念写テスト
弟をバイトへと送った後、帰宅した。
全く今日はなんて日だ、なんていつものこと思い悶々とする。
兄の犯行が弟にばれないかひやひやしながら嘘をつきつつ、逆に嘘を見破ってほしいとも思っていたがそれも期待外れで、またどうしようもないものを抱えてしまうなんて。その上、変な人にまとわりつかれて疲れていた。
変な人、というと久藤君、しかも弟の友達になっている一個上の大学の先輩にあんなことを言い寄られて、内心気持ちが沈でいた。
落ち込むのは無理もないことだ。
私が彼にそんな感情を抱くはずがない。その理由をひねり出されるからあの手の輩は苦手だ。
嫌でも思い出してしまう。私が手を汚した理由は単純にして明快で、気持ち悪い。醜くて、いやしい。血はてらてらと輝いていて、残酷な真実を伝える。
「今日は気分がいいんだ」
黒木さんの声が耳から離れない。
それがあの時手を汚した理由。
はあ、と一息ついて、玄関で靴を脱ぐ。ダイニングへと足を運ぶと、そこには妹の希星が一枚の紙とにらめっこしていた。必死に紙を握りしめて、眉間にしわを寄せる。苦しそうに口を引き締めている。
私がここにいるとは気づかせないように気配を消して、ゆっくりと静かに覗き込む。
しばらくそれを眺めているとその紙にうっすらとだがある風景が浮き出てくる。その紙にもともと写真として写っていると思ってしまうほど自然な紙写りだった。
紙に写った風景は私と誰かがすれ違っているところだった。周囲は人であふれかえっている場所、見慣れた風景からおそらく駅近くだろうと推測できる。駅近くに探偵事務所があるから、その時群衆の中歩いていた光景を希星は思い浮かべたに違いない。
でも、少しだけ分からないことがある。
紙に浮かび上がらせるまで希星はこの光景を頭に何度も浮かび上がらせなければならない。いつもこの光景を思うのだ。そうしなければ希星のウサギは成立しない。必然的に希星はこの光景に相当ご執心であることになる。
この光景に何かあるのだろうか。
写っているのは私と誰かがはっきりと示されているだけ。
もしかして、この誰かが希星が想っている人なのだろうか。
と、推し量るのもこの希星のウサギを私は過去に一度だけ見たことがあるからだった。
それは、希星が中学生の時だった。
当時、希星は手芸部に所属していた。手先がそのころから器用だった希星は、手芸がとても上手くて、それが所以で手芸部に入部していた。
今でも私の巾着やら手ぬぐい、果てはストラップなんかを作ってプレゼントしてくれることがある。そのたびに私はどこかへやるのだけれど、それは置いてい置くとして。
希星はそのころ、いつも物憂げにため息をついていた。はあ、と思い詰めて虚空を見てまたはあ、とつく。次第に手芸の効率は落ちて、期限までに時間がないのか家で手芸作品を作り始めた。握っていた布はしわしわになっていた。何かに思い悩んでいるのははたから見てまるわかりだった。
だが私はそれが何かを知っていた。
希星だって、年頃の女の子だ。なら、思い当たるのは一つだけだ。
「希星、好きな人ができたの?」
私は意地悪く尋ねた。
希星は、たどたどしくなり、目をそらし、頬を赤らめさせた。火照る彼女の表情はかわいくて以前の希星とは打って変わって美人になっていた。
「好きな人なんていない」
希星は言い張るのだが、私の問いにしばらく考えたあたり、好きな人がいるのは濃厚だった。だがしばらくは彼女は言い逃れをして、私を避けだした。
私は気になって希星の学校に偵察に出かけたり、あとを付けたり、兄さんとぐるになってからかった。
そうして希星の好きな人を割り出した。相手は手芸部の部室からよく見えるグラウンドにいた。そこでボールが来るのをゴールで守る、そんな守護神みたいな男の子だった。しかもそこそこのイケメンだった。
だが希星には申し訳ないが、一つだけ難点があった。かなりの老け顔だった。中学生にしては二十代の男性のような大人びた容姿をしていた。背が高く、体がしまっている。
そして女の子に躊躇わず手を差し伸べるジェントルマン。
兄さんはうめいた。
「俺は認めない」
「馬鹿野郎」
私は兄さんをしばき、外野から彼女のために何かできないかじーっと息を潜め機会を伺った。
事件が起こったのは希星がため息をついて三か月後だった。
その日、希星は泣いて帰ってきた。手には白いプリントを握りしめていた。その白いプリントは一枚ではなく、何枚も重なっていて、泣いている理由を聞いても、何をしても、泣き止まず白いプリントを手放しはしなかった。
私と兄さんは、泣き止ませようと必死だったが、終いにはなかなか泣き止まない希星に途方に暮れた。
