第六章 覚醒09
自分と言う存在が分からない柊歌。そのカギを握るのは苗代。
複雑に絡み合った人間模様。そこに隠されている事実は、誰もが想像できないことだった。
――宇宙への招待。
駅前に貼られたポスターを思い出し、突き上げるように聳え立つロケットを見上げ、僕らは足を止める。
藏下佳代が死んだのは、僕が研究所に収容されて三日目の朝だった。
ベッドの脇に立っている人の気配に気が付いた僕は、じっとその人を見ていた。
「これからはあなたのステージ。目を覚ましなさい。地球は救えない。けど人類を残す手立てならあるわ。私を信じて。これから起こることを、嘆かないで。愛しているわ」
冷たいものが落ちてきて、僕はその人を見詰め続けた。
愛おしそうにその人は微笑み、僕の髪を何度も撫でた。
「忘れなさい」
そっと囁かれたその言葉に、僕の視界は曇る。
伝わってくる温もり。
鼻の奥に残る微かな生臭さ。
頭の中を巡る様々な記憶。
僕は気が付くと駅のホームに立っていた。
反対方面のホームに立った紫のコートを着た女性と目が合い、僕は目を離せずにいた。やがてホームに電車が滑り込んできて、その女性が電車に吸い込まれるように姿が消え、僕を見上げるように頭だけが、目の前にあった。その女性が微かに動かした唇を、僕は読み取っていた。
「逃げて」
無我夢中で階段を下りた僕は、次に乗るべき電車を求め、案内表示を見まわす。クルクルと回る案内表示。急いで駆け上がる階段。目の前で閉まってしまったドアが、再び開かれ、飛び乗った僕は目の前の人物を見て、ギョッとする。
その人物は、紫のコートを着た女性の後ろに立っていた男だった。
息が止まりそうになった僕を、その男は嘲るように口元を緩める。
「探しましたよ。鹿野剛司さん」
その男に手を掴まれ、その先の記憶は僕にはない。
次に目覚めた時、僕はベッドの上だった。
無数の管が頭に付けられ、規則正しい音が部屋に充満していた。
「気分はどうかね?」
白衣を着た男が、僕の顔を覗き見る。
兵藤明。
胸ポケットに揺れる名札を見て、僕は目を大きくする。
「何をする気だ?」
「嫌だな。元々僕の研究のために君は采沢先生に育てられたんだ。あんな裏切りさえなければ今頃僕は、世界から脚光を浴びていた。無酸素で生きられる身体。脳のシステムを変えて、君は永遠の命を得ることになる」
大きく頭を振り、苗代を見る。
「すべてが、あなたの記憶。僕のものじゃない。僕は……」
「お前は空っぽの世界の住人。異次元の中にだけ存在を認められている。コードネームはレッドアイ」
エレベーターに乗り込んだ二人は、黙ったまま階数表示の行方を見守っていた。
航空ピットに入った僕らは、目の前に広がるビジョンを眺め、固唾を飲む。
この船体を宇宙まで飛ばせる。と、本気で思っている人は果たして何人いるのだろうか?
僕の思考を読み取った苗代が、まず一握りだろうなと呟く。
「あなたは何を考えているんです?」
「人類滅亡の危機を、俺なりに救おうと思っているだけだ」
「魚住雅子って、あの時居合わせた看護師ですよね」
「ああそうだ。水沢は俺を変なことに巻き込ませてはいけないと思って、彼女に頼んだんだ。魚住も、恋人の子供を堕胎させられた経験があったからな。すぐに引き受けてくれたそうだ」
「もしかして、それが怜美?」
苦々しい表情で、苗代は目の前を見据えていた。
「兵藤はお前を連れ去られ、もう一人、クローン人間がいることを突き止め、拉致監禁をした。それがあの家だ。怜美はまだ2歳になったばかりだった。すぐに兵藤のことを自分の父親だと思い込んだ。俺がそのことを知ってあの家を訪ねた時には、もう心を失っていた。兵藤が俺たち親子の目の前に現れ、その事実を聞かされた時、愕然となった。そして取り返しに行ったんだ」
「あなたと母親は別々の進路を取り、他で合流するはずだった。けどその計画は兵藤にばれてしまい、追い詰められた魚住雅子は入って来た電車に身を投じてしまった」
「ああ」
「俺は必死で走った。こうなることは分かっていたからね。知り合いに怜美を託し、俺は階段を駆け上った」
「まんまと騙されてくれたんですね。目の前に立ちはだかった男って」
「ああそうだ。滿永だ」
「あいつは、お前が苗代の血を引くことを唯一、知る人間。跡取りが生まれなかった苗代に、お前の情報を流し、そこで初めて河北の耳にもお前が生きていることが知らされた」
「皮肉な話だ」
「金に目が眩んだ滿永は、俺をお前だと思い込んだ。後は分かるだろ? おかげで俺は一気に裕福な暮らしへ招かれた」
「それが15歳の時?」
すべては藏下佳代が予言したとおりだった。
「水沢亜紀はなぜ、父を訪ねてきたのでしょう」
僕の質問に、苗代は肩を竦める。
人間の感情が左右させる、そんな事象までは暗し貴代とて、読み切れなかった。と言うことか……。
苦笑いをする僕を、苗代が促す。
避けられない事象。
そのための生命体。
それは多くの命の犠牲の上に成り立っている。
閉まるハッチを見ながら、僕はぼんやりとそう動く唇を思い出していた。
それが父のものだったのか、母のものだったのか定かではない。
しかし皮肉なものだ。
音を軋ませながら狂ってしまった運命の歯車を、ゆっくり歩を進める苗代のその背に僕見ていた。
今まで見せられてきた事象が立証される。いよいよその時を迎えてしまった柊歌。最後の決断をする時が迫っていた。




