第一章 予兆03
シティパークホテルは、平日にもかかわらず人の出入りが多かった。
二人そろってエレベーターに乗り、48階まで上る。渋面を見せる僕に、苗代がにやにやと笑う。
見覚えがある部屋に通された僕らは、透き通るような美しさを持った河北千穂と対面する。
ぴんと張りつめた空気をものともせず、苗代は凛とした河北に話題を振りかけて行く。
気難しい人だからと、事前打ち合わせの時に再三聞かされていた僕は、苗代のフレンドリーすぎる態度に、肝を冷やしていた。
女優歴30年の貫録だろうか、苗代に合わせて自分色を替えているのが、すぐに分かった。
相槌打つ姿も絵になっている。
タイトルは素顔に決まった。写真集に添える文面を苗代が担当する。あたかも自分が書き記したように、言葉数を少なめに伝えて欲しい。それが河北の要望だった。
確かに打ち合わせ中、多くを語らない河北に対し、フォローするようにマネージャーが言葉を足していた。独特の世界観。一瞬、河北と目が合う。僕は息を飲みこんだ。
まるで話にならない。
僕はいつも、苗代の取材を横で聞きながら、そんなことを思っている。人の話を半分もまともに聞いていない。もっぱら、自分の武勇伝や噂話に花を咲かせる。最初こそ怪訝な顔を見せていたクライアントも、終いには苗代のペースに乗せられ、笑顔で退座する。この才能は、いったい何だろう。何度もぶち当たる疑問だ。
そんな僕の様子に気が付いた苗代がニヤリとしながら、僕ちゃん、愛され上手だからと言ってのける。
呆れてものが言えない。
「そう言えば」
苗代がそう言い出したのは、次のクライアントに会うため、新宿に向かっている途中だった。
ぼんやりと外を眺めている僕が目線を戻した所で、苗代はほれこれ、頼むわ。とA4サイズの茶封筒をひょいと後ろ手で渡す。
「何ですか?」
「ミステリ小説の企画書」
中身を取り出した僕は、眉間に皺を寄せる。
「見れば分かります」
「頼んだわ」
「だから、その説明じゃ分からないですって」
身を乗り出し、僕は苗代の顔を覗き込む。
「適当に見繕って取材して来てよ。何か、田舎田舎してないのどかで平和そうな場所。あり得ないものが顕在しそうな場所って言うのが、コンセプト。白水源太郎大先生の作品だ。適当なものじゃ困るだろ。そこはまじめな童貞君に白羽の矢を立てずに、誰に立てる? 僕ちゃんはそう言うの苦手ちゃんだから」
あんたのベクトルは、どっちに向かっているんだ?
ムスッとして座り直し企画書を捲って行く僕に、苗代が何かを思いついたように、そうだ。と言いい、路肩に寄せて車を止める。
「善は急げだ童貞君。ついでに墓参りして来てよ。場所は神奈川のここだ」
リーフレットを手渡しながら、そこら辺ならそんな田舎でもないし、そこそこ自然もあるから丁度いいし。わぁ僕ちゃん冴えている。こういうの、一石二鳥っていうんだよ。後学の為、覚えておきたまえ、童貞君。と、バックミラーに映るニヤニヤした苗代を、僕は睨みつける。
「もう、それは良いですって。何なんですか急に?」
「すごくよくしてくれた人なんだ。この人がいなければ、今の俺はいないと言っても過言じゃない」
「だから誰?」
苗代は、僕をイライラさせるのが、得意でもある。
「魚住雅子」
「それって」
「俺の愛人とでも言っておこうか」
ふてぶてしい笑顔に、僕はムッとしながら、何ですかそれと言い返すが、苗代はそれ以上、何も答えてはくれなかった。