第三章 幻覚09
夜景に自分の顔が映し出され、初めて電車に乗っていることに気が付き、僕は苦笑する。
腕時計に目をやると、9時を少し回ったところだった。
全身から力が抜け出てしまったような脱力感に襲われながら、自宅マンションへ戻った僕は、出入り口前に立つ人影を見つけ立ち止まる。
苗代だった。
寒そうに背中を丸めながらマンションを見上げ、煙草を吸っていた苗代が僕に気が付き、振り向く。
「おっそいよ」
煙草を携帯用灰皿に押し付け、足踏みをしてみせる。
「さぶい。早く中に入れてくれ」
小走りで玄関前に行き、暗証番号を打ち込んで行く。
「お前さ、どこに行っていたわけ。仕事、サボってんじゃないよ」
黙ったまま僕は開いたドアを抜け、エレベーターホールへ向かう。
ポケットに手を突っ込んだ苗代は、階数表示を見上げたまま、僕に話しかけてくる。
「お前、俺に何か隠しているだろ?」
黙ったまま、僕は扉をじっと見ていた。
「黙秘ですか。それでもいいけど」
チラッと僕の服を見た苗代が、ため息を吐く。
「何があったか知らないが、このままじゃヤバいんじゃないの。何なら俺ん所に転がり込んできてもいいぞ」
扉が開き、僕は廊下を黙々と歩く。
鍵を開け、真っ直ぐ寝室に向かう僕の背後から、苗代が声を掛けられる。
「本当に大丈夫なのか?」
一瞬立ち止ったが、そのまま寝室に入って行く。
このままベッドに転がり込みたかった。何も考えず、朝が来るのを待って、日常を取り戻す。いつものように何もなかった様にだ。
ドアがノックされ、サイドテーブルに伏せて置いてあった鏡を覗き、一度目を閉じ深呼吸をしてから、僕は明るい声で返答する。
着替えを済ませて出て来た僕を見て、苗代が苦笑した。
「またこれから、どこかへ出かけるのか?」
「何でですか」
「どう見ても寛ぐって感じじゃないから」
大丈夫。今までだってうまく切り抜けてこられたんだ。
「スエットとか持ってなくって」
「いやいや、その上着、今、必要じゃ……」
急に苗代が言葉を飲む。
「お前、その目」
僕は慌ててキッチンに走り込む。
「もう限界。諦めなさい」
「きみは」
瑠羅だった。
僕は後ろを振り返る。
「どうやってここに」
「柊歌」
入って来る苗代の横を、瑠羅がすり抜けて行く。
「どうしたんですか?」
苗代が肩を掴み、自分の方に向かせた僕を見て、忙しく目を動かす。
「コーヒー、淹れますから。座って待っててもらえますか」
「ああ、すまない。濃い目で頼む」
「イエッサ―」
ふざけて敬礼する僕を見て、苗代はふらふらとソファーに戻って行った。
「あなたは、ここには居てはいけない人。私と行きましょ」
「止めてくれ」
僕は耳を塞ぐ。




