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嘘つき四つウサギ  作者: 千羽稲穂
第一章 兄ウサギ
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点と線

 とりあえず、私は久藤に言い寄られた後全て放り出して弟のもとに駆けつけた。これは一種の逃避行動であるのは私も分かっているが、言い寄る相手がこうも理解できないのはさすがに私だってキャパオーバーで、どう対処していいか判断がつかない。


 一旦頭を冷やすために授業も全て飛んで、私は弟の借りている現在の隠れ家に身を寄せることにした。


 久藤君を無視して振り切ったはずなのに、逃げる途中でも後ろからついてくる気持ち悪い感覚があり気が気でなかった。

 その上、弟の隠れ家を誰かに知られるわけも行かずいつもより慎重に道を選んだので、精神的に重く、弟の隠れ家に着いたときは早くも疲れきっていた。


 ある団地地帯の陰にあるアパート、駅からそう遠くもないこの地帯の中であまり目立たない日陰のこのアパートは、古びていて身を隠すにはもってこいの場所だった。その場所の一階の右から二番目の部屋108号室、そこが弟の現在の隠れ家だった。


 赤茶色の錆がアパートの階段にところどころついている。上ると軋み、痛々しい音が鳴り響く。


 此処に住む者はこういう要素をどう処理しているのだろうか。今にもつぶれそうな真っ暗な日陰にあって、洗濯物も干しても乾きそうにない。湿気も多く、向かいの団地は真新しい白なのに対し、アパートは暗く木が黒ずんでいる。まさに今すぐにつぶれそうだ。もっと改装工事とかしてもよいのではないか。


 弟がここの立地を選んだのはある意味目立たず、人気がない、つぶれそうなこの雰囲気を気に入ったのだろう。建物が耐震工事をしていないとして、立ち入り禁止になったところで、構わず秘密基地に使いそうではあった。


 108号室の前に立つとインターホンに『故障中』と紙が貼り出されていたのでノックすることにした。暫くして中からバタバタと足音が聞こえてくる。


 突然の私の訪問に慌てている様子を想像すると、くすっと笑えた。


 戸が中から開く。


「姉さん、此処に来るなんて聞いてないよ」


 出てきた、凛とすました男に私は一瞬見惚れた。鼻筋が通り、小顔で、やせっぽっちな体形なのに、そこに魅力を感じてしまう。今はマスクをしていなくて、顔全体が出ているせいか、いつもより整った顔立ちをまじまじと受け取ってしまう。


「姉さん?」


 やはり、美男といったところか。雰囲気やこの顔で胸が打たれる。


「いや、ごめん」胸が高鳴るのを沈めて「やっぱりイケメンだなあって」

「からかうのはやめてくれ」


 当然、邉は自身の目立つ風貌をあまりよく思っていないので顔をしかめてしまう。

 こればかりは仕方ない。私だって、邉を風貌だけで判断しているようで嫌なのだが、胸にきてしまうのだ。これは生理現象だ。人間は誰しも、そういったきらいがある。


「それより中入っていい? どうせバイトまであと二時間ぐらいあるから暇でしょ」


 私は邉の許可を取らずずけずけと中に入る。私の様子に、落胆して「どーせ言わないでも入るだろ」とため息交じりに呟くのが聞こえた。


 中に入り、靴を脱ぐ。玄関から入って、すぐに使っていないキッチンの横を通る。

 アパートの部屋は一室だけしかなく、畳張りになっていた。一つしかないベランダの窓はカーテンで閉めきられていて、外の光が入らない。夜の部屋の中で電灯がゆらゆらと揺れている。畳張りの部屋を電灯の無機質な白で彩っていた。


 畳の上から壁にまで広がっているのはこの街の地図だ。隣の町までその範囲は広げてある。私の大学は左の壁にあって、此処のアパートは右の壁にある。ところどころに家の写真や人の写真がまぶしてある。赤い丸のシールが貼られていて、赤と青の線がそのシールの点と点を結び蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。


 全てを把握するにしても、私には情報が足りない。


 地図を踏まないように飛び越えて、赤の点に注視する。この赤い点の数々に既視感を抱いたのだ。

 私の推測が正しければ、弟の慧眼は大したものだ。ひとつひとつ柔らかくなぞると、そこから鮮やかに思い出が思い起こされる。


 どれも苦労した思い出だった。

 兄さんが帰ってくるまで気が気でなかった、そんな記憶があった。


「久藤君、知り合いだったんだね」


 私はどうでもいいところから邉との会話のきっかけを作った。

 あまり邉と裏の仕事については話したくない。そんな甘い考えが浮かんだのかもしれない。


「あー、姉さんもしかして会ったの?」

「うん。さっきね」


 邉が戸を閉めて、壁に背をもたれさせた。

 私のことを観察しているようで、気味が悪い。そういうところが黒木さんみたいだと感じてしまう。嫌な世界に身を浸してしまった弟を少し哀れに思ってしまった。一層、この子を守らなければという使命感に似たエゴを抱く。