「いじめられた?」と私が聞くとふるふると希星は大きく頭を振った。その仕草は大きなものだった。
では、なんなのだ。
「希星」
そこで入ってきたのは、邉だった。
邉はお兄ちゃんらしく希星をなだめた。
その光景は、とても珍しいものだった。邉はなんだかんだ言って、希星には厳しかった。兄さんが希星に甘いのに自身には厳しいのを嫉妬してたからかもしれない。それとも兄さんの甘さや不甲斐なさがあったからか。希星が他人に危害を加えることがあったらいつだって兄さんではなく、邉が叱っていた。
希星に対しては、私と兄さんが飴で、邉が鞭の役を担って家族のバランスをとっている。その邉が希星に対しその時だけは甘かった。
邉は数度頭をなでると優しい言葉を投げてやった。すると希星はゆっくり泣き止み手に持っていたプリントを手放した。
すっかりしわくちゃになった紙は、家族への連絡、宿題の課題、学級通信などの手紙だった。どれもなんの変哲もないものだったはず。だが裏面を見ると、全て手芸部の窓から見えるグラウンドの光景が映し出されていた。どれも鮮明なカラーで印刷されているようだった。
もちろん、そんなものすぐに印刷できるはずはない。しかも、部室の窓から見えるピンポイントの光景だなんて、こんな学級通信や課題の白地のはずの裏面に先生が印刷をするはずがない。
私達は希星の担任がどんな先生か知っていたし、こんな手間のかかるもの、いたずらにしてもできるはずないと理解していた。
十中八九、それは希星の『ウサギ』だった。
その後、何度も希星に白い紙を渡したが、どれも同じ光景が映し出された。グラウンドに、茶色い砂、そこに何人か走る生徒、そして、希星の大好きな男の子がくっきりとカメラの写真のように映し出されていた。
希星はその念写に驚いて、誰かのプリントに自分の好きな人が映し出されることを拒んだ結果、どうすることもできず学校から逃げ出してきたのだ。
怖かっただろう。自分の好きな人が、自分の暴発するウサギで知られるのが、純粋な中学生の希星には、あまりにも苦痛だっただろう。
希星は白いプリントから身を引き、その晩一人でこれからどうすればいいのか悩み、泣きはらし、眠りこけてしまった。私達はそんな希星を介抱して、ウサギの使い方をマスターするまで、それまで学校に希星を行かせないでいいのではないか、と父と話しあった。
だが、その深刻な話し合いも束の間、次の日には希星のウサギの暴発は収まっていた。
きっと、好きではなくなって、想わなくなってしまって、彼女の中からあの光景が消えてしまったのだろう。
その結果、念写は収まり昨日のことが嘘のように希星は学校へ登校した。
あれから、希星は数度好きな人が出来、そのたびに念写のウサギが暴発した。そうしているうちにウサギの力の条件が分かって、あの日のようなことにはならないで済んでいる。
現在その力を行使して、違う誰かの風景を白い紙に念写している。それは圧巻というか、なんというか、とてもしんどそうだ。
「希星、好きな人でもできたの?」
私は気になり声をかけた。びっくりした希星は、肩を大きく震わせる。
「びっっっっくりしたあ。何、お姉ちゃん」
ダイニングには食卓があり、希星は自分の定位置についている。その横に私は座った。
「何って、またウサギ使っているから気になって」
「あ、これ? えっと……その……」
この言い淀み方は、明らかに自分の好きな人を隠すのと同じだった。だが、やはり先ほどの覗き込んだ念写を見ても、どこをどうみても希星の好きな人の写真じゃなくって、どこにでもある、私の日常風景だった。
また暴発しないために、ウサギを鍛えているのかもしれない。
「ほら、トレーニングだよ。トレーニング。三か月、その光景を頭に浮かべて、特定の白い紙に写すっていうトレーニング。だって怖いし、ね」
希星が慌てて、白い紙をポケットに突っ込むところを私は希星の手を取った。希星は私の力にひるみ、紙を落としてしまう。ひらひらと舞い落ちる紙を希星と同時にスタートをきり、手を伸ばす。私の方が早かったみたいだ。
白い紙を見事奪取して再びその光景を凝視した。
「待って、お姉ちゃん」
私の手から奪い取ろうとする希星の魔の手をひらりと躱し、立ち上がる。希星に背を向けた。これで邪魔も入らない。
「おねえちゃんったらぁ」希星が泣きそうな声を発した。
「どれどれぇ」余計見たくなってくる。
やはり、私が探偵事務所から出て、駅前を歩いているところだった。すれ違っているのは、大柄な男性。ダンディーな雰囲気を醸し出している。少しだけ顔が見切れているが、瞳が特徴的で狼のように鋭かった。まるで獲物を刈る殺人鬼のようだ。
