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嘘つき四つウサギ  作者: 千羽稲穂
第一章 兄ウサギ
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やさしい暴力

 兄は生来気性が荒い性格だった。よく暴力をふるうし、酔ったら絡み酒がうざったい。鬱陶しいったらないし、その上鈍感で、聞く耳をもたない。だが、人一倍優しく、重い。だからどうしようもないし、質が悪い。


 そんな兄にも黒い歴史がある。私達家族は『金髪時代』と呼んでいる、兄が金髪だった時代だ。この時代、兄は大学生だったわけだが、そのころは自分のウサギを駆使してあらゆる物事を暴力で治めていた。かの邪知暴虐の王を思わせる街の首領ドンっぷりは忘れられない。


 兄が二十歳で、私が中学生、邉が小学五年生、希星が確か小学校に入ったばかりのころだろうか、そのころ兄は朝起きるとまず初めに兄妹たちを送る。

 その後やることと言ったら、そこらへんにいる掏りや万引き犯をさらし上げて、暴力をふるうことだった。自身の優しさが高じてか、更には高校生や中学生のサボりまで見つけ出し説得する始末だった。


 兄にはそれほどまで人を見つける目があったし、鈍感であったが裏のことに関しては生来の才能も合わさってか見つけ出すのは容易なことだった。


 時には一つの暴力団相手に一人で乗り込み、一晩で壊滅させたことがあると聞いた。

 これには多少の脚色があるが、兄に聞けばそのころのことをはぐらかされるので大半の出来事はあっているのだと思う。

 兄の暴力のお供として、いつだってウサギがあった。電源を点けたり消したり。今ではどこまで大きな効力を示すかは知らないが、上で上げた時代を見るに実はもっと大きな電源を切ることが出来るのではないかと勘繰っている。

 でないと一人で不良の頂点に立つことなんてあり得ないし、これまでの兄の暴力の結果が警察に知られていないのは奇妙で、実はもっと大きな力が兄のウサギには備わっているとしたら、その方が武勇伝が事実であることがすとんと胸に落ちる。


 『たいしたことない』と述べた熱血論は暴力の優しさに比べればなんてことはないものだ。優しさと熱血論なら兄は迷わず暴力という手段を取るだろう。

 では昔言ったあの熱血論は何だったのだと追求したいが、そこまで言ってしまうと兄の黒歴史がふきだしてしまい、恥ずかしくってまた教えてくれないから聞けやしない。


 最近はその暴力もなりを潜めていた。ウサギだって私達の間でしか見せないし、世間もウサギのことをめっきり報道しなくなった。まるで情報統制されているかのように、ウサギという新たな力は沈んでいく。


 本当は、みんなウサギが成長していることに気づいているんだろう。


 気づかされたのは、目の前で兄がコンビニから少年をを引きずりだし、路地裏に連れて行ったのを見た時。つまりは今、すんなりと過去の出来事と兄のウサギが思い出されていた。


 周囲の兄に向けた端末が全て消えたのだ。おそらくコンビニのカメラも映像は消えている。私の携帯も兄が万引き犯に暴力をふるった一瞬、プツリと消えていた。

 夜の闇がはびこる何気ない日常に、ほんの一滴注がれた非日常に動揺させられる。


 世界が止まっているかのような二、三秒のあと再び周囲に灯りが点った。すると世界は動き出し、先ほどのことは嘘のように周囲も兄さんには意識は向けなかった。


 私は通りがかっただけだった。珍しく久藤君が欠席していたから、帰りは何の気なしにほっつき歩いていた。最近は一人になることなんてなかったから、こうして夜に歩いていたわけだ。


 そこで見たのは、兄さんがかつて見せていた優しさゆえの暴力だった。一瞬の停電の隙にコンビニから少年を引きずり出して、鬼の形相で有無を言わせず闇に紛れる。


 かつての兄のようにしようとしても、今の兄は金髪時代よりいろいろ背負っているのだ。公務員が暴力沙汰を見られては仕事を免職される危険があるし、その上暴力から再び武勇伝に火が付き最後、兄の裏でやっていることを芋ずる式に知られる危機感があった。


 考えたのはほんの数秒だ。

 私は兄をつけてコンビニ横にある路地裏に潜り込んだ。


 そこでは兄が少年を殴っていた。おそらく邉より少し年齢が下の少年だ。鼻血をだし、目が細くなるまで顔が膨れている。もう既に「やめてくれ」という悲鳴は聞こえない。少年は暴力が終わるのを待っているようだった。ぐったりとうつむき、胸ぐらを兄につかまされている。