「久藤はさ、昔……姉さんが脅した一年後かそれくらいに、俺に謝ってきたんだ。で、そこからなんやかんやあって……」


 あまり喋りたくはなさそう。


「ま、喧嘩とかもあってさ……」

「それで知り合ったんだね」

「あいつ昔と随分と変わったんだ。昔のことがあってか知らないが、目の前に困っている人がいるなら助けないと気が済まないやつになっちゃってた」


 ええ、と私は深くうなづいた。久藤君が私に見せた変な一面はおそらく私以外の誰かに見せていないものかもしれない。さっきから邉の言葉尻や含みを観察するが、全くと言っていいほど悪い綻びは出てこない。久藤君は私以外に、私が好きなことを知らせてないのは確定された。

 勘の良い邉に悟らせないあたり、隠すのがうまい。


 これからどう逃げようか、と考えると気が滅入る。ああ言った輩がしつこいのは知っている。黒木さんはまだ軽い方だ。

 例えていえば、私を狙っていた殺し屋とか、私の周りを探っていた警察とか。こういった輩は執念深い。それこそ『愛』の力だとか、薄ら寒いものにすがってくる。


 そんなもの、本当にあったらほしいものだ。傍から見る分にはそんな表面上の言葉にすがる輩は深く、しつこい。そういうところが恐ろしい。


 地図の線を辿り、私たちの家までなぞる。


 これが私の『愛』だと言わんばかりに濃い赤い色でぐるぐると丸をしてある。ここまでの赤い線とが絡み合い、赤い糸のように罪を象徴しているように見えた。


「姉さんがいたずらしたところ、まだ残ってるんだよ」


 赤い渦をまく私たちの家にペンで丸をしたのは邉の言った通り私だ。


 ぺろっと舌を出して、邉に意地悪な小悪魔な姿を見せる。そんなときの邉はため息を吐いて、無表情を崩す。

 そのどうしようもない呆れ顔が、やれやれと疲れておどけているみたいで好きだった。こんな邉の表情は、私にしか見せない。


「わざわざここまで来なくっても電話でよかったのに」


 全く姉さんは、と小言を追加する。


「携帯、なくしちゃったの」

「嘘だ」


 本当は、携帯を久藤君の頭にぶん投げて目を逸らしたすきにここにやってきたなんて言えない。久藤君に投げつけて置いてきても、あの携帯はいつも使っている仕事用ではないので中身の情報は大したことない。探偵用は他にあるから、無問題なのだ。そんなことを知らない家族は少し心配させるが、私としては大したことないと告げて、買い替えればいい話なのだ。


「嘘」久藤君から話を逸らす。「邉の顔を見ときたかっただけ」


 何回も思い起こすが、それもこれも嘘だ。単に携帯をなくしたのだ。意図的に。


 分かっているのか知らないが、邉がまた苦笑する。


「姉さんが大丈夫っていう時はたいてい本当に大丈夫だから、もうこれ以上詮索しない。面倒だし」


 邉の背が壁から離れる。私もここからが本題という風に身構えた。


 私は点と線でつながる蜘蛛の巣を頭に刻み付ける。私の知っている図と照らし合わせる。やはり整合していた。これは既視感ではなく、どうみても私が作った図と同じだ。


「今日は、この赤と青の点のお話?」


 出来るだけ深刻な話にならないように明るく振舞った。


「そうだよ。姉さん、この点の場所何かわかる?」

「最近の空き巣事件」


 どれもこれも兄さんが関わった事件だ。正確に点がうたれている。空き巣にあって、次の日逮捕された悪者の家なんてどうやって空き巣があったことを証明できるのだろうか。


 逮捕された悪者に注意がいかないこの弟を末恐ろしく思い、心が動揺するのを抑える。


「さすが姉さん」


 この場所を見つけたのも私だから知らないはずがない。だが、この片方の青い点は私の知らない場所だった。


「じゃあ、この青い点はなに?」と私が質問すると、邉は目をぱちぱちと数回瞬きした。


「姉さん、本当に知らない?」


 動揺が高まるが、必死に悟らせないように笑みを含ませる。するとこちらをじっと見つめてきた。その憂いを帯びた瞳も、気を張らなければ何もかも話してしまいそうになるぐらい美しい。


 そっか、とついに折れた邉はぽつんと言葉を投げた。


「今日は、最近の空き巣事件のことについて教えてもらおうと思ってたんだ。姉さんが知っているもの全部」


 邉が動き出し、私の近くによる。そして屈んで指をさす。赤い点を次々と指さし、私に耳を傾ける。仕草一つにあふれる雰囲気に酔ってしまいそうになる。気を引き締める。


「赤いやつは知ってて、青いのは知らない。多分、私の耳に入らないなら、素人の空き巣かしら」


「多分そうかなとは思ってた。この青いの、最近の空き巣なんだけど、あまりにも手段が杜撰なんだ。

 最初は一緒かとも思ってたけど、それじゃあ、後味というか情報の質が違ってくる。赤いのはどこの誰がやってるか分からないぐらい情報を規制がされているのに、青いのは『男性』『手段はピッキング』『対象は無差別』なんていうぐらいの情報は入っているし……」


