第一章 予兆02
白のベンツが苗代の愛車。
僕は右側の助手席がどうも苦手で後部座席に乗り込む。
「今日のクライアントは、ちょっと難しい女優さんだから、下手こくなよ」
「イエッサー」
芳野かつ。これが苗代のペンネーム。
彼はゴーストライターを生業にしている。
あまり表舞台には出てこないが、この業界ではかなりのやり手で、彼の手に掛かればどんな無駄話でもそれはそれは、ご立派なものへと変わってしまう。それなりの才能は持ち合わせているんだろうが、とにかく軟派で着るものが派手。目立って仕方がない。昔は、バンドなんかも組んで、CDも出していたらしいけど、僕には到底縁のない世界。知る由もない。どこをどう間違って、この人と共に行動するようになったのか、僕自身が謎に思っている。
苗代健吾と僕の出会いは、溯ること3年前。
バイト先である居酒屋に、ド派手な服を着た客が御来店。それが苗代健吾だった。
とにかく苗代は陽気で、手当たり次第、周りにいる客に話しかけ、あっという間に、自分の虜にして行った。
「兄ちゃん、酒ドンドン持ってきちゃってよ。ちなみにおごれないけどね~」
こんな具合で、どんちゃん騒ぎして、きっちり二時間で席を立った苗代は、会計の応対する僕に名刺を差し出した。
「兄ちゃん採用、決めたから。明日からここに来なさい」
「またまた御冗談を。3480円です」
「ここの店長は誰?」
「店長ですか?」
眉間に皺を寄せて訊く僕を見て、苗代は愉快そうに笑い、お話があるから呼んじゃって~。と軽佻かつ失礼極まりない態度で言う。
当然、僕としては腑に落ちずに、店長に何の御用ですか。とムッとなりながら訊き返した。
「いいからいいから。店長、店長さん居ますか~」
顔が火に包まれたかのように熱い。どうしていいか分からず、お客さんと窘めるのが精いっぱいの僕を尻目に、苗代は更に声を張り上げた。
店長が飛んでくるまでの間、僕は店にいた全員から注目を浴びせられ、心が折れそうになる。眩暈を感じその場に立っているのがやっとだった。
「とにかくこちらへ」
苗代の背中を押すように事務所へ入り、話すこと10分。満面の笑顔の苗代に対し、苦虫を噛み潰したような店長は僕と一度目が合うが、すぐ逸らされてしまう。
きょとんとする僕に、苗代は、じゃあこれで。とカードを出し、気分が良いから、皆の分も、奢っちゃうかな~。とニヤリ笑って、支払いを済ませる。
帰り際、明日の10時、待っているよ。と言われ、待って下さい。と言う僕の声も虚しく扉に遮られてしまう。
呆然とする僕の横に立った店長が、お前、明日からここに来なくていいや。とぽつり呟く。
「えっ、どうして?」
「あの人が、お前をスカウトしていった。あの人に言わせると、ヘッドハンティングらしいけど」
その後、いくら事情を訊いても、店長はもう来なるな。の一点張りで、最後には、頼む。俺を助けると思って、クローンカンパニーに行ってくれと、うな垂れながら言い出す始末で、涙目になっていた。
僕はガックリ肩を落とす。
何を聞いても無理と判断した僕は、店長の気持ちが詰められた封筒を受け取り、その日で店を辞める羽目になった。
無茶苦茶な話だ。
店長と苗代の話の内容は分からず仕舞いで、僕は翌日、白を基調とした一軒家の前、ドアに掲げられたプレートを見て、大きなため息をつく。
家と言うよりお屋敷だよな。
端正に整えられた庭は季節の花々が咲き乱れ、立派過ぎる建物にたじろぐ。
場違いなところにきてしまった。
自動で開けられた門を振り返りながら、ここに来てしまったことを僕はしこたま後悔に苛まれていた。
このドアをくぐってはいけない。
直感的に思った僕は、踵を返した。
「こっちこっち」
その声に僕は立ち止まり、目を疑ってしまう。
白いベンツがガレージから出て来て、苗代が手招きをして見せていた。
僕の意志に関係なく、苗代は強引に物事を進めて行った。
唯一抵抗したのが、助手席を拒み後部座席にふてる様に座ったこと。今でも居心地の悪さには変わりない。