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嘘つき四つウサギ  作者: 千羽稲穂
第一章 兄ウサギ
19/29

 私の歩みは速まる。

 早く兄さんに会わなければ、そして子供を迅速に処理しなければ、兄さんの存在が知れ渡ってしまう。兄さんの泥棒を見ていた子どもが今は一番危険だ。兄さんは優しいから、子どもの処分もままならないだろう。渋ってしまうかもしれない。もしくは優しいから子供を連れてきてしまう。

 優しいから暴力をふるうような人だ。そこも兄さんらしいところだけれど、非情な判断を下さなければならない。


 黒木さんの探偵事務所を出て、兄さんのいる今回の目的地に着く。そこは閑静な住宅街の一角だった。庭には華やかな花壇が見受けられ、家の外見は整っている。塗装されたばかりなのか、新品の匂いが鼻についた。隣の家と見比べてみても、そんなに大差はない。どちらかと言えば、兄さんが入った家の方が新しく見えるぐらいだ。


 周囲に悟らせないよう、怠らず注意をする。

 兄さんの職場に行くときは細心の注意を払っている。最近は、家に防犯カメラまで取りつけられることもあるので、どこに何があるのかまで確認する。

 隣の家のチャイムに一つ、玄関に一つカメラとりつけられているが、家の前まで映していない。手前に自動販売機とごみ集積所がある。もっと言えば奥手に駐車場がある。その駐車場にカメラ作動中と書いてある看板があるが、あれはブラフだろう。看板を掲げることにより、無断駐車を防いでいるのだ。何年か前に使い古された手だ。


 ここまでは、兄さんさんに渡した情報と違わない。周囲のカメラ、死角、全てにおいて把握済みだ。


 ノブを回す。鍵はかかっていない。私は機を見て、家に入った。

 途端、兄さんと小さな男の子の姿が目に映りこむ。玄関の上がり框に腰を下ろして、兄さんは疲れたように顔を下げていた。目を伏せて、私のことを見ようとしない。悔しそうに口をきつく締めている。兄さん自身の弱さに折れてしまっている。


 だが、兄さんの弱さとやっていることとは違う問題だ。私達は覚悟をしなければならない。その覚悟がなければ、捕まるだけだ。捕まってしまえば、そこで人生は終わりだ。一度印がついた悪党は表世界で浮いてしまう。警察がはりつき、常にやることなすことにバツ印をつけられてしまう。そんな足を洗った人を何人も見てきた。


 疲れきった兄さんの隣にちょこんと座るのは小さな男の子だ。瞳が澄みきっている。私の目から見てもこの子は、純粋そうだった。スリをやっていた少年とは大違いで、そういった悪さをしたことがない目と顔つきだ。

 その子が、私と兄さんを見て憧れのような感情を向けている。その表情の意味は体の節々に見られる痣を見れば十分に理解できた。私達のようなことをしている人は頻繁に出会う人種だ。

「兄さん、どういうこと?」「……染香、この子を始末してくれ」


 その言葉には、逡巡も後悔も、兄さんの優しさの粒さえ感じられなかった。


 この人は、数年前に私がしでかしたことも全く知らない。だから、兄さんにとってそれを注文するのは、簡単ではないはず。兄さんはどうしようもない人だった、そういう人だった。


 それなのに、今は簡単に言うのだ。

 俺のためにこちら側にきてくれ、と。



 人を殺してくれ、と。



 少なくともつい昨日まで、そんなことを言う人ではなかった。そんなことを頼むのなら、自分を責めたて自殺する人だった。

 それぐらい優しい人だった。


「兄さん、立って」


 自然と裏で使っている声色をだしてしまう。私が忌み嫌っているあの頃の自分へと変貌している。

 威圧しても、兄さんはこちらを向かないので、仕方なくもう一度言葉でつつく。


「立てって言ってんの」


 同時に私は兄さんの胸ぐらを掴み無理やり立たせた。力を込めたつもりはなかったが、自然と怒りで湧いてでてきた。


 立ち上がった兄さんは、私の背よりも頭一つ分上にあった。視線を、あくまで私の方へ向けない。そっぽを向き、子どもの方を見つめている。私に向けての弁明もない。さきほどの掏りの少年を殴った冷たい兄さんのままだった。