 兄は構わず殴る。その手は素手で、拳は血で染まっていた。兄も痛いはずなのに冷たい表情しか浮かんでいない。


「兄さん」私は小さく呻いた。


 そこにいる兄がいつもの兄とはまるで違っていた。昔、邉を助けるために久藤君を殴っていた兄とも違っていた。私の知らない兄がそこにはいた。

 手袋もしていない、素の兄だ。


「兄さん」今度は気づかれるように強く呼んだ。


 喉元が痛みだす。熱をはらみ吐き気をもよおす。

 呼んだのに反応しない兄は本当に『兄さん』なのかどうかも分からない。あの情けなくって優しくてどうしようもない兄はどこへ行ってしまったのだろうか。


 踏み出す一歩が恐怖の痛みを伴った。でも此処で止めなければ兄はどこか遠くへ、ともすれば血に染まる私の元へ寄ってしまうかもしれないと思うと踏み出さざる得なかった。

 あの慕っていた兄を、取り戻すために決意を固めて近づいた。

 血で汚れるのは私だけで充分だ。


「兄さん、やめて。死んじゃうよ」


 殴り続ける兄の腹に後ろから手を巻き付けて、後ろに引いた。でもびくともしない。久藤君よりか体格は大きくないはずなのに、女で一人だと遮ることもかなわない。

 呼び続ける。兄さん、兄さんと。兄の瞳は変わらず残酷で、冷たい。目の前の物事を見つめ続けているだけだった。


「お兄ちゃん!」


 力一杯に引くと、兄の拳はやっと止まった。殴って切れてしまった拳の皮は痛々しい。だがゆっくりと、何の表情も見せずに拳を引き、手を離した。

 少年がその場に体を崩れさせる。もう力が入らないようだった。苦悶の表情を浮かべて、逃げることもせずにだらんと路地裏の壁に体を預けた。唇のあかぎれを見るのは痛々しい。


「センカ」兄の口から洩れる私の名前はいつもと違う声色で、ぬめりがあった。


 私は迷わず、兄ではなく少年に駆け寄り、屈んだ。腫れた頬を触る。頬は私の手が冷たく感じるほどじんわりと熱を帯びている。紫や赤と言った斑点も少年の腕からは見られた。腕の方は兄がやったとは思えないぐらい前のものだ。

 少年の細くなった目がゆるりと動き私を見つめる。まだ生きている、と確信できた。これぐらいでさすがに人は死なないが、これからの対処で生死が分かれる場合がある。


「何してんだ」背後から兄の声が突き刺さる。「そいつは、万引きや掏りをしているやつらの一人だ。いくつ犯行を重ねてきてると思ってんだ」


「それでも」


 私は震える声と浮かぶ涙で兄に歯向かうしかなかった。

 これを良いと言ってしまえば、私はいけないと思う。私がしてしまったことを考えても何をどうとって、なぜそう思ったのか分からないが、それでも希星と初めて出会ったあの小さな命を想うと、いけないとはっきりと知っていた。


「それでも死んだら意味ないじゃない」


 私の携帯をすぐさま握る。電源を入れて液晶を映す。電話番号を入れて救急車を呼ぼうとするも、どうしてか分からないが、電源がきれる。何度も電話番号を入れようとするのに、きれて、ついてが繰り返される。こんな不思議現象が起こる原因は一つしかない。


 兄さんのウサギだ。

 振り向いて、立ち上がって、兄に立ち向かおうとする。が、その時、携帯を持った私の手が兄の血で汚れた手で払われる。


 兄にこんな強い力で叩かれたのは初めてで、どうしていいかもわからず、携帯の行く末を見送った。路地裏の湿った地面に携帯が落っこちて、液晶にひびが入り、しゅるしゅると地面を這って私から離れてしまう。


「そいつのグループは、俺の友達を殺したんだぞ。掏りをして、全財産を奪った。そいつはひどく落ち込んで最後は自から命を絶った。それなのに……」


 兄の悔しそうな表情にドキリとした。それでも、私には兄がどこにやったらいいか分からない痛みや怒りを、ようやく見つけたグループの一人に八つ当たりをしているようにしか見えなかった。

 この一人が希星のような掏りだと仮定すれば、兄はきっと後悔するだろうし、私はこの上なく兄に怒りを覚えてしまうだろう。今回は奇跡的にそうじゃなかっただけのことだ。


「それでも、助けんのかよ」


 きつく縛られた口を見て兄の本気が伝わってくる。ギラギラと狼のように研ぎ澄まされた目は、プロを名乗っているだけの狂気を点していた。純真でまっすぐな狂気をはらみ、憎しみをあらわにする。


