困難なことなんて容易に想像できる。
しかし、実際は兄さんがいない。
『アリクイ』が高等な手段を用いて兄さんを誘導させた。それとも、情報が錯綜しているか。
『アリクイ』は聞く限り普通の組織だ。邉の耳にも簡単に入り、他の組織をつぶし派手に行動して、こちらに存在を示して馬鹿な真似をする、すぐにつぶれそうな組織だ。兄さんが、そんな組織になんて、聞くだけで嫌気がさす。
「『アリクイ』のボスの居場所知ってる?」
昨日の兄に伝えた居場所や情報を思い起こす。間違っていなければ、『アリクイ』のボスであっているはずだ。
邉がゆっくりと口を開く。指で床に書き示す。その一文字一文字が伝える。兄さんに伝えたものと全く違う場所だった。
邉の情報は、吟味され、真実しか抽出しない。事実だけ口にする。そうしないとこの顔は信用されないから、そうしていると話してくれたことがある。だから、この情報は信じられるものであるのは確か。
「そっか。邉、ありがとう」
力を入れて、立ち上がる。
頭に駆け巡る情報が全く整理できていなかった。点が多すぎる。情報のかけ違いや、兄さんの言動、それに黒木さんの指示した予感、掏り、空き巣、どこにも兄の欠片が見つからない。
今度はどうしようか、と考えている時邉が私の腕首を握った。見ると、終夜とはまた違った興味という光を私に向けていた。
「姉さん、もしかして兄さんのおかしなメールと何か関係あるの? そうだったら、俺も協力したい」
兄さんなんかのちっぽけな光ではない強さを邉は持っていた。邉は無償で私のために情報を迷わず与えた。何も言わず、協力すると言ってくれた。邉は変わっていないのだ。昔ウサギを拾ってきたあの日から何一つ、一緒にいてくれる。
兄さんも、変わってほしくない。邉を見ていると、そう感じてしまうのだ。
兄さんは変わってほしくない。何一つ、邉よりも弱い優しさで暴力をふるう兄さんでいてほしい。金髪のあの姿で口に煙草をくわえて、煙を立たせて、上機嫌に鼻歌を歌って、それを陰で私は聞いていたい。
ああ、私、兄さんにまだ生きていてほしいみたいだ。まだまだ兄さんのことを諦めてない。だから、邉に言えない。生きていたらって考えると、私が救い出してあげなきゃって思ってしまう。兄さんの秘密も、邉に言おうとしていたことも、隠してしまう。
「ごめん、邉。私の勘違いだったみたい。何一つ関係ないよ。多分焦って打ち間違えたから、おかしな文章になって消したんでしょ。案外兄さんの秘密なんて『プリン食べちゃった』みたいなかわいいものだと思うよ」
だから、嘘を一つ浮かばせた。
こうするしかなかった。兄の行く末を、私はまだあきらめがつかない。まだ助けられると思い続けているうちは、追い続ける。
私は、嘘をつくウサギ。
四人兄弟姉妹のウサギの二番目。
二番目の嘘つきウサギ。
嘘なんてお手の物だ。