「この子どもを置いて出ようにもついてくるんだ。どうしようもなくなって戻ってきた。さすがにこの状態のまま帰るわけにはいかないだろう」


 兄さんの状況説明は淡々としている。そのことにひどく悲しくなった。いつから兄さんはこんなに冷たい目をして、冷たい言葉を吐くようになったのだろうか。冷静に仕事をこなすのは当たり前だが、私の手前では決してそんな態度を見せなかったはずだ。


 この家族間の緩い関係が、ほつれて悶えて、今、兄さんが大きな歪を生みだしている。そんな気がした。張り詰めた厳しい世界のほつれた糸を目の前に垂らされているようだ。


「始末ぐらいお前の探偵事務所ならできるだろ。あの事務所はここらの裏界隈を取り締まっているんだから」


 そういうことではなかった。


「金なら払う」


 お金を積めばいいなんて考えてない。


「違うよ。兄さん」


 低く唸るような私の声に、痛みが宿った。一言喋るたびに、棘がのどを突き刺すようだった。この先は喋りたくないのに、言葉を口の中から離してしまう。


「違うでしょ。あれほど気を付けてっていったのに、先走った。あげくの果てに、子供を始末してって? 頼む相手が違うでしょ」


「染香は何に怒ってるんだ」


 私の中の兄さんの姿は崩れていく。いつも見ていた優しい兄さんの姿はない。実際は、私の思っていた姿を押しつけたいだけなのかもしれない。

 しかし、今の兄さんの姿は冷たいだけではない。ぶれているのだ。もともとあった芯の強さが感じられない。あれほどまでに努力をしようと頑張っていた兄さんが最終的には私に丸投げした。その心意気に、腐った兄さんの今の心に、失望してしまった。


 息を絞って、手を振り上げる。手は兄さんの頬に当たり、赤く腫れあがる。


「今の兄さんなんかだいっ嫌い」


 絞り出した言葉に兄さんは放心していた。私はおまけに持っていた資料を放り投げた。封筒から白い紙の資料が抜け出し、ひらひらと宙に舞った。紙の間から兄さんの腐りきった顔を拝み、鼻で笑ってしまう。

 こんな兄さんの言葉を信じている自分を憐れんでしまう。揺れてしまう私の心に、弱さを感じて同時に自分自身に失望してしまった。


「もう手を切ろう」


 汚れた服を着た小さな男の子の手を引いた。男の子は兄さんのことを見つめていたが、抵抗せずについてくる。私の熟れた力が強くて痛かろうが、何も言わず顔もゆがませず、そのままに、一緒についてきてくれた。その風貌と行動に、憐れみを感じずにはいられない。


 兄さんを置いて、戸をゆっくりと閉めた。







 外に出ると小雨が降りだしていた。糸を引いたかのような小さな雨が私の体をうちつける。白い細い糸を掴めば、誰か助けてくれるかと思って、手を伸ばすも、掴めるのは隣の小さな子どもの手だけだった。


 処分や始末なんて言葉でぼかしてはいるが、結局のところこの子どもをどこかしらに売りさばくか、それとも殺すかの二択しかない。どちらにしてもこの男の子は長くは生きられない。


 いつからそういう発想をするようになったのだろうか。私でも、したくない選択だ。これは裏のやり方で、表に生きる者であればあるほど表のやり方にこだわるはずなのに、今の私も兄さんもそういった選択がとれない。完全に裏に染まりきってしまっている。

 こんな現状であると理解はしているが、選択を取りたくない。


 雨にさらされながらも、私達は歩いた。雨に濡れたい気分だった。子どもは何も言わずついてきた。手から伝わってくるのは震えだった。これからこの子にする処遇を考えればその手の震えがどこからくるのかは容易に想像できる。


 兄さんの言葉など聞きいれず、その場に置いておくべきだったのかもしれない。置いておいても、あの家にいればこの子はいずれ死んでいるのだけど、裏に浸る生活をさせるよりは幾分か良いはずだ。


 ちらりと男の子を見る。

 あの場に置いてくるとして、この子はどうなっただろうか。空き巣に入られたところを見たこの子は、きっと虐待をする両親に私達の情報を売ってしまうだろう。常日頃の暴力に弱くなった子どもの心は、簡単に屈してしまう。売られた私達はすぐにでも警察行きだ。