他は何一つ変わらない商店街の光景が広がっている。相変わらず景色の色は新鮮で美しかった。特に黒い路地は青系統の色に偏った印象的な風景になっている。
これが希星の見ている世界だ。
このまま美術館に寄贈されてもいいほどの精巧な絵画だ。それほど美学がふんだんにあしらわれていた。
「お姉ちゃん、やめ、て」と後ろから鉄拳の猛攻撃を食らいそうになるが、またひらひらと蝶のように躱す。
「お得意の掏りでとってみなさいな」
「見えるものに掏りもなにもないって」
くすくすと私は笑い、希星に向き直り、白い紙を見せびらかす。
「返してほしくば、これに何が写ってるか教えて」
私は破る動作をしたりひらひらと希星に差し出そうとしやめたり煽った。相変わらずのポーカーフェイスは決めていて、こういう手段に自身も胸の高まりが収まらなくなっている。
希星がこちらを見て、歯がゆそうにしていた。
「もおおぉ」
怒っている。それはもう大きく希星は怒っている。
だけど、私からもぎ取るなんてできそうにないことを悟ると、怒りつつそっぽを向いた。それほどまでに、知られたくないのか、すねていた。黙り込んで、沈黙という手段に移る。
希星はきっとこの念写した紙をすぐに散り散りにしてしまいたいのだろうが、私の手元にあるためできない。あと、言い訳も言い破られてどうしようもない。
「好きな人」
希星が観念して小さく告げた。
「この間暇だったから探偵事務所までお姉ちゃん呼びに行った時、たまたまいた人」
希星のいじけてどんどん萎れていく声とは反対に、私は「へぇ」とだけ声が漏れた。
好きな人、というと、そこに写っているのは私とすれ違う大柄の鋭い目つきの男と群衆だけだ。すると必然的にこの男ということになる。もう一度見ると、よりくっきりとその男が見て取れる。周りにいる私や群衆、更には駅前の商店街までもその男よりもぼやけていた。
その時点で、理解してしまった。
「希星、この人に……」と、その時私の言葉をある人が遮った。
「ただいま。待った? 今、ごはん作るからなあ」
ダイニングに顔を出した兄さんは、無知な笑みをふりまいた。スーパーで買ったであろう食材が入ったカバンを持ち、私たちの反応を伺う。
さっと私は念写した紙を背後に隠す。希星も、先ほどの萎れた態度を改めて、帰ってきた兄さんを出迎えた。手に持っている食材を珍しく持ってあげていた。
「兄さんお帰り。もぉ、希星すっごくお腹すいてたんだよ。早くご飯作って」
「なんだ、希星今日はやけになれなれし、い……」
「いいから、早く早く」
希星が兄さんの背を押してキッチンに押しやった。体のいい除け者払いだ。
そうして何も知らない兄さんは明るいダイニングからキッチンの方へ。するとチカチカと動揺した兄さんはダイニングの橙の電灯を点けたり消したり繰り返した。
希星にはとことん甘い兄さんだ。珍しい出来事、つまりは全て希星に関することになると常にこうだ。希星のウサギ特訓よりも、兄さんのウサギ特訓をした方がいいのではないか、と不安になる。
それもそのはず、彼は弟にもばれそうな危うい立ち位置なのだから。
希星と兄さんがキッチンに消えていった。私は気になった先ほどの念写を仕事用の携帯で写真を撮り、黒木さんに送った。
希星の好きな人が探偵事務所の近くにいたのなら、黒木さんなら知っているのではないかと思ったのだ。あわよくばその人を割り出し、たまには姉らしく妹に会わせてあげたい。
『黒木さんこの人知ってますか』
簡素に送ったメールは、すぐさま返信が帰ってきた。いつもながら、私のメールの返信だけは早い。これが依頼者だったらもっと遅くなるはずだ。数時間先、一日先なんてのもざらだ。見ていられなくなった私は仕事用の携帯電話を持ち、探偵事務所の連絡は全て請け負っている。
そういうこともあってか、とにかく黒木さんの早い返信にいつも苛立つ。
きっと他の女の返信も早いのだ。あの人は、兄さんぐらいどうしようもない役立たずではないが、メールのたびにくるこの不安と苛立ちを緩和してほしいものだ。
私はそっと返信の文面を目で追う。
『面白いものが写っているね』
知っているも、何もないないあやふやな答えだ。
思い出すのは、数日前の出来事だった。黒木さんは予感がするといたずらに私の不安をあおった。ちくりと胸が痛むのも尻目に、あの人は投げやりに言ったのだ。
これが契機となるかもしれないから、こういう文面にしたのだろうか。
白い背景に浮かぶ黒く細い文字を何度も追い、不安をぬぐい切れずに、私はしばらく立ち尽くすしかなかった。