 これだけの情報が流出しているのは、


「素人じみてる」


「ま、俺はどうでもいいけど。そこで考えたんだ。今まで情報の入らなかったこっちの赤いのは何だったんだって」


 一息置いて邉が羨望の眼差しで赤い点を追いかけた。

 

 私はどこの家を襲ったとか、どんな家が空き巣に襲われたか、などと言ったような情報を教えない。いや、教えることができなかった。私は家族へ結ばれる情報を全て止めている。

 邉につながる兄さんとの線は消したつもりだ。しかし、逆にそれが怪しまれたのかもしれない。一点だけ空白なのは、確かに不自然だ。


「この赤。余程の力がないとここまで情報が空白になることはないはずだ。バックが厚いのか。それとも、この赤の力が大きいのか。現場も調べてみたんだけど何も出てこない」


 それから続く言葉に胸をドキドキさせた。

 兄さんは何年も泥棒をしているプロだ。だから現場には何も残さないし、残すへまはしない。情報は私が遮断しているが他は全て兄さんの実力だ。邉が探ったところで、プロの現場跡は、何も出ないほど美しく整頓されている。


 だから大丈夫。


「バックが厚くって、情報を規制するほどの力を持つやつってここいらじゃ、黒木さんぐらいしか俺は知らない。そこで考えた」


 邉の結論に至るもの全て予測がついた。



「この赤、姉さんは知ってるんじゃないかって」



 私のさっきの受け答えと、推理の予測は全て、当てはまっている。



 邉だよ当たり。



 でも、私は真実を述べることはしない。必ずしもその真実が邉の良い方に向くとは限らない。ともすれば全て壊れる諸刃の剣だ。

 邉にばらしたら、きっとこれ以上もっと深い闇に落ちていく。私達の居場所は崩壊する。全て、あの家庭も温かさも終わりだ。


 邉が望んでいるものではなく、私のエゴかもしれない。でも、これを受け入れるわけにはいかない。私は意を決して、迂回路を選んだ。


「知ってる」


 なんて口をついて出てくる言葉は機械のように抑揚がなかった。


 邉の顔が晴れやかになる。その笑みも殺してしまうのが惜しいぐらいに可愛らしく、眺めていたいけど心の内側で堪えた。


「でも、それはたくさんの情報のうちの一つ。知ってるけど会ったことはないよ。

 私が知っているのは二点。

 一つ、この空き巣つまりは泥棒は『プロ』だということ。

 二つ、『情報を現場に残さない』こと。

 だから足取りが掴めなくって、しかもあまりにも情報を残さないから苦労してたところ。この泥棒は怪しくって手を出したら危険だから、手を引こうって黒木さんと話してたんだ」


 途端に萎れる邉の表情に若干の胸の痛みが生じた。これは必要な痛みなはずだ。信じて進むしかない。私の意思を、これまでの努力を裏切るなんてこともできない。


「ごめんね」


 告げる私の言葉が、どこか悲鳴じみていて聞き苦しかった。同時に迫りくるのは、邉がここまで知っているのだという焦燥感だ。


 背に流れる冷汗は心に染み渡り、ぽたぽたと落ちたと思ったら、すぐにつららとなって鋭く円錐状になる。透き通った純粋な邉の心を拒絶するわけにもいかず、どうしようもなくなり、ぽきっとつららを折ってしまいたくなる衝動に駆られる。


 喧嘩はしていないのに、気まずい。


 邉はきっと私のことなんてお見通しなのかもしれない。私の秘密も、兄さんの秘密も、希星がやっていることも、それら全部を教える機会をこうして設けたのに、それでも情報を吐かない私に苛立って、ぴりっと塩辛い視線を向けているのかもしれない。


 私は受け取れないし、拒絶もできない。矛盾しているけれどおそらく私は邉のためならなんだってできる。でも、それでも邉のために隠すしかない。邉が言及してこようと、私は矛盾をはらんだままだ。


 私は、焦る。焦ってどうしようもなくなる。だから、黒木さんに手を握ってしまう。本当は此処にいてはいけないのに、こんなところにいてしまう。邉を見てしまう。


 こんなお姉さん、邉は拒絶してしまえばいいのに、じっと見るだけで、黙って何も言わない。そこから踏み込んでこない。


 優しすぎるんだ、邉って。だからはっきりと点と線で結ばれている事実を、気づかないふりをしてくれているのかもしれない。


 甘えてしまっている私を、どうか許してほしい。

 理由を押し付ける私を、どうか許さないでほしい。


 お願いだから、もうこれ以上関わらないでほしいのに、邉はやっぱり私が止めたとしても、振り切って闇に沈んでいくのだろうか。


「うん、やっぱり知らないよ」


 私は、家のぐるぐると巻かれた赤い線を再びなぞった。

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