 この子を孤児院に預けるのはどうだろうか。それにしても両親の許可が必要かもしれない。その上にこの子が誰かに私達のことを話さないとも限らない。この子の口から出てくる兄さんがヒーローだとしても他の誰かは、兄さんのことを泥棒だとするだろう。


 どうしたって無駄だ。この子の生きる選択を見つけるのは難しい。


 服を雨にぬらしながら、人がいない路地裏を選んで歩く。暗い場所や裏道を通らなければ目立ってしまうのだ。カメラを避け、人目を避け、気配を殺しつつ動いていたら、いつのまにか髪も服も水を大量に吸って体が重くなっていた。子供はそれでも一言も話さない。


「声、でないの?」路地裏の一角で私は足を止めて子どもに尋ねた。


 ふるふる、と首をふった。つるりと、水滴が子供の頬に綺麗な曲線を描き、なぞられる。目は澄みきっていて、底が知れない。大きく深い穴がこの子どもの中にある。私はそこに放り込まれないよう、暗い底の淵で踏みとどまった。

 鼻を機能させるとすぐにこの子の匂いが香る。血と汗と、何とも言えない異臭が香ってくる。お風呂も入れてもらえてないのかもしれない。


 それにしたって、あの家は違う場所でお金を貯めこんでいた。子どもに使うお金なんてたくさんあったはずだ。しかし、この子からは、そういったお金を使われた気配すらない。


 兄さんの悪党狩りは成功した。だが、子どものことを視野に入れていなかった。もしかしたら、私の渡した情報が悪かったのかもしれない。


「ぼく、どうなるの?」


 小さな手の比重が増していく。


 簡単だ。私が見離せばいい。兄さんも、この子も。そうしたら、私の心も平穏に近づくだろう。


 だけど、それでいいのだろうか。私は、それで納得するのだろうか。


「死んじゃうの?」


 底知れない穴が、私に問いかける。踏みとどまれ、と叫んでいる。静かにうごめく闇が私の足を掴んだ。ぎゅっと、離されないために私の手をしっかりと握る。

 私の腕力と子供の腕力は天と地の差だ。すぐに振り切れる。


「でも……ありがとう」


 子供のか細い声が私の心に火を灯した。小さな小さな灯が、闇を照らしていく。子どもは決してそっちには誘っていない。むしろ、私を照らしてくれているように見えた。


「ありがとうなんて、言われる筋合いはないよ」


 私の声は震えていただろうか。震えていなければいいな、と思った。


「ううん」子どもは頭を振る。「ありがとう。家からでるなって、おかあさんとおとうさんが、出ていいよって言ったとき以外出るなって言われてたから、今は、とっても嬉しいんだ」


「なんで? 君は兄さんのつまらない情報の取違えミスで殺されるかもしれないんだよ?」

「それでも、あんなやつらのルールから出れた。ぼくは、外にいるんだ」


 涼し気に子どもは雨粒を顔に落とした。その雨粒一つ一つを見つめる瞳は、子どもの見た目と反して大人な諦念を秘めている。涙もなければ、感動の想い一つない。本当のところ何を思っているのか分からない。

 もしかしたら、この子は私に揺さぶりをかけているのかもしれない。この非情で残酷なことしそうな私を、この子は必死に自分が生きられるようにしている。それとも純粋に、一言一言を呟いているのか。


 どちらでもいい。


「ね、一つ聞いていい?」


 素直にこっちを向く子どもの顔は、一切の曇りがない。


「君、約束は守る方?」


 ふるふると再び頭を振った。どうやら、この子どものくせらしい。


「ルールは嫌いだ」

「じゃあ、だめ。この世界で生きてけないよ」

「ぼくは、そんなルールないところで、そういう人といっしょにいたい」

「『ルールのないところ』なんてない。そういう人と、なんてのもそう」

「でも、ぼくには、さっきのあなたと男の人の間にはルールなんてないように見えたよ?」


 先ほど起こったことが鮮やかに浮かび、心に重しをのせていく。

 子どもは滴る水滴がうっとうしくなったのか再びふるふると頭を振った。払う水滴は私まで届かない。犬のように、体を大きく細かく震えさせるには子どもには体力は残っていない。すぐにでものど元を掻っ捌ける、私の力と覚悟さえあれば。

