第一章 予兆04
どうせなら新宿で降ろしてくれればいいのに、半端な場所で降ろすから七面倒臭い。
渋々と地下鉄の改札を抜ける僕の目の前を、一人の女性が横切って行く。
髪が長いというだけで、特に印象深いものがではなかった。僕は何気なく目で追ってしまっていた。だが人込みに押され、すぐに僕はその女性は見失ってしまった。ただ単にそれだけの話だ。軽く眼を閉じ消去完了させ、僕はホームへと降りて行く。
混み合っていた都会と比べ人口密度もかなり減り、空気も何だか美味い気がする。
程よく来たバスに乗り、改めて窓外に目を向ける。
一応商店街が駅前にあるが、都会育ちの僕にとって物足りない気がする。一瞬、目の前に見知らぬ男が現れ、ハッとさせられてしまう。
僕は慌てて目を擦った。何の編鉄もない田舎の光景が広がり、乗り合わせているのはみな、観光に訪れた人ばかりだった。
きっと疲れているせいだろう。昨日もあまりよく眠れていない。僕は自分に言い聞かせる。それに、目線を戻した僕は苦笑してしまっていた。
座席を埋めているのは、ほぼ年齢層が高い集団である。
目を明けているのが辛い。僕は、すぐに目を閉じる。
バスがゆっくりと走り出すのを躰で感じながら、誕生日の一件を思い起こしていた。
どうやってあの部屋へ行ったのか、まったく思い出せないのだ。大概は記憶の断片が残っていて、キーワードを入れれば、あっという間に呼び起されるのに、あの夜のことは前後がすっぽり抜け落ちているのだ。まるで切り取って貼られたかのようだ。それがどうしても引っかかって仕方なかった。苗代の話だと自分の足でちゃんと歩いて行ったと言うのだが、信じがたい話である。しかし苗代への疑心が募らせる僕を打ちのめしたのは、シティホテルのフロント主任の一言だった。
「采沢様、お預かり物がございます」
部屋の鍵を受け取る苗代の傍らで、僕は失くしてしまったと思っていた腕時計を受け取る。
「急に帰られてしまったのことで。お困りの様子でこちらを置いて行かれました」
「これを、僕が?」
キョトンとする僕に、主任はにこやかに頷く。
僕は受け取った時計を腕にはめながら、ふと思いつきで主任に話しかける。
「そうなんだ。あの日は、酔っぱらていたから、何も覚えていなくて。ここに、来たのもほとんど記憶がないんだ。僕は、一人でここに来たのかな」
極力、主任の目を見ないように僕は訊ねた。
「はい。確かに少々、お酒を召し上がっていらっしゃったように記憶しておりますが、しっかりとした口調で、苗代が予約しているはずだけどとおっしゃられ、ご案内をと言うわたくしに、一人で行けるから大丈夫と、鍵を受け取られてお部屋に向われました」
チラリと、僕は苗代の方を見る。
どや顔をする苗代に、ムッとしながら僕は主任に礼を言う。
合点がいかなかった。
終点のアナウンスが流れ、僕は堂々巡りする記憶を消し去るように軽く頭を振り目を開ける。
降り立った景色を一望した僕は眉を顰める。
喩えようもない、ざらざらとしたものが心に広がって行く気がした。