第五章 撹拌03
「柊歌、起きろ」
重い瞼を開けた僕は、その光景を判別するのに時間が掛かった。
なぜここに苗代がいるのか、そしてなぜスーツなど着ているのか。というより、今、自分はどのような状況に置かれているのかが、さっぱり思い出せずにいた。
なかなか起き上がろうとしない僕の手を、苗代が強引に引く。
「お前、何のために俺ん家に泊まり込んだ。遅刻しないためだろ。早く支度しろ。いくらプライベート機だって、定刻っていうもんがあるんだ」
泊まり。プライベート機。朝焼け。スーツ。
僕は何かを思い出し掛けていた。
ざらついた記憶。
「さぁこれから何でも見られるぞ。柊歌」
誰?
「ほれほれ。目を覚ませ」
苗代に頬を軽く叩かれ、一瞬にして、現実に引き戻された僕は慌てふためく。
そうだった。
大きな、取引を控え、今日、日本を離れなければならなかったのだ。
「スイマセン」
思わず謝る僕を見て、苗代が頭を小突く。
「頼みますよ運転手さん」
バタバタと部屋を出た僕は、何の気なしに玄関に置かれてあった荷物を肩に背負い鍵を掛ける。
一瞬、目の前を何かが過る。
「急ぐぞ。お前、寝すぎなんだよ」
苗代に腕を掴まれ、僕は有無なしに足を速めて行く。
コンビニにより、朝食を買い込んだあたりから、僕の記憶は鮮明さを増す。
僕が描いたシナリオが初めて採用された。
撮影のための出立。
この数日間、最終調整のため、僕はホテルに缶詰め状態だった。
ぎりぎり間に合わせた僕は、苗代と祝杯を挙げ、そのまま泊まり込む。
おにぎりを手渡された苗代の手には、包帯が巻かれていた。
「どうしたんですかその手?」
「割れたコップ片づけていて、切っちまった」
「ドジですね」
そういう僕を見て、苗代が愉快そうに笑う。
「何がおかしいんです? 変な人だな」
「わりぃ。わりぃ。柊ちゃんやっぱ良いわ。最高」
指を立てて言う苗代を見て、僕は大いに首を傾げる。
苗代がとじょう手続きを済ましている間、僕は発着する飛行機を眺めて待っていた。 「柊歌、お待たせ。行くぞ」
呼ばれ、振り返った僕の前を一人の女性がすれ違って行く。
ぶつかりそうになった僕の手から、時計が滑り落ちる。
思い出して。
どこからともなく聞こえてきた声に、僕は辺りを見回す。
「柊歌」
肩を掴まれた僕は、ギョッとなる。
「顔色、悪いぞ。飛行機、怖いとか言うなよ」
僕は何も答えられなかった。
謎このタイミングだったのか、その理由を僕は知りたかった。
ざらつく記憶の向こう側、微笑む一人の女性。
「行くぞ」
肩を立空かれ、僕は一度振り返り歩き出す。
そのことを知ってか、知らぬか、苗代が神妙な顔で横に並ぶ。
「もう逃げるなよ」
その言葉に、僕は苦笑いを浮かべる。