 そっと、伸ばして、喉元へ。

 雨の中のともる火に、水をかける。


 しかし、今の私はそんなことすらできなかった。


 思いとどまり、ゆっくりと子どもの頭の上に手を乗せた。しなびた髪の毛を乱暴になでる。手や指に絡まる脂ぎった髪に水を含ませていく。濃く黒い純粋な輝きを私の瞳に映していく。きらめく輝きは、私には既に手に入らないおもちゃ箱の輝きを秘めている。


「泣いてるの?」子どもが頭をかしげつつ聞いてきた。


 私は常にポーカーフェイスをしていたはずだ。涙一滴すら、あの日から感情を操作して流していた。兄さんに対しても、計算して流す。感情的に流してしまっていた、とするように、その時だけ感情を露わにしている。


「泣いてないよ?」


 だから、泣いているはずなんてない。


「おかしいよさっきからちぐはぐだ」

「おかしいな? 顔にでてないのに」

「顔じゃないよ。ずっとちぐはぐなんだ」


 子どもが自身の頬をつねる。「ここ」と示した。今度は胸に手を当てる。「ここ」と分かりやすく言ってのける。


「ずっと泣いてるの?」


 私は子どもの穴に既にはまってしまっていた。彼の言葉は心地よい。今まで生き死にが簡単に行われる場、不安も感動もすべて押し込めた場にあった自身の感情が蘇ってくる。ひた隠さなければならない感情が私には往々にしてある。

 でも、少しだけこの子の言葉で救われた。それだけでも理由は十分だった。


「そうかもね」


 私は手を放して、ひざを曲げる。中腰になり、子どもの目と目を合わせる。目と鼻の先に子どもの長い前髪があり、私の息がさらっと前髪を震わせる。


「確かに、兄さんと私の間にルールなんていらない」

「うらやましい。ぼくは、そういうのない」

「でも、約束はある。この世界でそれなしに生きられないの。君が思っているルールは命令されて一方的なものみたいだけど、約束は違う。約束は対等の者がするルール。君も生きるのに必要な物。どうかな、私と約束してみない?」


 私の言葉が理解できず、子どもは思いあぐねていた。その都度その都度に頭をふる。そうすることで、必死に自分自身を保っているようだった。


「簡単だよ。私はあなたを殺さないし、これからの面倒を見てあげる」


 小指を差し出した。それこそ、私の命丸ごとこの子に賭ける勢いで、私は見つめる。


「代わりに、守ってくれない?」


 ──私を、殺してくれない?


 この子ならきっと、私が悪の道に進みだしても、すぐに殺してくれる。そんな確信があった。なにより私と兄さんの関係を照らした一言を、この子が見出したのだ。私は、この子に答えたくなった。


「ぼくのことを助けてくれるの?」

「ええ、もちろん」


 子どもは、私の差し出された小指に小指をひっかける。それから一緒に「ゆびきりげんまん」と歌いだした。

 子どもを穏やかになだめるように、雨の中陽気に約束を契った。誰にも言えない、二人だけの秘密だ。


「「嘘ついたらハリセンボンのーます」」

「ゆびきった」元気よく子どもが、手を離す。


「そういえば、名前は?」


「ぼくは、鳥羽とば鳥羽終夜とばしゅうや


「終夜かぁ、私はセンカって呼んで」


 実は、あの家のことは調べていたので、この子どもの名前も知っていた。しかし終夜の手前言わないことにした。だいぶ前から君が虐待を受けていたのを知っていて見て見ぬふりをしていたなんて悪行、知っても怒りはしないかもしれないが、私としては知られるのが悲しかった。そういう世界が私の世界であることを認めたくはないし、実感するのが怖かった。


 ぎゅっと、終夜が私の手を握る。これ以上離れないように、手放さないように、彼をつなぎとめた。


「センカ、これからどこ行くの?」

「大きな火の渦の中」


 ぶるっと終夜は一瞬震えたが、覚悟を決めて、私をまっすぐに見つめた。


「それでも行く?」

「ぼくがいた場所でなければどこへでも」


 私は彼の手を引いた。五月の雨が激しくなり始めていた。薄い靄が立ち込めている。私と終夜は手をつなぎ歩き出す。雨粒をふくませて、滑りやすくなった繫がりを離すものかときつく握りしめて、行く先も知らない場所へと、私達は歩き出す。

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