序章02
「かいつまんだ話をしよう」
その人は、テーブルの上で組んだ手に顎を乗せ、僕の目を覗き込むように見ていた。
僕を驚かせないように、極めて柔軟な話方で、言葉を淡々と並べて行く。それに何の意味があるのだろう? 無表情のまま、その人が、立ち上がる瞬間を待ち浴びていた。
興味がない話に、うんざりとした顔の僕に、その人は少し口元を緩める。
かつてない嫌悪感。吐き気までしてきた。
開け放った窓から風が入り込み、レースのカーテンは揺れ、微かに街の騒音が聞こえている。
僕は、その人から目を逸らした。
「ぜひ、君の力を貸して欲しい」
選択の余地を与えない、ということだろうか……。
その人の手にあるものを見て、僕は視線を戻し、ノーとはっきりとした口調で答える。 想定をしていた事象に対応、応戦。認めたくない結論を分かっていても、僕は往生際悪く、手足をばたつかせる。
僕は、何のために生まれて来た?
僕の心が叫ぶ。
そっと、何かが僕の心に触れて行った気がした。
柔らかくて暖かい何かが。
暗く閉ざされた視界。張りつめた空気。エンジン音が耳の奥で鳴り響く。
「……こんなはずじゃなかったのに」
母さんの顔が、浮かんで見えた。
青白いその顔は、悲しみの色に包まれ、僕を真っ直ぐに見なくなってしまった瞳には涙があふれている。
「いいんだ。全部分かっていたことだから」
喉まで出かかったその言葉を、僕は飲みこむ。
あの日も、カーテンがひらひらと揺れていた。
僕はずっと悪夢を見続けているだけ。
白い日差しが部屋に伸び、朝を知らせに母さんがやって来る。そして、僕の手を引き、こう言うんだ。
「おはよう」って。
僕は何の疑問も不安も抱かずに、一日の始まりをそうやって迎える。煩わしさはあるさ。僕も人の子だからね。
目を覆っている闇が解け、僕は全速力で駈け出す。
逃げきれないと分かっていても、僕は今、自分に掛けたかった。
何もない世界。
それが待っているとしても。
眩しさに目が眩む。
――そして記憶が当てにならないと言うのも、僕は知っている。