第二章 偽装09
音のない世界。
まるで無声映画を見せられているようだった。
滿永の口元をじっと見る。
僕の中のものが、すべて彼女の出現に伴って、フリーズを起こしてしまったのは明らかだった。
頻りに動く口元。
ざらつく記憶。
何かを僕は思い出しかけていた。
自分の意思とは関係なく、躰が小刻みに揺れ始める。
「采沢君、僕の話、聞いている? お願いだから携帯の番号、交換してくださいよ」
突然、現実に引き戻された僕は、初めてそこに満永射ることに気が付いた素振りを見せていた。
「だから携帯」
「ああえっと、え?」
僕は無意識にポケットへ手を突っ込み、一瞬焦りが走る。
この展開を読めていた僕は、わざと携帯をロッカーへ置いて来ていた。
ねちっこい滿永のことだ。断っても断り切れないだろうという読みだったのだが、それは大正解だった。
「またまた、そんなこと言っちゃって、実は持っているんでしょ」
強引な行動をとってくる滿永に、僕はあからさまに顔を顰めてみせる。
「本当に持ってないってば。いい加減にしてください」
容赦なく躰のいたるところへ、手を伸ばしてくる滿永だった。
「そんなに怒らなくても。君はどう思っているか知らないけど、僕としては君との出会いを大切にしたい。いや、一生のものにするべきだと考えている。よってこれを渡しておくから、何かあったら、いつでも連絡してよ」
いらないという僕の手にしっかりメモを握らせた滿永が、満面の笑みを浮かべる。
得体のしれない恐怖が、一瞬僕の中へ芽生えた。
「じゃあ」
「お元気で」
とってつけた自分のセリフに、僕は吹き出しそうになった。
滿永はようやく僕から離れて行き、一安心することが出来た。
ざわつくロビー。
行き交う人々。
離着を繰り返す飛行機。
どれもこれも色をなくせば、すべてが無意味になる。
僕はふと足を止め、辺りを見回す。
長い髪の女性が、甘い香りを漂わせ、過って行く姿が鮮明に映し出されていた。
それは明らかに残照だった。
窓から見える空模様が怪しさを増していた。
何はともあれ、急いで帰った方がよさそうだ。
僕は急ぎ足でロビーを突っ切り、空港の外へと飛び出して行く
リムジンバスが行き交うのを横目に、僕は近くの建物へと走り込む。
大粒の雨があっという間に視界を奪っていく。
一頻り降った雨は小休止し、その隙間を塗って僕は自宅マンションに戻った。
いつもなら、あっさり消えてくれる映像だが、今回ばかりは少し違っていた。
時間を追うごとに、彼女の記憶が鮮明に映し出されていくのだ。
これをどう処理するべきか、手をか招きながら僕は、部屋に置きっぱなしにしていた携帯に電源を入れる。
案の定、苗代からの着信が3件とメールが5通も届いていた。
どうして僕が二台の携帯を持つようになったのか、記憶は曖昧だった。ただ言えるのは、苗代が原因の一つになっているのは間違いない。とにかくかけてくる電話は長く、メールも頻繁で、うんざりさせれているのだ。データー処理をするのが、大変なのだ。
苗代からのメールを開く。
僕が想像した通り、派手なアロハシャツを着た苗代が肩に手を回して、一緒に映っている金髪女性の画像が添付されてある。
『ヤッホー。ハワイ最高!』
これに対して、僕は大いに悔しがり、大いに褒め称える返事を返さなければならない。面倒臭いがそれをしないと、尋常じゃない数のメールを送りつけられるか、真夜中に永遠と受話器を握らされる羽目になる。
苗代がハワイへ行ってからこの十日間、僕は寝る前の日課になっていた。送り付けられてくる画像は、風景や出会った動物。花に親しげに肩を組む老婆。ハンティング帽を被りはにかむように笑う老人。付けられたコメントを呼んで、僕は顔を顰める。
僕ちゃんのジジババなんて書いてあったけど、ふざけんなっていうコメントしか浮かばなかった。それに何で浮浪者まで写しているんだよ。街を知り尽くした男って書いてあっるけど、ただただ汚らしいイメージしか伝わってこない。
という具合なのである。
適当に撮った写真が添付されて送り付けてくるのだから、堪ったもんじゃない。酷い時には、どこの国だよと言う音楽までつけられてくる。当然、僕の携帯はすぐにデーターがいっぱいになり、その処理をしなければならなくなる。それだけでもまだしも、返信が厄介な代物なのだ。
彼の望むコメントをつけなければならないのだ。
これがなかなか気に入っていただけるまで、何度も送り付けられるのである。
頭を捻らせ、文面を打ち込んでいる途中、メールが届く。
またかよ。
ついつい愚痴が出てしまう僕は、ファイルを開き、慌てふためく。
「明日、帰ってくるだぁ。マジかよ?」
指でテーブルを叩くこと数回。
瞬きを二度ほどした僕は、苗代に返信していた。
目の前に広がるビジョンは、あまり好ましものではなかった。
『明日はやめてください。どうしてもと言うなら、大阪を経由して戻る方法をお勧め!』
『何でだよ。僕ちゃんにすぐにでも会いたいだろ。僕ちゃんの愛するベビーたちも出迎えに来るだろうし』
だから嫌なんです。何が悲しくて売り子している姿を、あなたに見せなければならない? そもそも何ですか? いつ気が変わって帰って来られても、出迎えられるようにって、空港内のイベントを手伝わせるって。ないでしょ。呆れてものが言えない。大体、なぜ、成田空港を使わない? 関西へ回れ。出迎えが出来ない理由が出来る。とは書けないので、東京は大荒れの天気。視界不慮で墜落の恐れあり。ないわと思いながら、僕は返信ボタンを押しそのままベッドへ横になる。




