第四章 記憶01
苗代は両肘をテーブルにつき、組んだ手の上に顎を乗せ、じっと僕を見ている。
「もうこのくらいでいいだろう」
言われている意味が分からず、僕は首を傾げる。
コーヒーを一口飲んだ後、苗代が切りだす。
「柊歌、もう鬼ごっこは終わりだ。もう時間がない」
玄関で物音が聞こえ、スーツ姿の男性が3人入って来た。一歩遅れて水沢が顔を覗かせる。
「本当に梃子摺らせてくれる坊やだわ」
「手荒な真似はしたくはなかったが、仕方がない。やってくれ」
苗代の号令で男たちが、僕を押さえつけに掛かった。
水沢が注射器を僕の腕に目がけ刺そうとした瞬間、けたたましい非常ベルの音が鳴り響く。僕は素早く、テーブルの下に貼り付けて置いた催涙ガスを吹き付け、男たちの手を逃れる。
玄関わきに用意しておいたリュックを片手に、発煙筒を部屋に投げ入れ、僕は開いて待っているエレベーターに飛び乗った。
正面玄関から飛び出し、近くのコンビニの駐車場に止めてあるワゴン車に駆け込み、僕は発進させた。
見慣れた景色がだんだん遠ざかり、消防車が数台とすれ違う。
追手が来ていないのをバックミラーで確かめた僕は、ようやく肩の力を抜き、後部座席に、もういいぞ。と声を掛ける。
後部座席から起き上がった翠川怜美が、にっこり微笑む。
「上手くいったわね」
「これからどうする? あいつらはいったい、何をしようとしている?」
「さあ、それが知りたいのよね」
僕たちが乗り捨てたワゴン車に、周囲を警戒するように近づいて来る男を、物陰から伺っていた。
「ほら、私が言った通りだったでしょ」
顔を顰める僕を見て、怜美が得意げに言う。
「滿永さんがなぜ?」
空になった車の中を覗き込み、しばらく何かを考え込む姿に、僕はゾッとしながら怜美を見る。
「あいつらと繋がっていることよね」
怜美の言葉に僕は固唾をのむ。
苗代が何を考えているのか分からない。あの男たちの正体も皆目見当がつかない。水沢亜紀がなぜあんな目で僕を見るのか……。混乱している僕を見て、同情の目で怜美が、かわいそうな柊歌。と抱き付いてこいた。
「私が護ってあげる。最初にあなたにあった日からそう決めていたから」
携帯で誰かと連絡を取り合っている滿永を、僕はじっと見ていた。
「いつまでもここにいるのは危険よ。場所を移しましょ」
怜美にそう言われ、僕らは、バスで隣町の駅に向いそこから電車に乗った。
流れる景色の中に、僕は様々な要素を兼ねた事象を浮かべては、否定を繰り返していた。
「采沢さん」
そう呼び止められたのは一週間前。翠川怜美だった。
「急に、催事場に姿を見せなくなってしまったから、心配したんですよ」
髪を一つにきっ詰め、お団子頭にした怜美の頬が、以前よりピンク色に染まっているのに気が付いた僕は、今日は、桜餅みたいですね。と、自分ではかなりの確率で気の利いたことを言ったつもりだった。
「仕方がないです。私、あなたに会いたくて探していたんですもの」
「え?」
俯いた怜美の顔が、赤く染まり、きょとんとする僕を見て、もうと手を繋がれ近くのカフェへと二人して入ったのだった。
一方的に話を勧めたのは、怜美だった。
好きな人がいるのかいないのか確認を入れ、僕の答えに気をよくした怜美は、自分の携帯電話を取りだし、さっさと僕の番号を登録し、にっこりほほ笑んだ。
「急に仕事に来なくなってしまったのは、もしかして、あの親父のせい?」
「親父って?」
「毎日来てたじゃありませんか。禿げた」
「ああ、滿永さんのこと。いや、あの人は関係ない。元々は僕の勤め先のオーナーが留守している間、応援要員で働いて来いと言われただけだったんだ。急に予定が変更になって、それであそこでの仕事が打ち切りになっただけ。何の連絡もしなかったのは悪いと思ったけど、上には連絡が入ってたから、いいかなって思って」
「良くないですよ。私、本気で心配しちゃいましたよ。あのストーカー野郎に何かされたんじゃないかと思って、親父のこと、いろいろ調べちゃいましたよ」
「随分、行動的だね」
「当然じゃありませんか。好きな人の大ピンチですよ。今、立ち上がらなくていつ立ち上がるんです?」
真剣な眼差しで熱弁する怜美に、僕は思わず吹き出してしまった。
「何がおかしいんです。あなたはかなりやばい状況に置かれているって、自覚あります?」
「大袈裟な」
「大袈裟かどうかは、これを見てから行ってください」
テーブルに出された封筒に探偵事務所の名が記されてあり、驚き見る僕に、早く中身を見ろと怜美が目配せをする。