 こんな兄は初めてだった。今まで泥棒を行っていた兄でもみたことがない。もしかしたら隠していたのかもしれない。隠してどうにかなるものじゃない。

 私にだってこの瞳はできる。でもしない。やらない。見せたくない。私がとっくの昔に兄とは隔たった向こう岸にいることを悟らせたくない。今悟らせると、それこそ説得力が欠ける。


 じゃあ、どうすればいい。どうしようもない兄の衝動を抑えないと少年を救えない。少なくとも少年は脅されて犯罪をおこなっている。本人の意思とは反してやっているに違いない。あの痣はその際に作られたものだろう。殴られ慣れているから兄に反抗しなかった。


 どうする。私はできない。動けない。兄がいる限り助けられない。


 ふと、思い出すのは自分がいつも通りの笑みをみせてポーカーフェイスを決め込んでいるところだった。

 浮かんだ言葉がある。

 言ってみてから考えるしかない。


「兄さん、交渉しよう」


 少年は、脅されてやっている万引き犯、掏りで目の前には私のお得意様の兄がいる。


 この中で助けるには、命の重さを説くことじゃない。正しさやそういった観点から議論をすれば負けるのは私の方だ。兄のどうしようもない芯の強さは捻じ曲げられない。


 考えられるのは何かを引き換えにして救い出すことだけだ。


 何を。私の手にあるのは探偵業で得られた情報だけ。


「兄さんが、ほしい情報はグループのトップ。こんな下っ端に反撃したって意味がない。ここはいつも通りのやり方で反撃しよう」


 兄さんの瞳は揺るがない。

 揺らいでほしかった。向き合うのが恐ろしい。でも向き合わなければまた失ってしまう命が怖い。命は、かけがえがないものなんだ。希星に教えてもらった。母さんが亡くなった事故で痛感した。血で染まる私の手が伝えた。


「こんなグループの情報なんて一発で分かるよ。この後私はすぐに情報を持ってくるから、兄さんはこの子から手をひいて」


 一息置いて、兄さんの顔色を窺う。何も変わらなかった。兄はそのまま凛とした瞳を向けている。いつも通りではなく狂気に満ちている。


「引いて」


 ポーカーフェイスは崩すわけにいかない。震える声を向けるわけにもいかない。この子を離すわけにもいかない。どれも私には難しい。

 やることは一つだけで、念を押すしかない。兄の言うことを全て肯定してしまえば、今まさに少年を私の手で殺すことになる。


 息を殺して、狂気に溺れる兄に向き合った。兄も引かず、私も引かず。次第に汗ばむ手のひらを握り、それでも待った。


「分かった」

 折れたのは兄の方だった。


 肩の荷を下ろして、私は落ちた携帯を慌てて拾う。蜘蛛の巣がはったように画面が割れていた。握ったが力が入らず、再び携帯が地面に落ちていく。

 自身の体が知らないうちに気が抜けて、震えていた。力がうまく入らず、手をつき、地面の冷たさを感じ取る。どういうわけか携帯をとる意思がない。無気力だ。とりたくない。


 果たしてさっきの選択が正しかったのだろうか。私がまた手助けをして兄の狂気を深めてしまっただけではないのだろうか。深く沈んだ兄の瞳は心の底を冷やした。純粋に悲しくも、恐ろしかった。


 そっと隣に近づき誰かが携帯を拾う。その手は血がつくものではなく、黒い皮手袋がはめられていた。皮のねっとりとした反射光が私の瞳に写る。


 はい、と拾い携帯を渡したのはいつもの表情の兄さんだった。


「助けるのはいいけど、足元だけはきちんと見ろよ。すくわれる」

「兄さんだって無茶ばっかり」


 黒い皮手袋に籠った何かに私は不安を覚えているというのに兄さんは何も感じてはくれない。代わりに、いらないお世話をぶつけてくる。兄さんの方がどうしようもなく危ういというのに分かってはくれない。鈍さは天下一品だ。


 私が携帯をかけている横で兄さんが少年に囁く。


「おい、俺らのことを喋ったらお前のことを消すから」


 どすのきいた冷たい鋭敏な声で、私の胸をしめつける。その後で身軽に立ち上がり路地裏を後にする姿はどことなく物寂しい。私は心の中でこれから兄がするであろう悪事の無事を祈ることだけしかできなかった。

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