第一章 予兆01
時折、僕は僕についての取扱説明書が欲しくなる時がある。
例えば、この艶めかしい裸体の女性を前にして、僕はなぜ、ひたすらに頭を下げているのか、知りたい。その前後の記憶がまったくと言っていいほどないのだ。
狼狽え戸惑う僕を見て、その女性は呆れ顔を見せながら、あなた、そっち系? と聞いてくる。
「はぁ、そっち系とは、どっち系でしょうか?」
などと間抜けなことを言ってしまう僕を、鼻で笑った彼女は、煙草に火をつけ、煙を天上に向かって一吐きした。
その流れるような仕草に、僕は大人を感じつつ、それでもやはりおどおどと目線を泳がす始末で……。
「まさか、立たない、って訳じゃないわよね」
訝る彼女に目一杯、元気よく、呆れるほどに、ああ表現方法なんてどうでもいいんだ。とにかく、思い出したくないことには間違いない。
「大丈夫、立てます」
直立不動で立ち上がっていた。
そしてそこで僕は初めて、自分も裸体を曝け出している事態に気が付いた。
もう穴があったら入りたい。
顔から火が噴き、それなのに僕のあそこは元気よく反応を示していて……。
困惑の中、彼女は煙草をもみ消し、ふっと笑みを漏らし急接近して来た。
「どっち系でも良いわ。さぁ私をママと思って、この胸へ甘えて来なさい。ほらママよ。私の可愛い坊や。お腹が空いたでしょ。パイパイはここよ」
あ~あ情けねぇ。何やってんだ僕は?
「ややややややや止めて~」
慌てふためく僕にお構いなしに、彼女は僕の急所をギュッと握り、弄ぶかのようにほくそ笑む。そして空いているもう片方の手で、僕の手を自分の乳房へと誘導させた。
僕も男だ。ここは一気にベッドへなだれ込んでって、思いましたよ思ったのにだ。
「何ならすぐにでも、私の中に戻ってみる?」
耳元で囁かれ、僕の血潮は一気に上昇気流に乗って、そして壊れた。
ツーっと、鼻から温かいものが流れ落ちる。
「と、とんでもないです。本当にスイマセン。あなたが魅力がないって言うことじゃなくって、スイマセン」
ズボンに片足を突っ込みながら、とにかく僕はそこら辺に散らばっている自分の洋服をかき集め、その場から飛び出していた。
その顛末を一部始終聞かされた苗代健吾は、露骨に顔を顰める。
「お前さ、人が折角お膳立てしてやったのに、何それ? 台無しにしやがって」
苦笑する僕を、苗代は容赦なく、けっちょんけっちょんにこき下ろして来る。
「お前が、一度も女を抱いたことがないって言うから、24回目のハッピーバスディプレゼントとして、女をあてがってやったのに。最高級のコールガールだぞ。ホテルの部屋だってかなり頑張ったつもりなのに。俺の10万、どないしてくれまんねん」
「どないしてくれまんねんて、そんな下手な関西弁使われても。て言うか、僕の酒の中に変な薬、入れてないですよね? まったく記憶がないんですよ。どういう話の流れでそういうことになったのか。そこのからくりを、教えてくださいよ」
「お前さ、バカだろ? 俺が、はい。入れましたって、素直に言うと思う?」
深いため息とともに、首を横に振る僕を見た苗代は、だろう。と勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
「さぁ童貞君、仕事だ。行くぞ」
腑に落ちない僕は、不満げに部屋を後にする苗代を目で追う。
絶対、あいつの言いなりにだけにはならない。ならないぞ僕は絶対。
「おい早くしろ」
戻ってきた苗代にどやされた僕は、がっくりと肩を落とす。
この人に刃向ったところで、無効果だってのは、重々承知している。
ふてくされる僕を見て、苗代が歯を見せとどめを刺す。
「この際、一生童貞を貫くんだな」
もう放っといておくれ。
ムッとする僕を見て、苗代は愉快そうに笑う。
最低最悪だ!